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 第九章 処女喪失は痛いよぉ 三回もすることないじゃない せめて正常位だけにして

 玲ちんの結婚式が六月と決まった。結婚式は若菜島でおこなわれた。カケエとスミレちゃんも出席した。披露宴が終わって帰るとき玲ちんがあたしにささやいた。

「イチズはカケエくんと結婚しなよ」

「どうして?」

「だってカケエくんは『イチズが好きで好きでたまらない。ぼくの初恋だ』って言ってたわ。ねえイチズ。リョースケがいなくなって五年よ。カケエくんとつき合ってるんでしょう? カケエくんはいいやつでずっとイチズを思ってるのよ? 応えてあげなよ。いつまでも思わせぶりはひどいわ」

 ううむとあたしは考えこんだ。たしかにそのとおりだ。あたし自身もそう思っていた。カケエはこのところ医師試験に合格したら結婚して欲しいと言うのが常だった。あたしは煮え切らない返事に終始した。新宿でリョースケと接触した件は誰にも言わなかった。リョースケが消えたままでは話しても仕方ないと思ったせいだ。

 あたしとカケエは同じフェリーで島を離れた。フェリーを降りると午後十一時だった。あたしは本土にホテルを予約してあった。カケエは桜子の正徳院家で宿をとる予定だ。

 あたしはホテルのバーに誘われた。酔ったカケエがあたしにからんだ。

「ぼくと結婚するほうがイチズは幸せになれる。イチズはぼくと結婚すべきだ」

 あたしは肩をすくめた。

「そうね。ママといっしょであたしの好きになる男はきっとろくでなしだわ」

 カケエががっくりと肩を落とした。

「ぼくはそのろくでなしにもおとるのか」

 カケエが泣きはじめた。あたしはかわいそうになった。無言であたしはカケエの手を取った。エレベーターであたしの部屋にあがった。部屋にはいるとすぐあたしは謝った。

「ごめんねカケエ」

 あたしはカケエのあごを持ちあげた。カケエの口にくちびるを寄せた。キスをしながら部屋の電気を消した。カケエといっしょにベッドにそっと身を横たえた。カケエの手をあたしの胸と下半身にみちびいた。カケエの指があたしの胸と下半身をたのしんだ。

 いやではなかった。嫌悪感もおぼえなかった。だが胸のときめきがなかった。リョースケとキスをするときあれだけ高鳴ったあたしの心臓は平穏なままだった。自慰をしている感じに近い。エッチな気分になったが頭に血がのぼらない。のぼせてポーッとなることはなかった。

 カケエとくちづけをつづけながらあたしはカケエのネクタイをゆるめた。あたしはカケエを全裸にした。カケエにもあたしをすべて脱がさせた。暗闇の中でしずかにあたしは両足を広げた。カケエがあたしのくちびるを舐めながら身体を重ねた。あたしはカケエの背中に腕をまわした。カケエがはいって来てあたしは痛みに顔をしかめた。閉じたあたしの小径をカケエが荒い息でこじあけた。律動があたしとカケエのあいだにあるたったひとつの共通項だった。

 カケエがあたしの中でヌルヌルになった。痛みがすこしましになった。カケエの脈動をあたしはおぼえた。カケエを愛してはなかった。でもきらいではない。好きだろうと思う。好きだと言い切れないのがあたしには悲しい。カケエを好きになれればあたしの胸が痛むこともないだろうに。

 あたしはカケエにゆるした。上に乗るカケエを両手で抱きしめてキスをした。なのに愛せなかった。あたしってなんていやな女だろう。こんなときにも想うのはリョースケだった。カケエがかわいそうだった。こんな女を愛しちゃだめよ。

 カケエの息が小きざみになった。ベッドのスプリングがギシギシときしみ音を立てた。あたしの頭が上下に小さく移動した。カケエがううっとうめいた。あたしの太ももをさらに大きく広げた。カケエの舌があたしを求めた。あたしがカケエの舌にこたえるとカケエの腰がひときわ強くあたしを突いた。

 カケエがあたしに下腹をこすりつけた。カケエの発作がはじまってあたしはカケエの舌の根まで吸ってあげた。おなかの奥を温かいほとばしりがたたいた。カケエの脈打ちにあたしの芯もヒクヒクと応じた。肌と肌を密着させてお互いの拍動をわかち合うのは心地よかった。カケエの満足はあたしにも充足感をもたらした。愛する男のものだともっといいのだろう。リョースケとたのしんだ翌朝の玲ちんのようにいつまでも温かさが持続すると思えた。

 あたしの頬に熱い息を吹きかけてカケエがあたしに告げた。愛してると。愛してると返してあげられないあたしはカケエの舌を舐めた。ごめんねと胸の中であやまりながらあたしの中にあるカケエをひくひくとなぐさめた。

 カケエの頭をなでているとカケエがいつの間にか眠りに落ちた。

 あたしの横でカケエが寝息を立てた。あたしの目はさえていた。

 あたしはふっ切るつもりだった。忘れるつもりだった。でも確認しただけだ。あたしはより強く確信した。リョースケこそがあたしの彼だと。カケエとこうなってあたしの心はかえって固まったみたいだ。あたしが欲しいのはリョースケだけだと。それまであたしはこう思っていた。カケエも愛せるかもと。

 あたしは眠るカケエに声をかけた。

「ごめんなさいカケエ」

 カケエが答えた。眠ってなかったらしい。

「いいよイチズ。そうだと思ってた。でもぼくはイチズとこうなれて満足だ。ありがとう」

 あたしはカケエの優しさが胸にこたえた。あたしはカケエに抱きついた。上からカケエにキスをした。

「ごめんカケエ。あたしカケエを愛せない。でもカケエは好きよ。感謝してるわ。今夜はあたしを好きにして。カケエのしたいことをみんなして」

 あたしは泣きながらカケエの男を指でさぐった。カケエがむくむくとその気になった。カケエも泣きながらあたしの女をもてあそんだ。

 カケエが求めたのであたしは四つん這いになってカケエにお尻をさし出した。カケエが愛してると言いながらあたしをたのしんだ。カケエがよろこんでくれてるのがあたしにもよかった。痛みよりカケエの灼熱のものをあたしは強く感じた。男を包みこむ触感があたしを高ぶらせた。受けいれていつくしんでなぐさめてる。かわいい男の子の筆おろしをしている感じが胸にズキンと来た。

 カケエが満足するようにあたしはふるまいたかった。お尻をふってカケエを緊めてあげた。愛してるとは言えなかったが好きよとは言えた。あえぎ声も聞かせてあげた。カケエが泣きながらあたしに放ってくれた。ドクドクと男をふるわせるカケエにあたしは顔をふり向けてキスをした。熱くあまくせつないくちづけをカケエと交わした。

 カケエが離れるとあたしはカケエにひざまづいた。カケエのそれにキスをした。男と女の刻印をきざんだあかしをあたしはよろこばせてあげたかった。カケエが腰を突き出してあたしの思いにこたえてくれた。あたしは精一杯の努力でカケエをなぐさめた。

 カケエは終わってもあたしの下半身を指でもてあそびつづけた。あんがいスケベなのねと思いながらあたしはカケエをあおむけに寝かせた。くちづけながらあたしをカケエに重ねた。カケエが下からあたしを突きあげた。男と女のぬめりがあたしには気持ちよかった。カケエもそうだったみたいだ。お尻をくねらせてあげるとカケエがよろこんだ。ひくひくとあたしにこたえてくれた。あたしもたのしくなってカケエをむさぼった。カケエの耳にイクぅとささやいてあげるとカケエがあたしの奥にしぶかせた。あたしは女の突起をカケエの下腹にこすりつけた。いつもひとり遊びをしてるようにだ。子宮がカケエを吸いあげる動きと同時に硬くなったそこでもよろこびの波動が沸き立った。自慰よりは気持ちいい終わりにあたしはありがとうとカケエの耳を舐めた。

「ぼくこそありがとう。きみが好きだ。大好きだよイチズ。愛してる。愛してるんだ」

 カケエの脈打ちがゆっくりになってあたしはカケエの頭をなでつづけた。カケエが先に眠ったのかあたしが先に睡魔にとらわれたのかわからない。気がついたときあたしは全裸のまま朝をむかえていた。

     ☆

 七月になった。あたしのスマホが鳴った。カケエからだった。カケエとはあのあと会ってなかった。あたしは大きく息を吸いこんで電話にでた。

「ごめんなさいカケエ。あたしもうカケエとは会えない。カケエの望む女にはなれないわ」

「ちがうんだイチズ。そんな話じゃないんだ。こないだ久しぶりに桜子に会ったんだよ。そしたらさ。リョースケが島に来たかもって言うんだ」

「リョースケが?」

「そう。五月に敦史さんの命日があったろ? リョースケのお父さんの敦史さんだよ。桜子が見たとき墓に缶ビールがそなえてあったんだってさ。桜子が言うんだ。そのビールは名古屋限定の品だったってね。ぼくは父さんにも訊いたんだよ。父さんも敦史さんの墓まいりに行ったからね。父さんが行ったときに缶ビールはなかったってさ。桜子は悲恋岬の夕陽が見たくて日暮れに行ったそうなんだ。敦史さんの関係者で名古屋に住んでる人はいないんだ。考えられるのはリョースケひとりだよ」

「ふうん。名古屋ねえ」

 あたしが新宿でリョースケとすれちがったのは四月だ。あのとき東京を離れろとあたしは言った。リョースケは名古屋へ逃げたのだろうか?

