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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第二章 「英霊」の帰還
14/58

ソクパース

 翌朝、俺は、柔らかく良い香りのするベッドの中で目が覚めた。


 「少女」ともなると、ベッドの香りにも気を使うらしい。


 俺が自宅で使っていたベッドは、とにかく「仕事から帰宅して数時間寝られれば良い」という機能性だけを考慮したものだったので、香りには全く無頓着であり、夏なら週2回、冬なら週1回、それぞれシーツを洗濯する、という程度のメンテナンスを行っていた。

 結婚当初の妻との「協定アコード」により、自分の衣類などのメンテナンスは各自がそれぞれ自分で行う、という取り決めになっていたので、妻が俺のシーツ類を洗うことは無かった。そのほうが、俺にとっても、気が楽だった。


 そんな思い出を手繰り寄せつつ、時計のタイマーを解除すると、俺はベッドから這い出て、いつもの習慣で、ベッドの外枠に背中をもたれかけさせたまま、しばらく体育座りをしていた。


 俺は低血圧なので、朝は「活動可能領域」までパワーが上昇するまで、相応に時間を要する。二日酔いの場合には、通常時の3倍の時間を要し、そのまま放置しておくと再び意識を失い、普通に遅刻する。


 ただ、病院では決まった時間に起きる必要がなかったので、「タイマーをセットして定刻に起きる」という生活は、久しぶりだった。


 久しぶりに、あの脳内に霞がかかったような不快な時間を過ごすのか、と思ったが、案に相違して、今朝は、妙に爽快にすっきりと目が覚め、身体が異様に軽かった。

 

 最初は、ベッドが病院に比べて良くなったのが原因か、あるいは、病院でたっぷりと睡眠時間を確保して、食欲が倍増するくらい体調が非常に良いことが原因なのか、と思ったが、しばらくして、理由がわかった。


 低血圧だったのは「俺」であり、理紗は低血圧では無かったのだろう。そのうえ、理紗の身体年齢は若いのだ。従って、理紗の身体にいるうちは、俺は毎朝爽快に目覚めることが可能なのだ。


 (・・・・まあ、悪いことばかりじゃない、ってことか・・・・それにしても、若いっていうのは、素晴らしいことだね)


 身体が軽いと、いろいろと前向きな意欲も湧いてくる。取り敢えず、これから数分後の食卓で起こるであろう、妹とのバトルを乗り切るだけの気力は、なんとか充電できた気がする。


 階下に降りて、浴室の隣の洗面所で顔を洗い、そのままダイニングに顔を出してみると、両親が非常に難しい顔で向かい合ってテーブルについていた。俺が顔を覗かせた瞬間に、母親は露骨に慌てて作り笑顔を浮かべてみせたが、父親はそういう臨機応変な対処が苦手らしく、腕組みをしたまま、目を瞑ってしまった。


 (まあ、妹のことに間違いないな、これは)


 母親が父親の対応を見て困ったような表情に変わると、父親は決断したように目を開いた。


 「やはり、私が話してきたほうが良いんじゃないか?」


 「でも、それは・・・・」


 「少し距離がある人間が話をしたほうが、案外、冷静に話を聴ける、というケースも少なくない」


 言葉の内容はそれなりに覚悟がこもっているが、父親の表情にはあまり気乗りしない様子がありありと浮かんでいた。


 「・・・・やはり、私がきちんと話します。あの子の母親ですから」


 父親の真意を測ったかのように、母親は表情を引き締めると、テーブルから立って、2階へと向かっていった。


 残された父親は、明らかに安堵した表情をみせたが、それを俺に見られていることに気付いて、バツが悪そうに視線を逸らした。


 母親が妹の部屋に向かってから、意外と短い時間で、事態は取り敢えずの解決を迎えた。母親は妹を伴ってダイニングに戻ってくると、父親の隣の椅子に妹を掛けさせた。父親の正面は母親、母親の隣は俺、という構図なので、俺は妹と向かい合って座ることになった。


 (おおかた、「朝食に同席しないと、今後、妹の食事を作らない」とでも脅したな)


