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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第一章 目覚め
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不名誉の負傷

 父親は病室にいる全員に椅子を勧めたが、山名は「所用がありますので」と言って、病室を出て行った。「面倒事に巻き込まれたくない」ということなのだろうが、あるいは、本当に忙しいのかもしれない。彼の担当している患者は、俺だけではないのだ。


 母親は俺のベッドのすぐ脇の椅子に、父親は足元のほうの椅子にそれぞれ腰を下ろした。


 妹は、病室の扉近くの壁に背中をもたれさせたままで、椅子に掛けようとはしなかった。


 話そうと決心したものの、やはり迷いはすべて断ち切れたわけではないようで、父親はしばらく自分の手のひらを見つめながら、逡巡しているようだった。


 「話が無いんだったら、もう帰っていい? お姉ちゃんも、無事に目が覚めたことだし、私には、とくにできることないし・・・」


 初めて聴いた妹の声はとげを含んでいた。彼女は、明らかに「無事に」という言葉に力を入れて話していた。まるで姉の記憶が戻らないことは、大した問題ではないかのように。


 さすがに父親は眉をひそめて、妹をきっと睨んだ。


 「いや、これから話す。お前も家族なんだから、最後まできちんと聴く義務がある。お前も初めて聴く話だろうが」 


 妹は何も言葉を返さず、病室の壁にもたれて、無表情のまま、父親を見つめていた。父親は、そんな妹の様子を、何かを言いたげに眺めていたが、やがて俺の方に向き直った。


 「3月4日の金曜日、お前は交通事故に遭った。細い路地を歩いているところを、後ろから車に跳ねられた。狭い道なのに、車はかなり加速しており、お前は5メートルほど飛ばされて路上に落ちた。右側から路面にぶつかったらしく、右側頭部、つまり頭の右側と、右半身を痛めた。ただ、咄嗟に右手で頭をかばったらしく、事故の割に頭のダメージは比較的小さかった。右手は複雑骨折となった。飛ばされたところに鉄の棒が立っており、右足を貫通した。骨から僅かにそれていたので、骨が砕けるのは防げたが、大出血を伴う骨折となった」


 父親は、極力、主観を入れないように、そして努めて冷静に話そうとしていたが、鉄の棒のくだりのところまで話すと、やはり声が少し震えた。母親は、思わず両手で顔を覆っていた。両親とも、俺の生々しい傷口を見ているらしい。

 俺自身は、包帯で巻かれたところしか見ていないので、どんなにひどい傷か、知りようもないし、そもそも自分が事故に遭ったわけではないので、とくに感慨も無かった。ただ、父親の話で、幾つかの腑に落ちない点に気付いたので、尋ねてみることにした。


 「・・・・なんで、そんな鉄の棒が立っていたの?」


 「お前は、真っ直ぐではなく、やや斜めに飛ばされて、道路脇にかかる形で落ちたんだ。道路脇には、昔、駐車場があって、その鉄柵の一部が撤去されずに放置されていた。それに足が当たったんだ」


 「狭い道なのに、なんで車はスピードを出していたの?」


 「運転していたのは、現場の近所に住む70歳の高齢者だった。アクセルとブレーキの踏み間違いが原因、と聴いている」 


 「どこで事故に遭ったの? うちの近く?」


 俺の問いを聴くと、父親と母親は顔を見合わせて、明らかに話すのをためらっている素振りを見せた。事故現場について話すのが、そんなに問題のあることなのか。

 両親は、「話していいか」、「絶対に駄目よ」というような会話を目だけで続けているようだった。


 「お姉ちゃん、池袋の北の方、うちからずっと遠いところで事故に遭ったの。なんで、お姉ちゃんが、そんなとこに行ってたのか、誰もわからなかった。それに、そこって」


 「綾乃!」


 まったく感情を込めない声で、淡々と話し始めた妹を、突然、母親が鋭く制止した。この母親のこんな厳しい声を、俺は初めて聴いた。


 「・・・・私は、何を聴いても平気だから。そこは、どんなところだったの?」


 妹は、初めて俺の瞳を真っ直ぐに見つめながら、答えた。


 「いかがわしい、ところ」


 母親は、すっと立ち上がると、足早に妹の前まで歩いてきて、やにわに手を上げて、妹の頬を張った。

 パン、という痛そうな音が病室に響いた。


 妹は、さすがによろめいたが、僅かに顔を歪めただけだった。


 「私は、ただ事実を言っただけ。そんなに、その事実が都合悪いことなの?」


 顔にかかった髪を払いながら、妹は何事もなかったように、母親に向かって静かに尋ねた。


 「他人様ひとさまが誤解するようなこと、言うものではないでしょ! なんで、あなたは、いつもいつも、そういうふうに、お姉ちゃんに!」


 話しながら感情が昂ぶって、再び手を振り上げた母親を父親が制止した。


 「綾乃とは、あとでゆっくり話すことにしよう。とにかく、今は事故の話を冷静に話そう。理紗がびっくりしている」


 (いや、びっくりしたのは本当だけど、俺は、妹の話のほうが聴きたいよ)


