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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第三章 私の居場所
23/58

政策と対策

 午後の授業も、相変わらず、ひどく退屈だった。


 とくに、現代国語と地理は、全く目新しい情報が無く、眠気を抑えるのに苦労した。地理は、行政官にとっては、イロハのイに匹敵するような基礎情報であり、英語以上に毎日何らかの形で接しているため、私は教師の誤りすら見つけることができた。

 

 自分が高校生の頃は、教師の説明を全面的に信用していたが、実際には、教師も全能ではないうえ、企業や官庁と違って最新の情報がただちに入ってくるわけではないので、どうしても古い知識を生徒に教えることになってしまう。それは、致し方ないというものだ。


 (この中に行政官が紛れ込んでいると知ったら、教師はやりづらいだろうなぁ・・・)


 私は教師の立場に同情し、また、教師の面目を失わせる、といった大人げない行動を取るのもいかがなものかと思ったので、教師の誤りについては、目をつむることにした。


 日本経済の活力低下と反比例する形で、学校での必修科目数は増えてきている。それだけ教育省や産業界が焦燥感を深めているわけであり、かつては選択科目だった地理、日本史、世界史、政治経済などは必修科目に格上げされている。

 当然、必修科目が増えれば、年間授業時間数も増える。社会にすっかり定着した土曜休校制を変えられない以上、一日の授業コマ数を増やすしか解決策は無い。


 2015年頃に大いに喧伝されていたAO入試や推薦入試は、いまはすっかり下火だ。そもそも基礎知識の少ない状態で「考えるちから」だけを伸ばしてもやはりバランスが悪いし、入試のときの「アピール材料」、つまり「高校時代に頑張った特別なこと」の実績づくりだけが過熱し、有料で「実績作り」を専門に請け負うベンチャー企業まで現れ、社会から強い批判を浴びた。


 そうした企業に大枚をはたいて実績作りを依頼できる家庭がAO入試で有利になる、ということが批判の中心だったが、私は、そうした「上げ底の実績」すらきちんと見抜けないような、大学当局の能力にこそ本当の問題があるのではないかと感じていた。審査する側がきちんとした「眼」を持っていれば、AOも推薦も、きちんとワークするはずなのだ。これらの制度そのものに罪は無い。


 教育省がかつて鳴り物入りで導入した「ゆとり教育」と、その撤回の際にも見られたことだが、教育行政はあまりに振幅が大きく、いつも振り回されるのは学校と生徒なのだ。そして、「政策の失敗を決して認めてはいけない」という官僚の本能ゆえに、「責任者」が失敗した政策の責任を取ることは決して稀である。「責任者」に責任をとらせるのは、やはり、任命権者である大臣、つまり政治家の役割なのだ。


 いずれにせよ、「考える能力の育成」から「基礎知識の蓄積」へと再び大きくハンドルが切られた結果、私は、こうした長時間の座学を、再び経験することになっている。歴史は繰り返す、のだ。


 夕方4時近くまで同じ姿勢で授業を受け続けなければならない、というのは、非常な苦痛だった。職場では、「長い時間、座り過ぎているな」と思えば、適当に立ち上がって、自販機に飲料を買いに行ったりすることができたし、職員によっては、椅子の上に胡坐をかいて仕事をしている者すらいた。かなり数は減っていたが、喫煙者は専用の喫煙ルームに行く、という名目で、実質的に勝手に休憩を取っていた。


 (思えば、学校ってところは、いろいろと不自由なところなんだな・・・自由というものは、空気と同じで、なくなってみて、初めて価値がわかる、ということか・・・)


 私は、役所時代の癖で、無意識に机の下で靴を脱ごうとして、思わずハッとした。


 (おっと、危ない、危ない・・・女子高生がこんな「はしたないこと」をするわけがないよな・・・)


 何気なく前方の席の同輩たちの足元を眺めてみると、結構な割合で、彼女たちは靴を脱いでいた。癖なのか、ソックスを履いた足をブラブラさせている子もいる。


 (えええっ、実際はこんなもんなの? こりゃまた、びっくりだ・・・まあ、日本の気候では、靴を履くと足が蒸れて暑いからなあ。仕方ないか・・・まあ、うちの女性事務官も、職場では通気性の良いサンダル履いてるしな・・・この気候で、ローファーを一日中履けって言う方が酷だよなあ・・・これ、修行だよ、もう・・・)


