第四章 ❄︎ひずみの中心へ❄︎
雪は静かに降り続けていた。
それはまるで、この世界に“本来存在しない季節”が、こっそり悪戯で入り込んだみたいな、不思議でやさしい降り方だった。
けれどミミには、その静けさの裏側に、はっきりと“ノイズ”が聞こえていた。
『……ひどいね、この歪み』
ミミはルーナの肩で耳を伏せた。雪の粒が、落ちる瞬間にチリッと音を立てて消えるように見えた。
それはまるで、レコード針が摩耗した時のような、微かな、しかし連続する不協和音だった。
「ミミ、気持ち悪いの?」
『ボクは平気。でも──この世界は平気じゃない』
「世界が……?」
『簡単に言うと、"世界酔い"だね』
「世界酔い……?」
『本来ここにない季節が、世界の魔素に割り込んでる。このままだと、昼夜のサイクルや、二つの太陽の昇降まで狂い始める』
「それって……」
『めちゃくちゃになる』
「めちゃくちゃ……!」
ルーナは両手をぎゅっと握った。
この世界の子どもたちは、今まさに楽しそうに遊んでいる。
誰もまだ、“世界酔い”なんて恐ろしい単語の気配すら知らない。
だからこそ……。
「とめなきゃね、これ」
『うん。早めにね』
広場では、王子を中心にお祭りの再構築が始まっていた。
「大人はこっちで飾り付けを! 雪でも落ちないよう丈夫な縄を使え! 子どもたちは、順番を決めて歌の練習だ!」
「王子さま、雪が舞台に積もって……」
「なら雪かきを続けるんだ! こういう時こそ手分けだ!」
前回会ったより数段たくましくなっている。
“自分の言葉で人を動かす”ということを覚えた少年の顔だった。
そんな王子のところへ、ルーナは走っていった。
「王子! わたしたち、この雪の原因、見つけにいくわ!」
王子は驚き、目を見開く。
「雪の……原因?」
「うん。このままだと、世界が“酔っちゃう”んだって!」
「世界が酔う……? そんなことが……」
『ありますよ』
ミミがぴょんとルーナの腕から飛び乗り、王子の肩に軽く着地した。
兵士が思わず剣に手をかけたが、王子が手を上げて制した。
『この雪、ただの天候じゃない。"母さまの船"から流れ出してる』
「母さまの……船が?」
王子の表情が硬くなる。
『船は"祝福祭の日"、人々の"願い"を集める役目がある』
ミミは空を見上げた。
『でも今は──願いが散らかりすぎて、船が混乱してるんだ』
「願いが……多すぎる?」
『しかも“本心”じゃない願いも混じってる。“やらされてる願い”、“表向きだけの願い”、“言わされてる願い”。そういうノイズが大量に集まると──船は暴走する』
王子の顔が苦しげに歪んだ。
「……それは、私も……心当たりがある」
「王子?」
「今まで、祝福祭はただ“決められていた”。毎年、同じように祈り、同じように贈り物を配る。“母さまのため”だと……そう信じていたが……」
王子は拳を握りしめた。
「本当は、“誰のための祭りなのか”。私たちは考えてこなかったんだ」
雪が、王子の肩に落ちる。
彼はそれを握りしめ、静かに息をついた。
「ルーナ令嬢。ミミ殿。……どうすれば、船は止まる?」
『中心に行くしかないね』
「中心……?」
『雪が一番強く降ってる場所、魔素のひずみが集中してる地点。そこに“母さまの船”につながる回路ができてるはず』
「じゃあ、そこに行けば……!」
『うん。世界酔いを止められる』
ルーナは深くうなずく。
「ミミ、行こ!」
『ただ──気をつけて』
ミミの声が、わずかに沈んだ。
『ひずみの中心では、船の残光が流れ出してるかもしれない。そこには“願いの残滓”が溢れてる。場合によっては、“前に訪れた人たちの記憶”にも触れるかも』
「記憶……?」
『うん。強い願いは、記憶に残る。たとえば……』