 妹と母親は無言で睨みあっている。さすがに母親は怒気を剥き出しにしているが、妹は意図的に冷静に振舞っているようで、顔色ひとつ変えていない。


 一方、父親はそんな二人から少し離れて、俺のベッドの近くに歩いてきた。


 (いや、オッサン、そこはアンタが間に入って収めるところじゃないのか。さっきは信頼できる人かなと思ったけど、実は、さほどでもなかった、ということか)


 二人と意図的に距離を取ろうとしているかのような父親に、俺はボールを投げてみることにした。

 

 「つまり、私が、池袋の北のほうの、いかがわしいところで事故に遭った、ということは事実で、なんで私がそんなとこにいたのか、誰もわからない、ということも事実なんだね・・・。両方とも事実だけど、それは、私が、いかがわしいところに何か用事があった、という話にはつながらないと思うんだけど・・・」


 俺の言葉を聴いて、父親だけでなく、睨みあっていた母親と妹も、同時に俺のほうを振り返った。三人とも、俺の顔を見て言葉を失っている。


 「・・・私の言ってること、どこか、おかしかった?」


 父親に向かって問い掛けると、彼は母親と、次いで妹と、それぞれ顔を見合わせたあと、棒を呑まされたような顔で、ぎこちなく答えた。


 「いや・・・お前の言っていることに、おかしな点は無い。そのとおりだ」


 「そう、良かった。私、記憶は戻っていないけれど、頭の方はなんとか大丈夫そうね。ちょっと安心した・・・。事故のこと、だいたいわかったような気がする。お父さん、って呼んでいいのかな、どうもありがと。お母さん、なんだか、今日は、いろいろあって疲れちゃった。もう寝ていい?」


 俺は、意図的に妹だけを外して、両親に話しかけた。妹に対して、「これ以上、ナメた真似してると、ただじゃおかないぞ」という強烈な牽制球を放ったつもりだ。


 俺の意図は、妹にはきちんと通じたようだった。


 母親に頬を張られても表情を変えなかった妹が、その美しい眉を吊り上げて、俺を睨んだ。


 (賢い子だ。しかし、所詮、子供なのさ。俺の相手としては力不足だな。しかし、アイツがこんなに突っかかってくるのは、何が原因なんだ?)


 くるりときびすを返して病室を出ていく妹を、母親が焦り気味に追っていく。


 父親は、そんな二人を、またしても、ただ眺めるだけで、動こうとしない。


 (なんか期待外れなオッサンだなー)


 「・・・・なんか、みんな、びっくりしてる感じだったけど、なんで?」


 母親と妹が病室から出て行ったあと、なす術もなく、まだじっと立ち尽くしている父親に、俺は声を掛けた。母親と妹のバトルを見てから、なぜか父親のガードが、グッと緩くなったような気がして、今なら何かを引き出そうだった。


 父親は、俺のほうに視線を移すと、少し場違いな感じの苦笑を洩らした。

 

 「・・・・そんなことを言う子じゃなかったんだよ、お前は・・・・」


 二人だけになると、父親の態度はさらに緩くなったような気がする。明らかに肩の力が抜けた感じだ。


 「・・・・前の私って、どんな子だったの?」


 「綾乃に何を言われても、何も反論しなかったよ。ただ、困ったように笑うだけだった」


 「なんで、あの子は、私を目の敵にしているの?」


 俺は地雷を踏んだようだ。父親は再び表情を引き締めると、身体を病室の扉の方に向けた。


 「それは、これから、追々、話すことにする。一度にたくさん、いろいろなことを聴いても、なかなかうまく吸収できるものじゃないからな。今日は、疲れただろう。おやすみ」


 「・・・・うん、少し疲れたよ。今日は、もう寝る。おやすみなさい」


 俺を布団を口の辺りまで引っ張り上げて、父親に向かって小さく頷いてみせた。

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