 普段は前例踏襲は好きではないが、今回ばかりは、同輩たちの習慣を取り入れることにした。ただ、やはり、おおっぴらにやるのは抵抗感があるので、自分が一番後ろの席についているときだけに限定しようと思う。


 最後の授業の直前の休み時間、さすがに疲労困憊して、机に突っ伏しかねない気持ちで、ぼんやりと教室内を眺めていると、少し離れた席で、クラスメートが立ち話を始めた。我ながらあまり行儀が良くないことだと自覚しつつも、どんな話をしているのか、今後の参考のために聴き耳を立ててみることにした。


 「アレ、足りなくなっちゃったー、貸してもらえる?」


 「いいよ、ひとつでいいよね」


 (一体、何の貸借をするんだろう? 教科書か、いや、同じクラス内で貸しちゃ意味ないだろう。金か? いや、現金はみんな持ってないはずだし・・・)


 頼まれた子は、カバンから小さなポーチを取りだし、ジッパーを開けると、何の躊躇もなく、生理用品を取りだして、友達に手渡した。私はひっくり返りそうになった。


 (ええっ、こんな堂々と、人前ひとまえで? おい、いいのか、これ? まあ、みんな、もう経験が多いから慣れっこなんだろうなぁ。恥ずかしがってるのは私だけか。でも、仕方ないじゃないか、まだ「入門者」なんだから!)


 こういうことを真の「カルチャーショック」と言うのだろう。女子校は、私にとって完全な異文化世界だった。これから様々なカルチャーギャップに直面するだろう、と思うと、それだけで頭が痛くなりそうだった。


 (晴香、千尋、朱里という「女子校ナビゲーター」を早めに得られて、本当に良かった・・・普通の感覚がちょっと通用しないぞ、ここは・・・よろしく頼む、少女たちよ・・・) 


 私は、心の中で、前の席の彼女たちに向けて合掌した。



 ようやく全て授業が終わり、帰宅できることになった。既に西日が教室内に差し込み始めている。私は、ついに精根尽き果てて、机に突っ伏した。


 (・・・・やっと、終わった・・・こんな苦行が、これから毎日、続くのか・・・身体が持つかなぁ・・・)


 「理紗ちゃん、大丈夫? 顔色、悪いよ。初登校で、疲れちゃった?」


 朱里が心配そうに顔を覗き込んでくる。


 「うー、病院では、寝たいときに寝て、起きたいときに起きて、食べたい時に食べてたから、社会復帰がすぐには難しい・・・」


 これは嘘ではない。もともと職場そのものが自由であったうえに、私は病人として「素敵な病院ライフ」を満喫していた。そのせいで、すっかり身体がなまっていたのだ。確かにリハビリを必死で頑張ったが、それでも、長時間労働が常態化していた役所時代に比べると、パラダイスのような生活であったことは言うまでも無い。


 「食べたいときには、食べられるよ」


 斜め前の席で帰り支度をしていた千尋が、後ろを振り向いた。


 「いや、そんなこと、ないだろ。千尋だって、購買部や食堂は昼にならないと開かないって、言ってたじゃないか。私、今日なんか、昼前に腹が空いて、もう堪えられそうもなかったよ」


 私が不審そうな眼で質すと、千尋はニヤリと笑った。


 「早めにお弁当食べちゃう子もいるよ。私は、あんまりしないけど」


 (ええっ、それって、早弁? ありなのか、女子校でも? おいおい、本当かよ、そんなこと知らんぜよ)


