そのころわたしは、ボクっ娘だった。
「あの……もしかして、乙坂さん?」
金曜の夕暮れ時。駅前の広場で人待ちをしながらぼんやりと人の流れを眺めていたら、突然声を掛けられた。後ろで一つに結った髪を揺らしながら振り向くと、そこにいたのは、リクルートスーツに身を包んだ爽やかなイケメン。眼鏡の向こうの涼しげな瞳に、かつて想いを寄せた少年の面影が重なる。
「ええと……甲村くん?」
中学を卒業して以来だろうか。久々に会った同級生は、その変わらぬ甘いマスクで、にっこり笑って言った。
「覚えててくれたんだ。乙坂……ええと、たくみさんだよね?」
私は双子で、小さい頃から良く相方と間違われた。ちなみにその相方の名前は「はるみ」である。ちゃんと私を言い当ててくれた初恋の相手の言葉に嬉しくなり、笑顔で言葉を返す。
「うん。私はたくみの方」
しかし、その私の言葉をに返って来たのは、更なる微笑みではなく。
甲村君は、微かに眉間にしわを寄せて、こう言った。
「乙坂さん……」
「ん、何?」
「もう『僕』はすっかりやめたの?」
「!」
偶然の出会いに呼び起こされていた甘やかな気持ちが、ほろ苦い……いや、いっそ苦々しい記憶で覆されていく。そう、あれは中学校の卒業を目前に迎えた十五歳の春のこと。私は……私は……。
乙坂たくみは「僕っ娘」だった。
*
乙坂たくみと、乙坂はるみ。
名前もよく似た私たち双子は、赤ん坊の頃から、双子でもここまでかと言われるほどに瓜二つだった。両親は喜んで、私たちに同じ服を着せ、同じ髪型をさせて楽しんだ。
かわいいかわいいとちやほやされて、悪い気がするはずもない。私たちも甘んじてそれを受け入れていたのだと思う。自分で言うのもおこがましいけれど、幼児というのは大抵はかわいいものだから、勘弁して欲しい。
でも幼稚園に通う頃になると、まったく区別がつかない双子というのは、世話をする方にとっても色々と不便なことが出てきたらしい。服だけでも変えてくれないかと幼稚園の職員に請われた両親は、それでも私たちに同じ格好をさせて愛でることを諦め切れなかった。
そして、その苦肉の策を思いついたのだ。
「たくみちゃんは『ボク』。はるみちゃんは『わたし』って言うようにね」
「えーと。ボク! ボクはたくみ!」
「んっと。わたし! わたしははるみ?」
「うんうん。分かりやすい。これからそれでいこうね」
かわいくおりこうさんな双子たちは、何の疑問もなくその悪魔の提案を受け入れた。
かくして、「僕っ娘・乙坂たくみ」が誕生したのである。
名は体を表し、言葉には魂が宿ると言う。
「ボク、公園で遊んでくる! はるみも行く?」
「ん……わたし、家で本を読んでる」
私は元気ハツラツ健康優良児で、もっぱら外遊びを好み、近所の男の子と一緒になって走り回っていた。一方のはるみは、私に比べるとやや体が弱く、屋内で遊ぶことが多かった。
「はるみ、誕生日おめでとー! これ公園で拾った綺麗な石、プレゼント!」
「ハッピーバースデー、たくみ! 手袋縫ったの。使ってね」
私がガサツとまではいかなくとも(であったと思いたい)、色々とはっちゃけていたのに対して、はるみは繊細で細やかな精神の持ち主だった。
「うう……ボク、馬鹿なのかな。また零点……」
「たくみ、落ち込まないでよ。わたしが教えたげるから。いっしょに勉強しよ?」
私の頭は遺憾ながらもう一つ残念な出来だったのに対して、はるみの方は、苦手な体育を除けば文句のつけようがない優等生だった。
歳を重ねるに伴ってそれぞれの個性をあらわしながらも、私とはるみは、外見上は依然として瓜二つだった。小学校に上がっても、両親は私たちに同じ格好をさせて楽しむのをやめなかった。
私とはるみは、ときどき喧嘩をすることもあったけれど、お互いに相手を認め合い補い合って、固い絆をはぐくみながら、仲睦まじく成長していった。
