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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第四章 姉たちの涙
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鳥籠

 明け方、私はスマホのタイマー・アラーム音で目が覚めた。


 すっきり目が覚めて、うーん、と伸びをひとつして、ベッドから這い出し、カーテンを開けてみる。眩しいけれど、決して暑くない朝の日差しが部屋の中に差し込んできた。高原の朝は、いつも、こんな清々しいものなのだ。


 (・・・あれ、いつもと何か違うような・・・)


 不思議な違和感を感じていたが、別に嫌な感じではない。昨晩、あれほど疲れていたのに、一晩寝たら、こんなに元気になっている。やはり、16歳の身体の回復力は凄まじい。こんな身体のままで、役所で仕事をしていたら、バリバリ仕事をこなせるに違いない。


 (まあ、いつもより早く寝たしなぁ・・・)

  

 私たちのミッドナイト・ティーパーティーは、きっちりと1時にお開きとなった。


 千尋や千鶴たちは、部活の話や最近のテレビの話などで結構盛り上がっていたので、私は「これは時間オーバーになるだろうな」と予想していたのだが、彼女たちは、きちんと「伝統のルール」を自発的に守った。


 これが、伝統校の生徒のプライド、というものなのだろう。


 私は、この「深夜のお茶会」をすっかり気に入った。


 お茶会が散会になり、ベッドに入ると、私は昼間の疲れもあって、すぐに眠りに落ちてしまった。千尋と朱里、そして瑠花は、学校やクラスのことなどについて、いろいろと話しているようだったが、さすがに私は睡魔に勝てなかった。

 自宅にいるときには、ネットを使ってニュースを見たりして、結局、2時近くまで起きていることも多いので、昨晩は、私としては早く寝た方だったが、それでも、特段、早い時間に寝たわけでもない。


 (環境が変わったせいで興奮して眠れなくなる、という話はよく聴くけど、私の場合には、その逆なのかなぁ・・・ゆうべは、いつもよりよく眠れたような気がする・・・まあ、悪いことじゃないしな・・・)


 ホテルや旅館と違い、朝風呂が禁止されていることは少し不満だったが、監督上の問題があるのは仕方の無いことなので、とりあえず我慢する。身支度を整えているうちに、同室の3人のクラスメートたちも目が覚めたようなので、彼女たちの準備を待って、レストランホールに下りた。


 さすがに朝食はフレンチではなく、バイキング形式の洋食だった。私の好きなスクランブルエッグやベーコンなど、典型的なホテルの朝食バイキングが用意されており、中でも、豆腐ステーキは、少女たちの人気が集中していた。


 私は、クロワッサン、スクランブルエッグ、ベーコン、そして、トマトジュースを選んで席に戻った。ベーコンの脇に添えられていたレモンの輪切りを絞って、トマトジュースに入れると、格段に味が良くなった。役人時代に国内出張でビジネスホテルに泊まる機会が多かったせいで、こういう「お役立ちのひと手間」にはそれなりに詳しいのだ。


 私の向かい側では、瑠花がびっくりするほど多くの料理を並べている。人気の豆腐ステーキは言うに及ばず、小さな桶入りの湯豆腐セット、フレンチトースト、クロワッサン、トマト・ブレッド、ベーコン、スクランブルエッグなど、見ているだけで、こちらが満腹になりそうだ。


 「そんなに食べきれるの? 残すともったいないぞ」


 呆れ顔で瑠花に尋ねると、彼女は少し頬を膨らませた。


 「朝はしっかり食べないといけないんだ。それに、アタシ、毎朝、家でこのくらいは食べてるから、残すことはないよ。それにさ、やはり、ここの料理、おいしいからさ、食が進むよ。家の料理も、このくらい美味しかったら、言うこと無いんたけどなぁ」


 「いや、こんなレベルの料理を毎朝食べてたら、家が破産するって。ゆうべもそうだったけど、ここの料理、本当にホテル並みだからね。一般のホテルの料金に換算すると、一室二名の部屋、一泊二食付きとして、2名で3万は軽く超えてるよ。学校が経営している施設だから、私たちがこうして安く利用できるんだ。うちなんて、妹も含めて、一家四人だから、3泊もしたら、それだけウン十万かかってしまうよ」


 「そうか、やっぱりお嬢様校は違うなぁ」


 私と瑠花は顔を見合わせて苦笑いした。私も、高校時代はもちろん、社会人になってからも、自費では、こんなハイレベルな旅行は、せいぜい数年に一度、行くか行かないか、ぐらいだ。


 もっとも、海外出張でコロンビアに行った際には、左翼ゲリラや身代金目的の誘拐犯が多いという治安上の理由から、どうしても一流ホテルに泊まらねばならず、その費用も必要経費として官費で賄われたので、いわゆる「三つ星ホテル」に数日間、滞在したが、あれは本当に得がたい経験だった。

 それと同時に、眼下に整然と広がる白色の新市街と、山の上のほうに向かって無秩序に伸びている茶色のスラムの、その際だった色の違いを目の当たりにして、私たちの国が進んでいく未来を見たようで、最高級のホテルに滞在しながらも、あまり気持ちは晴れなかった。  


