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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第三章 私の居場所
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日傘と新聞

 5月最終週の月曜日から始まった中間試験は金曜日まで続いた。


 デスク端末を使って行われるWebテストが中心だったので、選択式の問題は試験終了後、瞬時に自動採点されるようであり、教師の採点作業は記述式の問題の部分のみに限られるらしく、試験の2日後には、自分の答案データと点数と偏差値が、自分の校内メールアドレス宛てに送られてきた。


 模範解答、個別クラスと学年全体の平均点、および学年ベースの上位得点者などのデータは、各教科ごとの校内ホームページに掲載されている。


 新学期開始から1か月間も登校できず、そのうえ記憶喪失と判明した私に関しては、各教科の教師が非常に心配していたようだった。

 「学業遂行に支障なし」という山名医師の診断書まで提出させられたにもかかわらず、それでも学校側は私の能力に大きな不安を持っていたらしい。客観的に考えれば、至極当然な話であり、中間試験の結果如何では、私に対する個別補修授業を実施するつもりだったらしい。


 部活に入らず、放課後に真っ直ぐ自宅に直行する生活を続けていた私にとっては、試験勉強の時間は有り余るほどだった。自宅に帰っても、妹は生徒会の仕事で毎日遅くまで帰宅しないため、妹のことを気にせず、試験勉強に集中できた。


 私の学校は2期制である一方、妹の学校は3期制なので、試験期間が重ならなかったのも幸いした。試験期間中は、どうあってもお互い早い時間に帰宅しなければならないため、もし試験期間が重なっていたら、両親不在の自宅で、妹と二人だけの時間を過ごさねばならず、万一、そうなったとき、妹がどのような出方をしてくるか、全く予想がつかなかった。


 もともと、高校一年生の一学期前半レベルの試験なので、私にとっては歯ごたえのないものであり、さらに試験勉強にも集中できたこともあって、試験結果は非常に満足できるものとなった。

 

 というより、私のこれまでの人生経験上、最高の結果となった。


 中間試験のあった科目のうち、基礎数学、基礎物理、基礎化学の理系3科目以外は、ほぼ満点に近い成績で、文句なく学年首位だった。


 本来の高校生なら非常に嬉しがるところだが、私にとっては、既に過去に一度経験した授業内容について試験を受けているわけだから、これくらいの成績は取れて当然であり、むしろ、この世界でも理系3科目が相対的に苦手であることのほうが気になった。


 人間、どこまで行っても、本質的な得手不得手というものは、あまり変わらないものと見える。


 もっとも、私が試験で好成績を収めたことは、必ずしも良いことばかりではなかった。

 

 基礎漢文の教師から噂が広がっていたらしく、試験以後、私は教師たちから「優秀だが、扱いづらい生徒」という評価を受けるようになったようだ。それは、最近の教師たちの、腫れ物に触るような私への態度をみていれば、如実にわかる。

 結局、私は、官僚だったときと同じような評価を、この世界でも受けることになってしまった。それは、まったく自業自得としか言いようがなく、その責任は私が負うしかない。


 ただ、教師たちは、私が授業から落伍するのではないかという懸念は完全に払拭してくれたようであり、明らかに私の理解度を探る目的で授業中に質問する、という態度は、この試験以後、ぱったりと消えた。

 

 授業中に教師から質問される可能性が大幅に減ってしまうと、ますます授業は退屈なものになった。さすがにこれ以上、教師や学校側を挑発するのは危険なので、取り敢えず、真剣に授業を受けている「姿勢」だけは続けているが、実態は、とにかく寝ないようにすることで精一杯だった。


 学校へのスマホの持ち込みは禁止されており、抜き打ち検査で摘発されると没収のうえ、親が呼び出されて説教されるシステムになっているため、授業中に教師の目を盗んで他のことをして気を紛らわすという「奥の手」も使えない。

 

 (このクラスの全員が授業を真面目に聴いているとは思えないな。一体、どうやって、退屈を凌いでいるんだろう)


 こういうとき、教室の一番後ろの席というのは、実に都合が良い。


 クラスメートたちの様子を仔細に窺って見ると、授業の流れとやや異なるタイミングで、手を動かしている者が、浦上晴香を含めて、確かに複数存在する。

 しかし、授業中には、デスク端末を操作することぐらいしか、生徒ができることはないはずだし、デスク端末で授業に関係のないもの、たとえば校内イントラネットのホームページなどを暇潰しに見ていれば、そのアクセスログが残ってしまい、後で必ず発覚することになる。


 (一体、この子たちは、なにをやっているんだろう?)


