第二章 ❄︎雪の降らぬ国に雪が降る❄︎
「きゃっ!?」
「ルーナ、手を──」
ミミの声が途切れる。
二人とも、雪ごと空へ吸い上げられた。
「ミミィィィィッ!?」
「うわああああっ!」
二人の叫び声は白い光に飲まれた。
景色が裏返るように変わり、雪の落ちる方向も上下もわからなくなる。
そして──。
ルーナの耳の奥に、なにかが触れた。
遠い遠い記憶の底で揺れるような、かすれた、細い声。
【……返して……】
「……え?」
誰の声だろう。
悲しそうで、寂しそうで、どこか“懐かしい”感じがする。
「ミミ……いま、なにか言っ──」
言い終わる間もなく、光が爆ぜた。
目を開けると──そこは、雪の落ちる夜の街だった。
二重太陽の世界。
冬はもちろん、季節のない世界に、静かに雪が舞っていた。
ルーナは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ミミ」
「うん。間違いないね。ここは──あの世界だよ」
見上げれば、空には太陽が二つ。
しかしその光は弱々しく、雪雲に薄く覆われていた。
ルーナの心臓がどきん、と跳ねる。
胸の奥に、まだあの声が薄く残っている。
【……返して……】
誰の声?
返してって、なにを?
わからない。
でも、なにか、とても大事なもののような気がした。
「……ミミ。なんだか、胸がへんな感じ」
ルーナの目に、雪が反射して光る。
その表情は、不安も期待もごちゃ混ぜになった、不思議な色だった。
この世界の人々は、雪を知識としては知っていた。
古い本には「条件がそろえば空から氷が降る」と書かれ、船乗りは「海の果てに凍てつく大陸がある」と語り、民謡には「白い星が降る夜」という歌詞があった。
でも、実際に見た人はほとんどいない──つまり、実質的には"伝説"だった。
その伝説が現実になったのだから、街の反応はこうだった。
上にいる人たちは、真っ青。
下にいる人たちは、テンション爆上がり。
おおむね、世の中はいつもそんなものである。
ルーナたちが落ちてきたのは、そんな世界のとある王国。
その国の一角、石畳の続く小高い丘の上だった。
それは、前に来たときと同じ街。
満開のピンクの花をつけていた街路樹は、今は葉を落とし、枝だけが寒々しく空に伸びている。
その枝に、薄く雪が積もりつつあった。
「……ほんとに降ってるね」
ルーナは両手を差し出し、そこに落ちてくる雪を見つめた。
魔界で見た雪と、形はあまり変わらない。けれど、こちらの方がずっと素直に“冬”らしい。
冷たい。けれど、刺すような冷たさではない。
まるで誰かが、「今日は特別だよ」と囁きながら、そっと頭に触れてくるみたいな感触だった。
『ルーナ。感傷にひたってるところ悪いんだけど』
腕の中のミミが、念話でくい、と肩をつつく。
『うん』
『とりあえず、あそこ』
ミミがしっぽで指した先には──人、人、人。
丘を少し下った先にある広場で、人々が空を見上げてざわざわしていた。
「これって雪?」「なんだあれは!?」
「砂糖か?」「空から砂糖が降るかよ」「じゃあ塩か?」「黙ってろ」
混乱具合としては、なかなかレベルが高い。
子どもたちはと言えば、ほぼ例外なくこうである。
「さわっていい?」「食べていい?」「ねぇなめていい!?」
付き添いの大人が全力で止めていた。
ルーナは、ほほえましくその様子を眺め──
「ミミ、わたしもなめていい?」
『ダメです』
「ちぇっ」
公平な世界というのは、なかなか訪れない。
広場には中央に噴水があり、その周りに露店の屋台がぐるりと並んでいた。
ただし、どの屋台も半分以上、慌てて店じまいを始めている。
「……あれ?」
ルーナは首をかしげた。
「お祭り……してたんだよね? この感じ」
色とりどりの紙飾り。
“母さまの日”に見たものと、少し似ているようでいて、違うようでもある。
もっと寒色系の色が多い。
青、銀、白。
それから、針葉樹の枝だろうか。とがった葉を持つ枝が、あちこちの屋根から下がっている。
ミミが短く答える。
『そうだね。お祭りの準備か、ちょうど始まったところか……そんなタイミングだったんだろうね』
「でも、なんで片付けちゃうの?」
