聖女様、その治癒は捏造ですね?――追放された宮廷ヒーラー、私の掌だけが本物でした
「お前の治癒は偽物だ。聖女ミレーユ様の祈りこそが、真の癒しなのだからな」
王城の大広間。磨き上げられた大理石に、王太子ジェラルドの声が冷たく響いた。
居並ぶ廷臣たちの視線が、針のように私――宮廷ヒーラー、リィナに突き刺さる。
……なるほど。これが噂の断罪というやつですか。
(前世でクレーマーに囲まれた夜勤を思えば、可愛いものですけど)
私は静かに息を吐いた。喚かない。怒鳴らない。前世――過労死した緩和ケア看護師、凪沙だった頃に、私は学んだ。理不尽に感情を消耗するのは、ただの損だと。
王太子の隣で、聖女ミレーユが勝ち誇った微笑を浮かべている。全身を金色に輝かせ、まるで自分が光源だとでも言いたげに。
「リィナの治癒は地味すぎますわ。光もない、詠唱もない。あんなもの、気休めではありませんこと?」
気休め、ですか。
「触れた相手の痛みが、すっと和らぐだけ……確かに、派手さはありませんね」
私は淡々と認めた。事実だから、否定しない。
「分かったなら、さっさと去るがいい。この城に偽物のヒーラーは要らぬ」
「分かりました。では、辞めさせていただきます」
私は深々と頭を下げた。
その淡白さが予想外だったのか、王太子が一瞬たじろぐ。
「……それだけか? 弁明も、嘆願も、ないのか」
喚き散らして縋ると思っていたのだろう。生憎、私はもう、そういう人間ではないのだ。
「理不尽に感情を消耗するのは、ただの損ですので。喚いて何か変わるなら、喚きますが」
「まあ、ずいぶんと潔いこと。負け犬の遠吠えすら出ませんのね、ふふっ」
ミレーユが扇で口元を隠して笑う。
「ええ。吠える元気があれば、患者を一人でも多く看ますから」
金色の聖女の笑みが、わずかに引きつった。
私はローブの裾を翻し、大広間を後にする。
扉に手をかけたところで、私はふと足を止めた。
「……ところで、一つだけ、よろしいですか」
「なんだ。今さら未練か?」
「いいえ。ただの確認です。――この国の重病人、これから誰が看るんでしょうね」
「……は? 重病人だと? そんなもの、ミレーユ様の祈りが――」
「ええ、きっと祈りで治るのでしょうね。では、どうかお元気で」
金色の聖女が治せないフリをして放置してきた、本物の重症者たち。それを陰で支えてきた唯一の掌が、今、この城を去る。
だが、それを知る者は、まだ誰もいない。
扉が、静かに閉まった。
────
冒険者ギルドの登録は、拍子抜けするほど簡単だった。
「ヒーラー希望、と。……あんた、行き先の希望は?」
受付の男が気だるげに尋ねる。私は迷わず答えた。
「一番、ヒーラーが足りていない場所を」
男の手が止まった。
「……正気か? 北の辺境砦だぞ。魔物の被害で負傷者が絶えない。ヒーラーが寄りつかねえ『見捨てられた前線』だ」
「ちょうどいいですね」
私は受付台に登録料を置いた。
誰も来ない場所。誰も看ない人々。それなら、私の掌が役に立つ。
(前世でも、誰も担当したがらない末期病棟ばかり回されていましたっけ)
苦笑が漏れる。けれど不思議と、嫌な気分ではなかった。
三日後。北の辺境砦。
吹きすさぶ風の中、私を出迎えたのは泥だらけの若い衛生兵だった。
「ヒ、ヒーラーさんですか!? 本当に来てくれたんですか!?」
青年は目を輝かせ、私の手を取らんばかりに駆け寄ってくる。
「ロロといいます! ここの衛生兵で……あの、専門知識はないんですけど、なんとか負傷者を減らしたくて、ずっと足掻いてて……」
泥にまみれた手帳が、彼の胸ポケットから覗いていた。びっしりと書き込まれた、手書きのメモ。
ああ、と思う。この子は、本物だ。
誰も見ていない場所で、それでも「なんとかしたい」と足掻いてきた人間の手だ。
「リィナです。よろしくお願いします、ロロさん」
「せ、先生って呼んでもいいですか!?」
「気が早いですね」
そう答えながら、私は砦の医務室へ向かう。
膿んだ傷、汚れた包帯、士気の落ちた兵たち。
やることは、山ほどある。
そして、この砦には――まだ私の知らない、もう一人の『患者』がいた。
────
砦を預かる将軍ガレオンと初めて会ったとき、正直、少し身構えた。
漆黒の鱗。鋭い牙。見上げるほどの巨躯。竜人の将軍は、戦場で『冷酷無比の戦鬼』と恐れられているという。
だが、看護師の目は誤魔化せない。
「将軍。あなた、眠れていませんね」
ガレオンの肩が、びくりと跳ねた。
「……何を、根拠に」
