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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第三章 私の居場所
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カンナクズ

 この状況は、「教師に指名されたのに、ぼんやりしていて気がつかなかった」というものに相違なかった。


 (参った、何を質問されたのかすら、全くわからないぞ・・・しまったな、しくじった・・・)


 私は、どうにもリアクションの取りようがなく、上気した顔で、教師とクラスメートたちの顔を落ち着きなく見比べた。


 「吉川さん、この質問に答えられませんか?」


 教師は、落ち着いた中にもやや苛立ちを含んだ声で、私に回答を促している。私は、とうとう観念した。


 「申し訳ありません。ぼんやりしていて、質問を聞いていませんでした」


 さすがに消え入りそうな声で、バツが悪そうに答えると、教師が、心なしか少し表情を和らげたような気がした。


 「そういうことでは困りますね。それでは、改めて質問します」


 (取り敢えず、これできちんと回答できれば、なんとか放免かな)


 教師は自分の端末を操作すると、明らかに新しい教材ファイルを立ち上げた。


 (え、どういうことだ? これは、質問の内容を変えているじゃないか! フェアじゃないぞ、これは・・・)


 「吉川さんには、今日の授業内容は易しすぎるようなので、せっかくですから、もう少し高度な内容について答えてもらいましょう」


 教師は、一罰百戒の意味を込めて、授業を聞いていなかった私に懲罰的に難しい質問を出そうしているようだった。そのうえ、私が答えられずに真っ赤な顔で立ち往生することを想定してか、心なしか、口元が少しほころんでいる。


 (だから、こちらは、もう非を認めて、さっきから、きちんと謝っているじゃないか。それなのに、なんで執拗に見世物みたいなことをさせるんだ? ああそうか、こいつは、いつもこういう手段で、自分の力を誇示することによって、生徒を従わせようとしているんだな。底意地が悪いうえに、俗物根性の見下げ果てた奴だ。ああそうかい、そっちが喧嘩売ってくる気なら、こっちもビタ一文、値切らずに買って進ぜよう! 今は一介のしがない女子高生だが、これでも、もとは高等文官だ。目に物見せてくれる! 教師なら、生徒を力で服従させるんじゃなくて、人徳で心服させてみろ!)


 教師の卑劣な意図を悟って、急にメラメラと反抗心が燃え上がった。あまりにフェアではない仕打ちを受けるのは絶対に我慢ならなかった。


 こういうときに最後まで恭順の姿勢を貫いていられない性分だから、私は役所でも上司と頻繁に衝突していたのだ。役所の先輩たちが私に「カンナクズ」という綽名をつけていたことも知っていた。「かんなで薄く削った材木のくずのように、すぐに火がついて燃え上がる」という意味だ。完全に燃え尽きるまで燃えている、という点で、人的制御が可能な「瞬間湯沸かし器」よりも性質たちが悪いらしい。


 しかし、フェアではないことは、やはりフェアではないのだ。無理が通れば道理が引っ込むような、そんなことは許しておいちゃいけない。仮に世間が許しても、私は許さない。一人ぐらいはこういう馬鹿がいなければ、世間の目は醒めない。いくら生徒の生殺与奪を握る教師でも、やっていいことと悪いことがある。


 「それでは、この漢詩を読んでみてください」


 教師が電子黒板に映したのは、劉希夷の詩だった。教師は、私が回答に詰まって苦しんだ後、「これは、時の過ぎ去るのがいかに早いかを詠んだ漢詩です。吉川さんも時間を無駄に過ごさないようにしてほしいものですね」とか、したり顔で解説してみせる気だろう。


 (あの有名な詩か。普通の4年生なら、読めなくて当たり前だな)


 私は、電子黒板を見つめると、目を軽く閉じ、息を深く吸い込んだ。そして、再び静かに目を開いた。


 「洛陽城東、桃李の花。飛び来たり飛び去たって誰が家にか落つ。洛陽の女児、顏色を惜しみ、行くゆく落花に逢いて長嘆息す。今年こんねん、花落ちて顏色改まり、明年、花開いてまた誰か在る。すでに見る松柏のくだかれて薪となるを。更に聞く桑田そうでんの変じて海と成るを。古人また洛城の東に無く、今人こんじんまた対す落花の風。年年歳歳、花相あい似たり。歳歳年年、人同じからず。言を寄す全盛の紅顔子。まさに憐れむべし半死の白頭翁。 此翁、白頭、まさに憐れむべし。これ昔、紅顔の美少年。公子王孫、芳樹のもと。清歌妙舞す、落花の前。光禄の池台、錦繍を開き、将軍の楼閣、神仙を画く。一朝、病に臥して相識そうしき無く、三春の行楽、誰がほとりにか在る。宛転えんてん蛾眉よく幾時ぞ。須臾しゅゆにして鶴髪かくはつ乱れて糸の如し。ただみる古来歌舞の地。ただ黄昏こうこん鳥雀の悲しむ有るのみ」


 しん、と静まり返った教室に、詩を吟じる声だけが朗々と響く。


 教師とクラスメートたちは、まるで息を吐くのも忘れたかのように、身じろぎもせず、ただ私だけを見つめている。


 詩を読み終えると、私は、表情を全て消した顔で教師を凝視した。


 唖然として目を見開いて立ち尽くしていた教師は、すぐに我に帰ると、自分の意図を挫かれたのがよほど腹立たしかったのか、遠目にもはっきりわかるほど、顔を紅潮させた。


 (私は、あなたのリクエストにはきちんと誠実に答えたよ。詩を読んでみろ、と指示されたから、きちんと読んだまで。何か落ち度がありますか?)


