第七章 ❄︎母さまの船へ❄︎
雪は深く、静かに降り続いていた。
街は祝福祭の準備で徐々に賑わいを取り戻しつつあったが――空の上では、別の鼓動がゆっくりと強まっていた。
白い軌道船が、雲の奥で淡く脈打っている。
『……だいぶ起きてきちゃったね』
ミミの声はめずらしく不安げだった。
「ミミ、やっぱり船って……危ないの?」
『危ない、というより──"強すぎる"』
ミミは空を見上げた。
『あれは"願いの祝福機関"。人々の心が混乱してる今は、起きない方がよかったんだ』
「でも、起きちゃったんでしょ?」
『そうだね』
「じゃあ、行くしかないね」
『……そういうと思った』
ルーナはムンッと拳を握る。
「だってさぁ……ほっとけないよ。みんなの願いがぐちゃぐちゃになってるのに、船が苦しんでるのに……」
『船を“苦しんでる”として扱う子ども初めて見たよ……』
「ミミは見えないの? あの脈打ってる光……なんだか寂しそうで」
『……感じないわけじゃないけどさ。あれは“船の意思”じゃないよ。願いのノイズだよ』
「ノイズ?」
『うん。“本当の願い”がまだ揃ってないから暴れてるんだ』
ルーナは胸に手を当てた。
──その時。
【……かえして……】
また、あの声。
「……っ」
『ルーナ!?』
「だいじょうぶ。……ちょっと、胸がひゅってしただけ」
ミミはじっとルーナを見つめた。
『……やっぱり、ルーナは船に“繋がりやすい”んだよ』
「どうして?」
『知らないよ。……でも、母さまの光に触れた影響かもしれない』
その言葉が落ちた瞬間、空気が静かに震えた。
二人の足元──街の北側、丘の縁に、光の筋がまっすぐ伸びていく。
「あれ……」
『招待状だね。船からの』
「行こ!」
『いやなにその即答!?』
「だって呼ばれてるんだもん!」
『呼ばれてるのはノイズだよ!?』
「細かいことはお祭りが終わってから聞く!」
『細かくないよ!?』
とはいえ、ミミも、もう止められないと悟っていた。
ルーナという存在は、基本的に“行く必要のある場所”へ迷わず足を踏み入れる。
それは危うくて、それでいて、確かに道を開く力でもあった。
二人は丘を越え、街外れの古い石段をのぼった。
白い光が導くように揺れている。
そして、丘の上に、見慣れない光景が広がっていた。
「……きれい……」
空に伸びる白い“道”。
光の帯が螺旋を描きながら天へ昇っている。
まるで昔話に出てくる“天への階段”のようだった。
『これ……“転移スロープ”……。船が直接、地上へ出してきてる……』
「乗れるの?」
『乗る前提!?』
「ミミが止めても、わたし行くよ?」
『……知ってるよ』
ミミは深くため息をついた。
『しょうがない。ボクも行くよ。ルーナが勝手に突っ走って迷子になるよりマシ』
「ミミって、"母さまの船"のこと詳しいよね」
『うん』
ミミの瞳が、遠い記憶を辿るように細められた。
『黒猫族の成り立ちにも関係してる。《天の星船》が別の名前で呼ばれてた頃から、深い繋がりがあるんだ』
「おもしろそう! 聞かせて聞かせて」
『一応、黒猫族の長老に許可もらったらね』
「じゃ……ルーナ、無事帰れたらミミにお話聞かせてもらうんだ」
『それやめて。フラグみたいで嫌だから』
ルーナはえへへ、と笑いながら光の道へ足を乗せた。
瞬間。
足元がふわりと浮いた。
「わっ……!」
光の帯は、“階段”ではなかった。
螺旋に沿って、ゆっくり空へ運んでくれる“昇降流”。
雪の粒が周囲を舞いながら、上へ、上へ。
見れば、街が遠ざかり、灯りが星のように広がっていく。
「ミミ! 飛んでるよ!」
『飛んでるというか……流れてるというか……』
「王子もいっしょに来ればよかったのに」
『王子は祝福祭の準備があるでしょ。“本当の願い”集めてるんだよ』
「そっか……がんばってるんだね」
『うん。あの子、責任感強いからね』
ルーナは胸の奥に、ぽっと温かい灯りを感じた。
(王子……歌いたいって言ってたな……“本当の願いの日”になったら、きっと……)
そんなことを思っていると、視界がぱっと明るく開けた。
雲を抜けたのだ。
空の上。
二つの太陽の光が雪雲を透かし、その中央に──
「……あれが、“母さまの船”……」
巨大な白い船が浮かんでいた。
船というより、“空に浮かぶ神殿”。
滑らかな曲線と光の文様。
どこにも推進器がないのに、静かにそこに在る。
『……前に見たときより、光が強い』
ミミの声が震える。
『これ……半分以上起動してる。本格的に、暴走の一歩手前だよ』
「ミミ……こわい?」
『……少しね。でも……』
ミミはルーナのフードにしっぽを巻きつけた。
