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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第二章 「英霊」の帰還
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我への涙

 俺の意識が戻ったのは、夕食の少し前だった。


 (・・・・ここは、どこだ?・・・・ああ、自分の部屋か・・・朝か・・・・)


 朦朧とした頭のまま起き上がってベッドに腰掛けたが、身体がふわふわと浮いているような覚束なさを感じた。カーテンの外はまだ明るく、その色合いから、今は朝ではなく夕方なのだ、とわかるまで、しばらくの時間が必要だった。


 (・・・・何ゆえ、ここで寝ている?・・・・昼寝でもしてたのか・・・・)


 頭の芯が鈍く痛んでいる。脚に力を入れてベッドから立ち上がろうとすると、腰がギリリと痛んだ。その少し激しい痛みで、頭の中に掛っていた霞がようやく晴れてきた。


 (・・・・俺は、昼食の時、テレビを見ていた・・・・そして・・・・自分の追悼集会のニュースを見たところまでは覚えている・・・・)


 動き始めた頭の中で、思い出したくない場面が鮮明に蘇ってくる。祭壇の写真、菊の花、妻の涙。俺は反射的に頭を両手で抱えて、ベッドにうずくまった。


 (・・・・俺の身体は既に滅していた・・・・もはや、俺の魂の帰るべき場所は無い・・・・一体、これから、どうしたらいいんだ?・・・・この姿でずっと生きていかねばならないのか・・・・・そんなことが果たしてできるのか?・・・・家族をずっと騙し続けて・・・・)


 そこまで考えると、いろいろな感情が一気に奔流となって噴き出してきた。恐怖、不安、嘆き、怒り、絶望感、孤独感、焦燥感・・・ありとあらゆる負の感情が融け合った、真っ黒な感情が、これでもか、と無限に湧き出てくるように感じた。


 俺は、じっとしていることも耐えられなくなり、がばっと起き上がると、目についた枕を、渾身の力を込めて部屋の壁に向かって投げつけた。


 (どうして、俺なんだ? 俺が何をしたって言うんだ? 俺は殺されるようなことは、なにひとつしていないんだぞ! それなのに、何故、殺した? 俺の人生を返せ!)


 許されるものであれば、断末魔の叫び声を上げながら、身体を壁に打ちつけて、壁もろとも、この身体も壊してしまいたかったが、僅かに残っていた理性が、そんな愚行を止めさせた。


 頭の一隅では、わかっていた。こんな行動をしても、何の解決にもならず、単なる衝動の解放に過ぎない、ということを。それでも、じっと耐えていられるほど、俺は「できた人間」ではなかった。


 平穏な自分の人生に突然降りかかった、こんな理不尽な出来事を、どうにも許せなかった。


 血圧が上がって頭の芯の痛みがますます激しくなってくるのを、はっきりと感じながら、俺は歯を強く噛み締め、奥歯をぎりぎりと鳴らした。


 あまり大きな音を立てるのはまずい、という理性に枷をめられながらも、俺は行き場の無い感情を持て余し続け、遂に感情が理性を一瞬だけ制したとき、ベッドを、力一杯、殴りつけた。


 ドーン、という予想より大きな音が響いて、ベッドの上のぬいぐるみの猫が跳ね上がった。


 自分の立てた音の大きさに自分で怯んで、少しだけ感情のボルテージが下がると同時に、ぬいぐるみに目がとまり、俺は動きを止めた。


 (理紗は、理紗はどうなったんだ? 俺の身体が滅したということは、その中に宿っていたはずの理紗の魂は・・・・)


 俺は自分の不運ばかりを嘆いて、ただ感情を暴発させていたが、取り敢えず、俺の魂は、まだこうして生きている。


 しかし、理紗の魂は、おそらく俺の身体とともに消えてしまった、と考えるのが合理的だろう。


 俺は、徹底した無神論者だ。一方で、信仰を持つ人を否定するつもりもない。個人の心の内面の問題は、その本人が責任を持って維持・管理すべきであり、その方法を、他人がどうこう言う権利も必要も無い。

 また、昔から敬われてきた神仏に対しては、それを作った先人に敬意を表して、尊重したいと思っている。頑なに排斥したりするつもりはない。

 「超自然的な力」を人為的に仮定することにより、それへの「おそれ」という形で、「現時点における人間の能力の限界」を客観的に規定できるようになることは、「人間の傲慢」を律するうえで、非常に有効だろうと考えているからだ。


 ただ、しかし、少なくとも、自分については、地獄も天国も、前世も来世も転生も、全く信じていない。


 肉体の消滅は、魂の消滅に等しいはずなのだ。

 

 今回、俺の身に起こった「魂の入れ替わり」も、決して「超自然的な力」によるものではなく、必ず何らかの「メカニズム」が存在するはずだ。それは、生物学のカテゴリーに属するのか、物理学の範疇に属するのか、はたまた心理学が紐解くべきテーマなのか、まったく予想もつかない。


 当然、「凡夫」である俺には、皆目、見当がつかないが、それでも、もう一方の「当事者」である理紗とコンタクトを取れば、何か解決の糸口が見つかるかもしれないと思っていた。