 「でも、今日は、誰もそんなことしてなかったじゃないか。みんなお昼に普通に食べてたし・・・もしかして、私を担ごうとしてない?」


 「ああ、教室ではさすがに食べないよ。カメラがあるもん。だから、どうしても我慢できないときには、更衣室で食べる」


 「でも、更衣室の入退室記録が通信端末に残るだろう? 更衣室前にはカメラもあるし・・・」


 「平気平気。後で聴かれたら、更衣室に忘れ物を取りに行ったって言えばいいんだから。さっと入って、パパっと食べて出てくれば、万事OKよ。さすがにあんまり頻繁にやると怪しまれるから、どうしても堪えられない極限状態の時しか、この手は使わないけどね。更衣室を使う機会が多い運動部の子の間では常識よ」


 (やれやれ、中国の諺に、「お上に政策あれば、下々に対策あり」というのがあるが、まさにこのことだな)


 「朱里も、こういうことするのか?」


 「私は、我慢する派。だから、お腹が鳴りそうになると、必死で耐えるよ。お昼近くの休み時間にお茶を飲んでおくと、ちょっとの間なら、我慢できるしね」


 (そうそう、それでこそ、ありうべき女子高生の姿だよ、うん)


 「でも、本当にどうしても我慢できないときには、カメラの死角のところに行って、口を手で隠してクッキーを食べる。だって、お腹の音が授業中に響くよりはマシだから・・・・」


 (・・・ブルータス、お前もか・・・)


 「だいたい、そんなカメラの死角なんて、簡単にはわからないんじゃ・・・・」


 「先輩たちから代々引き継がれた『絶対防衛線』があるんだよ。たとえば、ほら、そこ。教室の壁に小さなセロテープが貼ってあるでしょ? あのテープから奥は、カメラの死角なんだ。あ、指差さないで。カメラに映るから」


 千尋は、教室の奥の壁にゆっくりと視線を向けた。確かに、何かの貼り紙を剥がした後であるかのように、無色の小さなセロテープが、少し黄色くなりながら、ぽつん、と、壁に残っている。


 「あの絶対防衛線を発見するために、先輩方の試行錯誤と幾多の尊い犠牲があったわけだ。そして、我々も後輩にこれを伝えていく責務があるわけなのだよ。おわかりかな、理紗君?」


 (・・・幾らユニークナンバー制が導入されても、脱税が生き残るわけだ・・・)


 私が想像していたよりも、女子高生はしたたかに現実を生きていた。


 


 部活に出る二人と別れ、私は千駄ヶ谷の駅に向かうために校門に向かった。廊下でも靴箱でも、とにかくやたらと生徒たちに凝視される。だいぶ慣れてきたとはいえ、それでも、やはりうんざりする。


 (パンダは、毎日、たくさんの人に見られて、気苦労が絶えないだろうな。同情するよ)


 首都高新宿線の高架を見上げながら、校門を出ようとしたとき、いきなり脇から晴香に声を掛けられた。


 「理紗、今、帰り? 私も帰るとこだから、駅まで一緒に歩かない?」


 「え? ああ、うん、そうだね。千駄ヶ谷の駅だよね? 行こうか」


 (毎日、親たちから、理紗理紗呼ばれていても、まだ馴れないんだなぁ・・・自分の名前っていう意識はあっても、ぼんやりしてるときには、咄嗟にリアクション取れないことがあるよな・・・)


 西日に後ろから照らされながら、高速道路沿いの道を、二人並んでのんびりと歩く。晴香と一緒なら、無遠慮な生徒たちの視線も、あまり気にならなくなるような感じがした。


 「今日は、一日どうだった? いろいろあって、疲れたでしょ?」


 「ああ、とっても! 社会復帰するのは、なかなか大変だなぁ・・・それに、とにかく、誰彼構わず、じろじろこっちを見てくるのは、ちょっとたまらないなぁ・・・」


 「うち、中高一貫校だから、4年に編入生が入ると、いつもこんなふうになるんだよ。そのうち、すぐにみんな気にしなくなるから、あとちょっとの辛抱だね。まあ、いちいち気にしてても仕方ないよ。この間の赤松さんのときも・・・」


 途中まで言い掛けて、晴香は慌てて言葉を止めた。露骨に「しまった」という表情が滲み出ている。


 (ああ、うっかり口を滑らせちゃったんだろうなあ・・・赤松の件は、なんだかクラスで触れること自体がタブーになってるみたいだし・・・)


