第四章 悲恋岬でキスはしたけどエッチはまだなの ゆるして玲ちん
六月の最終週が期末テストだった。テストの最中に梅雨があけた。するといきなりの猛暑がやってきた。体調をくずす人が続出した。リョースケの母の文代さんもそのひとりだった。文代さんはまた円城寺病院に入院した。あたしは文代さんを見舞った。今度の文代さんはベッドに横になっていた。顔色も青かった。かなりつらそうだったので早々に退散した。はやくよくなってくださいねとだけ声をかけた。
テストが終わって七月になった。テストが終わるとすぐリョースケに釣りに誘われた。文代さんの入院費をかせぐ必要があるらしい。あたしはがんばって釣った。なのに三匹しか釣れなかった。リョースケは四匹だ。スミレちゃんが二匹でカケエは一匹だった。七月の初日だというのに真夏の暑さだった。あたしはまたリョースケに勝てなかった。カンパチの値段は一匹七千円にあがっていた。カンパチは盛夏が旬だそうだ。
七月の初めから夏休みまでは午前中だけの短縮授業だ。テストで赤点を取った者は午後に補習が予定されていた。以前は期末テストが終わればそこから夏休みだったと聞いた。高校生の学力が落ちたので期末テスト後に短縮授業となったのだそうだ。
あたしは数学と英語が赤点だった。玲ちんも同じだ。数学はドリルの提出だけで補習はなしだった。玲ちんが返された英語の答案を手に首をかしげた。
「あれえ? わたしここちゃんと書いたはずなのになあ」
玲ちんが示した欄は消しゴムで消してあった。
「書き直したつもりになっただけじゃないの?」
「そうかもしれないわ。時間に追われてたから」
その空欄のせいで玲ちんは十点足りなかった。
あたしと玲ちんはまた四階の英語準備室で世良先生の前に立っていた。
「おれはな青桐。十点あげろと言ったんだ。十点さげろとは言わなかった。そうだな?」
あたしは身をちぢめた。
「はい。そうです」
「なあ青桐。男と遊ぶなとは言わん。でも勉強もちゃんとやれよ。まあ終わったことを責めても仕方がない。あしたからおまえと友崎のふたりだけが補習だ。四階の英会話リスニング室でやるから帰るんじゃないぞ。残念だがおまえらは夏休みも補習だ。七月の終わりにもう一度テストをしてやる。その成績がよければ八月の補習はなしだ。せいぜいがんばっておれにも夏休みをくれ。おれの夏休みをふいにしたらおまえらふたりを特別きびしくしごくからな。もっとも友崎は不注意での赤点だ。友崎は次から念入りに確認をするように」
あたしと玲ちんは声をそろえた。
「はーい」
四階から二階にある二年生の教室まであたしと玲ちんは階段をおりた。
玲ちんが肩を落としてあたしを見た。
「あーあ。補習なんて初めてだわ。ねえイチズ。来週の夏祭りはいっしょに行こうね。おみこしが町中をねり歩いて海神神社に屋台もならぶのよ」
「えっ? 夏祭り? 早すぎない? 来週はまだ夏休みじゃないわよ?」
「そうね。でもこの島の夏祭りは夏休みの前にするの」
「なんで? なにか理由でも?」
「はいな。夏休みは本土から人が押し寄せるの。釣り客や海水浴客がね。かき入れ時なわけよ。夏休みは町の中がよそものでいっぱいになるわ。ふだんは民宿じゃない家も民宿になるし海の家も五軒ならぶの」
「ああ。つまり夏休みに夏祭りをやってる余裕がない?」
「そう。遊んでるひまがないの。人が多すぎるとおみこしだって動けなくなるしね。仁木板さんのおばあさんが怒ったのよ。祭りは神聖な行事だってね。だから夏休みの前の七月十日にお祭りをずらしたの。本土から観光客がくる前にって」
「七月十日ねえ? あたしは補習以外に予定がないと思うわ」