 彼女たちが何をやっているのか知りたくもあったが、少なくとも「合法」的なものは思えない以上、既に学校側から相応に注目されてしまっている私としては、とにかく「リスク」には近寄らないことが賢明だと思われた。


 

 休み時間には、近くの席のクラスメートたちと話すことも多くなったが、彼女たちの話題の中心は、ファッション、メイク、アイドル、そして、放課後に接触しているらしい他校の男子生徒の話ばかりであり、これまた、私にとっては、甚だ退屈なものだった。


 ただ、いかに興味が乏しくても、ファッションとメイクについてだけは、自分も話題に加わる必要があった。


 男性に戻る道が完全に閉ざされた以上、これからは女性のファッションを習得していかねばならない身ではあったが、男性時代もファッションにはずっと無頓着なほうだった私には、一体、なにをどう組み合わせて着たらよいのか、さらにメイクはどうしたらよいのか、まさに五里霧中だった。


 記憶喪失を前面に押し出して、休み時間や放課後にクラスメートたちにいろいろ指南してもらい、ようやく、なんとか「一見して珍妙ではない」レベルまでは上達したものの、学校の勉強と異なり、応用段階に入ると、文字通り苦難の連続だった。

 週末に自宅近所のコンビニに行くときですら、事前に母親に服装を見てもらい、ダメ出しされている状態がいまだに続いている。


 さらに、女性アイドルはともかく、男性アイドルや他校の男子生徒の話については、「中の人」が男性である私は、当然ながら、まったく興味が持てなかった。


 その反面、後輩、先輩、同級生を問わず、この学校の生徒たちの容姿・行動には自然と視線が向いてしまう。

 現在の自分の立場、つまり女性であるという点を考慮すると、そうした「同性を目で追う」ような行動はさすがにあまり好ましくないと思われたので、私は「知り合いではない生徒」を凝視しないように意図的に心掛けている。


 クラスメートたちによるファッション&メイク講座が一巡すると、私は休み時間を持て余すようになってきた。


 授業中だけでなく、休み時間も退屈となると、これはもう学校という世界で生きていけなくなってしまう。


 そこで、最近、私は、休み時間に経済新聞を自席で読み始めた。


 一介の女子高生の身となっても、時勢に遅れるのは本能的に嫌だった。それだけでなく、将来の活躍に備えて、知識の蓄積とアップデートを一時でも中断したくない、という気持ちもあった。


 「父親が朝に読み終えた経済新聞を自分に払い下げて欲しい」と申し出たところ、両親は一瞬絶句してしまったが、「社会全般に関する記憶にも、自分が気づいていないだけで、実は欠損部分があるかもしれない。そういう部分を早めに埋めてしまうためにも、新聞を毎日きちんと読みたい。学校での政治・経済の勉強にも役に立つから」と、まるで取ってつけたように釈明すると、案外、あっさりと許可が下りた。


 かさばる新聞を学校に持っていくのは面倒ではあったが、校内にスマホを持ちこめない以上、やむをえなかった。もちろん、新聞持込みについては、事前にきっちりと学校側の許可を得ておいた。


 女子校の日常生活では、とかく話題がかなり限られているせいか、自席で経済新聞を読む「あの記憶喪失の生徒」の噂は、あっと言う間に全校に広がったようだ。


 当初は、他のクラスの生徒の一部から「格好つけている」とか「頭が良いのを自慢している」といった、専ら感情的な反発を受けたが、「社会に関する記憶の欠損部分を埋めるため、言わばリハビリとして、やむをえず、新聞を読んでいる」という話が追加的に広まると、「それじゃ、仕方ないか」というムードに変わった。


 もっとも、それだけではなく、千尋によると、「怒らせると教師相手にも一歩も引かないで立ち向かう。追い詰めると何を仕出かすかわからない怖さがある。あの不機嫌姫とも一触即発の対立関係にあるらしい」という噂が広まったことも、多少は影響しているらしい。