 妹は、ダイニングに入ってくるときには仏頂面だったが、俺の正面の椅子に腰かけると、一切の表情を消した。俺に自分の感情の動きを見られるのも嫌、ということなのだろう。


 朝食は、俺が自宅で食べていたものより、格段に美味かった。成長期の子供がいると、主婦はそれなりに頑張って食事を作るらしい。


 (うちにも子供がいたら、もっと朝飯が美味かったかもしれないな)


 妻は結婚前に若くして子宮筋腫を患い、妊娠できない状態だった。それを承知の上で、俺は妻と結婚した。俺にとって、結婚とは、妻に子を産ませるための「手段」ではなく、同じ時間を同じ空間でともに生きるための「選択」なのだ。そして、それを、俺は今でも後悔していない。


 世間では少子化対策が騒がれており、まるで子を持たない夫婦が魔女狩りのように指弾されているが、世の中には、子が欲しくても思うようにならない人々が確実にいるのだ。

 テレビ番組でコメンテーターが「子供を産まないのは、自分たちの時間を楽しみたい、という自分勝手な行動の結果」などと訳知り顔で語っているのを聴くとき、俺は、妻の心中を察すると居たたまれなかった。


 それなのに、今朝の朝食を頂いたとき、こんな勝手な思いを感じてしまった。そんな自分を恥じて、俺は押し黙って食事を続けた。


 両親、とくに母親は、なんとかして、この塩素のような空気を変えたいと思い、いろいろとニュースの話題などを俺に振ってきた。俺もそれなりに反応して見せるものの、やはり気乗りしなかった。当然、妹は、視線も上げず、一言も発さず、そそくそと食事を終えると、自室に引き上げていった。


 (やれやれ、やっと「鉛の時間」が終わったか。こんなのが、毎朝続くのは耐えられんなぁ・・・・)


 厳しい視線で妹の背中を見送る母親を、横目で見つつ、俺は、とりあえず解放感を感じた。ふと、父親を見ると、おそらく俺と同様に、少し気が抜けた顔を見せていた。


 (年頃の娘に小言を言うのは、結構、ハードルが高いからなぁ。そもそもオヤジというだけで、既にかなり嫌われかけているわけだし・・・どうしても腫れ物に触るような態度になってしまうのも、やむをえないか・・・・女性3人の中で男性1人、という家族構成も、ちょっと大変かもしれないな・・・それにしても、もうちょっと強く言ってやっても良いんじゃないのか。これでは、アイツに舐められっ放しで、父親の立場などいずれ全損するぞ)


 俺は少しだけ父親の立場に同情したが、それでも、父親に対するフラストレーションがまた少し溜まったような気がした。


 階段を上る妹の足音が完全に聞こえなくなったとき、テレビのニュース番組がミャンマー特集を放映し始めた。


 ミャンマーは、3年前に憲法改正を行い、国軍の過去の行為に対する免責と引き換えに、国軍から民選政治家への権限移譲が進み、昨年の選挙で史上初の女性大統領が誕生していた。国軍出身の副大統領とのコンビで、安定感のある政策を進めてきた結果、経済成長が加速し始めており、今や世界屈指の成長セクターに変貌しつつある。


 「南関東州公務員退職年金基金、いわゆるソクパースは、ヤンゴン市内の上下水道の整備・運営から料金徴収までを請け負うヤンゴン・ウォーター・プロジェクトへの出資を決め、近くヤンゴンで調印式が行われる予定です。このプロジェクトには、日本の商社も出資を検討しています」


 アナウンサーがニュースを読み上げた途端、母親が大きく反応し、テレビの画面を指差しながら、父親と俺の顔を見比べながら、声を上げた。


 「お父さん、ソクパースだって! アジアの途上国にまで投資してるのねー! 理紗、ソクパース、わかる? お父さんの会社よ!」


 父親は「ああ、いろいろ手掛けているからな、うちの組織は」とだけ言い、とくに表情を変えなかった。


 俺は、咄嗟のことで、どう反応したらよいか、一瞬、判断に詰まった。


 経済官僚だった俺が、「ソクパース」について知らないはずはない。むしろ、隅々まで熟知している。


 しかし、高校生の理紗がそんな「知る人ぞ知る」組織のことをどこまで知っていたか、極めて怪しいし、なによりも記憶喪失の女子高生がそんな組織のことを覚えているのは、どう考えても奇妙でしかない。


