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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第三章 私の居場所
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私の居場所

 およそ3時間に亘る警察での事情聴取が終わると、私と赤松は迎えに来た安国寺先生に引き渡され、その場で激しく叱られた。とくに、私は、先日の御岳山での一件もあったので、「こんな無鉄砲な真似は二度としないで!」と半ば涙声で訴え掛けられた。


 反論したいことは山ほどあった。でも、こんな興奮状態の相手に説明しても、まず同意を得られないだろうし、そもそも私自身も、まだ興奮が抜けきっていなかったので、ロジカルには話せないだろう。仕方ないので、取り敢えず、今日のところは、黙って頷いておくだけにした。


 警察職員からも、「犯人は、股間を蹴り上げられたことによる負傷が軽かったので問題にはならなかったが、一歩間違えると、過剰防衛で訴追される可能性があった」と、厳しくお灸を据えられた。

 ただ、既にこちらが刃物を奪い取っていたとはいえ、体力差のある壮年の若者を相手に、私たちが自分の身を防衛する有効な策が他にあったのだろうか、心底、疑問に思う。


 私たちは、警察の計らいで、警察署の屋内ガレージから一般車タイプの警察車両に乗って、署の通用口から出たが、既にあの事件のことが大きく報道されているものと見えて、署の前には非常に多くの報道関係者が集まっている。未成年の「被害者」であるため、警察や学校から取材の自粛依頼が出されているとのことで、カメラのフラッシュが焚かれることは無かったものの、車窓に集まって来た報道関係者は、私たちを興味本位の眼で無遠慮に眺めてきた。


 (彼らは、被害者の心情など、結局のところ、どうでもよいのだ。視聴者や読者の野次馬的な関心をいかに満足させて視聴率や発行部数を上げるか。そんな自分のことしか考えていないんだ。そういう自分本位な考え方は、程度の差こそあれ、私たちを襲った男とあまり変わらないような気がする)


 車が明治通りに出て、警察署から遠ざかると、車内では誰も口を開かず、重々しい空気が流れた。確かに今回の事件では、誰も死傷者が出ず、それ自体は歓迎すべきことではあったが、社会的には大きな衝撃を持って受け止められているはずだった。


 なにしろ、これは「女子高生を狙った通り魔事件」そのものなのだから。


 警察署で説明された事件の概要は、私自身にとって、あまりに衝撃的な内容だった。 


 犯人は、あの円筒の中に「告発状」を入れて持ち歩いていた。


 そこには事件の至る経緯が細かく記されていたため、今回の事件が計画的な犯行だったことが、既に明らかとなっていた。


 犯人は28歳で無職。一昨年の第二次アジア通貨危機に伴って発生した深刻な景気後退と、天然ガスの価格下落による石油需要の減少から、勤務先の石油会社の経営が悪化し、昨年1月に京浜地区の石油精製工場を解雇されていた。

 その後、職業安定所ハローワークに通って、真面目に求職活動を続けていたが、景気の戻りが芳しくないうえ、製造業の工場が減少していることから、再就職先は見つからなかった。 


 今年の1月、雇用保険による失業給付金の給付期間が満了となり、失業手当が得られなくなった。アパートの家賃の支払いも滞り、貯金も底を尽き、食費にも困るようになって、いよいよ進退窮まって生活保護の申請を考え始めていた頃、職安で知り合った若者から誘われて、「反税運動タックス・レボルト」に加わった。

 当時、運動はピークに達しており、運動の支援者たちからの募金や支援などによって、取り敢えず、食費の心配は不要となった。将来への不安も、仲間たちと一緒に過ごす中で、一時的には薄らいでいたのだろうか。

 しかし、3月初に、経済財政産業省職員の傷害致死事件が発生し、さらに、グループの一部メンバーが荒川水害テロを計画していたことが露見し、反税運動は壊滅した。


 反税運動では新参者であり、男はテロには全く関与していなかったため、逮捕は免れた。しかし、どこから洩れたのか判らないが、2月末頃から運動参加者の個人情報がネットに流出しており、彼についても、氏名、住所どころか、顔写真すら晒されている有様だった。

 工場勤務時代にSNSに写真を何枚か掲載していたため、おそらく、そこから流出したのだろう。こうした友人たちの「裏切り」も、男を追い詰めた。


 身元が割れてしまっているため、コンビニなどでの短時間のバイトすら断られ、近所の目があるので実家にも舞い戻ることができず、その後の3か月間をホームレスとして暮らしていたが、土壇場まで追い詰められれば逆に開き直ってしまう中高齢者と異なり、感受性の強い若者にとっては、この生活はあまりに辛すぎたのだろう。

 不器用ではあったが、これまで真面目に生きてきた自分を、このような境遇に転落させた「社会」への怒りが爆発し、「社会への復讐と告発」として、事件を起こそうと考えるに至ったらしい。