 私はきちんと責務を果たしたので、お役御免になったはずであり、それゆえに椅子に座ろうとした。

  

 「この詩はあまりにも有名なので、既にご存じだったようですね。ご存じの詩を読ませてしまって申し訳ないので、もうひとつ、読んで頂きましょうか」


 教師は頬を僅かに引きらせながら、今度は長文を電子黒板に表示した。


 (懲りない奴だな、こいつは。そんなに自分の思い通りにいかないのが気に入らないのか。そんな性根じゃ、その辺のチンピラと大して変わらないぞ。自分で読めと指示して、それで自滅したんだから、こっちを逆恨みするのは筋違いだろ? ふざけるな!)


 私は自分の頬が紅潮してくるのをはっきりと自覚した。明らかに、相手は私に喧嘩を売ってきている。売られた喧嘩は幾らでも買ってやる。私は、拳を堅く握り締めた。


 そして、敢えて、長文を読めなくて困っているかのように眉間に皺を寄せて、腕組みしてみせた。


 その途端、教師は、「してやったり!」とばかりに勝ち誇った笑みを、一瞬だけ顔に浮かべた。さすがに生徒相手に勝って、露骨に嬉しがるのは大人げない、と思い直したのだろう。教師はすぐに笑みを消すと、「まあ、これは読めなくても・・・」と口を開き始めた。


 (今だ!)


 「項王の軍、垓下に壁す。兵少なく食尽く。漢軍および諸侯の兵、これを囲むこと数重なり。夜、漢軍の四面にみな楚歌するを聞き、項王すなわち大いに驚きていわく、漢、みなすでに楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや、と。項王すなわち夜起こって帳中に飲す。美人あり、名は虞。常に幸せられ従う。駿馬あり、名はすい。常にこれに騎す。是に於いて項王すなち非歌慷慨ひかこうがいし、自ら詩をつくりていわく、力は山を抜き気は世をおおう。時に利あらず騅ゆかず、騅のゆかざるはいかんすべき、虞や虞、なんじをいかんせん、と。歌うこと数闋すうけつ、美人これに和す。項王、なみだ、数行下る。左右皆泣き、よく仰ぎ視るなし」


 (「史記」のクライマックスのひとつ「四面楚歌」の一節だ。この程度を知らずして、役人なんか務まるか!)


 読み終えて、教師の顔を見ると、さすがに驚きを隠せないようだった。ただ、さすがに伊達に教師歴が長いだけではないものと見えて、このままではさらに深みにまりかねないと気付いたのか、あるいは、これ以上、生徒ひとりのために授業時間を浪費できないと気付いたのか、彼は事態を収拾させる方向に舵を切ったようだ。


 「漢文がお好きなのは良いことですが、独学で勉強すると必ずしも正しくない覚え方をしてしまう恐れがあります。授業もしっかり聞いてくださいね」


 (いや、だから、さっき、きちんと授業を聴いていなくて申し訳ないって謝ったじゃないか。それを、そっちが変に話をこじらせるから、こういうことになったんだろう? まあ、もう、いいけどさ)


 ただ、「平穏な高校生活」を過ごすためには、これ以上、教師との仲を険悪化させるのは得策ではないし、取り敢えず、個人的には溜飲を下げることができたので、そろそろ矛を収めることにした。

 

 「今後は、授業をしっかりと聞いて、正しい理解を得られるよう努めていきたいと思います。今回は、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 形だけでも私が謝罪することで、教師も面目を回復したらしく、私はようやく着席を許された。クラスメートたちも電子黒板に向かって姿勢を戻し、何事も無かったかのように授業が再開された。


 

 休み時間になるやいなや、晴香が私のところに飛んできた。クラス委員だから当たり前なのかもしれない。


 「ああいうときには、反抗せずに、ただひたすら、ごめんなさいって、謝っておけばいいんだよ。生徒に謝ってもらえば、それで満足するんだから。下手に逆らうと、目をつけられるよ。ねえ、朱里」

 

 「うん、私もそう思うな。あの先生、しつこい感じがするから。先生にもメンツがあるから、あまりプライドを傷つけちゃ駄目よ」


 「だから、私はちゃんと謝ったって。それなのに、私に無理難題を吹っかけて、困っている姿をみんなに見せつけて、自分の力を誇示しよう、なんて卑劣なことをされたから、許せなかったんだよ。ちゃんと自分の非を認めて謝っている人間にいちゃもんをつけてくるのは、そこらのチンピラと変わらないじゃないか」


