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聖女様、その治癒は捏造ですね?――追放された宮廷ヒーラー、私の掌だけが本物でした

作者: uta
掲載日:2026/07/04

「お前の治癒は偽物だ。聖女ミレーユ様の祈りこそが、真の癒しなのだからな」


王城の大広間。磨き上げられた大理石に、王太子ジェラルドの声が冷たく響いた。


居並ぶ廷臣たちの視線が、針のように私――宮廷ヒーラー、リィナに突き刺さる。


……なるほど。これが噂の断罪というやつですか。


(前世でクレーマーに囲まれた夜勤を思えば、可愛いものですけど)


私は静かに息を吐いた。喚かない。怒鳴らない。前世――過労死した緩和ケア看護師、凪沙だった頃に、私は学んだ。理不尽に感情を消耗するのは、ただの損だと。


王太子の隣で、聖女ミレーユが勝ち誇った微笑を浮かべている。全身を金色に輝かせ、まるで自分が光源だとでも言いたげに。


「リィナの治癒は地味すぎますわ。光もない、詠唱もない。あんなもの、気休めではありませんこと?」


気休め、ですか。


「触れた相手の痛みが、すっと和らぐだけ……確かに、派手さはありませんね」


私は淡々と認めた。事実だから、否定しない。


「分かったなら、さっさと去るがいい。この城に偽物のヒーラーは要らぬ」


「分かりました。では、辞めさせていただきます」


私は深々と頭を下げた。


その淡白さが予想外だったのか、王太子が一瞬たじろぐ。


「……それだけか? 弁明も、嘆願も、ないのか」


喚き散らして縋ると思っていたのだろう。生憎、私はもう、そういう人間ではないのだ。


「理不尽に感情を消耗するのは、ただの損ですので。喚いて何か変わるなら、喚きますが」


「まあ、ずいぶんと潔いこと。負け犬の遠吠えすら出ませんのね、ふふっ」


ミレーユが扇で口元を隠して笑う。


「ええ。吠える元気があれば、患者を一人でも多く看ますから」


金色の聖女の笑みが、わずかに引きつった。


私はローブの裾を翻し、大広間を後にする。


扉に手をかけたところで、私はふと足を止めた。


「……ところで、一つだけ、よろしいですか」


「なんだ。今さら未練か?」


「いいえ。ただの確認です。――この国の重病人、これから誰が看るんでしょうね」


「……は? 重病人だと? そんなもの、ミレーユ様の祈りが――」


「ええ、きっと祈りで治るのでしょうね。では、どうかお元気で」


金色の聖女が治せないフリをして放置してきた、本物の重症者たち。それを陰で支えてきた唯一の掌が、今、この城を去る。


だが、それを知る者は、まだ誰もいない。


扉が、静かに閉まった。


────


冒険者ギルドの登録は、拍子抜けするほど簡単だった。


「ヒーラー希望、と。……あんた、行き先の希望は?」


受付の男が気だるげに尋ねる。私は迷わず答えた。


「一番、ヒーラーが足りていない場所を」


男の手が止まった。


「……正気か? 北の辺境砦だぞ。魔物の被害で負傷者が絶えない。ヒーラーが寄りつかねえ『見捨てられた前線』だ」


「ちょうどいいですね」


私は受付台に登録料を置いた。


誰も来ない場所。誰も看ない人々。それなら、私の掌が役に立つ。


(前世でも、誰も担当したがらない末期病棟ばかり回されていましたっけ)


