道
平均点は63点。自身の点数は32点。周りで嬉しそうに互いの点数を公開しあってるクラスメイト達を見て、彼はため息をつく。
「今回も全然ダメか。勉強したんだけどな……。やっぱり俺、向いてないんだろうな」
そんなことを呟きながら、かつてした両親との会話を思い出す。それは、自分の進路について話し合っている時のことだった。
「なあ、今までのお前の成績を見ている限り、そもそも勉強向いてないんじゃないか」
「お母さんもそう思うわ。あれだけ自分の部屋に籠って勉強してる割に、成績が全然伸びないじゃない」
「お前が理系の大学に行きたいというから応援していたのに、これじゃ本当に行きたいのかも疑うレベルだぞ」
「ねぇ、理系の大学で何を学びたいの?」
何を―。確かにそれは当然の疑問だろうが、彼にとってそれは重要ではなかった。
「もしも理系で国公立に通うことがかっこいいからとか、周りにちやほやされたいからとかいう、世間体が理由なら止めなさい」
「苦しくなるだけよ。自分の本当にやりたいことは何か、もう一度考えた方がいいと思う」
そう、彼が理系で国公立大を目指す理由は、あまりに不純で情けないものだった。概ね両親の推察通りなのだからぐうの音も出ない。
自分でも本当にやりたいことではない気がしてならないが、ここで中途半端に諦めるなんてことは絶対にしたくなかった。
「向いてる向いてないとか、もうどうだっていいんだよ。俺の目的はただ単に、周りのみんながやってる勉強で、良い結果出して認められたいだけさ。それのどこが悪いんだよ」
大学受験まで残り一年。今日もいつもと変わらず好きでもなく向いてもいない勉強に、周りから認められたい一心で打ち込んでいく。
―一年後―
「はぁー……。やっぱりだめか」
本来、大学は学びたいことを学ぶために通う場所であり、特に理系は才能と興味の世界でもある。そういう意味では、彼は真反対の人間だったため、この結果は分かりきっていた事だった。しかし、いざこうして不合格の三文字を目の前に突き付けられると、込み上げてくるものはある。
「これでも結構頑張ってたんだけどな……。何でだろ。やっぱりこんな動機だからか……?」
その日の夜、帰ってきた両親に不合格だったことを告げる。
「そうか。まあ勉強、やってて辛そうだったもんな。でも自分のやりたいようにやれたのは良かったな」
「あなたが次にやることは、浪人じゃなくて自分探しね」
両親はこうなると分かっていた、というよりかは合否に然程注目していなかったようだ。
「今からいけるところは専門学校くらいしかない。どの分野に興味が湧いて、どの学校に通うのか。この一か月で決めなさい」
「え、専門学校……?」
「仕方ないだろ。勉強が好きでもなく向いてもいないんだから、浪人したところで辛いだけだ。いい加減勉強から身を引きなさい」
「お母さんたちはね、あなたに幸せだと思える人生を送ってほしいのよ。今の状況を見てると、なんだかとても苦しそうに感じるわ。何かに縛られてるんじゃない?」
実際その通りだった。自分は結局、他人からの評価に縛られている。そして出来ることならそれを手放して楽になりたいとも思っていた。故にここは両親の言う通り、思い切って勉強から身を引くことが自分にとって一番良いのかもしれない。
週が明けた月曜日、朝学校に行くと案の定クラスは互いの合格報告で賑わっていた。
「え、お前あの難関国立大受かったの?すげーな」
「でもお前もよく第一志望受かったよなー。最後の模試でD判定叩き出してたのに」
笑い声と共に、そんな会話が耳に入ってくる。周りを見渡せば大半が笑顔で、それぞれの想いを語り合っていた。
学校が終わり家に帰ると、早くもポストに何冊か専門学校のパンフレットが入っていた。
「あー俺、何やってんだろ……」
パンフレットをめくりながら、ついそんなことを口走ってしまう。周りは志望校に受かり、幸せそうにこれからの大学生活に想いを馳せている中、自分は一人受からず、こうして惨めな気持ちで専門学校を探している。
そんな中で目に入った演劇系の分野。数ある分野の中で一番興味が湧いたもの、それを学べる専門学校に渋々だが通おうと決めた。
「正直、自分のやりたいことが何か分からなくなってきた。浪人も専門学校に通うことも、自分が本当にやりたいことなのか。なんか全部、どうでもいいような……」