 「そくぱーす、って何? お父さんの経営している会社?」


 俺は、できるだけ不思議そうな表情を作り、母親に向かって首を傾げてみせた。


 「ああ、やっぱりそうよね。覚えてないわよねぇ・・・お父さん、理紗に説明してあげて! ほら、早く!」


 母親は、一瞬、「不憫な子」モードに入りかけたが、俺があくまで不思議そうな表情で見つめ続けているのを知ると、なんとか立ち直って、父親に説明を督促し始めた。


 「ああ、何から話せば良いかな。うん、南関東州公務員退職年金基金、The Southern Kantou Public Employees' Retirement System は、その頭文字を一つずつ取って、ソクパースという略称で呼ばれることが多い。

 道州制が5年前に導入された際、東京、神奈川、千葉、埼玉の4都県が統合され、南関東州が誕生した。それは覚えているよな?」


 俺は、そこで、コクン、と頷く。


 「日本最大の人口と州民総生産を持つ、この州は地方公務員の数も非常に多いい。その彼らの納めた年金掛け金を一手に運用するために設立されたのが、このソクパースだ。私は、このソクパースで働いている。退職して年金を受け取れる年齢に達した元・地方公務員の人たちに、年金を毎月、正確、確実に支給する給付部門にいる。よって、ソクパースは民間の会社でもないし、ましてや、私が経営しているわけでもない」


 俺は、そこで「ふうん」と呟き、また首を傾げてみせる。


 「でも、南関東の人たちは、人口も多いし、収入も多いから良いけれど、他の地域、とくに人口がすごく減っている地域の公務員の人たちは、困ってしまうんじゃないの?」


 娘からの思いもよらぬ質問に、父親は、一瞬、たじろいだが、なぜか、少し嬉々として語り始めた。娘が自分の職業について関心を示したのが嬉しかったものと見える。


 「ああ、当初は、政府も、地方公務員の年金掛け金、つまり、将来の年金の支払いのために、毎月お給料から天引きされて積み立て貯蓄に回されるお金のことだな。この掛け金を徴収したり、運用したりする組織、共済組合を地域ごとに統合する計画に強く反対していたのだ。お前が言うように、地域ごとの格差が強まる点を憂慮したからだ」


 「政府が反対したのに、なんで実現したの? 政府の方が、地方の役所、県庁や都庁や市役所なんかより強いんでしょ?」


 「7年前に衆議院と参議院の国会議員の定数是正が行われたんだ。つまり、定数っていうのは、住民の人口何人に対して、何人の国会議員の選出を認めるか、というものだ。かつては、1票の格差、と呼ばれる問題があって、都市部から選出される議員の数が、地方から選出される議員の数より、相対的に少なくなりがちだった。しかし、7年前の定数是正で、この格差が完全に解消され、都市部、とくに人口がまださほど激しく減っていない南関東、東海、近畿の3エリアの発言力が大幅に強まったわけだ」


 「あ、わかった! それで、道州制も実現したんだね。確か、南関東は道州制に積極的だったっていう話を聞いた記憶があるよ! でも、それがなんで年金の組織の問題までつながってくるの?」


 俺は、腕組みをして、「うーん」と唸ってみせた。


 「もともと公務員の年金は、都庁とか県庁、市役所といった、地方自治体ごとに設立された共済組合が、現役で働いている公務員の人たちから掛け金を徴収して、そのうち半分くらいを、政府の支配下に置かれている統合年金運用機構という組織に納入し、残りを共済組合が自分たちで運用することになっていた。そして、公務員が退職して年金を受け取れる年齢に達すると、統合年金運用機構から共済組合を経由して統合年金が支払われるし、共済組合自身も共済年金を独自に支払う、という2階建ての仕組みになっていたわけだ。しかし、裕福な3エリアは、この仕組みが不安になってきた。どうしてだと思う?」


