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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第三章 私の居場所
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無色の世界

 教室の一番後ろの席、というのは、全体を俯瞰するうえで最適な場所だ。


 学生時代には決して背が高い方ではなかった私は、教室では、いつも真ん中より前側の席が多く、一番後ろの席を割り当てられるのは初めての経験だった。


 このクラスの担任教師は英語の教師なので、私の紹介を含め、ホームルーム的な連絡事項の伝達が終わると、英語の授業が始まった。


 いま、私は、教科書、ノート、電子辞書、通信端末、の、通称「4点セット」を机に置いて授業を受けているが、私の学生時代の授業風景と最も大きく変わったのが、この電子辞書と通信端末、そして電子黒板の登場だ。


 とくに通信端末は、使い方を教えられてみると、非常に便利なものだとわかった。小型の携帯端末と各机に備え付けられている中型の「デスク端末」の2種類がある。


 教師や学校事務局との連絡用にのみ利用でき、生徒間では通信できない設定になっているが、授業中に教師に向かって、「今のところ、もう一度、繰り返し説明してください」といったリクエストを行えるし、授業中あるいは授業後に「説明のここがわかりませんでした。教えてください」といったメールを送ることができる。


 自分の質問で授業の進行を止めてしまうのを恐れる生徒たちにとっては、まさに「福音」ともいうべきツールであるし、さらには「腹が痛いので、トイレに行きたい」という、ちょっと恥ずかしい申告も、恥を忍んで口頭でおこなうよりは、格段にハードルが低くなる。

 

 学校側から生徒への呼び出しなども、この端末で行われるようだ。生徒がどこにいようとも、確実に呼び出しを伝達できるので、校内放送という「公器」を利用して、特定の個人を呼びだす、といった対応が不要となるうえ、「放送が聞こえませんでした」という言い逃れもできなくなる仕組みだ。


 緊急地震速報、校内侵入者などに関する注意喚起情報なども、各自の通信端末にアラーム機能付きで送信されるそうだ。


 宿題も携帯端末から学校のサーバに送信しなければいけないそうだ。各自が自宅のパソコンで課題を解いて、その結果を、一旦、携帯端末に送信してから、さらに学校の端末に送る仕組みだ。携帯端末と学校のサーバの両方にセキュリティ機能があるので、外部からの侵入やウイルス感染が防がれる、ということらしい。


 昔のように「宿題を忘れてきて、学校で休み時間に友達に写させてもらう」といった対応は難しくなっている。送信時間が登校後になっている生徒は、それとなく学校からマークされて、指導が厳しくなるらしい。


 成績上位者、催し物、購買部や食堂からのお知らせ、など、かつては廊下の掲示板に出ていた掲示物も、今は、イントラネットの校内ホームページに掲載されている。

 クラスごとのホームページも設けられていて、かなり力が入っている様子が窺われた。おそらく、担任教師の間で、密かにクラスページの出来栄えを競争しているに違いない。


 教室内でも、もはや教師はチョークを全く使用していない。あらかじめ準備してきた講義資料を電子黒板に投影し、パソコンの画面上で書き込みを行って見せたり、参考資料として動画なども投影している。


 黒板に字を書いている時間が節約できるので、教師は口頭説明により多くの時間を割けるし、電子黒板の投影内容は、授業中に生徒たちのデスク端末にリアルタイムで送信されるので、「黒板が見えません!」といったクレームの出る余地も、生徒たちが必死になって「板書」する必要性も、それぞれ殆ど解消されている。


 授業で投影した内容は、校内ホームページにも掲載されるので、休んだ生徒たちにとっても安心であるし、おそらく、学校側にとっても、それぞれの教師の授業内容を把握・管理できるので、便利なのだろう。


 学校の施設が充実し、「いつでも、どこでも、誰にでも、確実に情報を届ける」というユビキタスの理念が、一般社会に先駆けて実現されていることには、率直に驚かされた。


 学校、とくに私立学校は、少子化の影響で競争がかなり激しくなっており、施設を充実しないと生き残れないのだろう。

 私立学校の経営の厳しさは、役所の「垣根」を越えて、教育省から経済財政産業省うちのやくしょにも伝わってきており、私立学校同士での合併や、アジア富裕層の留学生の受け入れが増えている、と聴いたことがある。ただ、私立学校は宗教色が強いケースが多く、それがネックとなって、合併が急激には進みにくいようだ。


 中国語を第二外国語として必修科目に入れている学校も珍しくないらしい。中国本土メインランド・チャイナ、香港地域、台湾地域、シンガポール、マレーシアなど、いわゆる「大中華圏グレーター・チャイナ」が成長し、富裕層が増えている中では、彼らを「上得意」としてモノやサービスを売っていかなければ、もはや、この国は立ち行かない。