「じゃいっしょに行きましょうね。うれしい。わたし親友とお祭りに行くのって初めてよ」
「あたしもよ。転校が多かったせいで親友ができたのは玲ちんが初めて」
きゃーっと玲ちんが声をあげてあたしに抱きついた。校舎の中心にある階段をおりているときだった。あやうくあたしは階段を踏みはずすところだった。
「ねえ玲ちん。階段でふざけるのはやめてよ。いま階段から落ちたら夏休みは病院生活になっちゃうわ。せめてお祭りのあとにして」
玲ちんが肩をすくめた。あたしは玲ちんを可愛いと感じながらリョースケを思った。リョースケはお祭りにあたしを誘ってくれるだろうか? それとも女は誰も誘わないだろうか。お祭りの境内で女同士の乱闘がくりひろげられると目も当てられないから。
四時限目の授業は水泳だった。あたしは水着をいれた袋を手に玲ちんと女子更衣室に向かった。更衣室に着いてあたしは袋をあけた。たしかに入れたはずの水着がはいってなかった。水着なしで水泳はできない。あたしは袋をひっくり返して調べたがやはり水着はなかった。どういうことだろうとあたしは首をかしげた。家に忘れてきたのだろうか? それとも誰かに水着を盗まれた?
袋の中は家をでる前に見ただけだ。学校にきたあとで中は見てない。朝はあわただしい。水着をいれたつもりでも机の上に乗っているかもしれない。三時限目は化学の授業だった。理科の教室はすべて別館にはいっていた。教室を移動するとき水着の袋は教室に置きっぱなしだ。女子はみんなでぞろぞろと教室を離れた。仁木板と七瀬は先頭に立っていた。仁木板や七瀬のグループがあたしの水着を隠せたはずはない。たしか最後に教室をでたのはリョースケだった。そのリョースケでさえふり向くあたしに姿が見えたわけだ。あたしの袋から水着だけを隠す時間があったとは思えない。あたしは結論した。きっと家に忘れたのだろうと。着替え途中の玲ちんが声をかけてきた。
「どうしたのイチズ? 着替えないの?」
「うん。水着を家に忘れてきたみたい。きょうは見学しとくわ」
女子は女子だけで水泳の授業をする。男子は体育館でバスケットボールだ。あたしは体育の女性教師に水着を忘れたから見学すると申し出た。すると先生が笑った。
「ふふふ。じゃあの日ってことにしときましょうね。それだと平常点にもひびかないから」
なるほどとあたしはうなずいた。その手があったかと。
あたしはギラギラと暑い太陽に焦がされながら女の子たちの立てる水しぶきを見つづけた。リョースケやカケエなら喜んだかもしれない。だが同性のスクール水着をあたしが見てもおもしろくなかった。あたしはあくびをかみ殺しながら授業の終わるのを待った。
授業が終わった。あたしは更衣室にはいった。そのとき騒ぎが起こった。
「きゃーっ! わたしの財布がないわっ!」
声は七瀬夏美だった。七瀬につづいて仁木板蓮夢も声を張りあげた。
「わたしの財布も消えてるぅ! 泥棒よぉ!」
ええーっと女たちが口々に声を洩らした。それぞれが自分のロッカーをあらため始めた。あたしもロッカーをあけて中を見た。あたしの袋の中に水着はないままだった。あたしは制服で授業にでた。だから財布は身につけていた。もっともあたしの財布は二千円しかはいってない。被害者は七瀬と仁木板だけだった。七瀬と仁木板はロッカーのすみずみまで再確認してやはりないと結論した。七瀬の取り巻きが七瀬にたずねた。
「いくらはいってたの?」
七瀬が泣きそうな顔で答えた。
「三万円。いえ。小銭もあるから三万二千円くらい?」
七瀬が仁木板を見た。仁木板が眉を寄せて答えた。
「わたしは五万円。きょうは指輪を買いに行く予定だったの。でもこれどうしましょう?」
