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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第四章 姉たちの涙
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寛ぎの時間

「寛ぎ」は「くつろぎ」と読みます。

 ロビーには、土産物などを扱っている売店があるほか、ソファーとテレビ、そして飲料の自販機と給水機が置かれており、ソファーの近くには新聞各紙が丁寧に揃えられている。


 売店で何やらいろいろ買いこんでいる千尋と朱里から離れて、私と瑠花は飲料の自販機に向かい、私は缶コーヒー、瑠花はペットボトルのお茶を、それぞれ買った。

 私はコーヒーは好きだが、独特のアクのある味の缶コーヒーはあまり好きではない。学校には、紙コップ式の飲料の自販機が置かれており、そこのコーヒーは缶コーヒーより遥かに美味しいので、私は学校ではそれを愛飲している。しかし、ここでは自由に飲めるコーヒーは缶コーヒーだけなので、何も飲まないよりはマシだと思い、あっさりと妥協した。

 

 今回の林間学校への参加に際して、母親から特別にお小遣いをカードに入金してもらったので、財政面には比較的余裕があるうえ、まあ、多少、無駄遣いをしても大目に見てもらえるだろう、という「読み」もある。とはいえ、原則として山荘の外には出られないので、所詮、売店や自販機で何か買うくらいの「贅沢」しかできないだろう。


 私と瑠花は、ロビーのソファに深々と腰を下ろして、ほぼ同時に深い吐息を洩らした。私は久しぶりのフレンチに対する満足感、瑠花は「苦行」からの解放感、をそれぞれ味わっている。ロビーのソファーには、同じような「食後の満足感」を味わっている生徒たちが何組もおり、のんびりと食後の時間をくつろいでいる。

 最近、こうしたのんびりした時間を、学校でも家でも全く過ごせなくなっていたので、今、ここでこうして目を閉じていると、つい寝てしまいそうになる。食後に居睡りをするのは、まるで年寄りのようであり、女子高生的にはあまり好ましくない姿である。

 仕方なく、私は「よいしょっ!」と小さく呟いて気合いを入れてソファーから立ち上がると、ロビーの壁際に並べてある新聞の束から、経済新聞の夕刊を持って来ると、ソファーの前の低いテーブルの上で開いた。


 今回の林間学校に際しては、学校側から特別の許可が出て、生徒たちはスマホの持ち込みを許されている。スマホに搭載されているカメラの性能が大幅に向上した結果、画質にこだわる一部のユーザーを除いて、デジタルカメラを持ち歩く人は大幅に減少している。数年前に、生徒たちから「デジカメ代わりにスマホを持ち込みたい」という強い要望があり、学校側も譲歩したのだそうだ。

 全ての新聞社のサイトがスマホ対応仕様に変わっているため、私も別にスマホで経済新聞を読むことができたが、そもそも新聞の「醍醐味」は、様々な記事を同時に眺められるという「一覧性」にあるのだ。個別の記事を読むときに、いちいち指で操作をしなければならないスマホは、緊急時や出先では便利な情報機器だが、食後にソファーでのんびりとリラックスして新聞を読む際には、あまり向いていない。


 ソファーに腰掛けて、缶コーヒーのプルトップを引き上げ、そのまま缶に口をつけて飲もうとしたが、その瞬間、「缶が汚れているかも・・・」と感じて、私は反射的に缶を口元から遠ざけた。

 学校の自販機で買うのは、紙コップ式のコーヒーか、ペットボトルのお茶か紅茶ばかりなので、そのまま口をつけて飲むことにまったく抵抗感は無かったのだが、久しぶりに缶コーヒーを飲もうとしたとき、私は強烈な違和感を感じたのだ。こんな感覚は、官僚だった頃にはまったく感じたことは無い。あの頃は、何の躊躇も無く、缶に、直接、口をつけて飲んでいたのだ。


 私は、しばらく缶コーヒーを見つめていたが、どうしても缶に口をつけることができず、仕方なく、壁際に置かれている給水機まで歩いて行って、紙コップをひとつ持ってきた。そして、缶から紙コップにコーヒーを注いで飲み始めた。


