「手をとりあって」part1
筆者前書き
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「よーし、たまにはお皿洗ってみんなに楽をさせちゃうよ!」
「心配したリーフが既に横に立っているが、本当に楽をさせているのか?」
「ではわたくしは食後のコーヒーをお淹れしましょう」
「オリサ、そこにエプロンあるから使うといいよ。俺は少し休ませてもらう」
いつものように朝食が終わり、リーフが皿洗いをしようとしたらオリサが突然はっちゃけた。いつもはルルが手伝っているのだが、今日はやる気が出たらしい。
「お、あたしの目と同じ緑色!俄然やる気出てきた!」
よくわからんがそいつはよかった。俺はソファーに腰掛け食休み。
ここ数日、何やら寝起きの時点でどうにも身体が怠い。疲れているのだろうか。リーフにはすぐに看破され気遣われたが、少し休めばなんとかなるだろう。
「トール、今日から三月だろう?カレンダーの二月のページを剥がしてしまっていいか?」
「いいよ、よろしく。手届くか?」
「余裕で届くわ!よし、他の部屋も気づいたら剥がしておこう」
日付なんて気にしていなかった。
世界が激変したのが二月の初め頃だから、三人が来てからもう一か月くらい経つのか。早いもんだなぁ。
今の世界じゃ曜日も祝日も何も意味は無いけど、せっかくカレンダーがあるなら今年中は使うのもいいだろう。ふと見ると三月一日、カレンダーの今日のマスに何かメモが書いてある。赤いマジックで書かれているようだが、ここからではよく見えない。
「ルル、今日の所、何て書いてある?ちょっと読んでくれ」
「わかった。『透 卒業式』とある。ああ、本来ならもうすぐ学校の勉強が終わるとか言っていたな……」
なるほど。母が書いておいてくれたらしい。すっかり忘れていた。
「そうだな……」
いろいろ思うところもあるが、仕方がない。嘆いたところでどうにもならないし。
それにしても、今日は何かもう一つくらい予定があった気がする。なんだったか。
「トール、お前の通った学校でも行ってみるか?気晴らしに遠出などどうだ?」
ルルが傍らに座り提案してきた。表情にいろいろ出ていたのかもしれない。オレンジ色の作業服の上に乗る小さな頭が心配そうに顔を覗き込んでくる。作業服は二週間くらい前に工業高校へ行ったときに手に入れたらしい。
「大丈夫。大したことじゃないって」
小さな頭を撫でながら答えた。
実際、高校はずっと自由登校期間だったし、そこまで気にしてなどいないし。
「ならいいが。ムリはするなよ」
「大丈夫だって、マジで」
「コーヒーが入りました。お二人共どうぞ」
お盆にコーヒーの入ったマグカップを乗せてリーフが配膳しに来てくれた。
「もらおう。オリサは順調か?」
「いま終わったから、あたしも休むよー」
そう言って調理場から声の主が顔を出した。手にはエプロン同様、緑色のマグカップを握っている。
だれだ、あの子は……?あのエプロンとマグカップ、三月一日……。何か思い出せそうなのだが。
「ユリ……」
自然に口から溢れていた。誰だ、今の名前は……?
「ユリ……?」
再び口から溢れる。
「トール、どうしたの?ちょっと!息が荒いよ!」
息が荒い?そんなはずない。目の前の少女に反論しようとしてようやく彼女の発言が正しいことに気づく。苦しい。だが俺は呼吸をしているのに。小刻みに息を吸って吐いてを繰り返し……、ダメだおかしい。何かが変だ。
頭がぼんやりする。何も考えられない。ただ苦しい。息ができない。吸っているはずなのに。
「トールさん。落ち着いてください。大丈夫、わたくし達がそばにいます。ほら、手を握って」
声が聞こえる。
いつの間にか崩れ落ちてソファーに横たわっていることに気づいた。
声の通りに手を握ろうとする。どこだ。身体が上手く動かない。手にも力が入らない。
「大丈夫、大丈夫です。ゆっくり呼吸をしましょう。ほら、吸って……、吐いて……、吸って……、吐いて……」
言われるままに呼吸をする。先程から必死に呼吸をしているはずなのに、意味などあるのか。だめだ、考えられない。
「トールさん、大丈夫ですよ。何も怖くありません。お側にいます」
リーフの手が俺の頬を撫でるのがわかる。
リーフ。
そうだ、リーフが話しかけてくれたんだ。脳に十分な酸素が行き渡る。頭が回転し始めたのを感じる。状況が飲み込めてきた。
呼吸は苦しいが、頬に添えられたリーフの手が心地よい。気づけば俺はその手を握っていた。
「だいぶ落ち着いてきたな」
ルルが心配そうに俺の顔を覗き込んでいるのに気づいた。どうやら俺はいまルルに膝枕をしてもらう体勢になっているらしい。ルルの手が額に置かれているのに気づいた。
「トール、大丈夫?」
俺の左手に触れるものに力がこもる。これはオリサの手か、いつの間に。オリサ……、そうだ。なんで忘れていたんだ。彼女はオリサだ。
いや、『なんで忘れていた』と考えるべきはオリサに対してじゃない。
「オリサ、こっち来て、くれ……」
なんとか声を出せるまで回復している。
リーフと入れ替わるようにオリサが側にしゃがみ顔を近づけてきた。
「来たよ……」
心配そうな顔でリーフ同様に俺の顔に手を伸ばす。俺は身体を起こし、オリサの身体を抱き寄せた。
涙が溢れる。視界がぼやけて言葉にならない。オリサに抱きついたまま、声を上げて泣いているのに気づいた。
俺はひどく疲れていたんだ。自分で思っている以上に疲弊していたんだ。それがここに来て限界を迎えた。
限界を教えてくれたのは彼女だ。
オリサの使うエプロンとマグカップの本来の持ち主。
「ゆり子……」
今日、俺の高校卒業と同じ日に十六歳の誕生日を迎えるはずだった妹の名を小さく呟いた。