 「その程度の奴なんだなって、心の中で馬鹿にしてれば済むことじゃないの。態度に出して相手を煽るのは、決して得策とは言えないよ」


 「千尋はそう言うけどさ、そういう非道を見て見ぬ振りをするから、おかしな奴がのさばるんだよ。ああいう権力を笠に着た奴には、一度、鉄槌を下しておく必要があるんだ。本当の権力ってものは、むやみやたらにそれを誇示したり、頻繁に行使したりするものではなく、お社、いや、ここでは教会か、そういうところの奥にそれがあるんだ、と、みんなが畏れ敬うことで成り立つものなんだ。伝家の宝刀は、しょっちゅう抜かれては意味が無いんだよ」


 晴香は、落ち着いて、そして、にこやかに私に話し掛け始めた。


 「理紗の言うことはよくわかるよ。でもね、ここでは先生が物事の正しい、正しくないを決める力を持っているんだよ。そういうところで、先生に恥をかかせたりすれば、いくらそれが正しいことであったとしても、決して自分の得にはならないと思うなぁ」


 「長いものには巻かれろってこと? それは、事無かれ主義ってもんじゃないのか」


 「そうまでは言わないよ。ただね、先生のおかしな点とかを正したいのであれば、最も効果が大きくて、最も自分へのダメージが少ない、そういう方法を考えて、そして、最も適切なタイミングでやったら良いんじゃないの、ということ。私なら、そうするなぁ。だって、正しいことをしているのに、自分が損しちゃうなら、もう次回から正しいことをできなくなっちゃうんじゃない?」


 私は、目から鱗が落ちる気がして、たちまちシュンとうなだれた。


 (「背負うた子に教えられて川の浅瀬を渡る」という諺があるが、まさにその通りじゃないか・・・こんな歳下の子に諭されるとは、我ながら情けない・・・)


 「・・・うん、そのとおりです・・・。今回は、私のやり方が明らかに適切ではなかったよ・・・。以後、気をつけるようにするよ・・・。心配させて、すまなかった・・・」


 (・・・私は、自分が官僚だったことに慢心して、今の自分の立場を冷静に考えられなかったんだ・・・・私は、もう官僚じゃなくて、学校という小さな閉鎖社会で生きる、一介の女子高生に過ぎないんだ・・・。きちんと立場をわきまえて行動しなければいけないんだ・・・)


 「理紗は賢いから、きっとわかってくれるって信じてたよ。私だけじゃなくて、千尋や朱里も心配しちゃうから、今後は、我慢すべき時には我慢するようにしてね」


 「そうだよ。怒りたい時があったら、その場ではとにかく我慢して、あとで私や朱里や晴香に言ってよ。みんなで、どうするのがベストなのか、考えれば良いじゃない。三人寄ればなんとやら、って言うけれど、四人も集まれば、もっと良い知恵が出るはずだよ」


 「ありがとう、千尋。心配掛けて、本当に申し訳ない。朱里にも謝る。今後は、もう、カンナクズは卒業することにするよ」


 「カンナクズ? それは何? お花のカンナで作った葛餅みたいなもの?」


 確かに、いきなりカンナクズと言われて、ただちに「鉋屑」を思い浮かべられる人は少ないだろう。しかし、いかにも朱里らしい、綺麗な連想に、私は思わず苦笑してしまった。


 「材木の表面を滑らかにするために、大工道具のかんなで削ると、薄っぺらい削りかすが出るんだ。それが鉋屑。鉋屑は薄っぺらいから、ちょっと火を近づければ、すぐにメラメラ燃え上がって、燃え尽きるまで止まらない。今までの私は、そんなカンナクズみたいなところがあったと思うんだ」


 「カンナの球根は食べられないから、葛餅にするのは無理だよー!」


 千尋に笑われて、朱里は少しむくれた顔をした。


 「だって、カンナなんて言われても、お花しか思い浮かばなかったんだもん。それじゃ、千尋はすぐにわかったの?」


 「お花も思い浮かばなかった! カンナクの図だと思った」


 「ねえ、カンナクって何? 知ってる、晴香?」


 「私に聞かないでよ。千尋、カンナクって何?」


 晴香と朱里が不思議そうに顔を見合わせると、千尋は勝ち誇ったように胸を張った。


 「啼く妖怪みたいなもの!」


 「それじゃ、千尋は私を妖怪みたいなものだと思ってたのか?」


 「いいや、怒った理紗は妖怪より怖い!」


 「おい、それはないだろ!」


 病院で目覚めて以来、今までずっと張り詰めていた肩の力が、すっと少し抜けたようで、ちょっとだけ気が楽になった。


 私は、この「世界」に来て、初めて心の底から声を立てて笑った。 

前回のシリアスな場面から一転して、今回は暖かいお話になりました。

人生、あるいは。日々の私たちの生活って、仮に、すぐには変えられない厳しい現実があったとしても、だからといって重苦しいだけの毎日が続くわけではないと思うんです。

そんなリアリティを小説にもきちんと反映させていきたいな、と思っております。


いつもご評価を頂きまして、誠にありがとうございます。今回も、もし、よろしければ、ぜひ、ご評価を賜りたく、何卒よろしくお願い申し上げます!


 きのみや 拝

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