七瀬が首をかしげた。
「先生に言う? それとも警察にとどける?」
仁木板はロッカーのカギ穴に目をとめていた。更衣室のロッカーはちゃちなカギだ。ヘアピンがあれば簡単にあくだろう。カギをかけない者も多い。仁木板と七瀬も施錠してなかった。若菜島は都会とちがって狭い島だ。ここにいる女たちはあたしをのぞいて気心の知れた者ばかりだった。これまでに盗難事件など発生したことがないのだろう。みんな盗まれる用心などしていなかった。仁木板がロッカーからあたしに視線を移した。
あたしはハッとした。ここにいるのは『あたしをのぞいて』気心の知れた者ばかりだ。
「嘘! あたしじゃないわ! あたしは盗んでなんかない!」
七瀬があたしの前にきた。
「じゃ身体検査させなさいよ」
あたしが答える前に七瀬があたしの身体をまさぐった。あたしのブラの下や下着の奥にまで指をいれた。七瀬があたしの財布もあけた。二千円強がはいっていた。
腑に落ちない顔で七瀬があたしから離れた。
「おかしいわねえ? こいつ持ってないわよ?」
七瀬の取り巻きが口にした。
「どこかに隠したのかもしれないわ」
仁木板がふふふと笑った。
「やはり厄災を招く女だわね。しかたがないから先生に話して警察を呼びましょう。七瀬あんたが先生を呼びに行ってちょうだい。警察がくるまで全員ここを離れちゃだめ。更衣室をでた者を犯人とみなすわよ」
仁木板が宣言して七瀬が先生を呼びに行った。そのあいだに仁木板がスマホで警察に通報した。先生がきてほどなく源馬刑事と木之元署長も顔をだした。
源馬刑事があたしたち全員と更衣室を見回した。
「ふむふむ。四時限目は水泳だったんだな? 授業が終わってもどったらロッカーから財布が消えてた。ロッカーにはカギをかけてなかった。じゃ最後に更衣室をでたのは誰だ?」
仁木板が手をあげた。
「わたしだと思います。青桐さんは最初にでたはずです」
そのとおりだった。あたしは水着がなかった。着替える必要がなくなったのであたしは一番に更衣室を離れた。あとの女たちは制服をたたんだりバスタオルを用意したりしていた。源馬刑事があたしに顔を向けた。
「すると青桐は最もあやしくないな」
あたしはホッとした。でもそれは一瞬だった。七瀬が口をはさんだ。
「けど源馬刑事。青桐さんは用もないのに更衣室にきたんですよ? 水着を忘れたと言って着替えをしませんでした。水着がなくて見学をする人がどうして更衣室にくるんです? おかしいじゃないですか?」
あたしはあっと声を洩らした。そうか。そんな見方もあるか。
玲ちんをのぞく全員が疑惑の目であたしを見た。源馬刑事がひたいに人さし指をあてた。
「青桐は見学か。途中ですこし抜けだしても誰も気づかねえかもしれねえな。先生も生徒たちもプールにはいってたわけだからよ」
更衣室のカギは授業をうけもつ女教師が持っていた。しかし授業の最初に更衣室をあけるだけだ。授業中の更衣室にカギはおりてない。やはり都会とちがって盗難事件がこれまでになかったせいだ。全員の視線があたしに貼りついたままだった。状況は圧倒的にあたしに不利だ。あたしはよそものという点だけでも疑われる運命にあった。そのうえ水着がないくせに更衣室に足をいれた。さらに授業中に更衣室に向かってもバレないのはあたしひとりだ。どう抗弁してもあたしが犯人だろう。
源馬刑事がロッカーに指紋採取用の粉をふりはじめた。木之元署長はあたしたちの指紋を紙に捺印させた。そこに制服巡査が飛びこんできた。
「源馬刑事! 校庭のゴミ箱にこんなものが捨てられてました!」