「それでさ。ぼくは思うんだ。今月は文代さんの命日があるだろ? リョースケはまた墓まいりにくるんじゃないかな?」

「えっ? リョースケが墓まいりにくる?」

「そうと決まったわけじゃないよ。でもくる可能性は大きいんじゃないかな? ぼくは文代さんの墓まいりもかねて島に帰るつもりさ。そのときイチズと顔を合わせて気まずくなるといやだから電話したんだ。ごめんね。もう電話しないからさ」

 カケエが通話を切った。あたしはスマホを手に立ちつくした。リョースケが墓まいりに? あたしリョースケに会えるの? 四月にはすれちがっただけだった。でもリョースケに会えた。神さまはあたしの願いをかなえてくれるのかもしれない。あたしの胸はリョースケでいっぱいになった。十六歳のリョースケではなかった。二十歳に成長したリョースケだった。あたしはうわの空で旅じたくを旅行カバンにつめた。文代さんの命日までまだ一週間以上あったのにだ。あたしはうわごとのようにつぶやきながら荷物を入れた。

 今度こそリョースケと再会できるかもしれない。流れ星に九十九回好きって言ったもの。でもあたし流れ星に九十九回好きって言ったけどリョースケには一回しか好きって言ってない。今度あえば愛してるって言おう。新宿で言えなかったものね。そうだわ。勝負下着もいれなくちゃ。リョースケめ。きっといまでもあたしがウサギ柄の下着だと思ってるわね。大人の下着で度肝を抜いてやるわ。うふふ。あたしはいつまでも女子高生じゃないんだからね。でももしリョースケに女ができてればどうしよう? ああーん。神さまぁ。リョースケに女がいませんようにぃっておねがいするのを忘れてたよぉ。

 そんなアブナイ人になったあたしは文代さんの命日を待ちわびた。文代さんの墓には六月の結婚式のときに寄っていた。文代さんは敦史さんと同じ墓に眠っていた。

 あたしは朝一のフェリーに乗った。台風がこの地方に近づいていた。午後のフェリーはすでに欠航が決まっていた。台風はまだ遠かった。しかし速度が早かった。今夜には若菜島に最も接近すると気象庁は言っていた。あたしが港に着くとカケエが立っていた。

「リョースケはまだきてないよ。くるとすれば夕暮れか夜だと思う」

「でもフェリーも飛行機も午後から欠航よ? 本当にきょうくるの?」

「それはわからない。でもぼくらは待つ以外にできないよ」

 あたしはカケエの車で悲恋岬の墓地に行った。文代さんの墓にスミレちゃんが先着していた。あたしはスミレちゃんとならんで墓に花をそなえた。草もちや大福がすでに置かれていた。文代さんが大福をほうばっている笑顔が見えるようだった。

 あたしとスミレちゃんはかたくるしいあいさつを交わして三人でいったん町にもどった。さっきまでの青空がだんだん雲におおわれはじめた。あたしとカケエは定期的に墓を見張ろうと相談しあった。スミレちゃんも参加すると言い張った。

 日暮れがせまるまでにあたしはくたくたになっていた。昨夜もほとんど眠ってない。天気はどんどん荒れてきた。風が横なぐりになった。悲恋岬の海はいつも以上にうねっていた。雨も時折ザッときた。こんな天気でリョースケがくるとは思えない。

 しかしリョースケはやってきた。まだ太陽は落ちてないのに薄暗かった。背の高い男がフードで顔を隠すように花束を抱いて歩いてきた。顔は見えなかった。なのにあたしは確信した。リョースケだと。スミレちゃんもそう思ったようだ。カケエもまたリョースケだと見て取った。あたしたち三人は顔を見合わせた。あたしはカケエに訊いた。

「どうしよう?」

「そうだな。リョースケが花をそなえたあとで声をかけようよ」

 あたしたち三人はそっとリョースケのあとをつけた。リョースケはふり返りもせず文代さんの墓に足を運んだ。花を立てて手を合わせるリョースケをあたしたちは見守った。

 リョースケがお祈りを終えてあたしたちのほうに顔を向けた。あたしはもうがまんができなかった。でもあたしが駆け出すより早くスミレちゃんが走った。

「お兄ちゃん!」

 スミレちゃんが全身でリョースケに飛びついた。リョースケががっしりスミレちゃんを受けとめた。二十歳のリョースケはすっかり大人の体格になっていた。

 あたしも駆け寄ろうとした。そこへあたしとカケエのうしろから声がかかった。

「大日向良助だな! 強盗殺人容疑で逮捕する!」 

 ふり向くと源馬刑事が銃をかまえてリョースケを狙っていた。源馬刑事のうしろには木之元署長もいた。源馬刑事が銃をかまえたままリョースケとスミレちゃんに足を進めた。

「墓地にも監視カメラをしかけて正解だったな! おとなしく逮捕されろリョースケ!」

 リョースケがスミレちゃんの首に腕をまわした。スミレちゃんを自分の前に立たせた。

「来るな! 来るんじゃねえ! おれは捕まらねえぞ!」

 源馬刑事がたじろいだ。いま発砲すれば当たるのはスミレちゃんにだ。撃つとおどしても効果がない。リョースケはスミレちゃんを盾にジリッジリッと歩きはじめた。

 スミレちゃんが顔をふり向けてリョースケを説得した。

「やめてお兄ちゃん! おとなしく逮捕されて!」

 しかしリョースケはスミレちゃんを身体の前に立てたままあたしたちを迂回した。リョースケは顔をあたしたちに向けて墓地の出口へあとずさった。銃をかまえた源馬刑事が一歩踏み出した。リョースケがナイフを出してスミレちゃんの首にあてた。

「来るな! 近づくとこの女を殺すぞ!」

 源馬刑事が叫んだ。

「それはおまえの妹じゃねえか!」

 リョースケがニヤッと笑った。

「ちがう! こいつとは血がつながってねえ! 赤の他人だ!」

 源馬刑事が驚愕に目を見開いた。その可能性は考えたこともなかったらしい。

 そのすきにリョースケがスミレちゃんを引いて墓地を出た。そこへ県道から走ってきた警官三人が立ちはだかった。退路をはばまれたリョースケは悲恋岬へと足を向けた。

 あたしとカケエと源馬刑事と署長はリョースケを追った。

 あたしはリョースケに声をかけた。

「リョースケ! そっちは海よ! もう逃げられないわ! おとなしく逮捕されてよ!」

 リョースケが血走った目でかみつくように叫んだ。

「いやだ! おれはこの女を人質に逃げてみせる! あんなクズどもを傷つけただけで逮捕されるなんてまっぴらだ!」

 あたしは思った。リョースケは混乱している。スミレちゃんを人質にしても逃げられるはずはない。そちらは海だ。しかも台風が接近して大きく荒れていた。いつも以上に流れが急だった。そこから逃げられるはずはない。あたしたちは憑かれたみたいなリョースケを追った。ついにリョースケが悲恋岬の先端まで達した。もうあとはない。源馬刑事が銃をかまえてリョースケに歩幅をつめた。リョースケが源馬刑事を威嚇した。