今は何もやりたくない、が正解なのかもしれない。だが、時間は刻一刻と過ぎていくため、前に進むしか道はなかった。
―半年後―
「そこはもっと体全体を使って大げさに表現するくらいがちょうどいいと思う」
「ただそれだとわざとらしくならない?」
「うーん。なぁ、お前はどう思う?」
「―」
「おーい? 聞いてる?」
「―え? 何の話だっけ?」
「おいおいお前疲れてんのか? 最近休みがちなのはそのせいか? 大丈夫かよ」
「あーいや、大丈夫大丈夫……」
仲間は自分の様子を見て心配そうにしていたが、まあいいかと自分から視線を外し、話し合いに戻っていく。
専門学校の授業は楽しく、どれも新鮮で面白かった。価値観も今まで接してきた人とはまるで違った。しかし、それでも時折大学受験のことが脳裏にちらついてしまう。やはりあの時浪人しておけばよかったのか。本当にこのまま進んで自分は幸せだろうか。そしてこの想いは日に日に強くなっていき、最近は何に対してもやる気が湧かずにいた。
そんなある日、彼は学校を休み家でネットを眺めていると、インターホンが鳴った。
「すみませーん。○○県警の者です。息子さんに伺いたいことがありまして、署まで同行お願いできますか? ご両親には既に連絡済みです」
何もかも意味が分からなかった。警察?いきなり?どうして?様々な疑問が浮かび、みるみるうちに背中が嫌な汗で濡れていく。状況も何も分からないまま、彼は取り敢えずそれに従うしかなかった。
―警察署内―
「何でここに呼ばれたか分かる?」
「いや……ちょっとわからないです」
「まあ君が覚えているかは分からないけど、一ヶ月くらい前に、とある配信者に対して誹謗中傷の書き込みをしたでしょ?」
警察はそう言うと、証拠に自分のアカウントと書き込みの内容を見せてきた。確かにそれには見覚えがあった。
「どう? 思い出した?」
「あ……はい、確かに思い出しました」
「色々と聞きたいことはあるけど、まずはこれをやった理由を教えてもらおうかね」
「えー、その時は何か、ムカついてたというか、イライラしてたというか……」
「それは配信者の言動に?」
「まあ、そうですね。何となく……幸せそうにしてるのが気に食わなかったんだと思います」
「なるほど。ちなみに今回、自分が悪いことをしたという自覚はある?」
「はい。ただ、それがここまでとは思っていませんでした」
「こういうことは結構してるの?」
「うーん、まあ特に最近は、ですかね」
「なるほどね。君は今学生?」
「はい、専門学校に通っています」
「専門学校というと、皆好きなことを仕事にしたい人が多いイメージだけど、君もかな?」
「実際自分も、少なからずその分野に興味を惹かれて通っていたんですが、最近になってちょっと迷いが出てきてしまって……」
気が付くと、彼は警察に自身の悩みについて堰を切ったように話していた。自分が今何をやりたいのか分からないということ。そうなってしまった経緯。最初はこんなことを話すつもりはなかったが、警察の自分自身に関する質問と真剣に話を聞いてくれるその姿勢に、溜まっていたものがどっと溢れ出していた。
「―なるほどなぁ。まあでもお巡りさんが思うに、やりたいことを一つに絞る必要はないと思うけどね」
「えっと……それはどういうことですか?」
「つまり、専門学校も通いつつ大学受験のための勉強もすればいいんじゃないかってこと」
彼はその言葉を聞いた途端、心がすっと軽くなったように感じた。今までは二つ道があれば片方を選択して進むのが当たり前だと思っていた。しかし、ここにきて両方同時に進める道もあると気付かされたのだ。その自分にはなかった発想に、はっとさせられる。
「あ……なるほど、確かに」
「やりたいことは何個でもやりたいときにやるのがいいと思うよ。大変だとは思うけどね」
それ以降は、自分のしてしまった過ちについての細かい調査に話が移り変わっていった。
今回の件は彼の場合、幸運にも取り返しのつかない問題にまではならず、それどころか彼に新たな気付きまで与えてくれたのだった。
「あのお巡りさんの言う通りだ。そもそも誰も、やりたいことは一つしかやってはならないなんて決めてなかった。そうやってわざわざ道を一つに絞っていたのは、他の誰でもなく自分だったんだ」
新たなる道。彼は警察沙汰になるまで追い詰められて初めてそれに気が付いたのだった。