 「見られる問題は、そのうち私がみんなに飽きられれば解消するとして、この学校独自のお作法も一杯あるみたいだし・・・・」


 私が話題を変えたことで、晴香は少しほっとしている様子だった。


 「ま、そんなのは、これから、ちょっとずつ覚えていけばいいよ。みんな入学当初は、そうだったんだから。ただ、私たち5年生以下の学年は、6年生に比べれば、まだマシな方だったかなぁ」


 「それって、どういうこと?」


 「うちの学校、5年前に横浜からここに越して来たの。そのときに、いろいろと校則も変わったりして、大変だったらしいよ。スクールカラーも、かなり変わったらしいし・・・」


 「ああ、移転の話は知ってる。かなり反対もあったらしいね。それにしても、こんな都心の一等地が、しかも、こんなにまとまった広さの敷地が、よく手に入ったね」


 「国立能楽堂の跡地だって聞いてる。確か京都に移っちゃったんだよね」


 「ああ、そうか。そういうことか。国有地の払い下げを受けてこんな敷地を手に入れたのか・・・・それにしても、うちの学校、だいぶ、入札で頑張ったんだね・・・」


 (首都直下地震の被災リスク軽減や地域経済活性化のため、国立の文化施設は、殆ど首都圏以外に移転させられたからなあ。国立博物館と国立能楽堂は京都、国立美術館は福岡、国立劇場は札幌・・・、東京人は簡単に行けなくなってしまったよなぁ・・・)


 「にゅうさつ? 何、それ?」


 「ああ、政府が国有財産を民間に売却するときには、買いたいと思う人を集めて、その中で最も高い買い値を示した人に、財産を売却するんだよ。そうすることによって、国民の財産が一円でも高く売れるからね。赤字財政で火の車の政府にとっては、大切な収入だね。しかも、地価の高い東京の土地を売って、相対的に地価の安い京都の土地を買うわけだから・・・」


 「高く売って安く買うから、政府は儲かるってこと?」


 「そのとおり。まあ、得をしたのは政府だけでもないな。今は、横浜は見る影も無く寂れてるからね。うちの学校は、先見の明があったわけだ」


 「横浜時代を知ってる先輩たちも同じこと言ってたよ。なんで、こんなに寂れちゃったんだろうね?」


 「道州制を導入したとき、州庁を置く街、つまり州都をどこにするか、都市間で激しい争奪戦があったんだ。南関東州では、横浜と東京の争いだったんだけど、結局、東京が勝ったわけ。県庁という、地域の核となる大きな行政組織が無くなった後、さいたま市も千葉市も横浜市も、みんな衰退してる」


 晴香は、日陰になっている歩道で足を止めた。


 「じゃあ、道州制は失敗だったの? それって、政府の失策?」


 「いや、道州制は必要なものだと思うよ。なんでもかんでも国にやらせようとすると、当然、地域の細かいところまで目が行き届かなくなるし、もともと各地域ごとに実情が違うんだから、その実情に合わせて、そして、その地域の住民の意思と決断を尊重して、地方の運営をやっていく必要があると思うなぁ。国も、日本全体に関わる政策を企画・運営することだけに集中したほうが効率が良いしね・・・」


 「横浜や千葉が寂れたのは、必要な犠牲だったってこと? それは、ちょっとひどくない?」


 「以前の県庁所在地が多かれ少なかれダメージを受けることは、以前から予想されたことだよ。だから、みんな必死になって、州都を取りに行ったんだ。ただ、事前の予想以上に、衰退が進んでしまったよね。州内の各都市と州都を結ぶ都市間高速特急インターシティ、あの『IC』が運行を始めてから、衰退がさらにひどくなった」


 「IC、便利だと思うけどなぁ。新宿から横浜まで30分かからないよ」


 「それがいけないんだ」


 私は、晴香を促して再び歩き始めた。


 「横浜から東京に行くとき、長い時間がかかるなら、横浜の住民は横浜で買い物する。でも、横浜から東京に短い時間で行けて、しかも、州の補助金で鉄道運賃が安く抑えられているなら、どうする?」


