「ガールズ・オブ・サマー」part17
「嘘だろ……?」
ホテルの玄関を出た俺をどんより曇った空が迎えた。風も強い。なんだこれ、部屋からきれいな空を見て寄り道もせずエレベーターで降りて、ここまで三分とかかってないはずなのに。雨もポツポツ降り出して土砂降りの片鱗を感じる。波が高くなり荒れだして到底水遊びなどできそうにない。天ちゃんに率いられて三人が上がってきた。
「驚いたよ。さっきまで晴れてたのに」
「これほど急激に天候が崩れるのは珍しいですね」
「みなさん、危ないですからホテルに入りましょう!驚きましたが、この世界と異世界が繋がろうとしています」
「マジかよっ!?」
「し、自然現象で起こり得るのか!?」
「あたし達、どこかに飛ばされちゃうの!?」
「御三方、落ち着いてください。それにしても確かに。いつしか経験があると思ったら、この妙な空気感はあの時と同じ……」
「歩きながら話しますね。これ自体は稀っすけど自然に起こります。流れは異世界からこの世界に向かって来てますから、もしかしたらどこかの世界の動植物が流れてくるかも。みなさんは飛ばされたりしないから安心してください」
「人が現れる可能性もあるってことか?」
「ゼロじゃありませんけど、滅多にな、わっ!!」
「きゃ!」
「オリサ!」
「ぜ、全員無事か!」
「みなさん、早く建物へ!」
天ちゃんの説明を遮るように雷鳴が轟いた。どこかすぐ近くに落ちたらしい。あまりの爆音に耳の奥がじんじんと震える感覚がある。
驚いて尻餅を着いたオリサを立たせたが、リーフの指示とは裏腹に辺りを見回してしまう。大丈夫か。木に落ちて火事とか起きてないだろうな。
「皆さん、中へ!」
「ああ……」
リーフに促され振り返る瞬間、海面に違和感を覚えた。目を凝らす。みんなが先程まで遊んでいた浜辺から少し離れた埠頭の先、何かが浮かんでいる。ここからでは距離があり小さくてゴミのようにも見えるが、胸騒ぎがした。何かがおかしい。漂流物から目が離せない。おかしい。うまく言葉にできないが……。
「トールさん!」
胸騒ぎが確信に変わると同時に走り出した。
人だ。あれは人だ!幾度も波に飲まれ溺れそうになっているが、必死に手をバタつかせる人があそこにいる!
俺の動きにいち早く反応したリーフに振り返ることなく叫ぶ。
「浮き輪だ!」
シャツを脱ぎ捨てながら乱暴に返答した。濡れたら邪魔になる。説明の時間はない。あそこにいる人は一刻を争う事態に陥っている。
浮き輪はさっきロビーで手に取った。ルルが場所を教えてリーフが取ってきてくれるはず。伝われ!祈りながらサンダルのまま走り続けた。
「トールくん、危ないです!戻って!」
「天ちゃん様、人です!」
「なんですって!?」
「浮き輪……リーフ!こっちだ!」
「な、なに……?危ないよ、トール!」
海へ近づけば近づくほどに、陸生動物たる人間を拒絶するかのような轟音が明瞭になる。ビビるなよ、俺。やるべきことは一つだ。
埠頭の先端まであと数歩のところまで来た。やはりあれは人だ。浮かぶ人はもう波に揺られるがままになっている。意識がないのか?このままじゃ沈むのも時間の問題だ。
「頼むぞ、リーフ」
俺はスピードを緩めることなくコンクリートを蹴った。手を伸ばし顎を引き、なめらかに海中へと侵入する。
着水は成功。だが波は予想より更に高く、身体が四方八方へと引っ張られる。見えない手に体中を掴まれているかのようだ。一刻も早くあの人を保護して陸に上がらないと、船幽霊にあの世へ連れて行かれてしまう。
力なく波に揉まれる人の元へ近づいたと思えば離される。手が届きそうだと思っても届かない。かと思えば一気に距離が縮まる。クソ、距離が掴めない。いや、焦るな。集中しろ。できる。
俺は、諦めない!
絶対に!
諦めるかぁぁぁっ!!
