「手をとりあって」part17
頭から熱めのシャワーを浴び、お湯を入れ直した大きなバスタブで考える。本当に嫌な夢だった。
でも、この世界の本来の住人が帰ってくることはあるのだろうか。もしそうなったら、オリサたちはどうなるのだろう。やはり故郷に帰るのだろうか。嫌だな。家族には帰ってきてほしい。でもオリサ達とも一緒にいたい。彼女たちがこの世界に来た理由を考えたら両立はムリだよなぁ。神様に聞いてみたいが果たして今はどこにいるやら。まだ乗馬クラブにいるかもしれないから、後で行ってみようか。
ゆり子……お前はいまどんな世界にいるんだ?
天井に付いた水滴をぼんやり眺めながら考えを巡らせていた。
右肩に小さな手形が付いているのに気づき、指先でその形をなぞる。ルルの手、小さいな。こんなに小さいのにあんなに力が強いとか面白いやつだ。
快く送り出してくれたリーフ、いつも俺について回って遊んでくれるオリサ、みんないいやつだ。
さっきの夢。リーフがいないと勘違いしたときの、背筋が凍るような感覚。今の俺は他の人達がいないこと以上に、三人がいなくなるのが何より怖いのかもしれない。
延々考えごとをしていたら扉の開く音がした。
「入るよ~」
出入り口を見ると湯気の向こうにバスタオルを巻いたオリサが立っている。
「いい?いいよね?『はい』か『Yes』で答えて。『sí』でもいいよ。大丈夫ね?んじゃ、そっち行きまーす」
同じじゃねぇか!『スィー』ってなんだよ!海?
「なんでだよ!ちょ、ちょっと待て!」
あたふたしていたらバスタオルが飛んできた。慌ててそれを腰に巻く。
「飛び起きながらあたしの名前呼んでたじゃん。オリサちゃんが恋しいんでしょ?はーい、お隣失礼しますよーっと。あ~、いいお湯。やっぱお風呂っていいよね」
わかってはいたが、オリサは男に対して無防備すぎる。
「ベッドだけどね、すぐには乾かないから別の部屋にお引越ししようってことになったよ。ルルちゃんが他の部屋見に行ってくれてる」
「そうか。起こした上に手間かけさせて悪いな……」
「それで、どんな夢見てたの?あたしの夢だったんだよね?」
やはり心配させたか。
「大丈夫、なんでもない」
「ホント?」
そう言ってオリサは接近してくる。俺に寄りかかるように頭を預けてきた。肌と肌が触れて体温が伝わる。心配してくれているのだろうが、それにしたってあまりくっつかれると気まずい。
「本当だって。大丈夫」
「そう……」
それだけ言うと彼女の手が俺の胸に触れる。瞬間、肌が粟立つのを感じた。手を握ったことは何度かあるが、身体に触れられるなんて考えてもみなかった。何をする気だろう。ますます緊張して抵抗できない。
「ねえトール……、今まで言ってなかったあたしのヒミツ、聞いて?」
「な、なんだよ」
俺にもたれかかったまま、珍しくしおらしい声でオリサがつぶやく。
「大事なことなの……」
「あ、ああ」
な、なんだろう。まさかの展開だ。
「今まで言わなかったけど、あたしね……、嘘付く人キライ!」
直後、オリサの触れた胸に激痛が走った。
「いだぁぁぁ!」
痛みの中心を見ればオリサが俺の乳首を握っていた。
「お、おま、なんつー場所握ってんだ!ああぁだだだ!や、やめろ!やめろ!引っ張るなぁぁ!!」
「心配して聞いてるんだからちゃんと答えて!どうせ『言ったら嫌な気持ちにさせる』とか、そんなくだらないこと気にしてるんでしょ!今更そんなの関係ないし、言わないほうが嫌だよ。ほら、素直に白状!」
怒りの主張とともに俺の右乳首は開放された。思わず右胸に手を当て擦ってしまう。よかった、ちゃんと付いてる。ちぎれたかと思った、俺の干しブドウ(右)。肩に手形を作り、右乳首は数ミリ長くなってしまった……気がする。なんて惨めな姿だ。
オリサなりに心配してくれているらしい。手段はともかく……。
「悪かったよ。実はな」
俺は夢の中でのことを覚えている限り話した。
妹をはじめこの世界の人達が戻ってきたこと。
そのため、オリサたちが元の世界に帰ること。
オリサが強く拒否していたこと。
「そっか。トールは、妹ちゃんとか家族に会いたいよね」
「まぁ、否定はしない。……でも、オリサ達と離れるのも嫌だな。だって、お前らといると楽しいし」
偽らざる本心だ。
「ありがとね。あたしもだよ。たぶん、ルルちゃんもリーフちゃんも同じ」
よかった。そう思ってくれているだけでも安心する。
「もし神様に無理やり戻されそうになったら、あたしは全力で抵抗してやるよ」
「雄々しい限りだな」
苦笑いが漏れた。
「へへ。……ねぇ、手、出して」
「ん?」
言われるままに差し出したらオリサが俺の手を強く握りしめてきた。
「あたしはここにいて、トールもここにいるよ。もし不安になったら、あたし達の手を握って。ね?」
「……わかった」
それきりオリサも黙ってしまった。いつも二人で行動しているけど、沈黙は珍しい。だが不思議と気まずさはない。
ただ手を握ってもらってるだけなのに安心するものだ。
「どう?」
「何が?」
「おてて握られて安心した?」
「ああ。知らなかったよ。こんな単純なことでも気分は落ち着くんだな」
「うん。前にあたしが泣いてるとき握ってくれた人がいて、そのときに気づいたんだ」
誰だろう。元カレ?
「元の世界の彼氏?」
思わず聞いてからしまったと思った。他人の恋愛の詮索なんて下世話もいいところだ。
「んなもんいないよ、このバカ!」
「ごめん」
しくじったなぁ。せっかく気遣ってくれたのに、今のは失礼にも程がある。
「心配したのに、あーつまんない!」
「ごめん」
本当に反省だ。
「でも、つまんない冗談言えるくらい元気が出てきたみたいだし、とりあえず大丈夫かな。あたしはもう出るね。トールも、あんまりお風呂で考え事してるとのぼせるよ?」
「了解」
握った手からオリサの手がするりと抜け出す感覚に寂しさを覚えながら見送った。脱衣所からオリサの気配が消えたら俺も出よう。
幸いその後は夢も見ず、朝までゆっくり休むことができた。