「おれに近づくな! 来たらこの女を殺すぞ!」

 源馬刑事は笑みを浮かべてリョースケに声をかけた。逮捕は時間の問題という顔だった。

「やめろ! バカな真似をするなリョースケ! おとなしく逮捕されるんだ! 逃げ場はどこにもないぞ! うしろは崖だぜ!」

 そのときだ。突風が吹いた。リョースケの手がスミレちゃんの首を離れた。スミレちゃんがリョースケの足元にくずれ落ちた。リョースケの胸ががらあきになった。源馬刑事の指に力がこもった。銃の引き金にかけた右手の指にだ。

 撃たれる! そうあたしは目を閉じた。その一瞬だ。カケエが源馬刑事に飛びかかった。

「撃つなぁ! 撃たないでくれぇ! リョースケはぼくの親友だぞぉ!」

 カケエの右手が銃をつかんだ。カケエと源馬刑事は銃を争奪しあうようにもみあった。

 源馬刑事が叫んだ。

「やめろカケエ! 銃が暴発するぞ!」

 その瞬間だった。銃声が垂れこめた雲をふるわせた。

 あっとあたしは思った。バンという音とともにリョースケのシャツの胸から血しぶきが風に舞った。ウグッとリョースケが傷を押さえた。リョースケの心臓の真上だった。血がリョースケのシャツを濡らしはじめた。リョースケの顔が怒りからほほえみへと変化した。あたしはその変化を見たことがあった。リョースケに刺された義父の顔だ。生から死へといたる変化だった。カケエの手を拳銃からもぎ離した源馬刑事がうめきをあげた。

「ちくしょう! 心臓に命中かよ! ついてねえぜ!」

 安らかな顔に変わったリョースケは風に押されるまま崖を離れた。ゆっくりゆっくり台風の海へと落ちていった。悲鳴もあげなかった。すでに死んでいるらしい。

「リョースケ! リョースケッ! リョースケェ!」

 あたしの絶叫だけが強風を切り裂いてあたりにこだました。あたしはすぐリョースケの落ちた地点まで走った。スミレちゃんはぐったりとうずくまっていた。あたしはおそるおそる崖から下をのぞきこんだ。海にリョースケの姿は見えなかった。大荒れの海はリョースケを飲みこんでさかまいていた。もうリョースケは返さないよ。そんな声をあたしは聞いた気がした。あたしは泣いた。泣きつづけた。

 そのあたしのうしろで木之元署長がわめき始めた。

「源馬くん! なんてことをしてくれたんだ! 心臓を狙い撃つなんて! あれじゃ殺人だぞ!」

「署長! 俺のせいじゃないですよ! カケエが銃に飛びつくからでしょう! 俺は空を狙ってたんだ! 責任はカケエにある! 俺は心臓を撃つつもりなんてさらさらなかった!」

 みっともない責任のなすり合いだった。源馬刑事と木之元署長がもめているあいだに雨が落ちはじめた。台風の豪雨だった。危険だからとカケエに引きずられてあたしは悲恋岬から引き離された。スミレちゃんは警官三人に運ばれた。

 台風は若菜島を暴風域に巻きこんだ。心臓を撃たれたリョースケは大荒れの海にもまれにもまれただろう。海に落ちなくても心臓を撃たれたのでは助からない。あたしはただひたすら泣いた。カケエもスミレちゃんも泣いていた。

     ☆

 三日がたった。リョースケの遺体は発見できなかった。警察は捜索を打ち切った。台風はとっくに走り去っていた。あたしは虚脱状態でひとりフェリーの最終便に乗った。スミレちゃんは円城寺病院に入院した。ケガはなかった。ショックだったらしい。リョースケに殺されかけたのがだ。それとも妹じゃないと否定されたのがだろうか? リョースケの死はもっとこたえたはずだ。カケエはそんなスミレちゃんについて島に残った。

 島を出る最終フェリーは午後九時発だ。あたしはフェリーの後部手すりに胸を押しつけて遠ざかる港を見ていた。全天に星がまたたいていた。十六歳のときに見たままの星空だった。あの十六歳の星は希望で輝いていた。いま二十一歳の星は涙でかすむ星だった。泣いても泣いてもあたしの涙は枯れなかった。いつになったらあたしの涙はとまるのだろう? あたしの恋は幼かった。でも精一杯だった。哀しみの記憶はいつまでも消えないだろう。思い出の温度はいつも熱い。あの血がたぎり立つような季節はどこに消えたのだろう? 墓地にリョースケがきた時やっと言えると思った。愛してると。ずっとずっと好きだったと。でももうリョースケはいない。悲恋岬の海に飲まれた。あたしの恋は永遠にかなうことのない恋だ。島が小さくなりはじめた。二度と見ることがない島だ。潮風に吹かれてあたしはそう思った。あたしはまたこぼれてきた涙をハンカチでぬぐった。

「九十九回しか好きって言ってない。だからだめだったのかも」

 涙目で見る夜空に星が流れた。あたしは思わず星に叫んだ。

「好き! あたしリョースケがだーい好きっ!」

 フェリーのエンジン音があたしの叫びを飲みこんだ。あたしはふと冷静になった。

「ああ。そうだった。百回言ってももう会えない。だってリョースケは」

 あたしはデッキの手すりに頬杖をついたまま船の航跡をながめた。島は小さくなりすぎて見えない。暗い海にほの白い航跡がつづいているだけだ。夜風があたしを包んですり抜けた。風があたしのブラウスの肩をはためかせた。リョースケがあたしの肩を叩いた。そんな気がしてあたしはふり向いた。でもあたしの目には誰ひとりいない後部甲板がのびているだけだった。

 あたしは泣きながら海に目を落とした。いつまでも海を見ていたとてしかたがない。それはわかっていた。でもあたしはリョースケを飲みこんだ海を見つづけずにはいられなかった。

 そんなあたしにうしろから声がかけられた。

「お嬢さん。おれとお茶でもしませんか」

 ちっ。人が悲劇のヒロインにひたってるってのにどこのナンパ小僧だよ?

 あたしはふり返りもせずきつい声で答えた。

「あたしはけっこう! 別の女をあたってちょうだい!」

 男があたしの肩に手をかけた。ひっぱたいてやろうとあたしは腕を持ちあげた。そのとき男があたしの耳にささやいた。

「おれは別の女じゃいやだ。おまえがいいんだイチズ」

「えっ?」

 あたしはふり向いた。リョースケの白い歯が笑っていた。たしかにリョースケだった。都会暮らしですっかり色白になっていた。でもリョースケにまちがいない。確認できたとたんあたしの涙腺は故障した。滝のように涙があふれ落ちた。あたしはリョースケにむしゃぶりついた。声も言葉も空白になった。好きと言うのすらすっぽり頭から抜け落ちた。あたしはリョースケに力のかぎりしがみついた。息が吸えないほどしゃくりあげた。あとからあとから胸の底にためた思いがこみあげてあたしを泣かせた。ただすがりついた。それがあたしにできる精一杯だった。

「なんだよイチズ? いきなりだな? あいさつもなしか?」

 リョースケがあたしの頭を優しくなでた。あたしはしばらくリョースケの胸で涙をぬぐいつづけた。リョースケのシャツがぐっしょり濡れたあとようやくあたしは顔をリョースケから離した。あたしはリョースケをにらみつけた。照れ隠しもあっていどむ目でリョースケをにらんだ。

「聞いてたでしょ?」

 リョースケがあたしの顔を見た。邪気のない笑顔だった。

「なにを?」

「えっ? いえ。その。聞いてなかったならいいのよ」

「そうかい。おれが好きだって言うからお茶に誘ったのに別の女をあたれだもんな。どんな女だよおまえって?」

 あたしはリョースケの胸をこぶしで叩いた。がっしりとした胸板だった。幽霊ではなかった。生身のリョースケだ。あたしは安心してリョースケにじゃれついた。あたしがネコならリョースケの手にあまく爪を立てていただろう。

「こらあ! やっぱり聞いてたんじゃない!」

「へへへ。バレたか」

 あたしはついさっきのリョースケを思いだした。とつぜんムカッときた。

「ところでさ。あんたまだああやって出会う女をことごとくお茶に誘ってるわけ?」

 リョースケが鼻で笑った。

「んなわけねえだろ。ところでよ。おまえ東京でおれとすれちがわなかった? おれおまえの声を聞いた気がしてしょうがねえんだ」

 あたしはとぼけた。

「ううん。リョースケとすれちがってなんかないわよ」

「じゃこれはなんだ」

 リョースケが手を開いた。てのひらにあたしがもらったブレスレットが乗っていた。リョースケに贈ってもらったブレスレットだ。新宿でリョースケを助けた夜になくしたブレスレットだった。そういえばとあたしは思い出した。リョースケからヴィトンのバッグを引ったくったとき右手に軽い引っかかりを感じた。あのときにブレスレットがちぎれたのか。リョースケのボタンだかに引っかかったわけね。だからリョースケがこのブレスレットを持っているのか。あたしは動揺を押し隠してできるかぎりの平静をよそおった。