掴んだ。無我夢中で波をかき分けた末に腕を掴むことができた。力任せで悪いが引き寄せて背中側から両手で抱きしめる。離すものか。この波ではここで離れてしまえばもう一度捕まえることなどできない。
「トールさん、これを!」
埠頭の先端にはリーフが立っていた。すぐ後ろには天ちゃんも控える。俺と目が合うとロープのつながった浮き輪を投げてくれた。俺のすぐ近くに浮かんでいるのに波に揺られるせいで思うように掴めない。意識のない人の身体を右腕で抱き寄せ、必死に左手を伸ばす。二度、三度。集中しろ。ここでしくじればすべてが終わる。四度目の挑戦で届いた。腕にロープを卷いて浮き輪を引き寄せ、輪に腕を通す。
「引いてくれ!」
「はい!」
「OKっす!」
リーフと天ちゃんがロープを引っ張る。少しずつ陸地へと近づいてゆく。荒れ狂う海という死の世界から救われるような気分だった。二人が引くこのロープはまさに『蜘蛛の糸』だ。
「浜辺の方に引っ張ってくれ。そこは高すぎて登れない」
「承知しました」
さすがに埠頭を昇るのは難しいか。
あとは浮き輪を離さなければ助かる。だが手の中のこの人は大丈夫なのか。背中越しでは確認することもできない。背後から抱きしめたまま様子を伺うと、どうやら女性のようだった。顔は見えないが茶色い髪と俺より小柄な身体からそう感じた。
「もうちょっとっすよ!」
「助かった!」
足は着かないまでも、陸地が近づいてきた安堵から気が緩んでしまった。
「うわぁぁぁ!」
「だ、大丈夫!大丈夫だから!」
突然、女性が手足を激しく動かした。目を覚ましパニックを起こして暴れだしたらしい。支えきることができない。無情な波に引かれ女性が俺の手からするりと抜けていく。リーフに引かれている俺と波にさらわれる彼女の距離が一気に開いた。
まずい。浮き輪を放さなければ彼女の元へは行けない。一瞬だけ恐怖に動きが止まってしまった。だが、俺が動かなければ彼女は死ぬ。左腕に絡めたロープを外そうとした直後、波の音に負けないほどに張り上げた声が耳朶を打った。
「トールくん、そのまま!!」
目の前の海に影が飛び込む。影は潜水したまま流される女性へ近づくと一瞬のうちに大きな翼を広げて勢いよく飛び出してきた。そのまま女性を抱えてリーフの隣に降り立った。
「天ちゃん……よかった」
陸にいる天ちゃんに親指を立てて感謝を示す。
天ちゃんの腕の中で再び意識を失った様子の女性をリーフが見つめる。
「リーフ!ロープはルルに渡して、その人を診てくれ!」
「承知しました!」
背後に控えていたルルがしっかりとロープを握りしめたことを確認すると、天ちゃんの背中にしがみついた。天ちゃんは軽々と飛び立ちホテル五階の先程俺がいたベランダに降り立つ。
なんだ、俺が慌てなくても最初から天ちゃんに助けて貰えばよかったんじゃん。ルルが引く命綱を握りしめ苦笑いと共に項垂れた。
「大丈夫か?」
「トール、怪我ない!?」
浜辺に大の字で寝転がった俺の顔を二人は心配そうに覗き込む。俺は親指を立てて返事をした。アドレナリンのお陰で元気の前借りをしていた全身に疲労が訪れたようだ。手足が急に重くなってきた。
「ああ、大丈夫。ありがとう。さすがに疲れた」
「とりあえずお部屋に戻ろうか」
「さっきの人、女の人だったっぽいから俺は別の部屋で休憩するよ」
さっきのスイートの隣の部屋が空いてるから、そこで休もう。同じ作りの部屋だから温泉があるはずだ。風呂に入りたい
「肩を貸してやる。とにかく屋根のあるところへ行こう」
肩の高さがぜんぜん合わない。
「すまん、バランス悪いから自力で歩くわ」
「むう、仕方がない」
「足元気をつけて」
オリサが俺の腕にしがみついてくる。
ふと見ればいつの間にか裸足になっていた。
「あ、サンダル流されちまったな」
「部屋に戻るときホテルの売店見てみようか。それにしてもあの人、大丈夫かな……」
「無事だといいが」
「異世界から来ちゃったんだろうな。だけど……」
嵐の中立ち止まり、先程天ちゃんが舞い降りたバルコニーを見上げて続けた。
「手を掴んだとき、なんだか安心した」




