第五章 ❄︎クリスマスの原型となった日❄︎
白い光が世界を満たしていた。
吹雪でも、月光でも、雪でもない。
もっとやわらかくて、もっと静かで、そして……どこか懐かしい“光”。
塔の屋上でそれに包まれた瞬間、ルーナは息を飲んだ。
「……ここ、どこ……?」
目を開けると、塔はもうなかった。
代わりに、果てしない白い平原。
雪でも砂でもない。
ただ、光の粒子が地平線まで広がっている世界。
『ルーナ! 無事!?』
ミミの声がすぐそばで響く。
ルーナは自分の手を見て、足を見て、ミミを見て──。
「うん、だいじょうぶ。ミミも?」
『ん……なんとかね。王子は?』
「ここだ……!」
聞き慣れた少年の声。
振り向くと、王子がゆっくりと立ち上がっていた。
「ここは……夢か……いや、違う。魔素の空間……?」
『うん。ここは現実じゃない。“船の記憶層”の中』
「船の……記憶……?」
『そう。母さまの軌道船は、“願い”を受け取る機関。強い願いは“記録”としてこの層に残る。たぶん……ルーナを引っ張ったのは、この中にある“願い”だよ』
「わたしを……?」
ルーナは胸に手を当てた。
(あの声……“返して”って、いったい、なにを……?)
光の平原の向こうに、“誰かの影”が見えた。
幼い影。
さっき塔で伸びてきたのと同じ、淡い影。
影はゆっくりと歩き、ルーナたちの前に立つ。
けれど、その顔はまだ見えない。
光の粒が覆い隠してしまう。
【……だれ……?】
影は、ルーナの方を向いた。
【……わたしの……“願い”…… かえして……】
ルーナは息をのむ。
「……わたし……?」
【……ちがう…… ちがうの…… あなたじゃ……ない……】
「……え?」
影が首を横に振る。
【……“わたし”は……ずっと…… ずっと呼んで……でも……とどかなくて……】
声は震えていて、寂しさがにじんでいる。
まるで、長い時間ひとりぼっちでいた子どものように。
『ルーナ。近づいちゃダメ』
ミミがルーナの腕をつかむ。
『影は“願いの残滓”。本当の持ち主がいないまま残った願いは、不安定なんだ。下手に触ると飲まれちゃう』
「……でも、泣いてるみたい」
『……ルーナ』
ミミは困ったように眉を寄せた。
どうしてこの子は、危険を目の前にして“まず悲しそうと感じる”のか。
でも、それがルーナの強さでもあった。
王子が一歩前に出る。
「影よ。きみは……何者だ?」
【……わからない……】
「わからない?」
【……ここに……のこった…… “ねがい”だけ……ほんとうは…… ──だれだったのか、わからない……】
ルーナの胸がぎゅっと痛む。
(だれだったのか、わからない)
それは“願い”が“持ち主”を失った証だった。
ミミが静かに言う。
『願いが未完成のまま残ると、こうなるんだ。祝福祭とは、本来“願いを形にする日”。願いが叶うかどうかは別として、“自分の願いを確かめる日”なんだよ』
「自分の……願い……」
王子が、息を呑むように小さくつぶやいた。
ルーナは影に問いかける。
「ねぇ。なにを“返して”ほしいの……?」
【……わたしの……ねがい……】
「願い?」
【……いまは……なにも……おもいだせない…… だから……“かえして” ……わたしを……】
ルーナは影に手を伸ばしかけ──
『ダメッ!』
ミミが飛びつくように手を押さえた。
『影は願いを“探してる”。“誰かの心”があれば、それを奪って繋げようとするかも』
「奪う……?」
『願いの空洞は、とても危険なんだよ。自分の“心”を食べて満たそうとするから』
「…………」
ルーナはそっと手を引いた。
影は悲しそうに震える。
【……さびしい…… さみしい…… どうして……だれも……】
その言葉に、王子は目を伏せた。
「……これは、“祭りの形骸化”の結果なのか」
『うん。形式だけ続けて、中身の“願い”を誰も確かめなかった。だから“願いだけが浮いてしまった”』
「浮いた……願い……」
『うん。“誰のものでもない願い”。祝福祭の歴史の中で置き去りになった“本来の願い”。それが、この影の正体だよ』