 また、すぐに解決方法が見つからなくとも、当事者ふたりが存命であれば、いずれどうにかなる可能性はゼロでは無かった。


 しかし、当事者の片割れである理紗が消えてしまった以上、もはや解決の道は完全に閉ざされた、と考えるべきだろう。


 ここまで考えた時、俺はまた感情が噴き上げそうになったが、理紗の「形見」のぬいぐるみを抱いて頭を撫でているうちに、涙が零れてきた。


 (俺は、こういう形で人生を中断されることになったが、それでも42年間、確かに生きた。見るべきものは、既に見尽くした、という気もしている・・・・しかし、この子は、たかだか15年ちょっとで、人生を終えねばならなかった。やりたいこと、見たいもの、いろいろとあっただろう・・・・無念さ、という意味では、俺よりもこの子の方が、確実に思いは深かったはずだ・・・)


 俺は、自分よりも悲劇性の強い人間を思い出すことで、「自分はまだマシなのだ」と思い込もうしているのかもしれない。そういう行為は、自分の身の不運ばかりを嘆いて暴れる姿勢よりも、遥かにエゴイスティックなのかもしれない。 


 しかし、俺はもともと人格者なんかではない。自分の感情の赴くままに行動して、挙げ句に左遷されたほどの「我の強い」人間だ。自分を救うために、心の中で「防衛機制」を発動させることに、何の抵抗感も無い。


 そもそも、他人にダメージを与えない限りであれば、脳内でのエゴイスティックな思考に、一体、何の問題があるというのか? それを咎めることのできる人間が、一体、何人いるというのだ? 「汝らの中で、罪無きもの、まず石を持て」という聖書の言葉は、人間の真実を適確に言い当てている。


 少女の身に起こった不運に憐憫の情を抱きつつ、このように冷静に自分の思考を見ているのが、俺自身の「魂」なのだ。それは、どうも変えようがない。


 俺は、理紗の「身体」のまま、この「魂」を抱えて、これから長いか短いかわからない人生を、どうにかして、生きねばならない。


 (・・・・生きる、か・・・・)


 こんな絶望的な事態に直面してさえ、気がつけば、俺は、生きようと必死に足掻いている。


 (動物の生存本能って奴は、ほんとにたいしたものだ)


 俺は自虐的に微笑むと、ベッドの脇から立ち上がって、壁際に落ちている枕を取りに行った。


 幸い、俺が、力一杯、ベッドを殴った程度では振動が伝わらないほど、この家は頑丈にできているらしい。両親が部屋に入ってくるという懸念は、とりあえずは回避されたようだった。


 ただ、事態を整理して、今後の身の処し方を熟慮するためには、今は「家族」が介入してくるのを避けたかった。

 誰かに相談できる筋合いの話でない以上、自分で情報を集め、自分で考え、自分で決断し、自分で行動し、その結果責任を自分で負うしかない、


 一瞬、なんとか妻にコンタクトを取って、「魂だけでも生存している」という事実を伝えようか、という考えも浮かんだが、彼女はそんな荒唐無稽な話を信じる人ではないし、たたでさえ、現在はマスメディアで事件のことが報道されて、いろいろな人間がコンタクトを取ってきているはずだ。


 妻の性格から考えて、現在は「極度の警戒態勢」にあるはずであり、そんなときに下手にコンタクトを取ろうとすれば、確実に不審者扱いされ、実際に会いに行けば、ただちに警察に突き出されるだろう。


 そもそも、妻は、「俺」の没後、規則に則り、官舎から既に退去させられていると考えるべきであり、だから電話が通じなかったのだろう。妻の居所すら、俺は把握していないのだ。


 職場に電話をかけて転居先を尋ねようとしても、こういった事件から日が浅い中、職場も報復テロなどを厳戒しているだろうから、通話記録を警察に提出されて、これもまた「理紗」が拘束されることになる。


 そして、それは「理紗」の家族にも、確実に「異常者の身内」というレッテルが貼られることにつながり、俺だけでなく、家族全員が不幸になる。


 (妻にコンタクトを取ることは、しばらくの間、控えたほうが安全だ。職場に電話かけなくて、ほんと良かったよ。とにかく、今は、まず、自分の置かれている状況を正確に把握しなければならないな。迂闊に動くと、取り返しのつかないことになりかねない・・・・)


 俺は、枕を拾うついでに部屋の鍵をロックし、枕をベッドに戻すと、机に向かい、パソコンの電源を入れて、椅子に腰かけた。


 パソコンが立ち上がるまでの約2分間が非常に長く感じられた。


 起動したパソコンで、俺は、まずは2か月前に何が起こったのか、調べてみることにした。

 

 「経済財政産業省」、「平澤洋一」という2つのキーワードで検索するだけで、辟易するほど多くの新聞社や通信社の記事がヒットした。


 取り敢えず、大手新聞社の記事から読み始めたが、やはり、自分が害された記事を読むのは、平静な気持ちではいられないようだ。事件当日の記事に目を通していると、だんだんと腹が痛くなってきた。


 (もともと、俺は、メンタルダメージがすぐ胃腸に来るからなぁ・・・それは、理紗このこの身体でも同じだ見える・・・・)


 腰の鈍痛も依然として続いたままだ。


 (失神して椅子から転げ落ちた際に、おそらく腰を強打したようだな。骨にひびとか入っていなければいいが・・・・また病院に逆戻りはご免だからな。ただでさえ、2か月間の入院で、同級生と比べて、俺の勉強は相当遅れているはずだ・・・・高校生の数学なんて、もう忘れてるから、これからキャッチアップするのが大変だろうな・・・・)


 現実を受け入れるのは容易ではないが、取り敢えず、現実を受け入れた「フリ」をしながらでも、前に進んでいかないと、事態がもっと悪くなる。


 俺は、「目先の課題」に精力的に取り組むことで、「現実」に深入りするのを避けたかったのかもしれない。

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