巡査が透明のポリ袋をさしだした。中には女物の財布がふたつはいっていた。
七瀬と仁木板が声をそろえて叫んだ。
「わたしの財布!」
源馬刑事が巡査にたずねた。
「中身は残ってたか?」
「小銭だけでした。お札は一枚もはいってません」
「犯人は札だけ抜いたわけだな? 仁木板と七瀬。おまえたち札に目印をつけてないか? 札に落書きをするくせがあったとか。友だちのアドレスをつい書きとめたとか?」
源馬刑事の問いに仁木板と七瀬は首を横にふった。そんな妙なくせを持った女子高生がいるとあたしにも思えなかった。
「よわったな。それじゃ財布に犯人の指紋でもついてないかぎり犯人を限定できねえぞ」
源馬刑事は部下から受けとったポリ袋入りの財布ふたつを光にかざしてしげしげとながめた。きっと指紋はついてねえな。そんな顔の源馬刑事だった。
けっきょく盗難の犯人は見つからなかった。盗まれた八万円もでて来ない。財布に指紋は七瀬と仁木板のものしかついてなかった。当日一万円以上のおカネを所持していた生徒はひとりだった。海野ゴーキだ。ゴーキは財布に十万円を持っていた。取り巻きたちの話ではゴーキはいつもそれくらい入れているらしい。そのカネで学校帰りに取り巻きたちにいろいろとおごるそうだ。取り巻きたちはゴーキの親が怖いからゴーキのきげんを取っているだけではないようだ。ゴーキにおごってもらえるという利点もあるみたいだった。
源馬刑事はゴーキのアリバイも調べた。それによるとゴーキは取り巻きたちにずっと囲まれていた。取り巻きたちがパスをゴーキにばかり回してゴーキはひとりでゴールを決めつづけたそうだ。バスケットの試合ではなくゴーキのワンマンショーだったらしい。ゴーキに財布を盗みに行く時間はこれっぽっちもなかった。ちなみにリョースケはやる気のないあくびばかりだったそうだ。カケエがひとりでゴーキ相手に奮戦した。先生もふくめて男子は誰ひとり体育館をでなかった。男子全員のアリバイが成立したわけだ。
盗難事件はそのままうやむやに終わりそうだった。誰も事件をむし返さなかった。でもあたしを見る目は確実に変化した。あたしを指さしてひそひそと話しあう声が格段に増えた。誰もあたしが犯人だと面と向かっては言わない。仁木板と七瀬はあたしに近寄らなくなった。しかしいっそあたしに直接言ってくれたほうがよかった。あたしはぶすぶすと不満をくすぶらせた。あたしの味方は玲ちんとリョースケとカケエだけだった。クラスの大半があたしのかげ口をささやいていた。声をひそめてコソコソ言われるのはこたえた。かげ口には反論もできない。あたしの話題ではない時もつい反応をする。あたしはがっくり落ちこんだ。補習のあいだ玲ちんがあたしをはげましてくれた。
担任の世良先生もあたしの肩に手を置いた。
「おれは青桐を信じてるぞ。元気をだせ。おまえはバカだが泥棒をするやつじゃない」
「ちょっと先生。バカはよぶんよ」
軽口を叩きながらあたしの目からは涙がこぼれた。誰かに信じてもらえるのがこんなにうれしいと思わなかった。
補習が終わるとあたしはリョースケの胸で思いきり泣きたくなった。
自宅に帰ったあたしは迷いに迷った。しかし最終的にリョースケに電話をかけた。リョースケのスマホの番号をカケエから聞いて折り返しかけてみた。
「ごめんリョースケ。あたし悲恋岬の夕陽が見たいの。でもひとりじゃ怖くて行けない。迷惑じゃなかったらいっしょに行って」
リョースケはすこしのあいだ黙った。考えているみたいだった。
「いいぜ。自転車でむかえに行く。待ってろ」