ミミの視線が、ルーナの胸元に向いた。
『あの光の中で聞こえた声とかね』
ルーナの胸がきゅっと強く締めつけられた。
【……返して……】
あの声は、雪のように冷たくて、息をするみたいに淡くて、なのに、どうしようもなく“懐かしい”。
王子がルーナの顔を見て、言った。
「危険なら、私も行く」
「えっ、いいの?」
「私はこの国の王子だ。“母さまの船”に何かが起きているなら、それを確かめないわけにはいかない」
『でも……足手まといでは?』
「おい猫」
『冗談冗談』
王子は剣の柄に手を置き、きっぱりと宣言した。
「私も行く。……だが、先に皆に言っておかねばな。“祝福祭は続行だ”と。子どもたちの願いを集めておくように、と」
「うん、それ大事!」
『船を安定させるには、それが一番だからね』
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王子は家臣たちに指示を飛ばし、ルーナたちと合流した。
街を出て、北側の丘へ向かう。
雪はそこだけ濃く降り、空気がひんやりしている。
丘には、古い石造りの塔が一本だけ立っていた。
かつて“星読み”に使われていた塔だが、今は廃墟同然。
その塔の周囲だけ、雪が不自然に渦巻いていた。
「ここが……ひずみの中心……?」
『うん。間違いないよ』
ミミは空気をくんくんと嗅いで、尻尾を逆立てた。
『魔素が……うねってる。“願い”が流れ込んだ跡だね。塔のてっぺん……そこに船への回路が開いてる』
「登るしかない、ってことだね!」
「よし……行こう!」
三人は塔の中へ足を踏み入れた。
ひんやりした内部。石の階段が螺旋状に上へ伸びている。
足音だけが響き、天窓から時折、雪の粒が舞い込んでくる。
上へ、上へ。
登るたびに、ルーナの胸はざわざわしてくる。
ひずみの中心が近づくほど、
あの声がうっすらと、蘇る。
【……返して……】
(だれ……?)
問いかけても返事はない。
けれど、胸が苦しくなる。
塔の最上階の扉を開けたとき。
雪が、まるで逆巻くように吹き込んできた。
「うわっ……!」
王子が目を細める。
そこは、塔の屋上。
空に近い場所。
青白い光が、空中で揺れている。
まるで、大気に裂け目ができているかのようだった。
光の向こう──見える。
巨大な白い影。
空に浮かぶ、母さまの軌道船《天の星船》。
『……はっきり見えちゃってるね』
ミミの声は、いつもより小さかった。
『こんなに近くまで“回路”が開いたのは……相当やばいよ』
「船が……呼んでるの?」
『呼ばれてるんだよ。……“願い”に』
ルーナは、胸がぎゅうっと痛むのを感じた。
(誰の願い……? なにを、返すの……? 返して、って──誰が?)
その時──風がぴたりと止んだ。
雪が、音もなく宙に留まった。
そして。
真上から、“声”が落ちてきた。
【……だれ……?】
ルーナの息が止まる。
【……そこに……いるの……?】
それは、ルーナが聞いた声と同じだった。
でも、さっきより少しだけ、はっきりしている。
『ルーナ! 下がって!』
ミミが飛びつくようにルーナの前に出る。
青白い光の裂け目が、ふわりと揺らめいた。
その奥から誰かの“影”が伸びてくる。
小さな影。
幼い影。
そして、ひどく寂しそうな影。
【……かえして……わたしの……ねがい……】
ルーナの胸が激しく脈打った。
青白い影は、まるでルーナに触れようとするように手を伸ばしてくる。
【……かえして。“わたし”を……】
ルーナの手が、思わず胸を押さえた。
次の瞬間──
空が激しく震え、塔が揺れた。
『ルーナ! 伏せて!』
ミミの声が響いた。
その直後、世界が、雪と光で真っ白に染まった。