「目の下の隈、無意識に右肩をかばう動き、声の掠れ方。慢性的な痛みと不眠の典型です」
図星だったらしい。彼は牙を食いしばり、低く唸った。
「問題ない。部下に心配をかけるほどでは――」
「失礼します」
私は彼の言葉を待たず、その古傷にそっと触れた。
瞬間。
指先から、何かが解けていく感覚があった。長年、彼の体に巣食っていた『呪いの残滓』のような、淀んだ何か。
ガレオンの巨体が、わずかに揺れる。
「……これは、」
「痛みが、引きましたか」
彼は答えなかった。ただ、信じられないものを見るような目で、自分の肩を見つめていた。
翌朝。
医務室を訪れたガレオンの顔は、別人のようだった。
「……眠れた」
「それはよかったです」
「いや。……お前は分かっていない」
戦鬼と恐れられた竜人将軍の、鋭い瞳が、ほんの少し潤んでいた。
「何年ぶりだ。痛みのない朝など。何年ぶりに、夢も見ずに眠れた……」
大きな手が、ぎこちなく口元を覆う。照れ隠しのつもりらしいが、隠せていない。
「お前の手は、」
言葉を選ぶように、彼は呟いた。
「戦場のどんな奇跡より、温かい」
私は少し面食らった。こんな風に、まっすぐ感謝を向けられたのは、いつ以来だろう。
(前世では、感謝されるより文句を言われる方が多かったですからね)
「……どういたしまして」
そう返すのが、精一杯だった。
この呪いの残滓が、後に大きな意味を持つことになるとは――このときの私は、まだ知らない。
────
「先生、これ、本当に効くんですか!? ただの煮沸じゃ……」
ロロが目を丸くしながら、私の指示で鍋を煮立てている。
「効きますよ。傷口に触れる布も器具も、すべて煮沸消毒。それだけで化膿は劇的に減ります」
「煮るだけで!?」
前世仕込みの衛生管理。詠唱もギフトも要らない、ただの知識だ。
だが、この世界では誰も知らない『奇跡』だった。
一週間後――傷の化膿者は、半分以下に減った。
二週間後――栄養のある食事と十分な睡眠を徹底させた結果、兵たちの顔色が見違えるように良くなった。
「先生、すげえ……っ」ロロが泥だらけの手帳に必死で書き込む。「衛生、栄養、心のケア……これ全部、ギフトじゃないんですよね?」
「ええ。ただの、当たり前の積み重ねです」
そんなある日。
包帯を巻き直していると、ガレオンがそっと医務室を覗いていた。
「将軍。何かご用ですか」
「い、いや。……様子を、見に来ただけだ」
そう言いながら、彼の手にはなぜか温かいスープの椀が二つ。
「お前、また食事を抜いていただろう。患者を看るあまり、自分を後回しにするな」
ロロが横で吹き出した。
「将軍が人のこと言えます!? 自分こそ昨日まで痛み我慢して倒れかけてたくせに!」
「ロ、ロロ! 余計なことを言うな!」
慌てるガレオンの鱗が、ほんのり赤い。竜人も照れると色が変わるらしい。
私は、思わず笑ってしまった。
誰かのために自分を削る人ばかりが、ここにはいる。
だから私は、その人たちの隣に座る。痛みの隣に。
それが――私の掌の、本当の役目だから。
同じ頃。遠く王城では。
金色の聖女の『奇跡』が、静かに綻び始めていた。
本物の重症者が、次々と倒れていく。隠していた回復薬の在庫は、もうすぐ尽きる。
化けの皮が剥がれるのは、もう時間の問題だった。
────
「聖女様! なぜ治せないのですか!?」
王城は、阿鼻叫喚に包まれていた。
王都に魔物の大群――スタンピードが襲来。城下から運び込まれる負傷者は、廊下にまで溢れている。
大広間の中央で、ミレーユは立ち尽くしていた。
全身から金色の光を放ち、荘厳な詠唱を響かせる。いつもの『奇跡』だ。
だが――誰一人、癒えない。
「な、なぜ……っ」
彼女の手が震える。当然だ。彼女の正体は、回復薬で治せるフリをしていた詐術師。その薬の在庫が、とうとう尽きたのだから。
「聖女様! この者の出血が止まりません!」
「こちらも、もう……っ」
ミレーユの口から、悲鳴のような声が漏れる。
「し、神の試練です! これは試練で――」
「ふざけるな!」
血まみれの兵士が、彼女の偽りの言葉を遮った。
青ざめた王太子ジェラルドが、よろめきながら玉座から立ち上がる。
「……まさか。本当に、聖女の力は」
金色の光が、ぱちりと消えた。
張りぼての奇跡。空っぽの祈り。
そして、彼はようやく思い出す。
光もなく、詠唱もなく、ただ静かに人々の痛みを和らげていた、あの地味な掌のことを。
「リィナ……っ! あの娘は、今どこに!?」
誰も、答えられなかった。
彼が自らの手で、追放したのだから。
