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吐露

 静かな時間が訪れた。

 聞こえるのは俺と明日香がコーヒーをすする音だけ。

 

 勢い良く自分から啖呵を切ったものの、どこから切り出せばいいかわからなかった。

 自分のことを誰かに話すことなんて今までなかったし、何なら家族以外の誰かと会話をすること自体が久しぶりだった。


 時間はもうすぐ10時になる。

 かちゃん、とカップをお皿に置く音が耳に心地よい。

 俺は長く続いた静寂を破るように、一呼吸おいて口を開いた。


「俺は、もともと誰にも期待なんかしていないし、信じていない。俺がそう体験したように。今もそうなんだ。だけど、君はたぶん違う。二日しかたってないけど、君は俺が出会ってきた人間とは違うように感じたんだ。だからちょっとだけ信じることにする」


 期待しないし、信じない。だから放っておいて。

 

 俺が短い人生を歩んできて思ったことだ。

 人は簡単に期待して、信頼して、裏切られて。

 そんな結末がバットなサイクルを歩むなら、最初から期待しなきゃいい、信じなきゃいい。

 俺が出会ってきた人間すべてそんな奴らばっかだった。勝手に裏切られて落ち込んで。

 全部諦めれば楽なのに……。


 俺に関りを持つことへの興味はとうになかった。諦めていた。

 だけど、明日香のその姿勢は俺にとって初めてのことだった。

 同居という密閉空間ゆえの心理かもしれない。

 それでもその条件を除いても、明日香は確かに俺という人間に接しようとしてきた。

 俺が突き放しても、諦めなかった。

 だから、ちょっとだけでも信じて、理解してくれることを期待して、俺は自分を語る。


「薄々というか、たぶん俺が普通の人間じゃないっていうのはわかってると思う」

「そうね、原因はわかんないけど、私と話してるとき、ずっと苦しそうだった。なんか、怯えてるみたい」


 怯えてるみたい……。

 確かに、俺は怯えていたのかもしれない。

 人と話すこと。他人と関わり合うこと、つながりを持つこと。

 自分以外の人間へ、知らず知らずのうちに恐怖を抱いていた。

 でもそれは思い込みでも何でもない。

 俺が実際に経験したことが心に大きながん細胞を作って作用し続けている。


 俺自身のことを他人に話すのは本当にしばらくないことだ。

 自分の弱みをさらけ出すことは、今まで考えられなかった。

 でも、今なら言える気がする。

 

 ずっと逃げてきたこと。避けてきたこと。

 今なら変えられる。



「俺は……、女性恐怖症だ……」


 絞り出すように俺は吐露した。


 俺が何で他人と関わらないのか。

 何故、明日香と会話する際に、胸が苦しくなるのか。

 その原因。その全ての元凶がこれだ。


 女性恐怖症。

 医学的な用語じゃない。けど、対人恐怖症の一つ。

 対人との交流の中で特に女性に対して極度な反応をしてしまう。

 心理上の病気を俺は患っていた。


 違和感を覚えたのはある事件があった翌日。

 昨日のことで職員室に呼ばれ、担任と対面したとき。

 俺は急に体調が悪くなった。

 その教師は女性だった。


 病院を受診して、対人恐怖症だと言われた。

 特に女性への影響が強い傾向があるらしい。

 俺は対人恐怖症の中では軽いほうらしいが、誰かと交流するだけで吐き気を覚えた。

 それは肉親である親父でさえも同様だった。


 薬でなんとか今のように多少の交流ができるようになった。

 でも、完全に治ったわけじゃない。

 結果、俺は明日香と交流して女性恐怖症の症状が出てしまった。


 明日香は驚いているようで、それでいて暗い表情を見せた。


 当たり前だ。

 つまり、俺が怯えていたのは明日香自身であり、俺が体調を悪くしていたのも明日香が俺と会話していたからだ。

 だから言いたくなかった。あまりにも残酷なカミングアウトだ。

 どちらも悪いとは言えない。強いて言うなら俺が悪い。

 事情を説明していれば、状況は悪くならなかったかもしれない。

 けど、今更

 そんなことを後悔しても後の祭りだ。


「ごめんね」


 ポツリと、明日香が呟いた。


「私、そんなことがあったなんて知らなくて。私が……、君を苦しめた。君は苦しかったのに、私は自分がその原因なことに気づかずに、余計なことばかり……。ごめんね」


 こんなに苦しいことはなかった。

 俺は明日香に謝罪をさせたくて、こんな懺悔を聞きたくて吐露したわけじゃない。


 嫌だった。

 俺のせいでまた何かが失われるのは。

 俺は明日香のそんな言葉を聞きたかったわけじゃない。


「明日香」

「!?」


 俺は初めて明日香の名前を呼んだ。

 涙を流しながら、怯えた表情で俺を見る。


「俺はそんなことを言ってほしいわけじゃない」


 別に何を言ってほしいとかはないけど、この言葉は違うことだけはわかる。


「明日香は何も悪くない。俺が弱いだけだ」

「そんなこと」

「そんなことあるんだよ。俺が弱いから、明日香と会話して倒れた。こんな症状を患った。明日香謝ることなんて何一つもないよ」


 俺は明日香をまっすぐに見た。

 頬には涙が伝った跡が残っている。

 それでももう涙は流していなかった。

 必死に笑顔を作ろうとしていて、それが何だか面白かった。


「もう、諦めてんだ、これが治るの。だから俺はこいつを一生背負っていかなきゃならない。いつか乗り越えなきゃいけないことなんだ」


 逃げていた。

 治そうとかそういうことからじゃなくて。

 こいつを背負ったままこの先歩んでいくことから目をそらしていた。

 受け入れようとしていなかった。

 いつまでも現実から目をそらし続けて、逃げ続けて。


 それももう今日で終わりだ。


「せめて、君と日常会話ぐらいはできるように克服してみるよ。まあ、どれだけかかるかわからないし、迷惑もかけちゃうかもしれないけど」


 それを聞いて明日香はフルフルと首を横に振った。


「そんな迷惑なんて」

「どうなるかわからないし、一応ね」


 俺はパン、と手を鳴らした。


「はい、この話終わり。このシリアスな空気もおしまい」

「え?」

「明日香、ありがとうな。おかげで何か変われた気がするよ」


 俺は立ち上がって、明日香に手を伸ばした。


「これも何かの縁だ。これからよろしく」

「うん、こちらこそ」


 いつか過去を振り返った時、きっとこの日がターニングポイントになるようなそんな気がした。

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