『きっと雪が“縁起が悪い”ってことになってたら、やめちゃうかもしれないね』
「え、雪って悪いものなの?」
『この世界では、めったに起こらない自然現象は、だいたい“なにかの前触れ”とか“不吉な兆し”とセットで語られるものだよ』
「ふむ……」
ルーナはむむ、と腕を組んで考えた。
五歳児にしてはさまになっているが、中身は五歳児なので、考える方向は大体こうなる。
「お祭りが中止になると、お菓子も中止?」
『高確率でね』
「…………」
沈黙。
その沈黙の中に、さっきまでの淡い感傷も、雪の美しさへの感動も、“だいたい同じくらいの速度”で溶けていった。
代わりに、ルーナの頭の中を占領したのは、たった一つの事実である。
「それは、ゆるされないわね……」
『えぇ……』
ミミが呆れた目を向ける。
が、ルーナはもう真剣な顔になっていた。ある意味、彼女なりの“使命感”である。
「ミミ。確認しておくけど、わたしたち、また次元の迷子ってことよね?」
『そうだね』
「つまり、これは一種の“通りすがり”?」
『うん?……まあ……そうかな』
「通りすがりの吸血レディが、お祭り中止の危機に遭遇したと」
『うん』
「じゃあ助けないと」
『なぜそこに必然性を見出したのか、詳しく』
「だって、お祭りが中止になったら──」
『お菓子が消えるから?』
「そう! お菓子の絶滅を防ぐのは、わたしたち子どもの義務なのよ!」
『勝手に世界の義務を背負わないで欲しいなぁ……』
ルーナがそんなやり取りをしていると、広場の端から、大人の怒鳴り声が聞こえてきた。
「皆、落ち着きなさい! いいか、これは“試練”だ! “母さま”は我らを試しておられるのだ!」
見れば、教会の紋章を胸につけた男が、階段の上で腕を広げている。
年齢は中年くらい、腹回りもしっかり貫禄がある。
「雪などという得体の知れぬものに浮き足立ってはならん! これは我らの信仰を試す警告なのだ!」
「おおー……」
集まった人々がざわめいた。
「やっぱり不吉なんだ」「お祭り中止かな」「でも子どもたちが……」
ちらりと、子どもたちの視線が屋台に向く。
積まれたお菓子たち──今にも撤去されそうな甘い山々──が哀しげに輝いていた。
ルーナの眉が、ぴくりと跳ねる。
「あの人、お菓子を片付けさせようとしてる……」
『言いかた』
しかし、どう見てもその方向に物事は転がっている。
教会の男は宣言した。
「祝福祭は一旦、中止と致します! 雪が止み、“母さま”の真意が明らかになるまで、人々は家で慎ましく祈りを捧げるべきです!」
広場に、どよめきが走った。
子どもたちは一斉に、ものすごくわかりやすく絶望した顔をする。
屋台の主人たちは、「あー、そうなると思ったよ」という顔で肩をすくめる。
教会の男は、満足げにうなずいた。
「さあ皆さん、順序良くお帰りください。子どもたちは──」
「はいはーい」
その時。
教会の男の声を切るように、別の声が広場に響いた。
小さくて高い声。
五歳児にしては、やたら通る声。
全員の視線が、その声の方に向いた。
ミミを抱えた黒マントの幼女が、石段の途中までひょいひょいと登ってきて、くるっと振り返った。
「はい注目ー」
彼女は、勝手に進行を始めた。
広場の空気が、一瞬凍った。
教会の男は、まさに言葉を続けようとしていたところを遮られ、大きく口を開けたまま固まっている。
その隣に立っていた若い神官が、慌てて幼女を制そうと手を伸ばしたが、ミミのしっぽが、さりげなくその足首をひっかけた。
「うにゃっ」
若い神官は見事に転び、石段の途中で「ぐえっ」と変な声を出した。
ルーナは気にせず、にっこり笑う。
「えっとね。ごめんなさい、ちょっとだけいい? 今、大事なお話してたのはわかってるんだけど」
黒いマントに赤いリボン──服装は前と変わらない。
ただ、雰囲気だけは少し"ちゃんとした令嬢"っぽさが増していた。母さま仕込みの礼儀作法は、こういうところで役に立つ。
教会の男が、ようやく声を取り戻した。
「な、なんだね君は! 今は大人が──」
「だから、その“おとなの話”の中に、子どものことが入ってないなって思って」
ルーナは、くりっとした目で男を見上げた。