 「東京でお買い物する。お店の品揃えが良いし、それにちょっとだけ安いよね」


 「そうだね。こういうのをストロー効果っていうのさ。地方経済を活性化する目的で高速鉄道を開業すると、むしろ中核都市への一極集中が進んで、かえって地方が寂れてしまう、という皮肉な結果なんだ」


 「へぇー、そうなんだ! なかなか思い通りにはいかないんだね。それにしても、理紗、よく知ってるねー! すごいよ! どうやって勉強したの?」


 (商業は経済財政産業省うちのやくしょの所管事務だからね。八百屋が大根に詳しいのと変わりがない。まあ、そんなことは、口が裂けても言えないがね)


 「この間も話したけど、病院では、ほんとにすることが無いんだよ。寝てるか、テレビ見てるか、リハビリやってるか、という感じ。起きてて暇な時間には、毎日、朝から晩までテレビのニュース見たり、新聞読んだりしてたら、いつの間にか詳しくなった」


 「そうなんだ。それって、もしかして、怪我の功名ってやつ?」


 「あははは、いや、文字通り、怪我の功名だな! これは確かに間違いない!」


 私は思わず噴き出してしまった。少しだけ気分が軽くなったような気がした。


 (きっと、この子は、偶然を装って、校門のところで私を待っていてくれたんだろうな。そうでなければ、私より早く教室を出たのに、校門で会うなんてことはありえないし・・・軽いようでいて、きちんとクラス委員としての責任感もあって、ちょっと面白い子だ・・・)


 「あ、噂をすれば、だね。ほら、あの少し髪の長い人が横浜時代を知ってる6年生で、生徒会長の毛利もうり七海ななみさん。その隣の前髪のある人が5年生の織田おだ咲良さくらさん、次期生徒会長の最有力候補。あ、じっと見ちゃ駄目だよ」


 晴香は、歩くスピードを少しだけ緩め、声のトーンを下げて、少し先の歩道に立って話し込んでいる二人の生徒をさりげなく視線で示した。さすがの晴香も、上級生は怖いらしい。


 彼女たちの脇を通り過ぎる瞬間、二人とも私の横顔を一瞥したが、他の生徒のように無遠慮にじっと私を見つめることも無く、すぐに視線を戻してしまった。


 (ああ、これは「まったく眼中にありません」ってことだよな。それはそれで、ちょっと複雑だな・・・。それにしても、さすがに生徒会役員だけあって、二人とも気の強そうな顔立ちだな・・・。とくに6年生の子は、他の生徒とどこか違う雰囲気がある。貫禄、と言ってもいい・・・)


 私たちの声が届かないであろう距離まで離れたところで、私は晴香に尋ねてみた。


 「あの二人の上級生、他の人たちとはどこか違う感じがする。私のことも、興味本位で見つめるようなことも無かった・・・」


 「あの方たちには、揺るぎない信念があるからね。ほかの人たちが追随できないような、堅く、気高い信念が、ね・・・」


 歩道の遥か先の方を眩しそうに見つめながら、晴香は自分に言い聞かせるように呟いた。


 「どういう信念なの?」


 「そのうち、わかるよ。それに、理紗はあまり関わらないほうが良いと思う。中途半端に関わると、ひどい火傷することになるよ。だから、私たちみたいな一般人はそんなことには関わっちゃ駄目なわけ」


 「そう・・・私も気をつけることにするよ」


 (女子高生の小さな世界の中にも、いろいろと事情があるんだな・・・まあ、言いたくないのに無理に問い詰めても、正しい答えが得られるとも限らないし・・・今日のところは、これ以上は聞かないでおくか・・・)