中学に上がると、他の小学校から上がってきた生徒たち、つまりそれまで一度も顔を合わせたことのない子供たちと一緒に勉強をすることになる。最初のうちはさすがに、自分を「ボク」と呼ぶ女子生徒を、ちょっと不思議そうに見る目があった。そのころの私は自分の呼称にあまりに馴染みすぎていて、そんな視線をいぶかしく思いながらもその原因には思い至らず、構わず「ボク」を使い続けた。
一緒の小学校から上がってきた友人たちに自然に接してもらっていたのが良かったのだろう。いつしか周囲の理解を得て、私はつつがなく中学生生活の三年間を謳歌した。私はスポーツ系の部活に所属してそれなりの活躍をし、なぜか下級生の女の子たちにやたらと慕われた。(一方で、はるみは文芸部に所属し、密かに男子生徒の人気を集めていた。)
自分のことを「ボク」と呼ぶ、ちょっと男の子っぽい女の子。私は、そんな自分が嫌いじゃなかった。そして、周りもそんな私を受け入れてくれていた。
そう思っていたのだ。
あの悪夢の日までは。
中学三年、卒業を間近に迎えた冬。私は恋をしていた。
相手は、同じクラスの甲村君。スポーツより勉強が得意、眼鏡の似合う、柔らかい雰囲気の男子生徒。自分とは正反対だからこそ、惹かれたのだと思う。
授業中、教室の左斜め前方に座る彼の横顔を眺めては、ふうっとため息。生まれてこのかた抱いたことのない気持ちに戸惑いつつ、この気持をどうすれば伝えられるのか、思い悩む。
私よりもはるみに近い性格の彼。私ははるみに悶々とした胸の内を打ち明けた。
「甲村君……ボクみたいなオトコオンナ、きっと眼中にないよね……」
「そんなの、たくみらしくない。応援してるから。勇気を出さなきゃ!」
そう、確かあれは二月に入ったばかりの頃。卒業という別離の儀式を見据え、クラス中が間近に迫ったバレンタインデーを意識していた。女の子たちはみな、来るべき運命の瞬間に向けて、それぞれの胸に秘めた勇気を鼓舞していた。
その決戦の日の数日前。私は廊下で他の女子生徒とだべりつつ、耳は教室の中、甲村君が彼の友人と談笑するのに向けていた。
その日の甲村君は、どうやら、友人たちとゲーム談義に花を咲かせているようだった。
「甲村さ、いっつもそのキャラだよな。男キャラは使わねーの?」
「別にいいだろ」
「甲村は僕っ娘好きだもんな!」
「うるせーよ」
なぬ! 聞き捨てならない会話に心臓が飛び跳ねる。
これはキタのか? 目の前で交わされる女子生徒たちの他愛無い会話に上の空の相槌を返しつつ、耳をダンボにしてその続きを聞き漏らすまいとする。そして――
「でもよー甲村。思わね」
「なに」
「僕っ娘って二次元なら許せるけどさ、リアルはねーよな。なんつーか、痛い。ブリッ子キモい。勘違い! ぶん殴りたくなるわ」
――心臓がどくんと鳴って、跳ね上がり、縮んだ。
顔から血が引くのが、自分で分かった。
目の前が暗くなり、膝から力が抜け、崩れるようにその場にしゃがみこむ。
「ちょ、ちょっと乙坂さん、大丈夫!?」
今しがたまでけらけらと笑っていた友人が焦ったように声を掛けてくるのが、やけに遠く聞こえる。
――ボク、そんな風に、思われてたんだ――
頬を涙が伝うのが分かった。
心にぽっかりと開いた絶望の穴。その深淵に呑まれて、私は意識を手放した。
気が付くと、私は保健室に寝かされていた。夢遊病者のように立ち上がると、声を掛けてきた養護教諭の言葉もろくに耳に入らぬままぼそぼそと挨拶を返し、保健室を出る。私はそのまま教室に戻ること無く昇降口に向かった。
自転車で通学してる中学校から、どのようにして帰ったのかは覚えていない。自宅の玄関で学校の上履きを脱ぐと、自室のベッドに倒れこむように体を投げ出す。男子生徒の声が、頭の中でリフレインする。自分のひとりよがりを思い返し、胃がねじれる。苦しい。