 少子化、高齢化で縮小した日本の国内市場も、アジアからの訪日観光客の旺盛な消費需要によって、なんとか大幅な規模縮小を免れている状態だ。

 ちなみに、理紗の母親である侑子も、大学時代に習った中国語を活かして、パートで中国人観光客のツアーガイドに従事している。急激に増える中国人観光客に対して、通訳やガイドがまだまだ大幅に不足しているのだ。

 

 ただ、学校の施設やサービスが格段に充実する中で、一方、少し気になった点もいくつか見受けられた。 


 今日、校長室からこの教室まで廊下を歩いているときに気付いたのだが、とにかく校内の至る所に監視カメラが設置されているのだ。廊下、階段、教室、校庭、屋上、とにかく、どこにでも監視カメラが設置されている。


 生徒間のトラブル防止だけでなく、不審者の侵入防止も兼ねているようだが、政府関係者だった私の「勘」では、最近増えている薬物などの不法取引を監視する役割も持たせているのだろう、と思われた。

 こういうスキャンダルは、「学校ブランド」にとって致命的なものになる。とくに、米国からの帰国子女や留学帰りの生徒たちが増えてきている中では、薬物に対する厳戒態勢は、やむをえないのかもしれない。


 また、男性教師と女子生徒との間の「不適切な関係」若しくは「セクシャル・ハラスメント」を抑止する効果も持たせているのだろう。この種のスキャンダルもまた、学校ブランドの価値を著しく毀損する。


 こうした監視カメラは、肖像権などプライバシーが問題となるケースが多いが、私立学校なので、親もこうした安全第一の管理体制を事前に十分に理解、あるいは積極的に容認したうえで、子供を送り込んできているのだろう。


 施錠された施設の扉の開閉も、生徒たちの携帯端末に内蔵されたICカードで行えるようになっているが、もちろん、誰がいつ開閉したのか、記録がきちんと残るようになっている。


 教師から説明されたところによると、体育の時間の着替えは、カメラの設置されていない更衣室で行うらしいが、その前後の時間を含めて、教室が無人となるため、最終退出した生徒が施錠するルールになっているらしい。

 つまり、「無人の教室で何か物がなくなった!」という「伝統的」な騒ぎが起こった時には、監視カメラの映像と施錠・開錠記録を照合すれば、たちどころに原因が判明する、というわけだ。


 このように通信端末は、各種施設の入退室管理記録装置も兼ねている。生徒たちは、登校時に校舎入口に設けられた、駅の改札口のようなフラッパーゲートに携帯端末をかざして校舎内に入り、この時点で出欠・遅刻状況が把握される。


 教室では、授業開始と同時に、それぞれの机に設置されているデスク端末を立ち上げるルールになっているので、授業ごとの出欠・遅刻状況もリアルタイムで担当教師に伝わる。音楽室、美術室など、自分たちの教室以外では、入口にあるフラッパーゲートを通る際に、各自が携帯端末をかざすことによって入室管理を行っている。

 

 体育の際には、グラウンド入口の読み取り装置に各自が携帯端末をかざしたあと、教師が全員分の端末を回収・保管して、授業後に再び返却することになっているとの話だった。


 教室では、授業開始と同時に、教師が扉を施錠するので、遅刻者は携帯端末のメールで教師に申告して開錠してもらわないと入室できないし、授業中に勝手に教室から出ていくこともできない。

 校舎入口のフラッパーゲートも施錠されているので、教師からの個別許可が中央管制室に送信されない限り、生徒は校舎の外に勝手に出られない。もし、ゲートの下を潜り抜けたり、上を飛び越えたりすれば、すぐさま、けたたましいアラームが鳴り響く仕掛けになっているとのことだった。


 アラーム覚悟で、校門の守衛所や校舎入口のフラッパーゲートを「強行突破」した不審者も、授業中の教室は施錠されているため、教室内にまでは容易には侵入できない。


 さらに、携帯端末のGPS機能によって、生徒たちの現時点の所在地や移動経路なども学校側に把握されている。


 極端な話をすれば、私が、休み時間にトイレに行って、何分間、個室で座っていたのか、そして、そのとき、同じトイレ内に何人の生徒が在室していたのか、といった極めてプライベートな情報まで、学校側に把握されているわけだ。さすがにトイレ内には監視カメラは設置されていないようだったが。

 

 学校側から見れば、極めて安全・確実な管理システムであるうえ、外部からの不審者侵入や校内での生徒間トラブルに対しても、二重三重の防護策が講じられているわけで、親から見れば、このうえなく極めて安心なのだろう。


