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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第四章 姉たちの涙
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夜間飛行

 大浴場から戻ると、私は気疲れから、へとへとになっていた。風呂では、のんびりとリラックスするどころか緊張の連続だった。

 ただ、こういう「強制的な参加経験」でもないと、この世界のマナーに慣れることはできないだろう。「これは必要なコストなんだよ、きっと・・・」と私は自分に言い聞かせることにした。ただ、なんとか明日までにターバンを一人で巻けるように練習しなければ、さすがにまずいだろう。


 部屋では、みんな思い思いに髪を乾かしたり、テレビをぼんやりと眺めていたりしたが、そのまま、とくに大きな動きも無く、やがて11時の消灯時間を迎えた。


 私は、狐につままれたような気持ちで、パジャマに着替えると、ベッドの上に座って、友人たちの様子を眺めたが、瑠花は言うに及ばず、朱里も千尋も同じようにパジャマに着替えており、寝る気満々だ。


 (なんだ、何にも始まらないじゃないか。さっき朱里がロビーで話していたのは、一体、なんだったんだ)


 「それじゃ、電気、消すよー、いいね?」


 朱里が部屋の扉に施錠すると、千尋が一声掛けてから室内の照明を消した。室内には、部屋の両側の壁にそれぞれ頭を向ける形で、ベッドが2つずつ置かれている。部屋の中央の空間にはテーブルが置かれており、そこでお茶を飲んだりしていたのだが、消灯の直前に、千尋と朱里が室内テラスに当然のように移動してしまっていた。夜中にトイレに行く人がぶつかったりするといけない、という配慮らしい。


 二つずつ置かれているベッドは、私と朱里、千尋と瑠花、という組み合わせで使っている。日中の疲れから、私はすぐに眠りそうになったが、私が軽く寝息を立てはじめるや否や、朱里が自分のベッドから下りて、私を揺すりながら「理紗、もう寝ちゃった?」と執拗に尋ねるので、その都度、目が覚めていた。 


 (なんなんだよ、頼むから寝かせてくれ・・・)


 そんなことを2度ほど繰り返した直後、いきなり何の前触れもなく、部屋の鍵が外から開錠された。さすがに私も驚いて、薄目を開けて息を殺しながら眺めていると、安国寺先生がそっと扉を開けて、室内を覗きこみ、懐中電灯で、ひとりひとりの様子を確認し、すぐに部屋から出て、再び外から施錠した。


 (なんだ、担任の見回りか。ま、普通のことだな。教師の見回りが来ることがわかった以上、これで朱里もおとなしく寝てくれるだろう)


 私はほっと安堵して、そのまま目を閉じたが、いきなり朱里に叩き起こされた。


 「理紗、起きて!」


 向かい側では、瑠花が千尋に同じように起こされている。


 「えー、なんなんだよ?」


 私が文句を言いながらベッドに起き上がると、瑠花もムッとした表情で上半身を起こしていた。朱里と千尋がほぼ同時にベッドサイドの照明を点けて、少しだけ部屋を明るくし始めた。


 「そろそろだから、準備始めるの。理紗たちも手伝って!」


 「そろそろって、何が始まるのさ? それに、さっきも先生が来たじゃないか。こんな明るくしてると、また見回りが来たときに、見つかって叱られるぞ」


 瑠花が心配そうにたしなめると、千尋が「ふふ」と小さくほらった。


 「だから、もう来ないの、見回りは、ね」


 「そんな自信たっぷりに言うけどさ、何度も見回りが来るのが定番だろ? まずいだろって」


 朱里は、消灯前と変わらない様子で、室内テラスのテーブルの上でポットの湯を沸かし始めたが、さすがに私も心配になって声を掛けた。


 「うふふ、種明かしをするとね、担任の見回りは、消灯時刻の直後の1回だけなのよ。それが、私たちの学校の伝統なの」


 「それじゃ、みすみす生徒たちに、夜中にはしゃいでください、って言ってるようなもんだろ?」


 私の顔を見ながら、瑠花が同意を求めるように呟いた。


 「「だって、そうなんだもん!」」


 見事にシンクロした千尋と朱里の声に、私と瑠花はますます不思議そうな表情で、彼女たちを見つめるしかなかった。


 「理紗と赤松さんも、ベッドから下りて、床の上に座って!」


 いつになく、てきぱきと指図する朱里の姿にやや気押されて、瑠花と私はベッドを下りて、床の上に女の子座りで、向かい合って腰を下ろした。


 自分の旅行用カバンをごそごそと探っていた千尋が、何かを取りだすと、パジャマのポケットからスマホを取り出して、画面を眺め始めた。


 「あ、一番端っこの部屋から一斉メールが入ったよ。見回り終わったって。じゃ、こっちからも連絡入れるね」


 (なんだ、教師の見回り情報を各部屋で共有してるのか。一体、何が始まるんだ、これから・・・)