 朝食後、午前中の講義まで少し時間があったので、私は、朝のうちに外の空気を吸っておこうと思い、レストランホールを出ると、そのまま施設の中庭に向かった。


 施設の正面出口から中庭のほうに向かって歩いて行くと、浅間山と反対の方角に、たくさんの風車がいちように同じ方向を向いて立っているのが見えた。


 (軽井沢の電力も風力発電と小水力発電でほとんど賄われているからなぁ。南軽井沢の先には、大規模太陽光発電施設メガソーラーもあるし・・・)


 中庭に出ると、意外なことに、ほとんど生徒がいなかった。せっかく涼しくて、眺めも良く、綺麗な花たちが咲いているのに、まったくもったいないものだと思う。

 花壇の脇に、ひとりだけ、こちらに背を向けて、しゃがんで黄色い花々を眺めている少女がいた。


 中庭に二人しかしないのに、声を掛けずに無視するのも、なんとなく気まずいような気がして、私は彼女に後ろから近寄って行った。私の足音を聴くと、彼女は、そっと立ち上がって、ゆっくりと後ろを振り返った。


 生徒会長、6年生の毛利七海だった。


 「おはようございます。あと、昨晩は、お風呂でお世話になりました」


 私が丁寧にお辞儀をすると、毛利は優しく微笑んでみせた。


 「おはよう。昨晩ゆうべはよく眠れたかしら?」


 「はい。自宅よりもリラックスできました。ところで、ここって、とても綺麗な眺めなのに、誰もいませんね」


 「うちの生徒たちは、何度も来ているから、いまさら、って感じなのよ。それでも、一年生たちは、昨日は来ていたわよ。さすがに今日は、もう飽きてしまったらしいけれど・・・。そういえば、昨晩は、あなたも、お茶会を楽しんだの?」


 「ええ。この学校の伝統だと聴きました。優雅で、そして、誰から言われたわけでもないのに、みんな時間をきっちりと守って、こういうのって素敵だな、と思いました。これまで、監視カメラだらけの規則づくめの息苦しい学校だ、と思ってきましたが、少しイメージが変わりました。あ、生徒会の批判をしているわけではないんですよ」


 私が慌てて言い繕うと、毛利は、ふっ、と小さく笑って、寂しそうに遠くの空に視線を移した。


 「ここも、昔は、自由な校風だったのよ。私が入った横浜の校舎には、監視カメラなんて、ひとつも無かった・・・。こんなに規則がたくさんできて、監視カメラがあちこちに据え付けられるようになったのは、千駄ヶ谷に引っ越してからなの。いろいろな意味で、うちの学校、いや、学校という世界全体が余裕をなくしてきている証拠なのかもしれないわね」


 「学校間の競争が厳しくなって、どこの学校も、親に安全をアピールして生徒を集めるようになってきている、ということですか?」


 「そうね。でも、それだけじゃない気もするわ。実際に、あなたも巻きこまれた事件のように、生徒たちが危険な目に遭うリスクは増えてきているし、生徒たち自身も、一線を超えた振舞いが目立ってきているように思うの。これ以上やったらいけない、という判断力とか自制心が働かない人も増えているのよ。だから、どんどん監視や規則が厳しくなるのは、ある程度、仕方の無いことなのかもしれない」


 普段の自信に満ち溢れた姿とは異なり、少し物憂げに髪の先に触れている彼女は、生徒会長でも最上級生でもなく、ただ年相応の一人の少女であるように見えた。


 チチッと、小さな啼き声を残しながら、近くの空を、名も知れぬ小鳥が飛び去っていった。


 「私たちは、そう、籠の中の小鳥のようなものなのかもしれない。鳥籠の中では、外敵に襲われる心配も、飢える心配も、何もない。夏は涼しく、冬は暖かく、病気になれば、獣医にも診てもらえる。その代わり、自由に羽ばたくことはできない。気の合わない仲間と一緒の籠に入れられれば、攻撃されて傷ついたりすることもあるけれど、籠から出ていくことはできない。学校とは、そういう鳥籠のようなものなのかもしれないわね」


 「窮屈だけど、その代償として、一定の平穏が約束されている、ということですか・・・」


 「鳥籠である以上、どうしても窮屈な感じは拭い去れないわ。それは、どうしても仕方ないことよ・・・。私は、一年生から生徒会に入ったの。そして、それ以来、ずっと目指してきたのは、この鳥籠を少しでも大きくして、窮屈な感じを少しでも緩めて、みんなができるだけ6年間を楽しく笑って過ごせるようにする、ということだった。だから、規制を強めていく学校と、私たち生徒会は、何かにつけて対立してきたの。わかる?」


 いつの間にか、空から視線を下ろして、毛利は私の眼を正面からじっと見つめていた。


 「ええ。先輩は、ルールの存在そのものは容認しつつ、そのルールの範囲内で最大限の自由を守りたかった。それでも、だんだんとルールが増えて、過剰規制の様相が強まってきた、ということですよね」