 生徒からどんな評価を受けようが、私に干渉してこない雰囲気が確立されたことは、非常にありがたかった。とにかく、私は、無関係な人間からは「極力、放っておいてもらいたい」のだ。

 

 学校でおおっぴらに経済新聞が読めるようになると、現在の経済・政治情勢の方向性に関する知識量が爆発的に増えた。やはり、テレビに頼った情報収集では、入手できる情報量に大きな制約があるのだ。

 視力が衰えて細かい字を見るのが億劫になった老人たちは、テレビからのみ情報を得る傾向が急速に強まるが、それがいかに判断力を鈍らせかねない危険なことなのか、私はつくづく実感した。


 テレビは、どんなに重要なニュースでも、せいぜい数分程度しか放映しないし、「一般の視聴者の関心は薄いが、実は、将来、この国に大きな影響を与えかねない国際情勢」などは、まず全く報道されない。 


 中間試験が終わり、取り敢えず、「晴れて自由の身」になると、私は、学校の図書室にも顔を出して本を物色するようになったが、案の定、図書室には、政治・経済関係の書籍は著しく少なく、あったとしても、高校生向けの内容のものなので、私には物足りなかった。


 仕方なく、放課後に渋谷や新宿の区立図書館に行ってみたが、やはり専門書の充実度合いはあまり高くなかった。


 (そのうち、折を見て、母親に頼んで、経済専門書の購入を許可してもらうか・・・。でも、今、そんなことを言い出したら、母親から「そんな難しいの、読んでも理解できないでしょ。経済新聞を読み始めたばかりなのに・・・」とか言われて、あっさり却下されるだろうから、しばらく時間が経過するまで待たないとな・・・)


 それまでの間をなんとかしのぐため、自宅のパソコンを使っていろいろと調べてみたところ、広尾の東京市立中央図書館の蔵書がかなり豊富だ、という情報を掴んだ。 


 早速、とくに予定が入っていない6月10日の金曜日の放課後に、私は広尾まで足を伸ばしてみることに決めた。



 

 6月に入ると、急速に気温が上がり、晴れた日には、かなり強い日差しが降り注ぐようになった。


 日暮れの時間もどんどんと遅くなっていき、放課後の時間帯であっても、まだまだ、とても明るい。


 他の生徒たちに倣って、私も日焼け止めを塗り、日傘をさして登下校するようになった。官僚だった時代からはおよそ想像もできないような変貌ぶりであり、とにもかくにも、外見だけは「お嬢さん女子高生」が出来上がったが、内心は非常に複雑だった。


 今日もまた、首都メトロの国立競技場前駅に向かう道すがら、オフィスビルのガラス窓に映った自分の清楚な姿を眺めて、私は、ふと溜息をいた。


 (もう仕方ないとはいうものの、いつまで経っても馴れないよなぁ、この容姿には・・・)


 再び歩き出そうとした瞬間、私は、髪が肩にかかる長さまで伸びてきたことに気付いて、片手で毛先を軽く摘まんだ。


 (そろそろ美容室に行かないと、学校で注意されてしまうな・・・あ、枝毛発見! 最近、紫外線が強くなってきたせいか、髪が傷んでるなぁ・・・もしかして、私の手入れが悪いせいかなぁ・・・)


 私は、先ほどとは別の意味で、物憂げに溜息をくと、まだ燦々と明るい日差しの下、地下鉄の入口に向かって歩き出した。 

今回のお話は、学生にとって不可避なイベント、試験がテーマです。


私は、社会人になった今でも、時々、明け方にテストの夢を見て、うなされます。よく見るのは「選択式の問題について、答案用紙に書き込む欄を、誤ってひとつずつずらして記入してしまい、それに気付いた瞬間にテスト終が宣告される」という、まさに悪夢です。


さて、私の夏休みは、本日で最後です。明日からは、通常通りに勤務するので、帰宅後にお話を執筆・アップする、というペースに戻ります。


アップの時間が0時になってしまうことが増えると思いますが、どうか引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。


また、ご評価を頂けますと、前進するお力を頂けますので、どうかご評価もよろしくお願い申し上げます。


 きのみや 拝

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