 「ちょうど11時半、例年通りね」


 朱里が深く頷いたとき、いきなり部屋の扉がノックされた。


 「うわっ、見回り来たよ! だから、言わんこっちゃない!」


 小さな声で叫んで、瑠花は慌ててベッドに駆け上がろうとしたが、朱里はただ笑って眺めているだけであり、千尋に至っては、平然として部屋の扉を開けようとしている。あまりの混乱ぶりに、いつもの通り、私は思考が一旦停止して、固まってしまっていた。


 「赤井先輩、こんばんわー」


 「大丈夫だったよね? じゃ、入って!」


 小寺千鶴たち3年生3名が廊下に立っていた。それぞれ何かの袋を持参している。


 「え、これ、どういうこと?」

  

 寝たふりをしようとしていた瑠花が驚いて、朱里に尋ねた。


 「びっくりしたでしょ? うふふふ! 種明かしをするとね、これは、この林間学校の伝統行事、ミッドナイト・ティーパーティなの。先生たちも、みんな、この学校の卒業生だから、当然、この行事の経験者なのよ。だから、伝統的に夜間の見回りは消灯直後の一回だけになっているの」


 下級生たちを室内に招き入れたあと、千尋が得意げに後を続けた。


 「ただし、開催時間は遅くとも夜中の1時まで、そして、当然、お酒は駄目なんだよ。この慣行は、私たち生徒と先生たちの信頼関係があるからこそ、維持されているんだ。どう、これで謎が解けたでしょう?」


 「なんだ、そういうことか。アタシ、あんなに心配して損しちゃったよ」


 「そういうことは早く言ってよ! 私はパニックになって、心臓が止まるかと思ったよ。でも、先生が半ば黙認してるなら、さっきも寝たふりなんかしなくて良かったんじゃないか?」


 「そうもいかないのよ。先生たちとの暗黙の了解事項があるの。先生たちの立場上、消灯時間のあとも生徒が部屋で起きているのを見かけたら、やはり注意せざるをえないし、ましてや、生徒が廊下に出歩いているところに遭遇したら、事情聴取しないといけなくなるよね。だから、先生の唯一の見回りが終了するのでは、寝た振りをするお約束になっているの」


 上級生の間に一人ずつ座るよう下級生たちに指示しながら、朱里が真顔で答えた。


 「さっき話したみたいに、お茶は朱里が持ってきてるよ」


 「ダージリンの6月摘みがたまたま早く手に入ったの。持って来れて良かったわー。今年はね、セカンド・フラッシュ、私もまだ頂いていないの! だから、これが初物よ!」


 千尋は、いつの間にか自分のカバンから紙皿を取り出してきて、全員の前にひとつずつ並べ始め、普段から紅茶好きを公言している朱里は、満面の笑みをたたえて、お茶の準備を始めている。道理で夕方から朱里のテンションが異様に高かったわけだ。一方、私と瑠花は、彼女たちのあまりの手回しの良さに、ただ目を丸くして、黙って眺めているしかない。

 

 「私たちも、いろいろ持ってきました。千鶴はドライフルーツの杏、莉子はクッキー、私はラズベリーのジャムです。莉子のクッキーは自分で作ったのよね?」


 波多野莉子は、黒田凛から話を振られると、一瞬、私を見てから、少しだけためらいがちに頷いた。


 「それにしても、みんな、重ならずにうまくバラけて持ってきてるよねー。大したもんだ」


 感心したように瑠花が「うんうん」と頷くと、黒田が少しだけ得意そうに胸を張って見せた。


 「赤松先輩、さっき売店で杏を何袋も買っておられましたよね? だから、杏がお好きだと思って、千鶴に教えておきました。莉子は、吉川先輩とお話したいと思ってるだろうから、きっと得意なクッキーを焼いて持ってきて、機会を見て先輩に勧めると思ったので、私は、クッキーにつけるラズベリーのジャムを持ってきました。もし、私の予想が外れても、紅茶に入れてロシアンティーにできますし・・・」


