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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第二章 「英霊」の帰還
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末端壊死

 父親の運転する車で、俺は後部座席に座って、ただ窓の外を眺めていた。


 俺が入院していた大学付属病院は、池袋から遠くない護国寺の音羽通りに面した場所にある。明るい5月の日差しの下で、音羽から茗荷谷にかけて青々と茂る森と、その中に点在するマンションを眺めながら、俺は、これから起こるであろうことを想像して、あまり愉快な気分でなかった。


 (・・・両親に不審がられないように、ごく自然に振舞わないといけないな。妹との関係は、冷戦状態なのか、熱戦状態なのか、わからないけれど、いずれにせよ、緊張が続くだろう。その合間をみて、理紗とコンタクトを取る方法を考えないと・・・。学校にも行かなければならないな。精神年齢差が20歳以上もある少女たちと、果たしてうまくやっていけるものなのかね・・・)


 車は、江戸川橋から目白通りに入るまでは順調に動いていたが、早稲田鶴巻町の交差点から外苑東通りに入ったところで、急に渋滞に巻き込まれた。


 「もうUターンラッシュが始まったのか、少し早過ぎるな」


 父親が憮然とした表情で、ラジオのスイッチを入れた。


 「11時50分になりました。都内の交通情報をお知らせします。外苑東通りは、新宿区市ヶ谷柳町付近で発生した水道管の破裂による浸水で、全面通行止めになっております。外苑東通りを利用される方は、大久保通りに迂回してください。次に環状二号線は港区虎ノ門付近で発生した火災の影響で・・・」


 「また、水道管の破裂? 最近、よくあるわねー。この間も、うちの近所で水が噴水みたいに噴き出して大騒ぎだったのよ」


 母親が、まるで他人事のようにのんびりと呟いた。


 (東京、いや日本では、水道管は埋設されてから、50年以上経過しているものが多いからな。しかも、どの自治体も財政悪化で水道管のリニューアルがまったくはかどってないし・・・。しかし、こんなにしょっちゅう破裂しているという話は、初耳だな。役所では、そんな話は聞かなかったぞ)


 「この間は、広尾で橋が落ちて、車が巻き込まれたらしいな」


 父親は真っ直ぐ前を向いたままで答えると、片手をハンドルから離し、ペットボトルのお茶を少しだけ口に含んだ。


 「そうそう! あなたと同い歳の女の子が怪我したって、ニュースで言ってた。車、ベンツだったわよ。学校への送り迎えの車に乗ってたのかしらねぇ? あなたも気をつけてね」


 母親が俺のほうを向きながら、少し眉をひそめた。


 「気をつけろ、と言われても、ちょっと見て、どこが危なそうだ、とか、わかんないよ。土木のプロじゃないんだし・・・こういう事故は、もう運を天に任せるしかない、と・・・・」


 「いや、そうじゃなくて、ね、なんかコンクリにヒビが入ってるとこには近づかない、とか、いろいろやりようがあるでしょ?」


 「まあ、気をつけるようにはするよ。このうえ、また怪我して、病院に逆戻りとかご免だしね。打ちどころが悪かったら、今度は骨折や記憶喪失だけじゃ済まないかもしれないし・・・・そういえば、学校には、記憶のこと、どのくらいまで話したの?」


 「大切なことだから、担任の先生と医務室の先生には全部話しといたわよ。学校で何かあったら困るし、隠し通せるようなものでもないでしょ?」


 「・・・・先生、困ってたでしょ?」


 俺は、記憶喪失という厄介な生徒を担当させることになった教師の困惑を、容易に想像することができた。正直、自分が同じ立場だったら、絶対に心の中で「うあー、ちょっと勘弁してくれよ」と叫んでいるに違いない。


 「まあね。こういう事例は経験したことが無い、って」


 (そりゃ、普通、そんな経験あるほうが驚きだよ)


 「それでね、他の生徒さんたちには、どこまでお話すれば良いか、ってことになったの。先生、吉川きっかわさんが決めてください、って」


 (こういうプライベートな話は、開示度合いや「開示する相手」の範囲の線引きも難しいからなー。先生としては、こっちに全面的に下駄を預けざるをえないわな)