 「でもね、みんなが私と同じ気持ちというわけではなかったのよ。私たちが頑張って規制を押し戻しても、それを台無しにするようなことを、生徒自身がしてしまう。そうやって、だんだんと規制が強まっていったわ。結局、私たち生徒会は、規制強化のペースを遅らせることしかできなかった・・・。一旦、規制が強まると、今度は、それによって利益を得る人たちも出てくるの。そして、私たちも、一枚岩ではなくなっていった・・・」


 毛利は、私から視線を外すと、花壇の脇にしゃがんで、黄色い花にそっと手を伸ばした。毛利の美しい長い髪が、そよ風にふわりと揺れた。


 「この花の名前、知ってる?」


 「たぶん、ニッコウキスゲ、だと思います」


 「そうね。でも、本当の名前は、ゼンテイカ、というのよ。昔、高い山に登って修行することを禅定という呼んだらしいの。そうした禅定が行われる高い山に咲く花だから、禅定花、と呼ばれるようになった、と言われているわ。戦後に日光の霧降高原を観光地として売り出そうとした人たちが、日光の高原にたくさん咲いているキスゲに似た花だから、ニッコウキスゲ、と勝手に名付けて、今では、その名前では呼ばないと、誰も判らないようになってしまったわ。こうした花ですら、後から呼ばれるようになった名前が、元からある名前を駆逐してしまうことだってあるのよ」


 「詳しいですね」


 「私が、ここに来るのは、もう4回目なのよ。林間学校の講義で何度もこの話は聞かされたわ。たぶん、今年も、また同じ話を聞かされると思うわ。そして、私がこの話を聴くのは、今回が最後。この花を見ているとね、私がやりたかったこと、できなかったこと、満足、心残り、嬉しさ、悲しさ、いろいろな想いが甦ってくるわ・・・。生徒会長としての私の任期は、あと3か月。11月には5年生から生徒会長が選ばれわ。早いものよね、6年間って・・・。あっという間、だったわ」


 いつになくセンチメンタルな雰囲気を漂わせている毛利に向かって、私は少し苦笑してみせた。


 「なんだか、定年退職する人、みたいですね。先輩は、生徒会長を辞めても、これから大学に進んで、社会人になって、またまだ光り輝く未来の中を歩んでいくことができるじゃないですか。次の生徒会長も、先輩の信頼が厚い織田さんだって、みんな話してますよ。もし、本当にそうなら、先輩は、果たせなかった想いを後輩に託していくことができるじゃないですか」


 「本当にそうなれば良いのにね・・・。ところで、あなた、英語は得意?」


 いきなり話題を変えられて、私は少し不審に思いながら答えた。


 「ええ、まあまあ、ですけど。それが、何か?」


 「英語の単語の中で、最も悲しい言葉って、何か知ってる?」


 花から視線を外さないまま、毛利は静かに私に問い掛けてきた。


 「うーん、ええと、sad でしょうか? あるいは、unhappy とか・・・」


 「英語の試験の答えとしては正解ね。ずいぶん破天荒なことを次々と仕出かす割に、あなたも意外とオーソドックスなのね」


 毛利は、しゃがんでまま私を振り返り、少し悪戯っぽく笑った。


 「いや、私も好き好んで破天荒なことを仕出かしているわけではなく、結果として、いつの間にか、そうなってしまっているだけで・・・それで、本当の答えってなんですか?」


 「それは、if よ。果たせなかった約束、見果てぬ夢・・・。そうした悲しさが、この二文字に集約されている。私の嫌いな言葉。だから、私は、いつでも、if ではなく、canという言葉を使うようにしてきたわ。でも、未来を託すのが咲良さくらになるのかどうかは、if としか言えない・・・。これが私の限界よ、悔しいけれど、ね・・・」


 そのとき、講義開始5分前を告げるアナウンスが、施設の中から聞こえてきた。


 「そろそろ行かないといけないわね。あなたと二人だけで話せて良かったわ。私も、少しは希望が持てるようになったかな」


 立ちあがってスカートの裾を伸ばしながら、毛利は、もう一度だけ、黄色い花をじっと見つめた。


 「花は良いわね。心を込めて世話をすれば、美しく咲いてくれる・・・。さて、行きましょうか。講義に遅れることは、生徒会長として、絶対にあってはならないわ」


 一瞬だけ、なんとも悲しそうな眼差しを見せた後、すぐにそれを拭い去り、毛利は、しっかりと前を見つめて、胸を張って歩き出した。

前話から、少しだけ時間が開いてしまいました。小説の進め方に迷いはなくなったのですが、リアルの生活で、いろいろと思い悩むことも多く(9月7日の活動報告をご参照ください)、また、来週は私事で有給休暇を頂くため(こちらは9月9日の活動報告をご参照ください)、仕事を前倒しで進めねばならず、忙しかったということもあります。


これから、主人公の「理紗」は、学校内で友人たちとともに様々な「戦い」を展開していくことになります。誰を相手に、そして、どのような戦いになるか、是非、ご期待ください!


ようやく最近涼しくなってきて、体調が戻りはじめている来宮でした。これから、栗やサンマがおいしくなります! 楽しみですね!!

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