王子は深く息を吸う。
「……なら、我々は過ちを正さなければならないな。“祭りの意味”を……忘れていた」
「意味……?」
ルーナがたずねると、ミミが説明した。
『この世界の“祝福祭”はね。“母さまに願いを叶えてもらう日”じゃない』
「え? ちがうの?」
『うん。“自分の願いを確かめる日”。“願いを互いに分け合う日”。“思いを贈り合う日”。母さまはそれを“見守るだけ”』
「見守る……?」
『そう。母さまは、願い叶えてくれる“便利な道具”じゃない。人間が自分の願いを見つめる、その瞬間を祝福する“象徴”。それが祝福祭の始まりなんだよ』
ルーナはぽかんとした。
「じゃあ……クリスマスみたいな?」
『そう。“本当のクリスマス”に近いね。贈り物は“気持ちを伝える手段”であって、“見返りを求める物”じゃない。この世界の祭りも、もともとはそうだったんだ』
王子は悔しそうに唇をかみしめた。
「我々は……それを忘れてしまっていた」
影が、震える声で囁く。
【……だから……わたしは…… のこされた……?】
ルーナの胸が、ずき、と痛む。
「……ごめんね」
【……?】
「あなたの願い……さみしかったよね」
さらに歩み寄ろうとして──ミミに襟を引っ張られる。
『近い近い! 飲まれるって!』
「でも、この子……ずっと泣いてるんだよ?」
『泣く影は基本的に危険なんだよ!?』
ルーナは小声で言う。
(……でも、放っておけないよ……)
影は、言葉を続ける。
【……“母さま”の……ひ…… “ひかり”が…… とおくて…… みえなくて……】
ミミの目が鋭くなった。
『ひかり……?』
【……ひかりを……かえして……】
気配が変わる。
光の粒子がざわりと揺れた。
影の輪郭が、ほんの少しゆがむ。
『ルーナ、王子! 下がって!』
「な、何が――」
『くる……!』
影は涙のように光をこぼしながら、ルーナに向かって走り出した。
【……かえして…… “わたし”を……!】
「──っ!」
風が逆巻き、光が爆ぜた。
影が触れようと伸ばした手が、ルーナを飲み込もうとした、その刹那。
空の高いところから、やわらかい光が降り注いだ。
白くて、静かで、包み込むような光。
影の動きが止まる。
【……あ……】
影が震える。
【……ひかり……?】
それは、ルーナにも聞き覚えのある“気配”だった。
『……母さま……?』
ミミが目を見開く。
光はただ降り注ぐだけ。
声はない。
気配だけが、ほんの少し、優しく触れてくる。
影はその光に包まれ、ゆっくりと形を溶かした。
【……あったかい……】
その声は、消えていった。
影は雪のように崩れ、光の粒になって漂い……。
やがて、風に溶けるように消えてしまった。
「…………」
ルーナはしばらく、ただその場に立ちすくんでいた。
(……いまの……“母さま”の、光……?)
胸の奥がじんと熱くなる。
ミミがそっとルーナの腕にしがみついた。
『……ボクが言えるのはひとつだけ』
「?」
『母さまはね、“願いを奪わない”。“願いを与えもしない”。ただ、“願いが自分のものになるまで待つ”。……それだけの存在だよ』
「……そっか」
ルーナは空を見上げた。
光の残滓がふわりと舞い、やがて消えていく。
王子は拳を握りしめた。
「ルーナ。ミミ。……どうやら私たちは、本当に祭りを変えなければならないようだ」
「うん。本当の祝福祭にしよう。“みんなが、本当の願いを見つける日”に」
『そうしないと、船は収まらないからね』
王子はうなずく。
「急ごう。子どもたちに、“本当の祝福祭”を作らせるんだ」
「うん!」
その瞬間……光の世界がゆっくりと色を失い始めた。
風が吹き、地平線が揺らぎ、白い光がほどけていく。
現実が戻ってくる。
ルーナは最後まで空を見上げた。
(母さま……あなたは……なにを見てるの……? わたしに……なにを伝えたいの……?)
その問いに答える声はなかった。
ただ、優しい光がひとつ、胸の奥にそっと灯った。