 父親が珍しく俺に質問を投げかけてきた。頬も少しだけ紅潮しており、明らかにいつものテンションと違う。


 「うーん、なんでかな? わからないよ・・・」


 父親は満足そうに僅かに頬を緩めると、「うん」と小さく頷いた。


 「いや、わからなくて当然だ。難しい話だからな。種明かしをすると、こうだ。若い人たちの人口の減っている他の地域では、いずれ年金を高齢者に支払うときに、お金が足りなくなってくるだろう。お金を払い込む人よりも、お金をもらう人の方が多くなるわけだから、これはわかるな? 3エリアでは、まだ若い人の人口では余裕がある。そこで、誰でも簡単に思いつくのは、3エリアで納められた年金掛け金を、取り敢えず他の地域での年金の支払いに使ってしまおう、という誘惑だ。さらに、政府に対して必ずしも従順ではなく、いろいろ自立した主張をする自治体があったとき、政府が彼らへの年金支給面でいろいろな手段を使って締め上げて、無理やり言うことを聞かせる、というのも困るよな? そこで、自立心の強い3エリアが中心となって、地域別に共済組合を統合して、年金の徴収・運用を担当する新しい組織を作ること、そして、その組織が集めた年金掛け金を、新しい組織が自由に運用できる権利、を政府に求めたのだ」


 「なるほど! 自分たちのお金を、自分たちでちゃんと管理できるようになれば、ひと安心だね」


 俺は、父親の説明に大仰に頷いてみせる。


 (自分の良く知っている話を、知らない振りをしながら相槌を打ち続けるのって、結構、しんどいなぁ・・・俺には幇間たいこもちの素質はないな、まあ、当たり前か)


 「政府も、簡単にはあきらめなかった。でも、3地域に選挙区を持っている議員の圧力に屈して、とうとう5年前に道州制の導入や地域別の年金組織の設立に同意したのだ。ただ、政府も、したたかだった。これらと引き換えに、消費税を10%から20%へと引き上げるのを認めさせたのだ。その消費税を、今度は30%へと引き上げようとして、この間の大騒ぎが起こったわけだ・・・・」


 そこまで父親は一息で語ると、少し誇らしげに胸を張って、俺と母親の顔を見比べた。


 「ソクパースは、こうして設立された地域別の年金の徴収・運用組織、これを基金と言うのだが、この基金の中でも、最大の資金量を誇っている。さすがに大銀行と比べれば5分の1程度の資金量だが、我々は、銀行と違って、リスクを恐れず、果敢にいろいろな運用を行っていくから、世界でも大いに注目されている。そして、今や世界の金融市場のビックプレーヤーの一角に名を連ねている!」


 (リスクを恐れないからこそ、結構、投資で失敗してるんじゃないか。オッサン、子供には、正確に事実を伝えねばいかんよ。昨年だって、ブラジル国債への投資で、金利動向を読み誤って大損を出したじゃないか・・・・やれやれ・・・・)


 父親が自分の組織の自慢話を長々と続けるのに、俺はそろそろ辟易してきた。表情こそ、興味津津に目を輝かせているが、テーブルの下の足は、退屈そうにブラブラさせ始めている。


 誰でも、自分の属している組織は可愛いものだ。それは俺にもよくわかる。ただ、その自慢話を組織外の人間にするときには、言い方や「話の長さ」には注意すべきだろう。


 ちなみに、俺は、同じ役所の財政部門の職員たちが、旧財政省の自慢話を始めると、宴会から速やかに退散することにしている。産業政策部門の俺たちがいる前で、「我ら富士山、他は並びの山」とばかりに、優越感を示されると、酒を頭からぶっ掛けて頭を冷やさせてやりたくなるからだ。

 まあ、大人だから、そんなことは実際にはしないが、それでも確実に「虫の居所」が悪くなり、酒がまずくなるので、そんな場所からは一刻も早く離れたくなるわけだ。


 そろそろ俺も、このダイニングからおいとまして、自室に引き揚げたくなってきた。


 「お父さんの組織って、すごいんだね! 私、こういう家に生まれて、本当に良かったよ! さて、そろそろ私も部屋に戻るね。たくさんお話聴いたら、少し疲れちゃった」


 父親は非常に嬉しそうな、なんとも言えない満ち足りた表情をたたえたが、母親はさすがに「疲れた」という娘の言葉に敏感に反応して、「もう、病み上がりの娘に、調子に乗って難しい話をたくさん話して!」とでも言うように、小さく溜息をついた。