「さあ。知らないわ。あたしのじゃないもの。誰かが原宿で買った品じゃない?」

「おいおいイチズ。これは釣り道具なんだよ。サルカンと夜光玉っていうんだ。おれが作ったブレスレットでさ。世界でたったひとつしかねえんだ」

「ええっ? 釣りの道具だったのそれ?」

「ああ。サルカンは『よりもどし』とも言って糸がよれるのをふせぐ道具だ。夜光玉は魚の好奇心を刺激して近くに寄らせるためのものさ。どちらもブレスレットの素材じゃねえ」

 あたしは肩をすくめた。

「そうだったの。ええ。たしかにあたし東京でそれを落としたわ。でもあたしリョースケは助けてないわよ」

「こらイチズ。しらを切るのもいいかげんにしろ。おれは『おまえに助けられた』なんて言わなかったぜ。『おまえとすれちがわなかったか』って訊いただけだ」

「あっ」

 あたしは口を押さえた。リョースケの手があたしにのびてきた。リョースケがあたしの頭を抱きすくめた。

「ありがとうよイチズ。おかげで助かった。でもなんで隠すんだ?」

「だってさ。恩着せがましい女っていやでしょう? それにあんたに女ができてたらあたし泣いちゃうもの。女がいるあんたに深入りしたくない」

「バカ。おれはおまえ以外の女はいらねえ」

 リョースケがあたしの胴を抱きしめた。あたしもリョースケを抱き返した。あたしはリョースケの口に自分の口を寄せた。リョースケがあたしの思いに応えてくれた。あたしはリョースケに熱烈に舌をからめた。あたしはリョースケとくちづけを交わしながら神さまに感謝した。ありがとう神さま。流れ星に好きって百回言いつづけたかいがあったわと。

 そのときあたしのうしろから声がかかった。

「イーチーズー。あんた誰と抱きあってるのよ?」

 あたしはまずいと首をすくめた。スミレちゃんの声だった。

 あたしがふり向くとスミレちゃんが腰に手をあてていた。仁王立ちだ。

「お兄ちゃんを盗らない。そう約束してくれたわよねイチズ?」

 あたしは不承不承にうなずいた。それでもリョースケを抱く手は離さなかった。

「うっ。うん」

「嘘つき! イチズは嘘つきよ! イチズの彼はカケエでしょ? ふたりはつき合ってるんだものね。さあイチズはお兄ちゃんと離れてカケエと抱きあいなさいよ」

 スミレちゃんのうしろにカケエがいた。スミレちゃんがカケエをあたしに押しだした。カケエはばつの悪そうな顔だ。あたしたちはあの夜に終わった。あれから会うのをさけていた。あたしとカケエが硬直したまま顔をそらしたのをスミレちゃんがせせら笑った。

「ふたりしてなんて不服な顔かしら? お兄ちゃんはわたしの彼氏でイチズはカケエの彼女なのよ。イチズあんた恋人とふたりっきりになるのがそんなにいや?」

 あたしには答えがなかった。あたしはリョースケが好きだ。カケエとはいい友だちになれてももはや恋人にはなれない。でもスミレちゃんとたしかに約束した。義父の葬式がすぎればリョースケときっぱり別れる。リョースケをスミレちゃんから取らないと。

 スミレちゃんがあたしの頬をバシッと平手打ちした。

「あーあ。この女って最低。しょうがないなあ。行こカケエ。わたしとふたりでひと晩中ワインでも飲みながらこの女の悪口を言おう。わたしがカケエの傷を舐めたげる。カケエはわたしの傷を舐めてね。あ。そうそう。イチズ。個室を取ってあるからお兄ちゃんとふたりで使ってね。本土に着くまで二時間あるからラブホテルの休憩時間といっしょよ」

 あたしは痛む頬をおさえながらおどろいた。

「ええーっ? 最初からあたしとリョースケをくっつけるつもりだったわけぇ?」

 スミレちゃんがあたしをにらんだ。

「そんなわけないでしょ。イチズがカケエとくっつけばわたしがお兄ちゃんと楽しむつもりだったの。部屋はふたつ取ってあるのよ。まあ予想どおりだったけどね。イチズってさ。その名のとおり一途なんだもの。お兄ちゃんも頑固だしさ。せいぜいお熱くやってちょうだいね。負け犬は消えたげるからさ」

 スミレちゃんがカケエと腕を組んだ。船室へ消えかけたふたりにあたしは声をかけた。

「ところでさカケエ。この三日どこにリョースケを隠してたの? 警察は島中を捜索したわよ?」

 カケエがうれしそうにふり向いた。あたしが普通に声をかけたのがうれしいようだ。

「ああ。それね。リョースケの顔を包帯でぐるぐる巻きにして大部屋に入院させてたんだ。一週間前からね。崖から落ちたすぐあとに入院させたら怪しまれるだろ? だから前もって入院させといたんだ。おかげで同室の人たちも証言してくれたよ。ずっと入院してたってね。うちにも警察が調べにきたんだ」

「でもさ。リョースケは心臓を撃たれたのよ? なんで生きてるの?」

「クリスマスに鳴らすクラッカーってあるだろ? あれを分解してリョースケの胸に貼ったんだよ。紙吹雪の代わりに血糊が飛びだすようにしてね。それで発砲の音を合図にリョースケがひもを引いたんだ。するとパンッて血しぶきが飛びだすわけさ。心臓の真上からね。いかにも弾丸が心臓に命中しましたって見える仕掛けさ」

「ええーっ? あれって弾丸があたったんじゃないの?」

「あたりまえだろ? 弾丸が心臓にあたったらここに立ってられないっての。まあ用心のためリョースケとスミレちゃんに防弾チョッキを着せといたけどね。あのとき銃の引き金はぼくが引いたんだ。源馬刑事の人さし指をぎゅっとにぎってね。銃口はリョースケとスミレちゃんに絶対あたらないようそっぽに向けてさ」

「あれ暴発したんじゃないわけ?」

「そう。ぜんぶぼくが仕組んだお芝居さ。ぼくはずっと考えてたんだ。リョースケが洋二さんを殺した時もっといい対処法があったんじゃないかってね。いまリョースケはおたずね者だ。せめてリョースケを日の当たる場所にもどしてやりたい。だからリョースケを殺そうと考えたんだ」

「リョースケを殺す?」

「うん。あんな形でリョースケが悲恋岬の海に落ちたら警察はリョースケが死んだと思う。法律的には特別失踪といって一年でリョースケは死んだと認定される。つまり大日向良助は一年後に戸籍を抹消されて指名手配じゃなくなる。すでに別の戸籍を用意してあるんだ。織田亮介おだりょうすけって名前のね。イチズはリョースケとその戸籍でふつうに生活できる。結婚だってできるよ。一年後には大日向良助の指名手配もなくなるからリョースケがもう逮捕されるおそれはない」

「源馬刑事にさえ見つからなければってこと?」

「いや。それも大丈夫さ。リョースケがシラを切りとおせば他人のそら似でおさまる。なにせ戸籍上の大日向良助は死んでるわけだから」

「なるほど。ということはカーケーエー」

 あたしはカケエの首根っこをつかんでゆさぶった。

「なにすんだよイチズ?」

「よくもあたしをだましたなあ! あんたもスミレちゃんもリョースケもグルだったわけでしょ! あたしにも知らせなさいよ! あたし一生分の涙を流しちゃったじゃない!」

「ごめんごめん。だってイチズはぼくをふるんだもん。顔を合わせづらくってさ」

「じゃあたしを呼ばなきゃいいじゃないよ。あんたたちだけでお芝居をすれば?」

「いやだよそれ。ぼくらの一世一代の大芝居を見せる相手はきみしかいないじゃないか。男の源馬刑事に見てもらってもぼくはぜーんぜんおもしろくないもの。やっぱりだーい好きな女の子に見てほしいよね。きみが見物客にならなきゃリョースケもスミレちゃんもあんな迫真の演技はしなかったよ。リョースケなんかあの大荒れの海を泳ぎきったんだぜ。ぼくは台風がきてるから延期しようって言ったのにさ。イチズがいなければ泳ぎの達者なリョースケでも溺れてたよ。リョースケが泳ぎきったのはイチズのおかげさ」