『ルーナが一緒なら、迷わないで行ける』
ルーナは小さく笑った。
「じゃあ、行こ」
光の帯はそのまま、巨大船の下部にある円形の入口へ滑り込んだ。
船の内部は、静かで、広かった。
廊下は白い光で満たされ、壁には無数の文様が浮かんでいる。
どの文様も、淡い金色で脈打っていた。
「なんか……心臓みたいだね」
『その通り。“心臓”であり、“記録庫”であり、“願いの倉庫”だよ』
「願いの倉庫……?」
『うん。この船は、祝福祭の日になると子どもたちの願いを集める。それを記憶して、光に変換する。その過程で、“母さまの祝福”が生まれるんだ』
「じゃあ、ここに……」
『うん。“願い”がいっぱい詰まってる』
歩くごとに、空気がひやりと揺らぎ、足元でかすかに声のようなものが流れた。
【……うたいたい……】
【……おかし……いっぱい……】
【……ひとりじゃ、いや……】
【……おとうさんに、ほめてほしい……】
「……これ、全部……」
『願いの残響。叶ったものも、叶わなかったものも、全部ここに残る』
「なんだか……せつないね」
『願いって、基本的に切ないものだよ』
「じゃあ、わたしの願いもここに入る?」
『“本当の願い”ならね』
「“本当の”……」
ルーナは胸に触れた。
その時、前方の巨大な扉が、すっと音もなく開いた。
その先に広がるのは、白い円形の大部屋。
中央の床には、無数の光の糸が集まっており、
天井までまっすぐ伸びている。
その中心。
浮かぶ球体。
淡い金色の光を放つ、“母さまの船の中枢”。
『……ここが、コアだよ』
ミミが息を呑む。
ルーナは、知らず知らず歩み寄っていた。
そして──。
【……きみ……】
声がした。
塔で聞こえた“影の声”ではない。
もっと柔らかく、もっと暖かく、もっと深い声だった。
【……やっと来たのね……】
「……母さま……?」
ルーナは、思わず囁いていた。
【……ちがうわ】
声が静かに否定する。
【わたしは"母さま"の代弁者……"心"ではなく、"仕組み"】
光の球体がゆっくりと揺れる。
【……でも、“あなた”は特別……】
ミミがルーナの腕を掴んだ。
『ルーナ、下がって……! そこは“起動核”!』
【……あなたの願いを……教えて……】
球体が、光の触手のようなものを伸ばす。
触れたら最後、願いを読み取られる。
ルーナは後ずさる。
でも、胸の痛みが止まらない。
(“わたしの願い”……)
(なに……?)
わからない。
わからないけれど……胸が、答えを求めている。
それを見て、ミミは叫んだ。
『答えちゃだめ!』
ミミが叫ぶ。
『今ここで"願い"を言ったら──ルーナの心ごと吸われる!』
「えっ!?」
【……ねぇ。"わたし"に、かえして……】
別の声が重なった。
影の声。
【……“わたしの願い”……“あなた”が持ってる……】
「持ってる……?」
ルーナは困惑した。
「わたし、何も知らないよ……?」
【……あなたは……“だれかの願い”の……続き……】
『ルーナ、離れて!!!』
ミミが飛びついてルーナを抱き寄せた。
その瞬間。
船の中枢が強烈な光を放った。
雪の概念が、外の世界へ溢れ出す。
祝福祭の“願い”がまだ揃わないまま、船だけが起動しようとしている。
「ミミ! どうすれば……」
『一度、離れる!このままじゃ飲まれる!』
光が爆ぜ、床が揺れ、ルーナとミミは外へ押し出されるように後退し……
巨大な扉が、音もなく閉まった。
「……っ!」
光が収まると、廊下は静寂に戻っていた。
ミミは荒い息でルーナの手を握る。
『……危なかった……』
「ミミ……」
『ルーナ』
ミミは真剣な顔で言った。
『あの声は、ルーナの“願い”じゃない。誰かの“欠けた願い”だよ。それが……ルーナを通して“満たされよう”としてる』
「わたしを……?」
『……たぶん、"前にここに来た誰か"』
ミミの声が沈む。
『その願いだけが残って、形をなくして──今、ルーナを"器"にしようとしてる』
「器……」
胸が、ひゅ、と冷たくなる。
『だから……まだ答えちゃだめ。ルーナの“本当の願い”がわかるまで』
「……うん」
ルーナは握り拳を作った。
「じゃあ、見つけるよ。わたしの願い。わたしのほんとの気持ち」
『ルーナ……』
ミミは小さく微笑んだ。
『そうだね。“本当の願い”を見つけるのが、この祝福祭の意味なんだから』
光の道が再び動き始める。
ルーナは振り返って、巨大な扉を見つめた。
(母さま……)
ルーナは心の中で問いかけた。
(わたし、なにを返せばいいの……? "だれ"の願いなの……?)
答えは、まだ霧の向こう。
でも──もうすぐ、触れられる気がした。