 ダイニングのドアをパタンと閉めた瞬間、俺は、心の底からの解放感と激しい倦怠感を同時に感じて、自分の肩をトントンと拳で軽く叩いた。


 (それにしても、日頃は寡黙な父親が、自分の仕事や組織について、あんなに生き生きとたくさん話すというは、全くの誤算だったな。今後は、自分の体調が芳しくないときには、この話題に触れるのは避けるようにしよう。本気で身が持たん)


 階段を上がりきって2階の廊下に足を踏み入れた時、妹が自分の部屋から出てくるのが見えた。さすがに、お互いに避けようがない距離だ。


 咄嗟に「無用の衝突は避けたほうが無難」という判断から、俺はくるりと後ろを振り返って階段を降りた。階段の最終段から少し離れた廊下に立って、相手の出方を窺っていると、妹は何の躊躇も無いような足取りで階段を降りてきた。


 そして、廊下に突っ立っている俺には一瞥もくれず、玄関で靴を履くと、ドアを開け、外に出た。そして、ドアが完全に閉まる直前、妹は、振り返って足を止め、私の目を真っ直ぐ見据え、短く、しかし、はっきりと呟いた。


 「弱虫!」


 ドアが閉まりきるまでの僅か数秒間が、あまりにも長く感じられた。


 俺も、長いこと社会人をやってきているが、あんな憎悪のこもった視線には、ついぞ出くわしたことが無い。


 (理紗は、どうして、ここまで妹に憎まれなければならないんだろう・・・・)


 疲れているところで、さらに追い打ちをかけるようなことを言われると、さすがに精神的にちょっときつい。まあ、自分に「非の記憶」がないだけ楽ではあるが。


 疲労感を倍増させつつ、再び階段を上がって自分の部屋に入ると、俺は目を瞑ってベッドにドーンとダイブした。


 (あ、これやると、ベッドのスプリングが痛むんだったな。すまん、理紗。恨むんなら、実の父親を恨んでくれ)


 ベッドが激しく揺れた反動で、枕と壁の間に鎮座していた猫のぬいぐるみが、ポン、とほんの少しだけ宙に飛び上った。そして、ぬいぐるみが再びベッドに着地したとき、俺はふと目を開けた。


 (・・・・今、なんか、カサッて音が聞こえた気がする。布製のぬいぐるみで、なんでこんな乾いた音がするんだ?)


 俺は、むくりと起き上がると、ぬいぐるみを膝の上に乗せて、慎重にあちこちを触ってみた。


 ぬいぐるみの腹の部分には、綿を入れるための小さなジッパーがついていた。


 さすがに理紗ひとのお気に入りのぬいぐるみに、手を突っ込むのははばかられ、俺は手を離して、ぬいぐるみを元通り枕の脇に鎮座させた。

 

 そのまま頭の後ろで両手を組み合わせてベッドに寝転がり、天井をしばらく見つめていたが、やはり、どうしても、ぬいぐるみが気になる。天井からぬいぐるみへと視線が移り、それに気付いて、慌てて視線を逸らす、という運動を数回繰り返すことになった。


 (俺は、元来、やらなくていいことまで手を出して、結局、失敗することが多い。しかし、関心があることを放置して通り過ぎるくらいなら、失敗して痛い目に遭った方が、まだ納得できる)


 俺は再び起き上がると、ぬいぐるみのジッパーに手を掛けて、数秒間、逡巡した後で、思い切ってジッパーを下げた。


 白い綿が出てくるはず、だった。しかし、出てきた綿は、予想よりも少しだけ黒ずんでいて、しばらく洗われていないように見えた。  


 その綿を慎重に取り除いていったとき、指先に異物を感じた。


 堰を切ったように奔流する好奇心に押し流され、俺は両手の指を使って綿をほじくり返し、ぬいぐるみのほぼ中心部から、少し厚みのある白い封筒を見つけた。封筒は密封されていない。


 (中にあるのは、秘密の彼氏からのラブレターか、あるいは、秘密の彼女からの恋文か、はたまた、妹への「怒りの書」か・・・)


 俺は、少し震える手で、封筒を逆さにして、中身を取り出した。


 (・・・・・・なんだ、これ?・・・・なんで、こんなもんが、ここにある?・・・・)


 一万円札が10枚くらい、封筒からはみ出していた。 

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