 「そして、これまた、凛の予想通り、莉子が先輩に話し掛けられずに困っていたから、代わりに凛がロビーで先輩たちに声をかけた、というわけです! さすが凛ちゃん、策士!」


 「いや、千鶴、策士っていうのは、誉め言葉じゃないわよ。策士、策に溺れる、とか言うし・・・」


 「あいやー、また凛様に叱られてしまいました!」


 黒田に指摘されて、小寺は舌をぺろっと出した。


 「それにしても、黒田さんは、私たちのこと、よく見てるね。大したものだよ」


 「あ、吉川先輩、私たちみんなで相談して、ひとつ決めたことがあるんです。せっかく先輩方とお近づきになれたんですから、私たちのことは、名前で呼んでくださって結構です。というか、是非、お願いします」


 黒田が小寺と波多野の顔を順に見つめると、彼女たちも黙って深く頷いた。


 「そういうことなら、これからはそうしましょ。そういえば、私たちも赤松さんのこと、名前で呼んでいいかしら? 理紗だけ、いつの間にか、赤松さんを名前で呼ぶようになって、ずるいわ」

 

 ここぞとばかりに、かわいらしく小首を傾げながら尋ねる朱里に、瑠花が否と言えるはずがない。


 「あ、べ、別に、り、理紗と何かあったわけじゃなくて、その、クラスメートだからさ、名前で呼び合っても不自然じゃないかなっていうことになって。だ、だからさ、赤井さんと垣屋さんも、瑠花って呼んでも、と、とくに問題ない、よ」


 たちまち頬を赤く染め、俯いて、もじもじし始めた瑠花を見て、隣に座っていた千鶴がいきなり瑠花の腕に、ひしと抱きついた。


 「赤松先輩、かわいいっ! そういえば、先輩、剣道、得意なんですよね? 時々、剣道場から出てくるところを見かけてましたっ! 私、フェンシング部なんですよー! 日本とヨーロッパの違いはありますけど、同じサーブルの道ですよねっ! ぜひっ、仲良くしてくださいっ!」


 「お、おい、あ、暑いから、や、やめろって! ああ、もう、わかった、わかった! 仲良くするから、ちょっと離れろ!」


 犬のようにじゃれついてくる千鶴を腕から引き剥がしながら、瑠花は、それでも満更でもなさそうだった。そんな二人を横目で見ながら、私は隣に座っている莉子に声を掛けた。


 「えっと、その、り、莉子は、部活、何やってるの?」


 莉子は咄嗟にびくっと身体を硬直させたが、私がクッキーを食べながら、にっこりと微笑んでみせると、少しだけ安心したように、おすおずと口を開いた。


 「私、全てが平凡なんです・・・。凛ちゃんみたいに頭良くないし、千鶴ちゃんみたいに運動神経も良くないし・・・。私には、一体、何が向いてるのか、いえ、何ができるのか、判らないんです・・・。だから、部活もちゃんと決められなくて・・・」


 話しながら、だんだんと俯いて、声も消え入るように小さくなってしまう。


 「それは、私と同じだな。私も、自分には何が向いているのか、何ができるのか、それがいまだに見えてこない。でもね、最近、ひとつ判ったことがあるんだ。何が向いているか、何ができるか、っていう観点で、自分の行動を決めるてしまうのって、もったいないんじゃないか、ってね。たかだか一度きりしかない人生なんだから、自分は何をしたいのか、っていう想いを最優先に据えて良いんじゃないかな」


 「・・・何をしたいか、ですか・・・」


 「人には。それぞれ、向き、不向き、得手、不得手、があるよ。でもね、たとえ不向きであっても、自分がやっていて、それで、楽しい、って、心から思えるのだとしたら、一体、何の問題があるんだろうか? まあ、私も、何をしたいのか、って訊かれると、実はまだ模索中だから、偉そうなことは言えないんだけどね」


 「先輩も、まだ、模索中なんですか?」


 莉子は、俯いていた顔を上げて、少し驚いたように私を見上げた。


 「ああ、模索中だよ。だから、私も部活に入ってない。こういうことは、焦ってみても仕方ないから、まあ、何がしたいか、見えてくるまで、のんびりと構えてみようと思ってるよ。まだ4年生だしね。こういうことは、自分から焦って見つけようとすると、いつまで経っても見えなくて、肩の力を抜いて眺めていると、ある日、突然、急に見えてくるものらしいから」