 私がコーヒーを飲んでいるのを見て、瑠花が苦そうな表情で私に声を掛けた。


 「コーヒーってさ、苦くない? 私、基本的に苦いものはまったく駄目なんだ。よくそんなもの、飲めるなぁ」


 私は、少し苦笑しながら、紙コップを口元から少しだけ離して、瑠花を見つめた。


 「コーヒーにも苦いものとそうでないものがあるのさ。安物ほど苦みが強いんだ。この缶コーヒーに使われているコーヒー豆はロブスタという品種で、ベトナム産が大半で、値段がかなり安く、殆どが缶コーヒーに使われている。だから缶コーヒーはやたらと苦みが強いんだ。一方、カフェとか喫茶店で出されるコーヒーは、アラビカという品種の豆なんだ。東アフリカのケニアやエチオピア、中東のイエメン、ブラジルなどの中南米、インドネシアなどが主な産地で、それぞれブランドが確立されていて、値段がかなり高い。だから、お店で出されるコーヒーは、本当はそんなに苦いものじゃないはずなんだ。まあ、お店も商売だから、ロブスタをフブレンドしてコストを下げているケースもあるから、やたら苦い場合もあるけどね。瑠花も、今度、喫茶店に入った時に、地名のついたコーヒーを注文してみると、苦くないと思うよ。ちなみに、コーヒー豆って、世界中で需要があるから、石油や大豆なんかと同じように、ニューヨークの商品取引所で世界中の指標となる価格が決められているんだけど、そこでも、アラビカとロブスタの2種類が分けられて取引されているんだ」


 苦くないコーヒーがあると知って、瑠花は意外そうな顔をした。


 「ふーん、そうなんだ。今度、試してみるよ。理紗はコーヒーに詳しいんだね」


 「もともとコーヒー、好きだからね。うちの母親は紅茶が好きで、晴れやかな週末の午後には必ずと言っていいほど、アフタヌーン・ティーを淹れてくれるよ。ちょっとしたケーキなんかもついてくることがあるから、実は、ちょっと楽しみにしていたりするんだ。瑠花は、やっぱり日本茶か紅茶?」


 「うん、うちは日本茶が中心だな。だからさ、日本茶なら、抹茶でも何とか飲めるんだよ。小さいころから、茶道を習わされてて、強引に慣らされてしまった感じ。でも、甘くて美味しい和菓子がセットでつかない限り、自分から茶席に出る気は無いよ」


 私が教室で経済新聞を読んでいる、という話は、既に学校では珍しくない程度に普及している。しかし、実際にその姿を目にしているのはクラスメートだけであり、他のクラスや、ましてや他の学年の生徒たちは、今日、「実物」を初めて見るようで、当初は、やや遠巻きにして、ざわめきながら、私と瑠花を眺めていた。


 ただ、私がさほど真剣に紙面に目を通さず、むしろ瑠花とコーヒー談議に花を咲かせているのをみると、彼女たちはやや「期待」を裏切られたようで、ざわめきと視線は次第に減っていった。


 (私だって、食後はのんびりと時間を過ごしたいわけで、なにも好き好んで夕刊を読んでいるわけじゃない。読まないと時勢に遅れるから、仕方なく「手段」として新聞を読んでいるだけであって、別に「好きで好きで堪らない」という「目的」のために、新聞を読んでいるわけじゃない。だから、新聞よりも楽しいこと、たとえば、友人とのおしゃべり、などが目の前にあれば、当然、そちらを優先する。教室でもそうだったし、今、この場でも同じだ)


 おそらく、彼女たちも、なんとなく、それを肌で感じ取ってくれたのかもしれない。「根っこの部分は、自分たちと、そう大して違わないんじゃないか」と。


 そのうち誰かがロビーのテレビのスイッチを入れ、アイドルグループの海外公演のニュースが流れると、ロビーにいる生徒たちの関心は、ほぼそちらに移ってしまい、私たちを注目する者は殆どいなくなった。


 そんな「お年頃」の少女たちの様子を、私は少し微笑ましく眺めていた。


 (誰でも、幼児からいきなり大人になるわけじゃない。みんな誰しも、こういう少女や少年の時期をきちんと経て、それから大人になっていくんだ。だから、少女や少年が関心を寄せる物事を、大人が頭から馬鹿にしたり、軽蔑したりするのは、自分自身の過去を否定するのと、あまり変わらない。そういうのは、自分は好きじゃない・・・)