「さっき“祝福祭”って言ってたよね?」
「……あ、ああ。“母さまの祝福祭”だ」
「“母さま”って、“子どもたちの守護者”じゃなかった?」
広場の空気が、ふっと揺れた。
教会の男の顔に、「しまった」という色が浮かぶ。
周囲にいる大人たちも、「そういえば……」という顔になった。
「え、ええ。もちろん、“母さま”は全ての子どもたちの守護者であられる」
「じゃあ、“祝福祭”って、“母さま”が子どもたちを祝福してくれる日なんだよね?」
「そ、それは……」
「なのに、その日を、雪が降ったっていう理由でやめちゃうの?」
ルーナは首をかしげた。
その姿は、ただ純粋に疑問を口にしている子どものように見える。
だが、その言葉はさっき男が言ったことの矛盾を、そのまま返していた。
「だって、"母さま"は空から見てるんでしょ? 雪を止められないはずないよね?」
人々の視線が、教会の男に集中する。
「……そ、それは、“母さま”の深いお考えがあってだな……」
「じゃあ、“母さま”はきっとこう思ってるんじゃない?」
ルーナは、空を見上げた。
ちらちらと雪片が舞い、その向こうにぼんやりと二つの太陽が透けて見える。
「“せっかく珍しい雪を降らせてあげたのに、なんで家にこもってるのかしら。子どもたちの顔が見えないじゃない”って」
「…………」
広場が静まり返った。
子どもたちが、ぱちぱちと瞬きをする。
大人たちが、顔を見合わせる。
「だってさ。お祭りって、“母さまのための日”じゃないよね?」
と、その時。
「“子どもたちのための日”だ」
別の声が、その言葉の続きを引き取った。
石段の下の方から、兵士たちに囲まれた少年が一人、上がってくる。
肩には立派なマント。
腰には装飾の施された木剣。
見た目だけなら立派な騎士様、でも中身の身長はまだ子ども。
前にも見たことがある顔だった。
「あ」
ルーナは思わず声を漏らした。
「馬ベチャ王子」
「やめてくれないか、その呼び方は!」
少年──この国の王子は、真っ赤になって叫んだ。
どうやら、前回の“木馬からの見事なダイブ”の件は、彼にとって黒歴史らしい。
兵士たちが、微妙な顔でそっと視線を逸らした。
「ひさしぶりね、王子さま」
「……君は、あの時の──」
王子は一瞬だけ困ったように目をそらし、それから真面目な顔に戻った。
「私は今、“王子として”話している。あの件は忘れてもらえると助かる」
「努力するわ」
「努力、か……」
努力ではどうにもならないことも世の中にはあるが、王子はそこまで考える余裕はなさそうだった。
彼は石段の中ほどまで歩み出ると、広場を見渡した。
「皆、落ち着いてくれ」
さっきまで教会の男の声に従っていた人々が、今度は王子に耳を傾ける。
このあたり、権威というものは便利にできている。
「“母さまの祝福祭”は、子どもたちのための日だ。雪が降ったからといって、中止にする理由にはならない。むしろ──」
王子は、ふっと笑った。
「こんな珍しい日に祭りをしない方が、よほど“母さま”に叱られるだろう」
広場に、笑いがこぼれた。
「さすが王子さまだ」「言ってくれた」「やるじゃねえか」
教会の男は、顔を引きつらせる。
「で、ですが、殿下! この雪が何か不吉な前兆である可能性も」
「“母さま”が、子どもたちを不幸にするために雪を降らせると?」
「そ、それは……」
「もしそうなら、“母さま”は“母さま”ではない」
ぴしゃりと言い切られてしまうと、教会の男にも反論がしづらい。
「それに、私は知っている。この国の教会は、“母さま”の“優しさ”を伝える場所だ。“恐怖”で縛る場所ではない」
その一言で、何人かの信徒が「あっ」と小さく声を上げた。
教会の男の顔色が、じわじわと悪くなる。
『……この王子、ちょっと成長したね』
ミミが感心したように呟く。
『前より、ちゃんと“自分の言葉”で話してる』
『ね。えらいね』
ルーナはうなずいた。
王子はルーナの方に一瞬だけ視線を向け、それから、にやりと笑った。
「それに──」
彼は、ルーナを指さす。
「“母さまの日”に続いて、“祝福祭”にまで現れる。この不思議な令嬢が、“何もしないわけがない”」
「勝手にハードル上げないで!?」