枕にぎゅうっと顔を押し付け、声を出さずに泣いた。
ノックの音で目が覚めた。
「たくみ、起きてる? カバン持って帰ったよ。入るね」
カギのついていないドアを開けて、入ってくるはるみ。私は泣き顔を見られたくなくて、一層枕に顔をうずめる。ベッドに腰を掛けたはるみが、話し始める。
「あの後さ、甲村くんが友達をなぐって、大変だったんだから」
あの大人しい甲村君が、そんなことを。私は内心で驚きながらも、枕に顔を押し付けたまま、黙って話の続きを聞く。
「相手の子も、たくみのこと言ったんじゃないって。かわいければ三次元でも全然問題ないって必死でさ」
三次元て。問題ないって。失礼な話だ。一度口から出た言葉は、後から取り消したって無意味だ。
「みんなたくみのこと心配してるからさ……もちろん私も」
そのやさしい言葉に、ぷつんとなって。
気がつけば私は、驚き身をすくめるはるみの肩を掴んで、強く揺さぶっていた。
「『私』!その『私』、ボクに返してよ!」
「えっ! な、何、たくみ、落ち着いて」
はるみは私の剣幕にたじたじとなっている。半狂乱になって泣きながら、私ははるみを責め続ける。
「なんで男のはるみが『私』で、女のボクがボクなんだよ! おかしいでしょ! 本当はずっとおかしいと思ってた!」
「えっ? えっ? いや、だって今さら……」
そう、今さら。
男女の性を意識し始めたころには、私はもうすっかり「ボク」で、はるみは「私」だった。はるみを責めるのは筋違いだ。
今となっては、二人をそう仕向けた両親の考えもわからない。おおかた、何も考えていなかったんだろう。どちらが男でどちらが女か。それを忘れるほどに、私たちはよく似ていたのだ。
はるみの肩を掴む手から、徐々に力が抜けていく。そのまま前のめりに体を倒し、私は十五年の人生を共にしてきた二卵性双生児の平らな胸に頭をあずけた。その胸にしがみつき、顔を押し付けたまま、一方的に告げた。
「……ボク、もうボクやめるから。明日から私になるから。はるみは私をやめてボクになってよね……」
もはや意味不明の私の言葉をどう受け止めていたのだろう。はるみはただ黙って私の肩を抱いて、やさしく背中をさすってくれた。
それで、いやーな雰囲気のままで卒業を迎えたかというと、そんなことはなく。
次の日、持ち前の単純さであっさり立ち直った私は、鼻息も荒く登校する。片頬に青あざのある男子生徒が謝罪めいたことを口にしながら寄ってきたので、青あざを左右セットにしてやった。その足で教壇に上り、右手を高らかに天に突きあげ、級友の前で宣言する。
「ボクは今日から私になる!」
おおっ、と、教室中がどよめいた。
それで、すんなりと周囲の認識が改善されたかと言えば、やはりそんなこともなく。
私とはるみは、お互い服を交換してるんじゃないかとか、頭の中身だけ入れ替わったんじゃないかとか、周囲にいいようにいじられ。
私は後輩の女子生徒たちに、「僕っ娘に戻ってください」と涙ながらに懇願されつつ、バレンタインデーにはこれまでにも増して大量のチョコレートを贈られる羽目になり。
はるみはと言えば「ボク」に慣れずに赤面しながら話す様子が男子生徒達のツボにはまったらしく、なぜか大量のチョコレートの要求を受け、台所にこもりきりになり。
甲村くんは「俺、僕っ娘命だから。二次でもリアルでも」とカミングアウトしたかと思えば、何を勘違いしたのか私が徹夜で作った本命チョコを断って、はるみに愛の告白をし。
あろうことか、そのはるみが顔を赤らめながら甲村君の告白を受け入れて、祝福の拍手の中、二人が熱い抱擁を交わす姿が、卒業アルバムの冒頭を飾ることになって。
私たちの中学校生活の最後の数日は、てんやわんやの大騒ぎのうちに、うやむやになし崩し的に終わったのだった。
……って、アホかあああ!!!!