 ただ、瑠花はあまりアイドルには関心が薄いらしく、まったくの他人事のような表情で、テレビの前に集まっている生徒たちを無表情で眺めている。彼女は、同年代の少女たちより保守的な傾向が強いので、もしかしたら、こうした光景をやや否定的に見ているのかもしれないが、さすがにそこまでは私にも見通せない。


 端正な瑠花の横顔や、売店で楽しそうに何かを選んでいる千尋と朱里の姿をぼんやりと眺めていると、誰かが私のソファーのすぐ脇で足を止めた。すぐに再び歩き出して通り過ぎていくのだろうと思ったが、そのまま動く気配が無い。私は少し怪訝な表情で、その人物を見上げた。


 「先輩、お久しぶりです! 私のこと、覚えてますか? 忘れられてたら、ちょっと淋しいですよ!」


 台風の翌日、私と一緒に蝶を運んだ、あの子だった。あのときと違って、弾けるような明るい笑顔で私を見つめている。


 「ああ、ちゃんと覚えてるよ。あれから、もう更衣室に忘れ物はしなくなった?」


 私も笑いながら、彼女を見上げた。


 「ひどいなぁ! いつもいつも忘れ物してるわけじゃないんですよっ! あのときは、たまたま、だったんです! でも、そのお陰で、吉川先輩と知り合うことができたから、忘れ物も悪いことばっかりじゃないなぁ、って思います! 私、あのときから、先輩のファンなんですよ! あの時の先輩、すっごく格好良かったです!」


 「へーえ、理紗にファンの子が居たなんて初耳だな。あなた、よく、こんに怖いお姉さんとお近づきになれたねー。どういう素敵な出会いがあったのか、私にも教えてよ」


 後輩からいきなり「ファン」などと言われて、当惑して固まってしまった私を見て、瑠花は面白そうにフフンと笑った。


 「とにかく、ああいう場面で、ああいう行動や言葉がすらっと自然に出てくる人なんて、滅多にいないと思うんですよ! それはですね」


 「あれ、千鶴、吉川先輩とお知り合いなの?」


 普段と違って髪を結んでいない黒田凛が、私たちの傍を通り掛かって、不思議そうな顔で彼女に声を掛けた。黒田の傍らには、あの波多野莉子がいたが、私と目が合うと、たちまち顔を赤らめて、もじもじしながら、黒田の後ろに隠れてしまった。


 「あ、凛ちゃん! そーいえば、凛ちゃん、御岳山で先輩たちと一緒のグループだったよね!」


 満面に笑みをたたえて嬉しそうに手をパタパタと動かしている彼女を見て、私と瑠花はお互いに顔を見合わせた。


 「あのう、よく話が見えないんだけど・・・。というか、あなたたちの関係が、いまひとつ、私たちには不明なんだけど・・・。そもそも私は、彼女の顔は知ってるけれど、お名前を知らないし・・・」


 この中で最も要領よく説明してくれそうな黒田を見つめながら、私は恐る恐る尋ねた。


 「申し訳ありません。そうですよね、先輩方には、私たちの関係なんて判らなくて当然ですよね。失礼しました。千鶴も、ちゃんと自分から名乗らないと駄目よ。先輩、困っていらっしゃるじゃないの」


 「凛ちゃんは、いつも私のことばっかり怒るから、怖い怖い!」


 黒田は、誠に申し訳なさそうに深々と頭を下げると、私の隣でにこにこ笑っている友人を少し睨んだが、彼女は全く意に介していないようだった。


 「本当にすみません。悪い子じゃないんですけど、良く言えば、普通の子より超越してるというか、悪く言えば、ちょっと突き抜けちゃってるというか、そんな子なんです。彼女は小寺千鶴、一年生と二年生の時に同じクラスで、出席番号も隣同士だったので、班などでもいつも一緒だったんです。俗に言われる『腐れ縁』というやつです」


 黒田の言葉を聞くと、小寺千鶴は、ぷぅと頬を膨らませて見せた。


 「ちょっと、凛ちゃん、腐れ縁、っていうのはひどくない? そういうこと言うなら、ずっと記憶の底に封印しててあげた、あーんなことも、こーんなことも、アタシはうっかり話してしまうかもしれないなぁ。どうせアタシは、突き抜けちゃってる、そうですから!」