あたしはリョースケの自転車のうしろに積まれた。頬をリョースケの背中に押しつけてあたしは泣いた。青い夏空がすこしずつ橙色に変化を見せた。風はあたしとリョースケを包んで背後に流れた。世界にあたしとリョースケしかいないみたいに思えた。
悲恋岬の傾斜に立つと夕陽が水平線のかげろうにゆらゆらとゆれていた。空には雲ひとつなかった。あたしは首をかたむけてリョースケの胸にもたせかけた。
そのときあたしは化粧品の匂いを鼻に感じた。憶えのある匂いだった。
あたしは訊こうか訊くまいか迷った。でも訊いてみた。あたしは答えを知りたかった。
「リョースケ。きょうの相手は誰?」
リョースケが一瞬だけ身体をかたくした。
「七瀬だ。まずかったか?」
やっぱりとあたしは肩をすくめた。
「ううん。あたしに責める資格はないわ。でもあたしにもすこし」
「すこし? なにをすこしだ?」
あたしは答えを口にしなかった。あたしが口にしたのはリョースケのくちびるだ。沈む夕陽を横目に見ながらリョースケに背伸びをした。精一杯つまさき立ちをしてあたしはリョースケのくちびるを舐めた。すぐにリョースケが身をかがめてあたしの口に口を合わせた。あたしは舌でリョースケの舌を求めた。ファーストキスなのに大胆すぎた。でもとまらなかった。リョースケはさすがに慣れていた。あたしの背中を抱きしめてあたしの全体重をささえた。あたしはリョースケに身も心もゆだねた。リョースケにその気があればあたしは初体験を終えていただろう。
夕陽が落ちきるまであたしとリョースケはくちびるをついばみあった。あたしは泣きながらリョースケの舌を舐めた。涙がしょっぱかった。あたしのファーストキスは涙味だ。レモンを買ってくればよかったと悔やんだ。
あたしはリョースケの手に気づいた。あたしを抱くリョースケの指がなにかをつかみたそうに動いていた。あたしはひらめいた。リョースケの手をあたしの胸に誘引した。
「いいのかイチズ?」
あたしは無言でうなずいた。リョースケの指がなめらかにあたしの乳房をなで始めた。あたしは慣れたその手に嫉妬を覚えた。
「ねえリョースケ。きょう七瀬さんともキスをした?」
リョースケは答えなかった。あたしの胸を這う指がとまっただけだ。
「したのね?」
リョースケが目をそらして答えた。
「した」
あたしはすねた。
「七瀬さんのキスはあたしよりうまいはずよね? 小学生からのつき合いだものね? いったいあなた誰が好きなの? 本命は誰よ?」
あたしの質問にリョースケが一瞬だけすきを見せた。あたしはリョースケの目にハッとした。リョースケの目はあたしを見ていなかった。きっと七瀬も見ていない。リョースケの目はあたしたちではない別の誰かを追っていた。そうかとあたしは悟った。リョースケはあたしたちの誰も好きではないと。本当に好きな女は別にいる。リョースケはその女に思いがとどかない。とどかない思いを女の子たちとの関係でまぎらわせているだけだ。あたしも七瀬もリョースケにとっては代用品なわけだ。
なんて失礼な話だろう。あたしはそう憤慨した。そして考えた。リョースケの本当に好きな女って誰だろうと。関係ができてない女なのはまちがいない。玲ちんはこう言っていた。『リョースケくんがたったひとりの女の子を好きになればいまの関係は終わるわ』と。リョースケはすでにたったひとりの女の子を好きになっている。でもその子と関係してないだけだ。その子と結ばれればリョースケはほかの女の子がいらなくなるにちがいない。あたしもふくめてだ。あたしは急速に冷めた。ついさっき処女をなくしてもいいと思ったのが嘘みたいだった。リョースケの気持ちがほかの女にあるのに結ばれたくなかった。
「ねえリョースケ。あたしの下着をぬがせたい?」