 「・・・・うん、わかった・・・土日で、ゆっくり考えてみる。これから先にいろいろ影響する大事なことだから」


 「そうして頂戴。まあ、今日は、疲れてるだろうから、ゆっくり休んで、明日と明後日で考えたらいいわよ」


 交通情報が終わり、ラジオから、ニュースを読むアナウンサーの声が流れ始めた。



 「正午のニュースをお知らせします。まず、ヨーロッパの共通通貨ユーロについてです。ユーロエリア財務大臣会議は、日本時間の今朝早く、ベルリンで会議を開き、ポーランド、リトアニア、ラトビアのユーロ導入を承認しました。

 これにより、2017年に南ヨーロッパの5つの国、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、キプロスが、ユーロから離脱して自国の通貨を再び導入して以来、およそ8年ぶりにユーロの導入国が増えることになります」


 (欧州の南北分断は、ますます固定化していくな。中欧のハンガリーやチェコは難しい選択を強いられるな。ハンガリーの政権が隣国のセルビアやルーマニアと民族問題を起こしているのも心配だし・・・)


 「次のニュースです。先月のポーランドに続いて、今月からウクライナでも、天然ガスの大規模な生産が開始されました。

 この天然ガスは、シェールガスと言われるもので、既にアメリカやイギリスでは生産量が急激に増えています。ポーランドやウクライナは、ガス開発による地下水などの環境汚染への配慮から、開発の拡大を慎重に検討していましたが、ロシアへのエネルギー依存の脱却を優先することになりました。

 こうした最近の天然ガスの生産の増加によって、日本のガスの輸入価格も大幅に下落しています。再生可能エネルギー特別措置法によって、電力会社は家庭や企業から電力を固定価格で買い取ることになっていますが、新たに買取契約締結する場合には、買取価格の引下げは避けて通れない情勢です。また、既に買取り契約を締結しているケースについても、立法措置による買取価格の引き下げが検討され始めています。経済財政産業省では、太陽光発電装置を設置している多くの企業や家庭から、何らかの救済措置を迫られることになりそうです」


 (救済措置って言ったって、撤退を希望する家庭からのパネル買い取りくらいしか手段がないだろう・・・役所の担当官は今頃大変だろうな・・・)


 「ガスが安くなるのは、ありがたいわね。うちは太陽光発電もやってないし。パネルを屋根に置いてないうちは、一時期、目の敵にされてたから、これでやっと肩身の狭い思いから解放されるわ。お父さんが「必要無い」って言うから、うちはパネル置かなかったけど、正解だったわねー」


 (ああ、父親が「要らない」って言ったのか。それなりに見識はあるんだ・・・・)


 車は市ヶ谷山伏町の交差点から大久保通りに入った。首都地下鉄の若松河田駅あたりまでは渋滞していたが、そこから先は、かなりスムーズに車が流れている。


 ラジオでは、「リビア連合王国の国王、初来日」、「博多どんたくなどの、ゴールデンウィークの各地の催し」、「南関東州知事選挙の告示」、「中央新幹線の新相模原・新甲府間で7月から営業運転を先行開始」、「江戸川区西葛西のアパートで女性が死亡。警察は病死と他殺の両面から捜査中」といった、毎日聞かれるような、とりとめもないニュースが流れている。


 いろいろなニュースが流れるたびに、いちいち母親は主婦的コメントをつけ、父親は終始無言のまま運転を続けていた。


 車は、大久保でJRと西武新宿線のガードを相次いで潜り抜け、淀橋で左折して、新宿中央公園に差し掛かった。俺は、ふと、不思議に感じた。


 「・・・・そういえば、ここでやってた消費税反対のデモとか集会とかの人、もういなくなっちゃったね。公園、ガラガラだね」


 母親は、その言葉を聞くと、たちまち表情を曇らせた。


 「そりゃそうよ。みんな税金上がるのは嬉しくないけど、だからって、人を殺したりしちゃダメだからねぇ」 


 俺は思わずピクッと顔を上げ、窓から母親のほうに視線を向けた。


 「なに、それ? そんなこと、あったの?」


 「そうよ。あなたの意識がまだ戻って無いとき、いや、あなたが事故に遭ったのと同じくらいのときだったかしら。反対デモに参加して暴れてた若い人が、政府のお役人を刺し殺しちゃったのよ! それからも、いろいろあってねー。もう大変だったわよ」


 車は、甲州街道との交差点に差し掛かっていた。

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