王太子は床に膝をついた。取り返しのつかない後悔が、彼の顔を歪ませる。
そのとき――城門の方から、地鳴りのような足音が近づいてきた。
竜人の軍勢。その先頭に立つ、漆黒の戦鬼。
そして、その傍らに――静かな瞳の、亜麻色の髪の女が一人。
「失礼します」
リィナの、淡々とした声が大広間に響いた。
「重症者は、どちらですか」
────
私は喚かなかった。
ただ、運び込まれた負傷者の一人一人に、順番に掌を当てていく。
光はない。詠唱もない。けれど、触れた傷から、痛みがすっと引いていく。
「い、痛みが……消えた」
「呼吸が、楽に……」
兵たちの顔に、生気が戻る。
ロロが運び込まれた患者を手際よく仕分けし、ガレオンの竜人兵が次々と負傷者を運んでくる。砦で鍛えたチームワークだ。
その光景を、王太子ジェラルドが呆然と見つめていた。
「これが……本物の、癒し」
崩れ落ちる彼の前に、ロロが一冊の分厚い記録を差し出す。
「これ、リィナ先生が宮廷にいた頃から付けてた診療記録です。カルテっていうんですって」
王太子の手が、震えながらページをめくる。
そこには、克明に記されていた。
――ミレーユが『神の試練』と称して放置した、重症者の名前。日付。症状。そして、それを陰で支え続けた、リィナの処置の記録。
「ミレーユは、本物の治癒など一度も……っ。すべて、薬で偽装していたと……?」
「ええ」
私は手を止めず、淡々と答えた。
「そして将軍を蝕んでいた呪いの残滓――あれも、ミレーユが手柄欲しさに不完全な術で『治したフリ』をした副産物でした。被害者は、ガレオン将軍だけではありません」
金色の聖女が、その場にへたり込む。
「ち、違う……私は、聖女、なのに……っ」
誰も、彼女を見なかった。
それが、答えだった。
喚かず、責めず、ただ目の前の命を救い続ける。その背中こそが――最大の、ざまぁだった。
やがて王太子が、震える声で言った。
「リィナ……戻ってきてくれ。宮廷筆頭ヒーラーの地位を、いや、それ以上の――」
「お断りします」
私は、初めて彼の方を振り返った。
「私はもう、誰かの手柄のために手を汚しません。この掌は――痛みの隣にいたい人のために使います」
後悔に崩れる為政者を背に、私は最後の患者へと、静かに歩み寄った。
────
辺境砦に、小さな治療院が建った。
看板にはこう書いてある。『誰も見捨てない治療院』。
「先生、今日も患者さん来てますよ!」
ロロが――今ではすっかり一人前の助手だ――元気よく扉を開ける。
泥だらけだった手帳は、もう何冊目だろう。びっしりと書き込まれた知識が、彼を支えている。
「ガレオン、薬草の補充、お願いできますか」
「ああ。任せろ」
竜人の将軍は――いや、今は将軍を退き、この治療院の用心棒兼雑用係だ――大きな体を屈めて棚を整理する。
慢性痛も不眠も、すっかり消えた。今では誰よりよく眠り、誰よりよく食べる。
「リィナ」彼がふと、手を止めて言った。「お前と、ここで暮らせて……俺は、幸せだ」
相変わらず、言葉足らずで、ぶっきらぼうで、けれどまっすぐな男だ。
「……私もです」
素直にそう返せるようになった自分に、少しだけ驚く。
前世で擦り切れた凪沙だった頃には、想像もできなかった。
誰かの隣で、こんなにも穏やかに過ごせる日が来るなんて。
そのときだった。
コン、コン。
治療院の扉が、控えめに叩かれた。
「はい、どうぞ」
扉を開けると、そこに立っていたのは――一人の少女だった。
旅装に身を包み、けれど瞳には、まっすぐで澄んだ光を宿している。
そして、その額には。
金色に輝く、聖女ミレーユと同じ紋章。
ロロが息を呑む。ガレオンの眉が、わずかに動く。
だが――少女の眼差しは、ミレーユとは正反対だった。傲慢さも、欲も、そこにはない。
宿っているのは、作り物ではない、本物の慈愛。
少女は、深く頭を下げて、言った。
「あなたの掌の話を、聞いて来ました」
私は、少し驚いて――それから、静かに微笑んだ。
紋章は、偽物の証ではない。
それを偽物にするか、本物にするかは、その人自身が決めることだ。
「……どうぞ、お入りください」
痛みに寄り添う温かな掌は、こうして、世代と血筋を超えて受け継がれていく。
扉の向こうから、新しい風が吹き込んできた。
――次の物語が、始まる予感とともに。
────
【後書きQ&A】
Q. リィナの掌、結局チートでは?
A. チートです。でも一番のチートは『痛い人の隣に座り続ける根気』だと、作者は思っています。読んでくださって、ありがとうございました。