苦笑が漏れる。けれど不思議と、嫌な気分ではなかった。


三日後。北の辺境砦。


吹きすさぶ風の中、私を出迎えたのは泥だらけの若い衛生兵だった。


「ヒ、ヒーラーさんですか!? 本当に来てくれたんですか!?」


青年は目を輝かせ、私の手を取らんばかりに駆け寄ってくる。


「ロロといいます! ここの衛生兵で……あの、専門知識はないんですけど、なんとか負傷者を減らしたくて、ずっと足掻いてて……」


泥にまみれた手帳が、彼の胸ポケットから覗いていた。びっしりと書き込まれた、手書きのメモ。


ああ、と思う。この子は、本物だ。


誰も見ていない場所で、それでも「なんとかしたい」と足掻いてきた人間の手だ。


「リィナです。よろしくお願いします、ロロさん」


「せ、先生って呼んでもいいですか!?」


「気が早いですね」


そう答えながら、私は砦の医務室へ向かう。


膿んだ傷、汚れた包帯、士気の落ちた兵たち。


やることは、山ほどある。


そして、この砦には――まだ私の知らない、もう一人の『患者』がいた。


────


砦を預かる将軍ガレオンと初めて会ったとき、正直、少し身構えた。


漆黒の鱗。鋭い牙。見上げるほどの巨躯。竜人の将軍は、戦場で『冷酷無比の戦鬼』と恐れられているという。


だが、看護師の目は誤魔化せない。


「将軍。あなた、眠れていませんね」


ガレオンの肩が、びくりと跳ねた。


「……何を、根拠に」


「目の下の隈、無意識に右肩をかばう動き、声の掠れ方。慢性的な痛みと不眠の典型です」


図星だったらしい。彼は牙を食いしばり、低く唸った。


「問題ない。部下に心配をかけるほどでは――」


「失礼します」


私は彼の言葉を待たず、その古傷にそっと触れた。


瞬間。


指先から、何かが解けていく感覚があった。長年、彼の体に巣食っていた『呪いの残滓』のような、淀んだ何か。


ガレオンの巨体が、わずかに揺れる。


「……これは、」


「痛みが、引きましたか」


彼は答えなかった。ただ、信じられないものを見るような目で、自分の肩を見つめていた。


翌朝。


医務室を訪れたガレオンの顔は、別人のようだった。


「……眠れた」


「それはよかったです」


「いや。……お前は分かっていない」


戦鬼と恐れられた竜人将軍の、鋭い瞳が、ほんの少し潤んでいた。


「何年ぶりだ。痛みのない朝など。何年ぶりに、夢も見ずに眠れた……」


大きな手が、ぎこちなく口元を覆う。照れ隠しのつもりらしいが、隠せていない。


「お前の手は、」


言葉を選ぶように、彼は呟いた。


「戦場のどんな奇跡より、温かい」


私は少し面食らった。こんな風に、まっすぐ感謝を向けられたのは、いつ以来だろう。


(前世では、感謝されるより文句を言われる方が多かったですからね)