 なるほどとあたしは肩をすくめた。だまされたのは腹が立つ。でもあたしの見ていないところでリョースケが死んだと聞かされるよりはましだった。

 リョースケがあたしとカケエの顔を交互にながめてニヤニヤ笑った。

「ところでよカケエとイチズ。おまえらヤッただろ?」

 あたしとカケエの距離がちぢまっているのでバレたらしい。カケエがうっと詰まった。

「それは。その」

 あたしは頭をさげた。

「ごめんなさい。あたしリョースケが好き。なのにカケエとヤッちゃいました。つい先月。処女喪失でした。ホントにごめん。カケエが望むので三回あたしをあげました。あたしは痛かったです。でも三回目はちょっとよかったの」

 やっぱりとリョースケがうなずいてカケエの首を抱き寄せた。

「おいカケエ。イチズは下の毛が生えそろってねえって本当か?」

 カケエの顔がかがやいた。

「ああそれ。ちゃんと生えてたよ。でも薄いみたい。あかりが消されてぼくは見せてもらえなかったけど手ざわりはかなりすくなかった。イチズってあそこのまわりに」

 あたしはカケエに飛びついた。あわててカケエの口を手でふたした。

「こらあ! そんな説明はしなくていーい! リョースケもリョースケだ! 訊くなそんなこと! このどエロ男どもぉ!」

 リョースケとカケエがそろって首をすくめた。はーいと。

 まったくもぉ。この仲良しコンビは。

 リョースケがカケエに真面目な顔を向けた。

「でもよカケエ。なんでやっちゃったのに別れたんだ? おまえ浮気でもしたのか?」

「するわけないだろ。イチズはぼくの初恋の人でいまでも大好きだ」

「じゃなんでだよ?」

「おまえだよリョースケ。イチズはおまえが忘れられないってさ。手に入れた。ぼくがそう喜んだ一瞬あとに別れ話だよ。ひどい女だよねイチズって」

 スミレちゃんがあいづちを打った。

「そうよそうよ。ねえお兄ちゃん。イチズってひどい女なの。こんな女とは別れたほうがいいわ。カケエに使用済み下着をあげるって約束したのにあげてないのよ。わたしにはお兄ちゃんときっぱり別れるって言ったのにそれも守らないしさ」

 あたしはあせった。

「そ。それはさ。使用済み下着ってのは変態すぎるもの」

 スミレちゃんが口をとがらせた。

「なによそれ? カケエに処女をあげたんでしょ? 使用済み下着もいいじゃないよ?」

「ス? スミレちゃんはあげられるの? 使用済み下着よ? それって恥ずかしくない?」

「だってエッチしちゃったわけでしょ? いまさらじゃない? わたしエッチした相手になら下着くらいあげられるわ。お兄ちゃんにならいくらでもあげちゃう。カケエは部屋を暗くされたからイチズの全裸も見せてもらってないんだってさ。同情しちゃうわよねえ」

 カケエがスミレちゃんに泣きついた。

「スミレちゃん! きみだけだ! ぼくの苦悩をわかってくれるのは!」

「おおよしよし。カケエとも幼稚園以来のつきあいだもんね。さあ飲みましょうか」

 カケエをスミレちゃんが抱きささえて船室へと消えた。リョースケがあたしの顔を真剣な目で見つめた。なにを訊くのかと思ったらこんなことだった。

「おまえ今夜もウサギ柄か? スカートをめくってもいいか?」

「えっ? ちょちょっと待ってよ。それなら勝負パンツにはき替えてくるわ。いまはだめ」

「いや。待てねえ」

 リョースケがあたしのスカートに指をかけた。さっとあたしのスカートがひるがえった。

「おおっ! なつかしのウサギ柄! 五年ぶりだ。ふふふ。おまえ高校生かよ」

 あたしはリョースケの胸を叩いた。

「んもぉ! このおバカ! スカートをめくるあんたは小学生じゃないさ!」

 あたしとリョースケは顔を見合わせて笑った。ついさっきまであたしがこんなふうに笑える日がくると思えなかった。あたしは一生泣きつづける。そう信じていた。

 あたしはリョースケに頭をさげた。

「ごめんね」

「なにが?」

「穴あき娘で」

「なんだ。そんなことか。おれなんか『穴あけすぎ男』だ」

「そうね。妹にまで穴あけちゃったものねえ。ねえリョースケ。仁木板さんとも七瀬さんともスミレちゃんとも桜子ともしたんでしょ? 誰が一番よかった?」

 リョースケに一瞬のちゅうちょもなかった。

「おまえだイチズ」

「こら。あたしとはまだしてないじゃない。まじめに答えてよ」

「おれは精一杯まじめだ。やらなくてもわかる。おまえが一番だ」

 あたしは胸にキュンときた。思わずリョースケの頬を平手打ちした。

「なんでおれを叩くんだよ?」

「泣いちゃうようなことを言うからよバカ! 大バカ野郎! あんたはほっぺだからいいじゃない! あたしは心臓をちょくせつ引っぱたかれたわよ!」

 あたしは『泣いちゃう』ではなく泣いていた。涙がポロポロとこぼれてとまらない。

 リョースケが頭をさげた。

「ごめん」

 あたしはふふっと泣き笑いした。

「そういうところがあんたは天然ねえ。ああ。あんたのそんなとこに惚れたのかなあ。ところでさ。この五年に何人の女としたの? いま彼女はいる?」

「したのはふたりだ。義理があったのとどうしてもことわれなかった。彼女はいねえ」

「誰としたの?」

「正徳院とスミレだ。正徳院にはロクが世話になってる。スミレには泣き落とされた」

「じゃこの五年に新しい女は作らなかったわけ?」

「ああ。たったひとりの愛する女ができたからな」

「誰それ?」

 あたしは期待に胸をふるわせた。あたしでありますように。そう祈った。

「文代さんだ」

 あたしは肩を落とした。がっくりだった。

「そう。そうだったの」

 リョースケが笑ってあたしの頭をなでた。

「こら。納得してんじゃねえよバカ。おまえだイチズ。おまえを愛してるんだ」

「えっ。ああ。そう」

「うれしかねえの?」

「えっ? ああ。ありがとう。うれしいわ」

「なんだよそれ。そんなにおれがきらいかよ?」

「ううん。そうじゃないの。胸がいっぱいで気のきいたことが言えないの。もうすこし待ってね。あたしいま心臓ドキンドキン」

 あたしはリョースケの目に気がついた。リョースケの目はあたしをまっすぐに見ていた。あたしの心臓はますます速くなった。やだあ! こんなところで死にたくなーい! 神さまあたしの心臓をとめないでぇ! 星も流れてないのにあたしは祈った。

「そうかい。まあこの五年は食うのがやっとだったぜ。最初はカツオ漁船に乗ろうと思ったんだ。だが源馬刑事のやつ漁港に重点的に手配書をまわしやがってさ。あやうくつかまるところだった」

「そういや四国でリョースケを見たって報告があったそうよ」

「だろ? それでしかたねえからあちこちで日雇い仕事さ。でもどこへ行ってもやばくなりやがる。最後に落ち着いたのが歌舞伎町だった」

「だから女を作ってるひまがなかった?」

「いいや。作ろうと思えばいくらでも作れたろうさ。女に養ってもらえば簡単だからな。ロクを連れて島をでた時も正徳院に言われたよ。わたしと結婚したら守ってあげるってな」

