第八章 ❄︎世界の願い、子どもたちの願い❄︎
白い光の道を降りていくと、雪の街の灯りが近づいてきた。
巨大な船の内部とはまるで違う、あたたかい地上の色。
一歩降り立った瞬間──
「降りてきたー!」「ルーナだ!」「ミミ!」
待っていたのは、子どもたちの群れだった。
雪を抱えたり頭に乗せたり、手を真っ赤にしながら集まってくる。
その中央で王子が腕を組んでいた。
どう見ても緊張しつつ偉ぶっている少年だ。
「戻ったか、ルーナ令嬢!……いや、“おかえり”と言うべきか?」
「ただいま!」
『ただいま』
王子は、ホッ……と胸をなでおろした。
「……よかった。本当に、心配したんだぞ」
「ごめんね。でもね、行かなきゃいけなかったの」
「……だろうな。君のことだから、そうすると思った」
王子の目には、ルーナを見るときだけ宿る“妙な信頼”があった。
街の広場に戻ると、昼間よりずっと明るくなっていた。
人々の手で、たくさんの灯りが吊るされ、色とりどりの布が雪に映える。
そして何より。
「わ……! すごい!」
子どもたちが集めた“願いの飾り”が、大広場の中央に積み上がっていた。
「これは……みんなの“願い”?」
「そうだ!」
王子が胸を張った。
「君が言った“本当の願いを聞く”という言葉を、大人たちにも伝えた。最初は皆、戸惑っていたが……子どもたちが言いだしたら、大人は弱いからな」
「なるほど!」
『わかるわ……』
広場の中央には──紙に描かれた絵、木のおもちゃ、色石、歌詞。
そして、たった一言の紙切れ。
【おかあさんにありがとうっていいたい】
【しっぱいしてもおこられませんように】
【もっといっしょにあそびたい】
【ともだちがほしい】
【ひとりじゃないっておしえてほしい】
「……こんなにたくさん……」
『これは……“願いの総量”が回復してきてるね』
「回復?」
『うん。船は“本当の願い”が揃うと安定する。いま、街の子どもも大人も、自分の“本心”を出しはじめてる』
ミミは広場の上の空を見上げる。
雪はまだ降っていたが、結晶が前より柔らかくなっている。
『……でも、まだ足りない』
「足りない?」
『うん。“中心になる願い”がまだ見つかってない』
「中心……」
ルーナは胸を押さえた。
(もしかして……“わたしの願い”も、必要なの……?)
その時、小さな手がルーナの裾を引っ張った。
「ルーナおねえちゃん!」
「わっ、なぁに?」
昼間雪をなめようとして怒られたあの子だ。
「ねえ、あのね……ぼく、願い……ひとつだけどうしても言えなかった……」
「言えなかった?」
「うん……だって……“わがまま”だって言われるかもしれないもん……」
その言葉に、ルーナの胸がキュッと鳴った。
(わたしも……“言えない気持ち”ある……)
ルーナは膝をついて子どもと目線を合わせた。
「……言いたいなら、言ってもいいんだよ」
「でも……」
「わがままでもね──"本当の願い"なんだよ」
ルーナは優しく微笑んだ。
「言うのがこわいだけで、だいじな気持ちなんだよ」
子どもの目が揺れた。
「……ほんとう?」
「うん。すっごくほんとう」
すると、王子がそっと横に来て言った。
「願いとは、人に笑われてはいけないものだ。“王子だから”といって、私だって……言えない願いがあった」
「王子さまにも?」
「ああ。私は、ずっと……“友だちが欲しい”と思っていた。誰にも言えなかったが……言ったらすごく楽になった」
ルーナはこっそりミミと目を合わせる。
(かわいい……)
(かわいいね……)
子どもは口をぎゅっとむすんだあと、小さく言った。
「……ぼく……」
子どもは震える声で言った。
「おとうさんと、おかあさんと──"いっしょにごはんがたべたい"」
その一言は、小さくても重かった。
広場の空気が、静かに震える。
「いっしょに……たべたいんだ……ぼく、ひとりが……さみしいの……」
その瞬間、ルーナは胸がぎゅっとして、思わず子どもを抱きしめた。
「……すっごく、すっごく大事な願いだよ」
子どもは泣き声をこらえながら、ルーナの服にしがみついた。
「こわかった……でも言えた……!」
「うん、えらい!」
『こういう願いが……欲しかったんだよ。“本当の気持ち”──船が求めてるのは、これ』
ミミが空を見上げる。雪の降り方が、明らかに変わっていた。
ひと粒ひと粒が、温かい光を宿している。
まるで祝福を示すように。
王子が呟く。
「……世界が……応えてるのか?」
『うん。もうすぐ、“母さまの船”が安定する。あと必要なのは──』
ミミがルーナを見る。
『最後の、たったひとつの願い。“中心になる願い”。それが揃えば……全部おさまる』
「……わたしの……願い……?」
『そう。影が探していた“失われた願いじゃなくて”ルーナ自身の本当の願い。』
広場の灯りが揺れる。
空の中央で、船の光がゆっくりと収束を始める。
「ルーナさん!」
巫女が駆け寄ってきた。
「船の反応が落ち着き始めています……」
彼女は息を整えながら続ける。
「でも、核心がまだ安定しません。"子どもひとり分の願い"が……足りていないのです」
「ひとり分……」
ルーナの胸が跳ねた。
そのとき。
【……かえして……】
あの声が、ふっと耳に触れた。
【……あなたの……ねがい……きかせて……】
広場の灯りすら揺らすような、切なく響く声。
ルーナは胸を押さえる。
「……わたしの願い……」
すると、王子がそっと手を差し出した。
「ルーナ……“誰かのための願い”じゃなくていい。“君自身の願い”を……聞かせてほしい」
ルーナは息を呑んだ。
子どもたちが、息を呑む。
大人たちも、静かに見つめる。
雪の粒が、音のない音楽のように舞う。
それでも……
ルーナはまだ、胸の奥が絡まったまま。
「……わかんないの……」
ルーナの声が震えた。
「わたし……"本当の願い"……まだ……」
『ルーナ』
ミミが優しく呼びかける。
『言葉じゃなくてもいい。ただ、胸の奥の"いちばんだいじ"を見つけるだけ』
「いちばんだいじ……」
ルーナは目を閉じた。
胸に触れた。
雪の音を聞いた。
声を聞いた。
光の中で泣いていた影の声。
母さまの温かい光。
世界の子どもたちの願い。
王子のまっすぐな言葉。
全部が溶け合って──。
……それでも。
(わたしは……いったい……なにを願ってるの……?)
答えは、まだ曖昧だった。
でも、胸の奥の“熱”だけは、はっきりしていた。
『……ルーナ。それで、いいんだよ』
ミミの声は、とても優しかった。
『その"熱"こそが──願いの種』
ルーナは、そっと目を開けた。
雪はまだ降り続けている。
その雪の向こうで──
母さまの船が、"最後の願い"を待っていた。