 ただ、さすがに「監視カメラ」という名称はあまりに不穏当だと考えられたらしく、学校側は「安全カメラ」という名称をつけているらしい。


 英語の授業中に、こんな学校運営に関する話をぼんやりと考えていられるのは、実は、授業内容が信じられないほど簡単だからだ。


 東京オリンピックをターゲットにして、経済財政産業省うちのやくしょが進めていた国家プロジェクト「自動翻訳システムの開発・実装」の結果、日本国内と世界各地の大都市で、かつ、言語も日英間と日中間であれば、極めて高い精度で瞬時に翻訳できるようになっている。


 会話の場合、携帯やスマホを媒介にして相手と話すと、その音声がクラウド環境に飛ばされてAI(人工知能)を使って瞬時に翻訳される。データ化されている書類は、社内の翻訳システムを立ち上げて翻訳させ、紙媒体の場合には、眼鏡型のウエラブル端末で瞬時に翻訳させることになる。


 当初は誤訳も少なくなかったが、AIは使われれば使われるほど、言葉の用例をたくさん覚えるようになるので、最近では翻訳精度は非常に上がっている。米国で行われている多言語翻訳システムの実証実験では、英語・スペイン語間の自動翻訳の誤訳率は、2015年時点で既に5%以下だったが、現在はほぼ0%近傍まで低下している。遅れて実験に参画した日本語の誤訳率は既に1%程度まで低下している。


 自動翻訳システムを使えば、もはや「言葉の壁」は存在しないのだ。自分の官僚時代にも、国際会議への参加が非常に楽になり、大いに助かっていた。人間の通訳を雇う費用と比べて、自動翻訳システムの利用料は著しく安いため、今はどの組織でもこのシステムが普及している。


 そうした中で、学校の英語教育も大きく変容しているらしい。単語や文法など基礎知識の部分を「翻訳システムの使えない地域に行ったときに困らない程度」に教えるようになり、会話などの応用部分の授業も簡単な日常会話程度までざっくり削減されてしまっているらしい。


 初めて触れる「最近の学校のシステム」について一通り考え尽くすと、今度は、激しく眠くなってきた。


 (まあ、高校の授業内容は、ほとんどが私にとって「再放送」だからなぁ・・・・)


 テレビでも、よほど強い興味が無い限り、「再放送」はつまらないものだ。しかも、私の場合、「つまらないから」という理由で、チャンネルを替えたり、テレビを消したりできない以上、授業は、なかなかに辛い「修行の場」として作用することになる。


 そのうえ、今朝は、普段の登校時刻より1時間も早く叩き起こされて登校しなければならなかっただけでなく、朝から、いろいろな「イベント」が文字通り「てんこ盛り」だったのだ。少女の「身体」であれば、疲れて当たり前である。


 (・・・さすがに登校初日から居睡りはまずかろう・・・)


 とにかく意識を覚醒させておくため、電子黒板を見る振りをして、教室内を観察することにした。


 (・・・ああ、そうか・・・これが原因だったのか・・・やっと、わかった・・・)


 学校に入った瞬間から、なんとなく違和感を感じており、それが一体、何に起因するのか、よくわからないまま、どんどんと周囲で「イベント」が起きていたのだが、こうして独りで考える時間が与えられて、ようやく、違和感の正体がわかった。


 この学校には、「色」が無い。


 正確に言うと、「色」はあるのだが、私の居た「社会」あるいは「職場」と比較すると、圧倒的に「色彩の種類」が不足している。


 私の職場は役所だったから、もともと室内の装飾など殆ど排されていて、学校と殆ど大差ない状態だが、最も大きな違いは、女性の服装なのだ。


 私が就職した頃は、民間企業の内勤部署では「制服」が廃止される過渡期にあった。中央官庁では、もともと制服が規定されていなかったため、役所内にいると、あまり変化を感じなかったが、外部の会合に参加したり、講師を依頼されたりすると、確実に「色彩」の増加を実感させられた。


 しかし、学校では、当たり前のことだが、制服着用が義務づけられており、しかも、生徒たちは、学校ブランドのステイタスゆえに、そうした制服をむしろ誇りに思っているようだ。


 しかし、私からみると、教師を除いて、この場にいる生徒全員が、まるで中世フランスのカトリック修道士か、はたまた、戒律の厳しい現代の一部イスラム社会の女性のように、一人残らず同じ服装であること自体に、違和感が感じられた。


 制服を否定するわけでは毛頭ないのだが、かつての「生徒の識別・管理」を主な目的とする制服なのであれば、通信端末によって、とっくに役割を代替されているはずだろう。


 まあ、校外では、通信端末は全く用をなさないので、依然として制服が「生徒の識別」に必要なのだろうし、生徒たちに「学校ブランド」を自覚させ、それをおとしめるような行動を自制させる、という効果はあるのだろう。

 