「どうして結婚しなかったの?」

「どこかのまっすぐな女に惚れたからだろうな。その女にきらわれたくなかった。バカな女でよ。きっとおれを待ってると思った。だから正徳院と結婚なんか考えもしなかった」

「でも関係は持った?」

「そこんとこは許してくれねえか? ロクが人質だったんでな。でも正徳院とはこの五年で二回だ」

「正徳院とは? そうか。スミレちゃんともしたのよね? スミレちゃんとは何回?」

「一回だ。こないだ正徳院にはかられてよ。足止めを食っちまった。そのときスミレに泣きつかれた」

「ふうん。じゃ桜子とはいつといつしたの?」

「ロクを託したときと二週間前だ。おまえに助けられたあと名古屋に逃げた。だが誰かのせいで里心がついちまってよ。ついロクに会いに行ったんだ」

「なるほど。そのときにねだられたと?」

「ああ。正徳院に説教されちまった」

「なんて?」

「そいつはあとだ」

 リョースケがあたしの頭を抱き寄せた。あたしはリョースケの口がくる前にリョースケに口をつけた。舌と舌がからまった。息をするのももどかしいくらいあたしは舌をからめた。リョースケの舌を追いかけて追いかけて二度と逃げられないように舐めつくした。

 あたしとリョースケが異世界に飛んでいたら誰かがあたしの肩をつついた。スミレちゃんだった。

「ちょっと! こんな誰がくるかもわからないところでそんな濃厚なキスをしないでよね! 見てるわたしが恥ずかしいわ! このバカップルが! せっかく個室を取ってあるんだから個室でやってよね! いつまでも来ないから見にきたらこれだ!」

 あたしとリョースケはスミレちゃんに背中を押されて個室にほうりこまれた。 

     ☆

 あたしは泣いた。泣きながらリョースケに抱きついた。リョースケが泣くあたしにキスをした。あたしたちはベッドにたおれこんでキスをつづけた。死ぬまでキスをしていたいと思いながらキスをしていたら舌が疲れた。死ぬまでキスをつづけるのは無理なようだ。

 舌をからませないであたしはリョースケの舌を吸った。泣きながら笑って笑いながら泣いた。しあわせすぎて胸が痛かった。頭に血がのぼって顔がかっかと火照った。女の子の部分はもう濡れ濡れだった。恥ずかしさにますます顔が赤くなった。汗がたらたらと流れるほど顔が熱かった。

「ところでどうする? そういうことをするか?」

「えっ?」

 あたしはハッとした。そういうことはしたい。だが下着は勝負下着じゃない。あの部分は顔向けできない状態だ。体臭だってコロンをふってないから汗臭いのでは? さらにそういうことをするとなるとあんなとこやこんなとこをすべて見られるんじゃ? まずいかっこうもしなければならないはずだ。

 カケエのときはカケエを愛してなかったから気にしなかった。きらわれてもかまわない男にならどんな恥ずかしいことをしても問題はない。でもいま目の前にいる男には絶対にきらわれたくない。ヤッてほしいと言いたい。しかし淫らな女だと思われたくない。濡れすぎてるその部分を知られてもこまる。

 どうすりゃいいんだあたし? 

 リョースケがあたしの肩に手をまわした。

「するか?」

 あたしはためらった。してちょうだいとは言えない。かといっていやと拒絶するとリョースケは気分をそこねるだろう。彼氏と別れる大きな原因にセックスの拒絶があるとティーン雑誌に載っていた。毎回肉体を求める男を拒絶したらたいてい別れ話になると。男は女を前にしたらとまらないらしい。さてどう答えるべきか?

「と? とりあえずシャワーを使わせてほしいんだけど?」

 リョースケがニヤッと笑った。

「だーめ」

「なんでよ? あたし汗臭いまま抱かれたくないわ」

「おれはもうがまんできねえ。おまえといるだけでだめだ。おまえだってそうだろ?」

 あたしは目玉をおよがせた。

「そ。そりゃそうかも」

「なあイチズ。本音で行こうや。ここまで来たら妙な駆け引きはしたくねえ」

「ほ。本音はだめ。それはとってもまずい。だから本音はやめて」

「じゃ結婚しようぜ。それならいいだろう? 夫婦になれば子作りをするのはあたりまえだ」

「け? 結婚? そうね。それならいいかも」

「んじゃ裸を見せてくれ」

「ええーっ! なんでいきなり?」

「おまえのすべてが見たいからだ。脱げイチズ」

 脱げと命令されて脱ぐのはいやだ。

「あんたねえ。これまでの女の子にみんなそうやって命令して来たの?」

 リョースケが肩をすくめた。

「いいや。オレがキスをしながら脱がせたな」

「な? なんであたしにはそれしてくれないのよ?」

「だってよ。おまえが脱ぐところが見てえんだ。おまえの裸が見たいんじゃねえんだよ。おまえが脱いでくれるのが見たいんだ」

「ううむ。ほかの女の子は裸が見たいから脱がせた。でもあたしの裸は見たくない。あたしが服を脱ぐ過程が見たい?」

「おまえの裸はもちろん見たいさ。だがおまえの一挙手一投足が見てえんだ。どんな顔をして服を脱ぐか。どこでためらって手をとめるか。最後の一枚をどういうふうに脱ぐか。それが知りてえ」

「つまりあたしが見たいってこと? 裸だけじゃなくあたしのすることすべてが?」

「そういうことだな。おまえを見ていたいんだ。パンチラもよかったぞ」

 そう言えばと思い出した。リョースケに見せたのはウサギ柄の下着だけだ。義父に強姦されかかったときのノーパンはおそらく見てない。

 あたしは立ちあがってそろそろとスカートをおなかまでたくしあげた。

 おおっと声を洩らしながらリョースケがあたしの下着を見た。あんたは小学生かよとあきれた。だがリョースケはいつもそうだった気がする。

 ふだんはズボンをはいているあたしだがリョースケにスカート姿を見せてやろうと今回はスカートばかりを持ってきた。予定どおりと言えば予定どおりだがまさか二十一歳になってスカートめくりをされるなんてねえ。

 あたしは小学生の男の子とお医者さんごっこをするつもりでブラウスのボタンをひとつずつゆっくりとはずした。リョースケが生唾を飲んであたしの指先を見つめた。ブラウスを脱いでスカートをおろした。白地にプリント柄のブラとパンティだ。なんで勝負下着のときにおまえは来ないといやになった。だがリョースケとあたしはたいていタイミングが悪い。相思相愛ってときにスミレちゃんに邪魔をされたりリョースケが島を出るはめになったりだ。そういう運命だとしか思えない。

 ブラのホックに手をかけてハッとした。あたしは十六歳から胸が成長してなかった。玲ちんの胸より小さいぞ? いいのか?

「あたし貧乳だけどいいの?」

「おまえだからいいんだ。おれは貧乳好きでも巨乳好きでもねえ。おまえが好きなんだ」

 うーむとあたしはうなった。好きと言ってもらえるのはうれしい。だがこんな胸を見せて幻滅されないか? しぶしぶブラをはずすとリョースケの視線がそういうところに集中した。貧乳だろうが巨乳だろうがかまわないというのは本当らしい。ジロジロと見られてあたしは頬が熱くなった。顔はまっ赤だろう。

 リョースケが期待をこめてあたしの指を見つめている。相手は小学生だからと自分に言い聞かせて最後の一枚を脱いだ。

 リョースケが口笛を吹いてあたしの薄い毛をながめた。地肌がすけるほど薄い。ヘアヌード写真集はあたしには無理だ。大事な部分がまるで隠せない。

「すわってくれよイチズ」

「は。はい」

 あたしは安心してベッドの上で体育ずわりをした。全裸で立ったまま見つめつづけられるのはつらい。このままキスをしてそういう行為になだれこむのだろうと思った。できれば照明を消してほしいけどリョースケはスケベだからだめだろうなあ。

「脚を広げておまえのすべてを見せてくれよ」

「ええーっ! そ。それはだめ。それだけはかんべんして」

 リョースケがすわるあたしの横に来た。あたしの耳に息を吹きかけた。

「見たいんだよおまえが」

「ひっ! 卑怯よっリョースケ! そっ! そんなことされたら!」

「そんなことされたらなんだ? どうなるのかなあ?」

 リョースケがあたしの耳をペロペロと舐めた。なんてろくでもないやつ。

「小学生はそんなことしなーい!」

「なんの話だよ? とにかく見せてくれよ。見たいんだ。結婚するんだろ? 結婚しても見せてくれねえつもりか?」

「そ。そんなことはないけどさ。今夜のところはそういうのはなしってことじゃだめ?」

「だめ。見たーい」

 やっぱりこいつ小学生だ。あたしは観念して両足をおそるおそる開いた。リョースケがその部分をのぞきこんだ。あたしは羞恥と恥辱にちぢみあがった。大好きな男にそんなところを見られてるのにたのしくない。つらくて涙がこぼれた。泣きながらくちびるをとがらせた。 