 莉子に向かって語りかけながら、私は、かつて瑠花の祖父が言っていた言葉の意味が、ようやく少しわかったような気がした。


 そんな私の言葉を聴きながら、莉子は無意識のうちに手をぎゅっと固く握りしめていた。


 「・・・私、この学校に入ってから、ごく普通に生きてきました。だから、これまで何かでスポットライトを浴びたことなんて、一度もありません。自分は、そういう存在なんだ、日の当らない場所で地道に働く脇役でいいんだ、それが自分の分相応な振舞いだ、って、いつも思っていました・・・。だから、出過ぎた真似をしないように、いつもいつも、みんなから一歩も二歩も引いて行動してました・・・。でも、もしかしたら、そんな自分をなんとか変えたいって、心のどこかで思っていたのかもしれません。でも、私には、踏み出す勇気が無かったんです。変えようとして、もし、失敗したら、って思うと、私、どうしようもなく怖かったんです・・・」


 莉子は相変わらず小さな声ながら、いつもより遥かに長く、そして、一言一言を自分に言い聞かせるように、しっかりと口に出していた。


 「踏み出す勇気なんて、誰でも、そう簡単に出るもんじゃないよ。実際、あのときだって、私も瑠花も一旦は逃げたんだ。それは知ってるだろ?」


 莉子は、私の目をまっすぐ見つめてきた。初めて見る彼女の、その強い意思のこもった表情に、私は少し圧倒された。


 「でも、先輩は、あのとき、逃げ遅れた私を助けに来てくれました。自分だって危ないのに、です。先輩は、強くて、優しくて、頭良くて、だから、勇気を出せたのかもしれない。でも、もしかしたら、私にも、ちょっとだけ勇気が出せるかな、って、思ったんです。それで・・・」


 「それで?」


 急に言葉に詰まって俯いてしまった莉子に、私は優しく先を促した。


 「え、えと、それで・・・それで・・・その・・・」


 いつもの莉子に戻ってしまったようだ。それでも、莉子は、今夜、自分のありったけの勇気を振り絞ったに違いない。私は、まったく無意識のうちに、この繊細な後輩の頭を優しく撫でていた。


 「それで、莉子は、憧れている先輩に自分から声を掛けてお話しようと思って、この林間学校の機会を捉えて、クッキーを焼いてきた、というわけです。私、莉子が吉川先輩のことを恐れているのではなくて、むしろ、憧れているんだ、って、早くから判っていましたから。莉子、クッキー作るの、得意だもんね?」 


 凛が助け船を出すと、莉子は、こくん、と小さく頷いた。


 「そう言えば、凛も、部活、やっていないよね? 凛なら、文芸部とか英語研究会とか合ってそうだけど・・・」


 疲れきってしまったような莉子に、これ以上語らせるのはさすがに酷だ、と思い、私は凛に水を向けた。


 「私は、部活に興味が持てなかったんです。何を一生懸命やろうが、所詮は、中高生のお遊びじゃないか、って、斜に構えて見てたから・・・。以前に先輩にはお話しましたけど、うちは母が早くに亡くなっていたので、小学生の妹の世話を、ずっと私が見ないといけなかったんです。だから、部活をやっている余裕が、時間的にも、そして、精神的にもありませんでした。でも、昨年から、妹も小学校高学年になって、随分としっかりしてきたので、時間的な余裕だけはかなり増えてきました。それでも、私、部活なんて呑気にやってて良いのかな、って、ずっと思っていました。私は、早く大人にならなきゃいけない。そればっかりをいつも考えていたような気がします。でも、先輩は、早く大人になる必要なんて何もない、今の時間を自分の思うようにしっかりと生きることが大切だ、って、教えてくれました。あのお言葉は、私を見えない鎖から解き放ってくれたような気がします。だから、今、部活、何かやっても良いかなって、思い始めているんです・・・。あれ、私、なんで・・・」


 言いたいことをきちんと頭の中で綺麗に整理して、落ち着いた声で、淡々と言葉を紡ぎ出す凛。その言葉とは裏腹に、一筋の涙が、つうっと、頬を伝って流れた。

 

 優しい光で満たされたミッドナイト・ティーパーティーは、少女たちを、いつもより、ほんの少しだけ、素直にさせるのかもしれない。

  

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