 「それは絶対に駄目! そんなことしたら、ただじゃ済まないわよ! わかってるわね!?」


 いつもは冷静な黒田がかなり慌てて、小寺を露骨に牽制している。 


 「ぶーぶー、横暴だ! アタシは断固としてこの圧政に闘いを」


 「嫌ならいいんですっ。その代わり、宿題忘れた時に、あなたにノートを見せてくれる人が一人減るだけのことですから。ま、あなたにとっては、別に大したことじゃないわよね」


 拳を握って天に向けて突き上げる小寺を白い目で見ながら、黒田が「大したこと」を強調しながら言い放つと、小寺は急に腰砕けになった。


 「えーと、昔、なんかあったっけ、えへへへー」


 にへらーと媚びて笑う小寺を眺めて、黒田は、わざとらしく、ゴホン、と咳払いしたあと、自分の後ろに隠れている波多野莉子を前に押し出した。


 「で、この子が波多野莉子です。吉川先輩は既にご存知ですよね? 莉子とは、二年生のときと今年、同じクラスになりました」


 急に自分にスポットライトが当たってしまい、波多野は真っ赤になって、私を上目遣いにちらちらと見ながら、相変わらずもじもじしている。少しだけ怯えている様子も確かに含まれているように見えた。


 「あなたとは、本当にいろいろとご縁があるよね。でも、それって、悪いことじゃないと思うよ。これから、是非、仲良くさせて欲しいな。いいかな?」


 立ちあがって、にっこりと微笑んで手を差し出すと、波多野は、一瞬、躊躇したものの、やがて、おずおずとその小さな手を伸ばして、私の手を握った。小さく繊細な指だった。


 「あらまあ、これは、一体、どういうことかしら? なんか面白いことになってるみたいね!」


 いつの間にか、売店から戻ってきた朱里が、私のソファーの後ろに立って悪戯っぽく笑っていた。


 「これは、アレをやるしかないわよねぇ、このメンバーで! 理紗と波多野さんの友好条約締結をお祝いする意味でもね!」


 朱里の後ろから顔を出した千尋が、その場にいる7人を順に見つめながら、嬉しそうに宣言した。


 「あっ、それ、いいですねぇ! 大賛成です! 早速、今夜ですよね? やったぁ!」


 小寺がその場でぴょんと跳ねると、黒田が声を潜めた。


 「そんなに大声で言っちゃ駄目よ。あくまで非公式なんだから。でも、私も賛成です、赤井先輩、垣屋先輩。莉子も来るでしょ?」


 「・・・でも、私が行ってお邪魔にならないかな・・・」


 波多野は自信のなさそうな顔で私と瑠花を交互に眺め、小さな声で呟いた。


 「何をやるんだか、知らないけど、アタシは波多野さんに是非、来てほしいな。楽しみにしてるからね!」


 「波多野さんとはお話してみたいと思ってたんだ。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。瑠花はともかく、私は、後輩を襲ったりしないから」


 私が少しおどけて答えると、波多野を含めて、みんな声を上げて笑った。「わ、私だって、後輩を襲ったりはしないぞ!」と慌てて否定する瑠花を除いて。


 「それじゃ、あとで3年生のお部屋に行って準備のお話をするわね。あ、理紗と赤松さんは、来ちゃ駄目よ。初参加なんですから、せいぜい期待してもらわなくちゃね」


 いつになくテンションの高い朱里を眺めながら、私は少し不安に感じていた。


 (これから、一体、何が始まるんだ? こんなにみんなが楽しみにする催しって、一体、何なんだ? 何かヤバイことじゃなければいいけど・・・ただでさえ、私は学校側にはいろいろとマークされてるんだし・・・)

昨日は、体調不良で更新をお休みしてしまい、申し訳ありませんでした。

皆様にもご心配をおかけてしまったようで、心からお詫び申し上げます。

昨晩、ゆっくりと寝て、十分に睡眠を取ったところ、ほぼ復活することができました。


ただ、そろそろ夏の疲れがじんわりと出てきますね。いい加減、涼しくなってもらわないと、そろそろ限界です。。。。


今話は、書いていて、とても楽しかったです。実は、私も、コーヒーを頂きながら、お話を書いていました! 理紗のコーヒー好きは、私の投影です!

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