今日を決行日に選んだのは、リニア開業の祝賀ムードにぶつけて、社会への反響を高める狙いだったようだ。


 3日前、個人営業の刀剣商を客を装って訪問し、油断した店主を縛り上げて日本刀を奪った。そして、襲撃対象として、「裕福で何不自由なく暮らしている良家の子女」を選んだ。


 男子高校生ではなく、自分より確実に非力な女子高校生をターゲットにしたのは、確実に「仕留める」ことを優先した卑劣な打算だろうし、可憐な女子高生が犠牲になることにより、社会が受ける衝撃を少しでも大きくさせたかったという冷徹な計算も働いたのだろう。


 あるいは、自分よりも若い「未来ある少女たち」に対する嫉妬だったのかもしれない。


 さらに、この「告発状」には巧妙な細工が施されていた。


 書面の中では、一言も「殺害」とは書かれておらず、「襲撃」という言葉しか使われていない、とのことだった。計画が失敗に終わった場合には、「殺人未遂」ではなく、「傷害未遂」で済むようにと、抜け目なく考えたに違いない。どこから仕入れた猿知恵か知らないが、逮捕後の裁判までを視野に入れていたものだろう。


 結局、あの犯人は「反税運動」の残党であり、そして、「良家の少女なら誰でも良かった」という理由で、私たちを襲ったのだ。


 それは、経済産業省職員だった平澤洋一が襲われた際の、犯人の供述とまったく同じだった。


 私は、またしても「彼ら」にあやめられそうになったのだ。


 喩えようも無いほど憂鬱な気持ちで、そして、微かな頭痛を感じながら、私は、ぼんやりと車窓を眺めていた。


 少女たちを卑劣な襲撃から守った、という高揚感は、反税運動との因縁の「再会」やマスメディアの好奇心剥き出しの反応によって、もはやすっかり萎えていた。

   

 車に乗り込んでから私が全く口を開かなくなったことで、赤松は、何かを感じ取っていたようだった。もちろん、私の個人的事情を彼女が知る由も無いだろうが、それでも、時間の経過とともに、私のショックが強まっていることを、彼女は敏感に察したのかもしれない。


 車に乗っている間、彼女のひどく心配そうな視線を、私は何度も横顔に感じた。


 

 学校の校門前にも報道関係者の姿が見えたが、正面玄関で警察車両から下りると、校舎内は静まり返っていた。


 (あんな事件が起こった後なので、さすがに今日の授業は打ち切りになったんだろう。ただ、これから、しばらくの間は、学校近くを報道関係者がうろついて、騒がしくなるな・・・。やっと平穏無事な生活に戻れるかと思った矢先に、今度はこんな事件に巻き込まれて、ほんと、ついてないよな・・・)

 

 「先生、もう、みんな家に帰されたんですよね。あと、明日は授業あるんですか? 警察署にも校門にも、マスコミの人たちが押し寄せて来てるみたいですけど・・・」


 赤松と並んで、物音ひとつ聞こえない廊下を歩きながら、私は先生の後ろ姿に向かって声を掛けた。


 「まだ生徒たちは下校させていないわよ。だって、単独犯だと最終確定したわけじゃないでしょ? こういう時だからこそ、安全確認には細心の注意が必要なのよ。それに校門のところの騒ぎ、見たでしょ? 生徒たちを下校させるにしても、ご家庭の方に迎えに来てもらう必要があるのよ」


 先生は、私たちの方を振り返りながら、校門の方向をちらりと一瞥し、彼女にしては珍しい「大人の声」で答えた。


 「駅前や線路の上を逃げて行った人たちは、結局、あのあと、どうなったんですか? 」


 「駅前にいた人たちは、少し離れたところで様子を見ていたようだけど、お店やコンビニに逃げ込んだ人たちも、かなりいたみたいね。線路に逃げた人たちもたくさんいたから、中央線が停まって大騒ぎになってたけど、今は運転も再開されてる。散り散りになって逃げた人たちも、大半が学校に戻ってきてる。もっとも、一部の人は、家まで逃げ帰ってしまったみたいで、その安否確認も大変だったのよ」


 先生は、事件直後の大混乱を思い出したようで、うんざりした表情になった。


 「そう言えば、私たちのカバン、道に置いてきちゃったけど、大丈夫かな? 生徒証とかカードが入ってるし・・・」


 今頃になって、赤松はカバンが無いことに気づいたらしい。かく言う私も、自分が投げ捨てたカバンのことなど、今まですっかり忘れていた。


 「あなたたちのカバンは、駅前に戻ってきた上級生が拾って、学校に届けてくれたわ。あとで返すから、安心なさい」


 「・・・教室に戻ったら、何て話したらいいんだろう・・・まだ捜査中だから、事件のことは細かく話すな、って警察の人に言われてたし・・・でも、当然、みんなに聞かれるよなぁ・・・」


