第一章 ❄︎空から粉砂糖が降ってくる❄︎
【ハロウィン編のおさらい】
吸血幼女ルーナは、使い魔の黒猫ミミと共に“ハロウィンでタダのお菓子をもらう”ため人間界へ向かうが、誤って異世界へ迷い込む。
“母さまの日”という祝祭が行われるその世界で、庶民の子どもたちが平等にお菓子をもらえないと知ったルーナは、貴族街へ突撃し、王子まで巻き込んで状況を解決。
教会で次元の知識を得たのち元の世界へ帰還するが……。
【ハロウィン編の主な登場人物】
●ルーナ
吸血鬼の幼女(5歳)。お菓子と冒険が大好きで、泣き虫だが肝は据わっている。魔法の才能は規格外で、宮廷作法は完璧。秘技「あたち5ちゃい」と押しの強さで貴族も王子も黙らせる。
●ミミ
ルーナの使い魔で黒猫族の次期当主。冷静でツッコミ役だが、ルーナには甘い。次元魔法の専門家で、異世界迷子の原因でもあり解決役でもある。食べ物には弱い。
●ベチャ王子(仮称)
木馬に乗った少年王子。礼儀正しく真面目だが、少し不器用。ルーナの豪胆さに振り回されつつも信頼を寄せるようになる。
●“母さま”の巫女
祝祭を司る教会の案内役。人ならざる輝きをまとい、異世界の知識にも通じている。ルーナたちの帰還を手助けした。
魔界に、雪が降った。
──その一文だけで、歴史書が一冊書ける出来事だ。
いや、あまりに荒唐無稽すぎて、後世の歴史家は「創作に違いない」と鼻で笑い、偽書と断じるかもしれない。
魔界とは、常に乾いた熱気が揺らめき、地面の至るところから青い炎がぷすぷすと噴く、灼けた大地の世界だ。湿気など生まれつき存在しないかのように、昼は陽炎が、夜は黒い霧が空気を満たしている。
その魔界に──雪、である。
白く、ふわふわと、触れれば溶け、冷たさを孕んだ、あの雪が。
奇跡とも異変ともつかぬ光景を、最初に見つけたのはルーナだった。
「ミミ! ミミミミ! 外! 外見て!!」
城中に響くほどの声で叫びながら、ルーナは勢いよく中庭への扉を開いた。
彼女の動きには、考える前に体が飛び出すという、いつもの癖がよく表れている。
扉を押し開けた瞬間──冷たい空気が頬を撫で、ふわりと白いものが視界を横切った。
「きゃーーーーっ! 空から粉砂糖が降ってるっ!」
ぴょん、と跳ねて飛び出したルーナの髪に、白い結晶がやわらかく降り積もる。
魔界のどんよりとした空気の中で、雪だけが異様なまでに澄み切って見え、彼女の喜びをさらに弾ませた。
その数秒後、ようやく外へ出てきたミミは、状況を理解しきれない顔で立ち尽くした。
「……ルーナ。これは……雪……だね」
「ね!? ね!? 知ってる!? これ雪!? たべられる!?」
「食べられるけど……お腹こわすよ」
「そんなっ‼︎」
胸の奥底から響くようなルーナの絶望の声は、魔界の地割れをひとつ増やすのではないかと思えるほど深刻だった。
だがその表情も、雪が溶けるより早くくるりと晴れ渡る。
ルーナは雪を両手いっぱいにすくい、頬ずりする勢いで抱え込んだ。
「でもふわふわ! 冷たくて気持ちいい! ミミ、見て! 雪だるま! ……あっ。溶けた」
「そりゃ魔界だからね。地熱であっという間に融けちゃうよ」
「魔界のバカァァァァァ!」
朝から全力のルーナだが、その声すら雪に吸われて柔らかく響く。
一方のミミはといえば。
彼女は雪そのものよりも、空気の異変を鋭敏に察知していた。
尻尾がわずかに震え、瞳の奥には「おかしい」という色が濃く宿る。
「……ルーナ。これ、おかしい」
ミミの声は低く、耳の先がかすかに震えていた。雪の冷たさではなく、不穏な空気を察した獣としての本能が彼女の背筋を固くしている。
「え! やっぱりお菓子なの? 解けないうちに集めないと!」
ルーナは相変わらず脳内の九割を甘味で占拠されているらしく、ミミの緊迫感とは真逆の方向に全力で走っていく。
「ちがうよ! “お・か・し・い”、おかしいって言ったの」
ミミはぴしっと指を立て、念を押すように音節を区切った。その横顔には焦りの色が薄く滲む。
「もう! 言い間違えしないでよ」
「そっちの聞き間違いじゃないか。ルーナが、お菓子のことばかり考えてるからだろ」
ミミは眉を寄せたまま、しかし内心では「この調子じゃ危機感なんて生まれないだろうな」と半ば諦めていた。
「いーえ! ミミがお菓子って言った」
「わかった。もういいよそれで」
ミミの声がわずかにくぐもる。議論の放棄という名の降伏である。
「自分の過ちを素直に認める子は、好きよ」
「ふぅ……まったく」
ミミはこめかみを押さえ、深くため息をついた。
しかしその視線は雪から離れず、猫耳は小さく震えている。
「で? なにがおかしいの? 笑えること? 楽しいこと?」