「なんでいじめるのよ? 泣いちゃったじゃない?」

 股を広げているあたしにリョースケがキスをした。

「おまえの泣き顔も見たいからだな。恥ずかしがる顔もいいぞ」

「バカ!」

 あたしは泣きながらリョースケと舌をからめた。

「その中も見たいな。見せてくれよイチズ」

 あたしはリョースケをにらみつけた。

「リョースケが勝手に見るのはいい。あたしからはできない。なんであたしにそんなことをさせるわけ? 見たけりゃリョースケが好きに見ればいいじゃない?」

 リョースケがあたしの顔を正面からのぞきこんだ。

「おまえと遊びたいからだ」

「遊び?」

「そう。おまえと遊んでいたい。おまえとそういうことをするのもいいがおまえとずっと遊んでたいんだ」

「悪趣味な。そういうのはヘビの生殺しって言うのよ。さっさとヤッちゃえば?」

「いやだ。おまえの恥ずかしがる顔をずっと見てたいんだからしょうがねえじゃねえか」

 ろくなやつじゃねえ。そうは思うが初対面からリョースケはずっとそうだった。そもそもスカートをまくられてパンティを見られたのが出会いだった。あのころからなにひとつ変わってないらしい。

 スカートめくりをする小学生になにを言ってもむだだろう。そう判断して顔をそむけた。女の子の部分を指で開いてリョースケが見るのにまかせた。

「ありがとうイチズ」

 リョースケの指があたしの顔をあげさせた。リョースケがあたしに舌をからませてあたしをそっと押したおした。キスをつづけながらあたしの貧しい胸を指先でもてあそんだ。リョースケがもう片手で自分の服を脱いだ。こいつってキスがうまいんだよなと思っているあいだに下半身をさわられた。すっかりその気になったあたしは全自動洗濯機で洗濯されるパンティだった。洗われてすすがれて脱水された。あとは干すだけだ。なすがままで途中下車ができない。

 気がついたらそういう行為のまっ最中でよがり泣いていた。そう言えばと思い出した。桜子もいつの間にかそうなっていたと言っていた。

「ちょっとリョースケ! そんな技術があるなら最初からそうしてくれりゃよかったんじゃない!」

「ふふふ。そんなのおもしろかねえ。おまえの恥ずかしい顔を見てからじゃなきゃいやだ」

「うーっ! このスケベ男! あん! こらぁ! そんなとこされたらこまるぅ!」

「気にするな。ほしくなったら言え。おまえののぞむとおりにしてやる」

 ここまで来たらのぞむことはひとつだけだ。あたしは上に乗るリョースケを抱きしめた。リョースケの耳に口を寄せた。ちょうだい。そうささやいた。リョースケがあたしにとどめを刺した。

 あたしの子宮がリョースケの命を吸いあげた。こんなしあわせがあっていいのかとあたしはリョースケを力のかぎり抱きすくめた。恥も外聞もなく顔を左右にふって泣いていた。五年ごしの想いがあたしの中で炸裂していた。脳内に花火が打ちあがっている感じだ。スーパーマ×オブラザーズかよとツッコミながらあたしは眠りに落ちた。

     ☆ 

 スミレとカケエは飲んでは泣いて泣いては飲んだ。そのうち泣きつかれた。スミレが涙顔でカケエを見た。

「ホントはね。わたしの初体験はお兄ちゃんじゃなかったの。ゴキブリにやられちゃったの。でもそれはいやだった。だからお兄ちゃんにたのんだの。わたしとしてってね。大好きな人とひとつになるって幸せなのよね。カケエもイチズとしたんでしょ? どうだった?」

「ぼくはたしかに有頂天だった。でもイチズはそうじゃなかったみたい」

「そうかあ。お兄ちゃんもわたしとしてもよくなかったのかな。わたしだけがお兄ちゃんを好きなだけでさ。お兄ちゃんはわたしを女として見なかったものね」

「ぼくもイチズから恋人と見られなかった。友だち止まりだったみたい」

「わたしたちって悲しいね。わたしカケエはお兄ちゃんの次に好きよ」

「ぼくもイチズの次にスミレちゃんが好きかも」

「わたし今夜はカケエと離れたくないな。いまのわたしの気持ちをわかってくれるのはカケエだけだもの。人間っていやな生き物ね。エッチをしたからって好きになるわけじゃない。愛せもしない。わたしはお兄ちゃんに愛されなかった。カケエはわたしの気持ちがわかってくれるでしょ?」

「ああ。痛いほどさ。リョースケがいなくなってぼくがずっとイチズの面倒をみてたんだぞ。なのにどうしてぼくじゃだめなんだよ?」

「カケエは五年じゃない。わたしなんか十五年よ。愛に年数は関係ないわ」

「しまった。スミレちゃんに愚痴ったのが失敗か」

「でも愚痴る相手はわたし以外にいないわよ? 最長のつき合いだもの。もっと愚痴れば?」

「それもそうだね。ああ。あのとき母さんの言うことを聞いてたらなあ」

「母さん? 典江さんはなんて言ったの?」

「あんなふしだらな男の息子と遊ぶのはやめなさいってさ。それを父さんがいさめたんだ。でもね。母さんはまちがってた。『あんなふしだらな男の息子』じゃなかった。『あんなふしだらな息子』が正解だったんだ。わたくしの一生のあやまちよといまでも悔やんでるよ。ぼくもあんなふしだらな男と親友にならなきゃなあ。イチズはぼくのものだったのに」

「あはは。典江さんはお兄ちゃんがあそこまでエロくなるとは思わなかったわけね?」

「そうなんだ。でもすでに当時のリョースケはエロエロだったよ。幼稚園中の女の子とお医者さんごっこをしてたもの。幼稚園にいる女の子全員のその部分を毎日観察してたんだ」

「ふーん。カケエはそれがうらやましかった?」

「あ。いや。それはまあ」

「カケエは何人くらい見たの?」

「さ。三人だけ」

「小学生のときにさわらせてもらったって聞いてるけど?」

「だ? 誰に聞いたのさ?」

「さわらせた本人」

「友崎さん? そういやスミレちゃんいつから友崎さんと親しくなったの?」

「お兄ちゃんがいなくなったでしょ? あのあとお兄ちゃんの女たちがわたしにすり寄ってきたのよ。わたしならお兄ちゃんの居場所を知ってるだろうって」

「なるほど。その中に友崎さんもいた?」

「ええ。だからカケエの話も聞いたわ。さあ白状しなさい。玲ちんにさわったわよね?」

「わかったよ。認める。そのとおりだよ。一回だけさわらせてもらいました」

「どうだった? 楽しかった? 感激した?」

「えーと。ノーコメントにしてくれない?」

「だーめ。吐け。昂奮した?」

「したよ。ぼくはずっと彼女のその部分の感触を思い出して自分を慰めてました」

「いまはイチズの感触を思い出して慰めてるのね?」

「う。うん」

「おもしろーい。今度言ってやろ。玲ちんがずっとカケエの夜の友だったって」

「ええーっ? やめてよぉスミレちゃん」

「いいじゃない。知ってる? カケエのお父さんの夜の友は玲ちんのお母さんだったのよ。父子二代で母娘をおかずに自分を慰めたわけだ。なんか歴史を感じるわね。イチズがきっと笑い転げると思うわ。玲ちんがもっと早く知ってりゃ玲ちんはカケエにエッチさせてくれたんじゃない? ねえカケエ。玲ちんとエッチしてみたい?」

「えっ? ぼくが友崎さんと? ぼくとしては友崎さんよりイチズがいいな。友崎さんって案外したたかそうでぼくは苦手なんだ」

「そうね。玲ちんから聞いたわ。カケエは作文に『ぼくは幽霊なんかこわくありません。ぼくが一番こわいのはママです』って書いてみんなに笑われたんですって? 玲ちんって芯の強いところが典江さんにちょっと似てるものね」