ルーナは思わずツッコんだ。
が、もう遅い。
広場の人々の視線が、一斉に期待を帯びて彼女に向けられた。
さっきまで「ただのちょっと変わった子ども」だったはずが、一気に「何かやってくれる子」に格上げされたらしい。迷惑である。
「えーっと……」
ルーナは、ミミを抱きなおして、小声で相談した。
『ミミ。どうしよう』
『その顔で言うセリフじゃないね』
『ねぇ、今わたし、“何かすごいことができる人”って思われてるらしい』
『事実でしょ?』
『ミミがね』
『ボクが?』
ミミの耳がぴくりと動く。
『はい今決定。“雪の日の祝福祭を無事に続行させるための何か”をするのは、ミミ』
『聞いてないよ!?』
『大丈夫。わたし、ちゃんと応援するから』
『その“応援”が一番危険なんだよ……』
とはいえ、ここまで盛り上がってしまった以上、何もしないわけにもいかない。
ルーナは、一歩前に出て、両手を広げた。
「じゃあ、こうしましょう!」
雪が、彼女の周りでふわりと舞う。
「“祝福祭”は……」
一呼吸おいて。
「“続行”!」
広場に歓声が上がった。
「やったぁぁぁ!」「お菓子だ!」
子どもたちが飛び跳ねる。
教会の男が、「勝手なことを!」と叫ぼうとした瞬間――。
「ただし!」
ルーナは指を立てた。
「条件があります!」
広場がぴたりと静まる。
誰もが、「ただ続行じゃないの?」という顔で見つめている。
ルーナはにっこり笑った。
「"本当にやりたい祝福祭"にするの!」
その言葉に、王子が目を見開いた。
教会の男も、大人たちも、子どもたちも、一瞬、意味がわからないという顔をした。
「だってさ」
ルーナは言う。
「おとなが“こうしろ”って言うから、毎年同じような飾りで、同じような祈りをして、同じように行列して、同じようなお菓子を配って……。それだけじゃ、“母さま”も飽きちゃうよ?」
「飽き……」
教会の男の眉がぴくぴく震えた。
「じゃあ聞いてみようよ」
ルーナは、広場にいる子どもたちを見回した。
「みんなは、本当はどんな祝福祭がしたいの?」
静寂。
それから。
「……おいしいお菓子!」
まず一人が叫んだ。
続いて、
「たくさん!」「毎日!」「それは多い!」
「昼まで寝てても叱られない日!」「それは無理!」
「プレゼント!」「歌!」「踊りたい!」「ゲームしたい!」
声が一気にあふれ出した。
大人たちは、面食らったようにその様子を見ていた。
今まで、子どもたちに真正面から「どんな祝福祭がしたい?」と聞いたことがなかったのかもしれない。
王子が、ぽつりと言った。
「……そうだな。今までは……“決められた祭り”だった」
彼の目が、どこか遠くを見るように細められる。
「王宮で、決められた祈りをして、決められた贈り物を配って……。それが“正しい祝福祭”だと、疑いもしなかった」
「でも」
ルーナは言う。
「“母さま”って、そんな退屈なの、好きかな?」
彼女の言葉に、誰よりも強く反応したのは……。
空の、ずっとずっと上の方で眠っている“誰か”だったのだが、それを知る者はいない。
かわりに、王子の胸の奥で、何かがかすかに動いた。
「……じゃあ、聞いてみよう」
王子は決意したように顔を上げる。
「皆。今日の祝福祭は……“子どもたちの願いを叶える日”にしよう」
その言葉に、人々は息を呑んだ。
「もちろん、全ては無理だ。空を飛びたいとか、王様になりたいとか、明日から毎日お祭りだとか、そういうのは置いておいてだな」
「ちぇー」
どこかから、不満そうな声が上がる。
「でも、“今日だったら出来ること”はある。お菓子をもう少し増やすとか、歌うとか、踊るとか、雪で遊ぶとか……」
王子は、ルーナを見る。
「それを……“母さまに見せよう”」
ルーナの目が、きらりと光った。
「賛成!」
こうして──。
二重太陽の世界にとって、初めての“雪の祝福祭”が、始まろうとしていた。
同時に、“本当の願いはどこにあるのか”を探す旅もまた、静かに動き始めていたのだ。
ルーナ自身は、まだそのことに気付いていなかったけれど。
今のところ、彼女の頭の中は“お菓子を増やす具体的な方法”でほぼいっぱいなのである。
これはこれで、とても彼女らしいのだが。