「どっちもちがう。異常だってこと」
淡々と告げるミミの声には、冗談の余地がなかった。
魔界に雪が降ることなど、気温的にも、歴史的にも、魔術的にもあり得ない。
もし記録に残れば千年単位で議論されるレベルの異常だ。
ミミは尻尾を立て、空気の魔素を探るように目を細めた。
彼女の瞳は、魔界でも数少ない“感知”の能力を持つ証として、淡く光を帯びる。
そして──。
「……次元の歪みだね、これ」
「じげんの……ひずみ?」
「うん。どこか別の世界の"冬"が、こっちに漏れてきてる」
ミミの説明は静かで、しかし確かな重みがあった。
「冬の気配って、そんなのが漏れるの!?」
「普通は漏れない」
「じゃあ、すっごく大事件!?」
「そう」
「わーい!」
「わーい、じゃない!」
ミミの尻尾がぴしっと立つ。
その警戒心の強まりに対し、ルーナはまるで気づきもしない。
ルーナにとって“冬”は未知であり、ほんの少しの雪でさえ宝物だ。
世界の異常よりも、胸の高鳴りのほうが大きい。
彼女は雪を頭に乗せたまま、くるりと回って踊り出す。
そのたびに、小さな雪の粒が虹色にキラキラと輝いて見えた(ただし、ルーナにだけ)。
「ミミ、見て! わたし今、冬の魔女みたいじゃない!?」
「冬の魔女はもうちょっと落ち着いてます」
「じゃあわたしは陽気なタイプの冬の魔女!」
「いませんよそんなの」
「いるよ! ここに!」
ルーナが胸を張った、そのとき──。
低く、うねるような音が空から響いた。
大地を震わせるほどではない。だが──空気の芯を、世界の縫い目をなぞるような、不気味な重低音。
「……え?」
ルーナとミミは同時に動きを止めた。
風の音ではない。
雷の音でもない。
もっと重く、もっと冷たい。
空間そのものが押し広げられるような──そんな音。
ミミの尻尾がぶわっと膨張し、毛が逆立った。
「ルーナ、気をつけて。この音……聞き覚えがある」
「え、なに? 爆発? 魔界崩壊? まさか昼ごはん抜き!?」
「どれもちがう。最後のは特に」
空の一点が、ぐにゃりと歪んだ。
透き通った水面に石を投げた時のように、空気が波打ち、雲と雪の軌跡までも歪んでいく。
世界に穴が開き、そこから──
白い光が溢れ出した。
「うわっ!?」
ルーナは目を細める。
光は暖かさのない、凍てつくような白。
月光を何十倍にも増幅したかのようで、見ているだけで胸の奥がざわつく。
ミミは、その光をひと目見て悟った。
胸の内側がぎゅっと縮む。忘れたくても忘れられない光の質──あの世界特有の、澄んでいるのに底知れず冷たい気配。
「……やっぱり。あの世界の光だ」
「どの世界!?」
ルーナは期待で尻尾でも生えそうな勢いで前のめりになる。ミミは苦笑しつつも、目は光から離せない。
「ハロウィンのとき迷い込んだ世界だよ」
その言葉に、ルーナの瞳がぱあっと輝く。
まるで光の正体が脅威ではなく、新しい冒険を告げる鐘に聞こえているかのようだ。
「えっ、じゃあまたあの串焼きをくれたおじいさんや、飴玉をくれたお肉屋さんに会える!?」
「帰るのを手伝ってくれた巫女さまや、王子さまよりそっちが出てくるのってどうなの」
ミミは呆れた声を出しながらも、どこか温度がある。
ルーナが思い浮かべるのは“人”でも“事件”でもなく“味”なのだと、もう慣れきってしまっている自分に気づいていた。
「うーん……気分?」
「お菓子中心に考えるのやめた方がいいよ」
「女の子はお砂糖とお菓子、それと素敵な何かで出来てるのよ」
「それって、お菓子じゃなくてスパイスじゃなかったっけ?」
「スパイスは辛いから、いらないのよ」
ルーナは胸を張るが、その間にも空の裂け目はじわりと広がっていく。
ひりつくような冷気が魔界に流れ込み、周囲の空気の層がわずかに震えた。
「それより、あの穴ってハロウィンの時の世界に繋がってるのね」
ルーナの声は弾んでいるが、空気は明らかに重い。足元の雪さえ、今は喜びよりも不穏の象徴に見える。
「たぶん……そうだと思うよ」
ミミの返答には慎重さと、ほんのわずかな警戒の震えが混じっていた。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ルーナの歓声が魔界の空へ跳ね上がる。
だがその声を歓迎するようにではなく、むしろ飲み込むように──裂け目は静かに、確実に、吸い込みを始めた。
ルーナとミミを──音もなく、しかし容赦なく──巻き込んで。
ハロウィン編に続き、クリスマスまでに書き切れるか企画です。
前作は、一か月以上の余裕がありましたが、今回は三週間ほど。
しかも、現在このお話以外に連載五本中。
果たして間に合うのでしょうか……。