「そうなんだ。ぼくの弱点をしっかり憶えててきみやイチズに話す点がとても苦手だよ。ぼくはきっといまの友崎さんを前にすると萎えると思う」

「ふうん。じゃカケエはわたしとお医者さんごっこをしたらわたしを思い起こしてくれる?」

「さあ? どうだろう?」

「わかんないの? それじゃ試してみましょうか」

 スミレはカケエに顔を寄せた。カケエがそっと目を閉じた。スミレはカケエのくちびるに舌を這わせた。カケエが舌をのばしてスミレの舌をむかえた。

「カケエってさ。お兄ちゃん以上のドスケベよね? 女の子のああいうとこやこういうとこをいっぱーい見たいだよね? わたしのをじっくり見せてあげよっか?」

 カケエがうんうんとうなずいた。

 スミレが苦笑した。

「モノホンのドスケベだわ」

「男はみんなそうだよ。リョースケは幼稚園のころからそうだったぞ」

 きゃははと笑ってスミレが全裸になった。

「カケエも脱ぎなよ。ふたりでエッチなことをいっぱいしよ」

 服をぬいだカケエにスミレがひざをついた。

「スミレちゃん! それだめっ!」

「いいのよカケエ。夜は長いわ。わたしにちょうだい。カケエのがほしいの」

 スミレがカケエのを舌でころがして味を見た。

「ふむふむ。お兄ちゃんのよりあまいみたい。次はわたしのを味見する?」

 カケエが首をたてにふった。

 スミレがベッドにあおむけに横たわった。カケエがスミレに口をつけた。

「イチズのとくらべてどう?」

「ぼくはイチズの味を見てないよ」

「あら? 大好きな女の子の味見はするべきだわ。カケエあんたっていろいろと失格ねえ」

「そ。そうなんだよぉ。ぼくはイチズのあの部分も見てないんだぁ。心残りがいっぱいあるんだよぉ」

「はいはい。わたしがなぐさめてあげるからさ。わたしも気持ちよくさせてね」

「うん。がんばるよ」

 スミレが胸にカケエをさそった。カケエがスミレの胸に舌を寄せた。スミレの両手がカケエの頭をつかまえた。カケエの舌でそそり立たせてもらうのがスミレの胸をはずませた。五年前とちがって豊かな丘に育っていた。

「カケエ。次はわたしの舌を舐めてよ」

「わかった」

 カケエがスミレと舌をからめた。スミレの指がカケエを女の芯にみちびいた。ぬるっとカケエがスミレにはいりこんだ。スミレの両手がカケエの背中にまわされた。熱い吐息がふたりの食いしばった歯のあいだから洩れた。肌と肌をこすり合わせて汗がふたりを密着させた。ひとつに溶け合ったときカケエとスミレのそれぞれがはじけた。男と女の奔流がふたりを飲みこんだ。

     ☆

 あたしはリョースケから島をでたあとの話を聞きだした。特に女性関係を中心にだ。

 リョースケとロクは海水に濡れて正徳院家の門を叩いたそうだ。

 桜子は疑問顔でリョースケをむかえた。

「でもどうしてわたしにロクを? カケエに飼ってもらえばよかったんじゃないの?」

 リョースケはけげんな顔で桜子を見た。

「おまえがロクを好きだって言ったからじゃねえか」

「あ。そうか。そういえばそうね。でもあれは嘘よ。ただの口実。あんたホントに女心がわからないわねえ。まあそういうところがいいんだけどさ。とにかくはいりなさいよ」

 リョースケは桜子について屋敷の門をくぐった。リョースケに腹ごしらえをさせたあと桜子は自分の部屋にリョースケを誘った。リョースケにはその気がなかった。しかし桜子にねだられた。別れる前に桜子が告げた。

「リョースケ。あんた目の色が変わったわ」

「そうかい。そりゃ変わるだろうさ。おれはこれからひとりで生きなきゃならねえ。必死の目の色だろうな」

「そうじゃないわ。前にあった思いつめた色が消えてる。優しくなってるわ。なにかがふっきれたみたいな目の色よ。言うなればラブラブって感じの目の色ね」

「大好きな女の子から愛を告白されましたみたいな?」

「ええ。そんな感じよ。あなた誰と関係を持ってもそんな目の色になったことはなかった。イチズはそれほどいいの?」

「イチズとは寝てねえよ」

「あら? それでもラブラブ? うらやましいわね。ねえリョースケ。ロクはたしかにあずかるわ。困ったらいつでもきてよ。わたしはかならず待ってる。どんなことがあろうと待ってるわ」

「わかった。またロクの顔を見にくるさ」

 次にリョースケが正徳院家をおとずれたのは五年後の七月だった。新宿をのがれた年だ。

「ひさしぶりねリョースケ。ロクがあんたを思っていつも泣いてるわよ」

「ああ。おまえとロクだけはおれを忘れてねえな。イチズはカケエとつき合ってるって?」

「カケエに会ったの?」

「会えるもんか」

「ううん。会ってあげたほうがいいわ」

「おいおい。どのツラをさげて会うんだ?」

「そのツラよ。あなたまだイチズが好きなのね?」

 リョースケは目をそらした。しばらくしてうなずいた。

「ああ」

「ねえリョースケ。イチズもあんたが好きよ。カケエもあんたを忘れてない。あのふたりのために会わないってのならまちがいだわ。あんたはあのふたりに会って決着をつけるべきなの。でないとあのふたりは前に進めない」

「けどよ正徳院。おれがイチズに会ってイチズの心がゆれたらどうすんだ? カケエに恨まれるぞ?」

「うふふ。すでに恨まれてるっての。わたしも恨んでるわよ」

「なんで?」

「忘れたの? わたしカケエの婚約者よ。あんたとイチズのおかげでわたしはカケエと結婚できそうにないわ」

「だからか? おれとイチズがくっつけばおまえはカケエと?」

「バカね。わたしが欲しいのはカケエじゃないわ。あんたよ。あんたがイチズとくっついても欲しいのはあんただわ。あんたが現われたせいでわたしはもうカケエと結婚なんて考えられなくなったの。カケエが誰とつき合おうがわたしには関係ないわ。わたしの腹が立つのはね。あんたは好きだけどあんたは憎らしい。でもさ。イチズは憎めないのよねえ。そこが腹が立つの。イチズが憎めないのがいやよ。イチズを憎めたらどれほど楽かしれないのにさ。だからわたしが願うのはイチズの幸せなの。カケエと結婚してイチズが幸せならそれでいい。だけどそうじゃないとわたしには思えるわ」

「だからおれにカケエとイチズに会えと?」

「ええ。三角関係にけりをつけなさい。いえ。イチズの気持ちに終止符を打ってあげて。どんな形に落ち着くにせよイチズの思いを受け止めてあげて。でもその前にわたしをなぐさめてね。あなたがイチズと会うとわたしとはしてくれないでしょうから」

 桜子は横に寝るリョースケの髪を指ですいた。

「いつかわたしを見てくれる。そう思ってたわ。でもあなたの目の中にわたしはいつもいない。幾度肉体を重ねてもあなたはわたしを見はしない。男ってやーねえ。どうして好きでもない女を抱けるのよ?」

「男ってそんなものだ」

「ああ。なんてことかしらね。いつかわたしを好きになる。そう信じてるわたしがバカ?」

「おまえはきらいじゃねえよ」

「でも愛せもしない? あなたはわたしが好きだけど愛してない。最初に会った時あなたって博愛の人だと思ってた。どんな女でも愛せる男だと。でもちがったみたいね。あなたはかたくなな男だわ。かぎられた女しか愛せない。生涯にひとりかふたりしか愛せない男よ。あなたにはいっそ嫌われたほうが楽ね。期待に胸を焦がすこともなくなるわ」

「じゃもうこんな関係はやめるべきだ」

「そうね。そのほうがいいかしら。でもさ。やめようと思うんだけどね。後悔するのよ。この手を放すとあなたが永遠に消えそうでさ。あなたどんな女が好み?」

「おれがつらい時になにも言わず抱きしめてくれる女」

「なにそれ? キスもエッチもなしでただ抱きすくめるだけ?」

「そう。おまえらとはまるでちがう」

「やだあ。あなたってマザコンじゃないの?」

 桜子はベッドで身を起こした。部屋の外から誰かを連れてきた。カケエだった。

「おい正徳院! おれをハメたな!」

「だってリョースケはカケエに会わずに消えるつもりだったんでしょ? そうはさせないわよ。もうひとりお客さんを呼んであるしね」

 はいってきたのはスミレだった。

「お兄ちゃん! なんの連絡もなしはひどいじゃない!」

 リョースケは苦笑いを浮かべた。おれをベッドに長く引きとめたのはカケエとスミレを呼び寄せる時間かせぎかと。

 カケエはリョースケに打ち明けた。リョースケを死んだことにする計画を。


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