 私と顔を見合せながら、赤松が、ぽつり、と呟いた。

  

 「今日は、教室には行かないわよ。今、体育館で全校集会をやってるの。ようやくみんなが落ち着いたみたいだから、取り敢えず、今回の事態の説明と今後の注意事項を校長先生から話して頂いているところなの。あなたたちは、これから体育館に行って、とりあえず元気な姿を友達に見せたあとで、校長室で先生方と今後の対応を話すことになってるの。もうすぐご両親も来られるわ」


 (まあ、マスコミ対応とかの打ち合わせは不可欠だろうしなぁ。自宅までマスコミに来られたりしちゃ、たまらないしな。こういうケースでは実名報道にはならないのが一般的だから、自宅の門前が近所の野次馬で黒山の人だかり、という最悪の事態は避けられるとは思うけど・・・・少なくとも、登下校の際には、マスコミからの接触があるかもしれないな。2年生の修学旅行をこのまま予定通り行うのか、とか、いろいろ決めないといけないことも多いだろうから、学校側も大変だろうな・・・)


 廊下の奥に、体育館の扉が見えてきた。


 (おそらく、入館すれば、全校生徒からの注目を浴びることは必至だろう。そのとき、一体、どんな顔をしたら良いんだろう。こういうふうに注目を浴びるの、いつまで経っても、苦手だなぁ・・・)


 扉が近づくにつれて俯きがちになる。 


 「こういうふうに注目されるのって、苦手なんだよなぁ・・・派手なこと、嫌いだし・・・」


 赤松も同じ気持ちらしい。彼女とは似ているところが多いからこそ、最初、あれほど激しく反発し合ったのだろう。一種の近親憎悪みたいなものだったのかもしれない。今は、そんなわだかまりなど、すっかり消えてしまったが。


 安国寺先生は、体育館の扉の前に立つと、私たちを振り返り、小さな声で「いいわね?」と尋ねた。


 私たちが躊躇しながらも頷くと、先生が扉をゆっくりと手前に引いて開けた。


 鉄製の扉の蝶番ちょうつがいきしんで、静まり返った体育館の中に、キィィ、という音が響き渡った。


 その音を聞いて、壇上で話している校長も、整列している生徒たちも、一斉に私たちの方に顔を向けた。


 何の音も聞こえない静寂の中で、私たちは、クラスメートや後輩、そして先輩たちと向き合って、互いを見つめ合っていた。


 突然、整列している生徒たちの中央部分が、いきなり、どっと崩れ、そして、クラスメートたちが、私たちに向かって駆け寄ってきた。


 「大丈夫?」、「怪我してない?」、「ほんと怖かったね!」、思い思いの、そして、思いの詰まった言葉が降り注いだ。私も、赤松も、押し寄せてきたクラスメートに取り囲まれて、もみくちゃにされた。


 教師たちは、「はい、みんな静かに!」、「列を乱さないで!」と連呼している。


 私はいつものように緊張して声が出なくなり、赤松に眼で「代わりに答えて!」と頼んだ時、下級生たちの列から、私たちのほうに向かって、誰かが進み出た。


 「先輩、万歳!」


 以前に、私と一緒に蝶を運んだ、あの子だった。


 全校生徒の注目を浴びても、まったく動じないその姿を見て、さらに「万歳!」という声が続いた。


 御岳山で同じグループになった黒田凛だった。


 そして、顔を真っ赤にして極度に緊張しながら、一人の少女が一歩踏み出した。


 「先輩、ご恩、決して忘れません! 先輩、万歳!」 


 あの波多野莉子だった。


 「万歳」の連呼は、あっという間に下級生たちに広がり、そして、私たちの同級生、さらには上級生たちの列にも広がった。


 体育館一杯に広がる「万歳!」の声に、私と赤松は、茫然として立ち竦んでいた。予想もしない展開に、教師たちは慌てふためいて制止の声をからしているが、まったく効果は無い。


 真っ先に駆け寄ってきて、私の肩を抱いて少し涙ぐんでいた浦上晴香が、いきなり、ピョンと私から離れて、クラスメートたちに向き直った。


 「ワンコと不機嫌姫の凱旋だ!」


 クラスメートたちが声を上げて笑った。感極まって少し涙ぐみながら。


 私は、この学校で、初めて、自分の居場所を見つけたような気がした。

ようやく、理紗は、自分の居場所を見つけられたようです。


これから、彼女は、友人や後輩たちと様々な冒険を展開していくことになります。「ダブル・スタンダード」、いよいよ第四章に入ります!

乞うご期待!

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