 この学校の制服は、紺のブレザーと、青とグレーのチェックのスカートなので、さらに色彩が少ない。もっとも、中学まで理紗が通っていた学校の、紺ずくめのセーラー服よりは、まだ見栄えはするが。


 見栄えという点では、私自身としては、セーラー服よりブレザーで本当に良かった、と感じている。別に私が「ブレザーマニア」というわけではなく、要するに、理紗は背が比較的高いので、セーラー服だと、電車の中などで妙に目立ち過ぎるのだ。


 今日は、初登校ということもあって、異例の措置により、両親とタクシーで登校したが、帰りは独りで電車に乗らなければならない。「少女入門者」としては、電車の中で男性の無遠慮な視線に晒されるのは、ちょっと嫌な気分がしていた。 


 (女の子って、みんな、こんな思いを、大なり小なり、抱えて生きているんだろうなぁ・・・)


 女性になり、「人から見られる立場」になってみて、初めてわかった感覚だ。


 そして、同年輩の異性から見られるだけでなく、同年輩の同性からの視線も感じる。瞬間的に「値踏み」されているような視線だ。


 男性からの視線は、さすがに周囲を気に掛けているせいか、同一人から何度も見られることは少ないし、見ている時間も短時間だ。


 しかし、女性からの視線は、何度も、かつ、かなりの時間、執拗に凝視されることがある。あれは、おそらく、自分と私を細部まで比較している、そういう「値踏み」の視線だと思う。


 男性でも、同性の他人と自分を比較することはあるが、こうまで明瞭な比較は行わない。所詮、「他人は他人。自分は自分。自分は他人になれないし、他人も自分になれない。だから、必要以上に気にしても仕方ない」という、一種の諦念にも似た感情が、心の底流にあるのだろう。

 その代わり、男性は、仕事やスポーツなど、外見以外の部分で競合する相手には、激しいライバル意識を燃やすように思う。


 女性の場合には、もちろん仕事やスポーツなどで競合する相手にはライバル意識を持つのだろうが、そのほかに、外見に対するライバル意識は、男性よりも遥かに強いのではないか、と感じることがある。


 病院や自宅周辺など、これまでごく限られた場所でしか過ごした経験がない私にとっても、自分の身体にねっとりまとわりついて、身体の隅々まで値踏みされるような、そんな同性の視線を何度も感じたことがある。


 今日も、自己紹介の際、そして、自分に割り当てられた席に向かう際にも、それと同じような視線を強く感じた。

 

 女性になりたてなので、やや自意識過剰なのかもしれない。あるいは、そうではないのかもしれない。それは、今の私には判断のしようが無かった。


 (まあ、そのうち慣れる、か・・・いちいち神経を逆立てていたら、身体が持たないしな・・・)


 やや憂鬱な気持ちになり掛けていたとき、教師がパソコン画面に向かった隙を狙って、前の方の席の生徒が、2、3人、ほぼ同時に私の方を振り返った。満を持して、という感じだった。


 (ああ、「異邦人」だから、物珍しいんだろうな・・・当面は、パンダ扱いだな・・・いや、「パンダ」とか、喩えがちょっと年齢不相応に古いか・・・今は何て表現するのかな・・・・それに、パンダほど、可愛いものじゃないしな・・・)


 気がつくと、教室内のかなりの生徒が、私をちらちらと観察しているのがわかった。さすがに凝視する者はいないが、やはり気になるのだろう。


 そうした中でも、一切、私を見ないばかりか、私の存在さえ全く見えていないような態度を取り続けている者が、ひとりだけ、いた。


 隣席の、あの子だった。


 (やれやれ、余程、嫌われてしまったらしい・・・ま、こういうこともあるわな・・・別に、全員と仲良くしなきゃいけないわけでもないし、とにかく成績さえ確保していれば、ここでは誰も文句を言わないんだろうし、それ以前に、「中の人」が男性だと看破されないためにも、ここでの人付き合いは、できるだけ避けておいたほうが無難だしな・・・・)


 明らかに意図的に私から顔を背けている、彼女の端正な横顔を盗み見ながら、私は、誰にも聞こえないように、小さく溜息をついた。

 10年後の学校は、今よりも、もっとハードウエア先行の態勢になっているだろうと言われています。それは便利な反面、いろいろと管理も厳しくなるという反射効果も持つわけで、私は、ちょっとだけ心配しています。


 女性からの視線については、女性の方は誰でも似たような経験があると思います。女性って、なんだかんだと言って、プライドの高い生き物なんでしょうね。


 最近、ご評価を頂く機会が増えてまいりました。非常にありがたく、心から嬉しく、さらに前進する気力を頂いております! 


 読者の皆様、引き続きご評価を何卒よろしくお願い申し上げます!

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