「……どういたしまして」


そう返すのが、精一杯だった。


この呪いの残滓が、後に大きな意味を持つことになるとは――このときの私は、まだ知らない。


────


「先生、これ、本当に効くんですか!? ただの煮沸じゃ……」


ロロが目を丸くしながら、私の指示で鍋を煮立てている。


「効きますよ。傷口に触れる布も器具も、すべて煮沸消毒。それだけで化膿は劇的に減ります」


「煮るだけで!?」


前世仕込みの衛生管理。詠唱もギフトも要らない、ただの知識だ。


だが、この世界では誰も知らない『奇跡』だった。


一週間後――傷の化膿者は、半分以下に減った。


二週間後――栄養のある食事と十分な睡眠を徹底させた結果、兵たちの顔色が見違えるように良くなった。


「先生、すげえ……っ」ロロが泥だらけの手帳に必死で書き込む。「衛生、栄養、心のケア……これ全部、ギフトじゃないんですよね?」


「ええ。ただの、当たり前の積み重ねです」


そんなある日。


包帯を巻き直していると、ガレオンがそっと医務室を覗いていた。


「将軍。何かご用ですか」


「い、いや。……様子を、見に来ただけだ」


そう言いながら、彼の手にはなぜか温かいスープの椀が二つ。


「お前、また食事を抜いていただろう。患者を看るあまり、自分を後回しにするな」


ロロが横で吹き出した。


「将軍が人のこと言えます!? 自分こそ昨日まで痛み我慢して倒れかけてたくせに!」


「ロ、ロロ! 余計なことを言うな!」


慌てるガレオンの鱗が、ほんのり赤い。竜人も照れると色が変わるらしい。


私は、思わず笑ってしまった。


誰かのために自分を削る人ばかりが、ここにはいる。


だから私は、その人たちの隣に座る。痛みの隣に。


それが――私の掌の、本当の役目だから。


同じ頃。遠く王城では。


金色の聖女の『奇跡』が、静かに綻び始めていた。


本物の重症者が、次々と倒れていく。隠していた回復薬の在庫は、もうすぐ尽きる。


化けの皮が剥がれるのは、もう時間の問題だった。


────


「聖女様! なぜ治せないのですか!?」


王城は、阿鼻叫喚に包まれていた。


王都に魔物の大群――スタンピードが襲来。城下から運び込まれる負傷者は、廊下にまで溢れている。


大広間の中央で、ミレーユは立ち尽くしていた。


全身から金色の光を放ち、荘厳な詠唱を響かせる。いつもの『奇跡』だ。


だが――誰一人、癒えない。


「な、なぜ……っ」


彼女の手が震える。当然だ。彼女の正体は、回復薬で治せるフリをしていた詐術師。その薬の在庫が、とうとう尽きたのだから。


「聖女様! この者の出血が止まりません!」


「こちらも、もう……っ」


ミレーユの口から、悲鳴のような声が漏れる。


「し、神の試練です! これは試練で――」


「ふざけるな!」


血まみれの兵士が、彼女の偽りの言葉を遮った。


青ざめた王太子ジェラルドが、よろめきながら玉座から立ち上がる。


「……まさか。本当に、聖女の力は」


金色の光が、ぱちりと消えた。


張りぼての奇跡。空っぽの祈り。


そして、彼はようやく思い出す。


光もなく、詠唱もなく、ただ静かに人々の痛みを和らげていた、あの地味な掌のことを。


「リィナ……っ! あの娘は、今どこに!?」


誰も、答えられなかった。


彼が自らの手で、追放したのだから。


王太子は床に膝をついた。取り返しのつかない後悔が、彼の顔を歪ませる。


そのとき――城門の方から、地鳴りのような足音が近づいてきた。


竜人の軍勢。その先頭に立つ、漆黒の戦鬼。


そして、その傍らに――静かな瞳の、亜麻色の髪の女が一人。


「失礼します」


リィナの、淡々とした声が大広間に響いた。


「重症者は、どちらですか」


────


私は喚かなかった。


ただ、運び込まれた負傷者の一人一人に、順番に掌を当てていく。


光はない。詠唱もない。けれど、触れた傷から、痛みがすっと引いていく。


「い、痛みが……消えた」


「呼吸が、楽に……」


兵たちの顔に、生気が戻る。


ロロが運び込まれた患者を手際よく仕分けし、ガレオンの竜人兵が次々と負傷者を運んでくる。砦で鍛えたチームワークだ。


その光景を、王太子ジェラルドが呆然と見つめていた。


「これが……本物の、癒し」


崩れ落ちる彼の前に、ロロが一冊の分厚い記録を差し出す。


「これ、リィナ先生が宮廷にいた頃から付けてた診療記録です。カルテっていうんですって」


王太子の手が、震えながらページをめくる。


そこには、克明に記されていた。


――ミレーユが『神の試練』と称して放置した、重症者の名前。日付。症状。そして、それを陰で支え続けた、リィナの処置の記録。


「ミレーユは、本物の治癒など一度も……っ。すべて、薬で偽装していたと……?」


「ええ」


私は手を止めず、淡々と答えた。


「そして将軍を蝕んでいた呪いの残滓――あれも、ミレーユが手柄欲しさに不完全な術で『治したフリ』をした副産物でした。被害者は、ガレオン将軍だけではありません」


金色の聖女が、その場にへたり込む。


「ち、違う……私は、聖女、なのに……っ」


誰も、彼女を見なかった。


それが、答えだった。


喚かず、責めず、ただ目の前の命を救い続ける。その背中こそが――最大の、ざまぁだった。


やがて王太子が、震える声で言った。


「リィナ……戻ってきてくれ。宮廷筆頭ヒーラーの地位を、いや、それ以上の――」


「お断りします」


私は、初めて彼の方を振り返った。


「私はもう、誰かの手柄のために手を汚しません。この掌は――痛みの隣にいたい人のために使います」


後悔に崩れる為政者を背に、私は最後の患者へと、静かに歩み寄った。


────


辺境砦に、小さな治療院が建った。


看板にはこう書いてある。『誰も見捨てない治療院』。


「先生、今日も患者さん来てますよ!」


ロロが――今ではすっかり一人前の助手だ――元気よく扉を開ける。


泥だらけだった手帳は、もう何冊目だろう。びっしりと書き込まれた知識が、彼を支えている。


「ガレオン、薬草の補充、お願いできますか」


「ああ。任せろ」


竜人の将軍は――いや、今は将軍を退き、この治療院の用心棒兼雑用係だ――大きな体を屈めて棚を整理する。


慢性痛も不眠も、すっかり消えた。今では誰よりよく眠り、誰よりよく食べる。


「リィナ」彼がふと、手を止めて言った。「お前と、ここで暮らせて……俺は、幸せだ」


相変わらず、言葉足らずで、ぶっきらぼうで、けれどまっすぐな男だ。


「……私もです」


素直にそう返せるようになった自分に、少しだけ驚く。


前世で擦り切れた凪沙だった頃には、想像もできなかった。


誰かの隣で、こんなにも穏やかに過ごせる日が来るなんて。


そのときだった。


コン、コン。


治療院の扉が、控えめに叩かれた。


「はい、どうぞ」


扉を開けると、そこに立っていたのは――一人の少女だった。


旅装に身を包み、けれど瞳には、まっすぐで澄んだ光を宿している。


そして、その額には。


金色に輝く、聖女ミレーユと同じ紋章。


ロロが息を呑む。ガレオンの眉が、わずかに動く。


だが――少女の眼差しは、ミレーユとは正反対だった。傲慢さも、欲も、そこにはない。


宿っているのは、作り物ではない、本物の慈愛。


少女は、深く頭を下げて、言った。


「あなたの掌の話を、聞いて来ました」


私は、少し驚いて――それから、静かに微笑んだ。


紋章は、偽物の証ではない。


それを偽物にするか、本物にするかは、その人自身が決めることだ。


「……どうぞ、お入りください」


痛みに寄り添う温かな掌は、こうして、世代と血筋を超えて受け継がれていく。


扉の向こうから、新しい風が吹き込んできた。


――次の物語が、始まる予感とともに。


────


【後書きQ&A】


Q. リィナの掌、結局チートでは?


A. チートです。でも一番のチートは『痛い人の隣に座り続ける根気』だと、作者は思っています。読んでくださって、ありがとうございました。

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