 それきり会話が途切れたまま、しばらく歩いていると、千駄ヶ谷の駅が見えてきた。


 「あー、とにかく長い一日だったなあ・・・コーヒーでも飲んで、一服したい気分だよ」


 「え、ほんとに?」


 晴香は明らかに驚いて、足を止めた。


 「ああ。ま、制服じゃ何かと目立つし、自由に使える現金も持ってないから、当分は無理だけどね。でも、そんなに驚くことか? コーヒー飲むぐらい、別に普通のことだろ?」


 晴香は、私の爪先から頭までじっと眺め上げたあと、表情を消した顔で、何かを窺うかのように私を見つめた。


 「理紗って、そういうキャラだったんだ」


 今まで見せたことの無い晴香の表情に、私は当惑した。


 「コーヒー飲むのが、そんなに悪いことなのか? 紅茶なら良いのか? 女子高生的には、やはり紅茶を嗜むべきなのか? コーヒーは、オヤジ的飲み物なのか?」


 「だから、そうじゃなくって! 親や学校に知られないように自分のお金を使うってことについて、だよ」


 「たかがコーヒー代くらい、親にちゃんと話して了解とるよ。別にいかがわしいところに行って、変なもの買うわけじゃないし、高いものを食べるわけでもない。所詮、そのあたりの、ごくありふれたチェーン店のカフェに行くぐらいなんだよ。それに、下手に隠しごとをせずに、事前にちゃんと説明しておいたほうが、良い結果を生むってことも多いんじゃないかな」


 「でも、校則で禁止されてる買い食いだよ。学校にバレたら、まずいよ。それでも、理紗は、コーヒー、飲むつもり?」


 「だからさ、買い食いって言ったって、コーヒー1杯、500円硬貨1枚、ワンコインのレベルの話なんだよ。一律に買い食いを禁止するほうが、どうかしてるんじゃないかなぁ。それに、そもそも校則は、立ち食いとか立ち飲みとか、校外で品位に欠けることをするのがいけない、という理屈なんでしょ? それなら品位を損なわないように、きちんとしたお店で、エレガントなマナーに則って、コーヒーや紅茶を嗜めばよいだけの話だと思うけど?」


 「ふうん」


 表情を消した顔のまま、晴香は一歩後ろに下がると、ニコッと笑った。


 「理沙って、すごい発想するね。それに、度胸もあるんだ。ちょっと見直した」


 緊迫した雰囲気が一気に和らぎ、いつもの晴香に戻ったことに安堵して、私も少し微笑んだ。


 「見直した、ってなんだよ。今までは見下げてたのかい?」


 「そんなことないよ。ただ、理紗も、うちの学校に多い『流され派』のひとりかと思ってた」


 「人と違うということこそが、大切なんだよ。人と同じことやってる限り、絶対に出世なんかしないし、ビジネスも成功しない。人と違うということが、付加価値、つまり成功を生むんだ。私は、どんな時でも、自分で考え、自分で決断し、自分で行動したい。そして、その結果責任は、きっちり自分で負う。それが私の信条なんだよ」


 私が少しだけ胸を張って答えると、晴香は嬉しそうに目を細めた。


 「理沙とは、今度、ゆっくり、時間を作って話したいな。今度は、一緒にコーヒー、飲もうね。あ、私は紅茶のほうがいいかな」


 「だって、自由に使えるお金なんか無いだろ、私たちには・・・。いつになるか、わからないぞ、そういうお茶会は・・・」


 JRの改札と地下鉄の入口が間近に迫ってきていた。


 「お金が無ければ、つくればいいのよ」


 ウインクして悪戯っぽく笑うと、晴香は、地下鉄の入口に向かって駆け出していった。


 (つくるって、どういうことなんだ? それに、あの子、家が多摩だって言ってなかったか? なんで地下鉄に乗るんだ? 一体、何なんだ、あの子は?)

 

 狐につままれたような釈然としない気持ちのまま、私は千駄ヶ谷駅の改札に向かって、横断歩道を歩き出した。

女子校の実態、幻滅されましたか?(笑)

やはり、異性の目が無いと手抜きをするんです、女の子も。

でも、いざ出るところに出れば、見事にシャンとできる。それが女の子のしたたかさでも、あるいは、しなやかさでもあります!


夏休み中で落ち着いて時間が確保できるせいか、少し長めの話が続いており、恐縮しております。

読者の皆様、お手数をお掛けして、誠に申し訳ございませんが、引き続きご評価を何卒よろしくお願い申し上げます!

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