リョースケがあたしの顔をうかがった。薄暮があたしの顔に陰影をつけていた。
「おまえはそれを望んでないよな? やらせてくれるならする。でもその気はなさそうだ」
「その気のない女に無理じいはしない。そう聞いてるわ。それって本当みたいね。いまなら誰もいないわよ? 大声をだしても助けは来ないわ。あたしをものにするならいまよ」
「ふふふ。おまえ迷ってないか? 初体験はしたいけど愛してくれなくちゃいや。そんな顔に見えるぞ? 開通させないまま気持ちよくしてやろうか?」
「やーん。そんなのだめえ。やみつきになったら困っちゃうぅ」
あたしの声はトロトロだった。はっきり言うとあたしは奪ってほしかった。リョースケが愛してくれなくてもよかった。あたしが愛していたからだ。あたしはまた火がついていた。そのときあたしは気づいた。リョースケがあたしのスカートを見ているのをだ。
「なんだ。やっぱりあたしの下着をぬがせたいんじゃない」
リョースケが首を横にふった。
「いいや。そうじゃねえ」
あたしは首をかしげた。
「でもエロい目であたしのスカートを見てるわよ?」
「ああ。それは」
リョースケが口ごもった。
「言いなさいよ。なにがしたいの? 言うだけならとがめないわ」
「その。おまえのスカートを」
「スカート? まさか? スカートをめくりたい?」
「そ。そう」
あたしはぷっと吹き出した。
「なにそれ? あんた幼稚園から女の子の下着をぬがしてお医者さんごっこしてたんでしょ? きょうも七瀬さんと関係を持ったのよね? それがいまさらスカートめくり? 小学生みたいよ? そんなので満足できるの?」
「わかんねえ。でもおまえのスカートをめくりてえんだ」
あたしはため息を吐いた。うれしいのかがっかりしたのかあたし自身でもわからない。もっと高度なエッチをして欲しい。そう思う一方リョースケに求められたことで心臓がたまらなく跳ねた。あたしはリョースケの耳にささやいた。甘い吐息を吹きかけた。
「ちょっとだけならいいわよ」
リョースケの手があたしのスカートにかかった。正面からさっとあたしのスカートがひるがえった。あたしの下着が見えた。でも一瞬だったはずだ。リョースケは楽しげだった。
「おまえ今日もウサギ柄かよ。色気のないパンツだな」
すでに太陽は沈んだあとだ。まだ光はあるがプリント柄まで見えるなんて。
「あんたどんな目してんのよ?」
リョースケがすかさず答えた。
「エッチな目だ」
「あはは。バカ。どう? いまので満足した?」
「ははは」
「はははじゃわからないわ。ウサギ柄のパンツだとぬがす気にならないの?」
「どうなんだろうな? でもおまえのパンツは好きだ。ウサギ柄バンザイ!」
「もぉ! あんた正真正銘のバカね!」
あたしはリョースケの顔をつかみ寄せた。リョースケの口をあたしの口に引きつけた。あたしはリョースケにキスをした。リョースケの手があたしをさわらないように両手でリョースケの手を封じながらだ。いまさわられるとあたしはとまらなくなる。こんな形でリョースケと結ばれたくなかった。場所も屋外はいやだ。たしかここには監視カメラが設置してあった。役所で録画されているはずだ。若菜島役場の流出ビデオにあたしが出演するのはいただけない。
あたしはリョースケを押したおしてリョースケのくちびるをむさぼった。リョースケとキスをしているとまた泣けた。悲しくてではなかった。幸福のあまり泣けてきた。あたしの胸はいっぱいになった。貧弱な胸だから許容量もすくないらしい。胸からあふれた思いにあたしは泣きじゃくった。キスをしているのか涙をリョースケにふりまいているのかわからなくなった。リョースケがあたしの頭をなでながらあたしの涙を舌で舐め取った。