*
「……さん? 乙坂さん?」
名前を呼ぶ声にはっと我に返った。遠い過去の悪夢に飛ばしていた意識をたぐり寄せると、駅前の喧騒が耳に戻ってくる。目の前には、心配そうに私の顔を覗き込む、初恋の人の顔。
私は頭を振って、忌まわしい記憶を振り払う。
「大丈夫」
「……嫌なこと思い出させたかな。ごめんね」
結局あの騒ぎの後、甲村君と私たち姉弟は別々の高校に進んだ。彼とはるみとの仲はその後進展することも無く、自然消滅したと聞いている。
バツが悪そうに頭を掻きつつ、苦笑いする甲村君。そう、そのはにかむような笑顔に私は恋をしたのだった。今でも変わらないんだね、と心のなかでつぶやきつつ、先ほどの問いに答えを返す。
「いつまでも女がボクじゃ通らないしね。今はもうすっかり『私』だよ」
実を言うと、三つ子の魂百までで、今でも油断をすると「ボク」が出ちゃって、周りに変な顔をされるんだけどね。
「そ、そうなんだ……」
甲村君の口調に、ちょっと残念そうな響きを感じ取ったのは、気のせいだろうか。
そのまま互いに言葉を失い、私はうつむいて地面に目を落とす。なんとなく、甲村君が私をじっと見つめているのが分かった。
何秒くらいそうしていただろうか。いい加減気まずくなって、別れのあいさつを切り出そうとした瞬間。
甲村君が、口を開いた。
「乙坂さん……いや、たくみ」
え?
「俺、今なら……」
えっ……
えっ? えっ?
これって、もしかして……?
「ごめーん姉さん! 遅くなった!」
のわあぁぁ!
いい雰囲気を遠慮なしにぶち破った声に、思わずのけぞる。スカートをなびかせて駆け寄ってきたのは、他でもない双子の片割れ。
はるみは私たちの側にまで来ると、膝に手を付いてはぁはぁと白い息を吐く。ひとしきりそうして落ち着くと顔を上げ、そこで私の対面にいる人物にようやく気づいた。
「あれ?……だれ?」
「えっと、俺……」
最初は甲村君を怪訝そうな目で見つめていたはるみの顔が、やがて驚愕に彩られていく。ぽかんと口を開けたその顔は、たとえそんな表情をしていても愛らしい。
あの日、甲村君に告白されたのをきっかけに、秘められた性質が開花してしまったらしい我が弟。高校に入る頃にはすっかり男の娘として目覚めてしまい、挙句の果てには芸能事務所にスカウトされ、今や歌って踊れる清純派アイドル(おかしいだろ!)として、あちこちのテレビ局からひっぱりだこの身である。今日は久々のオフだとかで、一緒に食事をしようと待ち合わせていたのだが……。
呆然として甲村君を見つめていたはるみの目が、やがてじんわりとうるんでくる。それを見返す甲村君の瞳にも、次第に熱がこもってくる。
「甲村くん……」
「はるみ……」
見つめ合う二人は、やがてどちらからともなく手を伸ばし、互いの手を取り合った。
おい。
おいおい。
おいおいおいおい!!!
おかしくね!? この展開、明らかにおかしくね!? ありえなくね!!??
いやいやいやいや落ち着け私。ここで取り乱しては女がすたる。深呼吸を数回。すーはーすーはー。吸って吐いて吸って吐いて。大丈夫。ボクは強い子、大丈夫。
ぎりぎりと奥歯を噛み締めつつ。すっかり自分たちの世界にトリップしてしまっている二人に背を向ける。その素振りに気づいた二人が、取り繕うように声を掛けてきた。
「あっ……たくみ」
「ね、姉さん……」
背を向けたまま、ひらひらと手を振って言葉を返す。
「ボク、用事思い出したから。お二人でごゆっくり!」
昂然と顎を上げ、その場から歩み去る。
そんなこんなで。
ボクが僕っ娘を卒業するまでのお話でした!
中学の時、一人いましたが、楽しい子でした(´ー`)
2ちゃんねる創作発表板「『小説家になろう』で企画競作するスレ」では、お題を決めてゆる~い競作を行なっています。
ふだんは閑古鳥ですが、たまに盛り上がることも。
冷やかし歓迎。読むだけ歓迎。レスを貰えれば大喜び、飛び入り参加は大歓迎! よろしかったら、たまに覗いてみてください!