「リョースケ! リョースケッ! リョースケェ!」
あたしはリョースケの名を呼びながら泣きつづけた。舌と舌をからめながら涙をこぼした。最後は舌が疲れて泣くだけになった。リョースケがあたしの頭をなでつづけてくれた。あたしは幸せだった。このまま死んでもいい。そんなぐあいにさえ思った。
風が夜の色を深めたころあたしはリョースケの自転車のうしろにゆられて帰宅した。涙は乾いていた。あたしの初キスはみっともなかった。思いだすと頬が赤くなる。あたしは自転車の荷台で身をちぢめた。大好きな男にあんなぶざまな顔を見られるなんてと。嘔吐する場面を見られるよりつらかった。あたしはきょうの記憶をみんな消したいとねがった。流れ星が流れていればあたしは口にしたはずだ。『好き』につづけて『きょうの記憶を消して』と。記憶が消せないなら最初の甘いくちづけの記憶だけを残したかった。あそこでとめておけばよかった。そんなふうにあたしは強烈に後悔した。
悲恋岬でやっちゃってたらもっと後悔しただろう。家にもどったあたしはそう考えてうふふと笑った。本当はそれを望んでいた。あたしはリョースケのものになりたかった。場所なんかどうでもよかった。監視カメラがあろうが気にならない。世界中に見られても平気だ。大好きな男とひとつに溶け合いたかった。あたしはうふふうふふと笑いがとまらなかった。リョースケと関係した翌日の玲ちんの気持ちがやっと理解できた。きっと玲ちんは一日中こんな浮かれた状態だったのだろう。
あたしはふとんを抱きしめて眠りについた。リョースケの代わりにぎゅっと抱いてだ。ふとんとキスまで交わした。階下のママと義父は今夜もまたエッチも喧嘩もなしだった。深夜にいちゃつかれるのは迷惑だ。しかしエッチも喧嘩もなしという状態がつづくのはいかがなものか? 喧嘩をするより冷めているという証拠ではないだろうか? 離婚も時間の問題かもしれない。あたしはこの島を離れるのがいやだった。だから神さまに祈った。どうかママと義父を別れさせないでと。神さまは迷惑だったはずだ。『リョースケと結びつけて』と頼まれたり『記憶を消せ』と言われてみたりあげくが『両親を離婚させないで』だ。あたしは神さまに謝った。『ごめんね神さま。身勝手な女の子で』と。だからリョースケと結びつけるおねがいだけはかなえてね。流れ星に百回好きって言ってみせるからさ。
神さまにたのみごとをしているあいだにあたしは眠りに落ちた。夢の中でもあたしはリョースケを押し倒してキスをしていた。エロエロなのはリョースケよりあたしだった。あたしはリョースケの胸をいじっていた。リョースケの下着にも手をいれていた。
ハッと飛びおきたあたしのひたいは冷や汗を噴き出しはじめた。あたしって女はなんてエッチだろうと。その晩はそんなののくり返しだった。
あたしは寝不足の顔で翌朝登校した。すると玲ちんにからかわれた。
「なにその顔? 幸福なのか不幸なのかわかんない。そんな顔してるわよ? 大好きな男の子と初キスでもしちゃった?」
図星をさされたあたしはうつむいて頬をまっ赤に染めた。玲ちんがあたしとリョースケを交互ににらみつけた。リョースケは窓の外に顔を向けて玲ちんの視線をさけた。玲ちんがますます怒った。
「こらあイチズ! ホントにリョースケくんとしたなあ! あんたはわたしの親友でしょ! どうして恋敵になんのよぉ! 信じられなーい! カケエくんがいいって言ってたのは嘘なのぉ!」
あたしは心の中でつぶやいた。ごめんなさい。言いわけのしようがないあたしです。好きなだけで責めてくださいわが親友よと。