短編5『マナー・クライシス』part5
俺も自分のラーメンをいただこう。スープが跳ねないよう気をつけながら箸で麺を取り、少し冷ましながら口をつける。子どもの頃から慣れ親しんだ、醤油スープが絡まったラーメンだ。久しぶりに食べたが美味いな。でも熱い。
「ふぅ」
口内の熱気を逃しながら顔を上げるとキッチンに立つリーフと目が合った。腹減ったのかな?
「す、すみません!」
「ん?どうした?」
「いえ」
慌てた様子で俯いてしまった。なんだ?
ふと視線を感じて正面を見ればこれまたルルと目が合う。次いで左手を見れば隣に座るオリサとも目が合った。なんだいったい。俺がラーメンを食う姿を、三人全員が見つめていたのか?
「ど、どうしたお前ら?」
「すまん、気にするな」
「なんでもないよー。おいしそー」
あれ、まだ食べてなかったのか。よく見ればオリサのラーメンは先程運んだ時のままだし、フォークもテーブルに置かれたままだった。
ふとルルの方にも目をやると、こちらもまだ手をつけていない様子だ。あんなに腹を減らしていたのに。
「お前らどうした?俺が食ってるところがそんなに気になるのか?」
「いえ、そんなお行儀の悪い」
つい先日、特製の巨大バーガーを食べるリーフを見つめてしまったのだが、気づかれていないと信じよう。
「わたしも食べるとしよう。いい香りだな」
「さっきも同じこと言ってたよな?」
ルルのこの様子、なにか慌てているな?
「ね、トール、次食べないの?お腹すいたでしょ?ほら、早くはやく!」
「オリサ、露骨すぎないか?」
やっぱりそうだ。こいつら俺が食べるのを待ってる。
よくわからんが、先程と同じように箸で麺を掴み軽く冷まして口へと誘導。と、そこで目線を上げると案の定ルルと目が合った。俺の行動が予想外だったのか、ルルの瞳には驚きの色が見えた。
次いでキッチンのリーフに視線を送る。慌ててラーメンのパッケージを読み始めるがフェイクなのは明らかだ。
「リーフ、袋が逆さまだよ」
「す、すばらしい観察眼です」
こりゃもう確認するまでもないな。
「お前もか」
「へへ」
オリサもラーメンには一切手を付けずこちらを見つめている。手に持っていたどんぶりと箸をテーブルに置いた。
「もうウソはナシだぞ。正直に答えるように。俺がラーメンを食べるのをじっと見ていた人は手を上げなさい」
「あの、『ヒト』にはエルフも含まれますか?」
めんどくせぇな!
「魔法使いも?」
「ドワーフもか?」
「人間が俺しかいないのに『ノー』って言うわけねぇだろ」
俺の返答を聞いた三人は揃っていそいそと手を上げた。
同時にやかんから甲高い音が鳴り響く。
「はい、下ろしてよろしい。リーフはラーメン作っていいから。んで、なんでだ?」
「んーと、まず食べるとこ見てたのはごめん」
「おう」
「食事のマナーを調べた結果、どうしても信じられないものがあったのだ」
「ほう」
「失礼します。日本の方々は麺類を食べる際に音を立てていたとのことですが、本当なのでしょうか」
俺の斜め前、食卓の定位置にやってきたリーフが不思議そうに聞いてくる。
なるほどな。
「ああ、そういうことね。ラーメンを啜る音。あー、やっとわかった」
「トールは音出さないで食べたよね?」
「だからあの情報は誤りということだろうか」
「いや、それは間違ってないよ。というか、俺も音立てることのほうが多いし」
三人が不思議そうに顔を見合わせる。
「ただ、テレビで言ってたんだけど、日本を旅行する外国人からもアレって嫌な顔で見られてたらしいんだよ。それなら異世界から来た三人も嫌だろ?だったら音を立てないで食べるように気をつけようと思って」
「なるほどな」
「そういうことでしたか」
「納得だね」
「俺も納得」
「お気遣いありがとうございます」
「ああ、いや」
「でもね、あたし達話してたんだけど気にしなくていいよ?」
「そうか?」
「ああ、ここはお前の世界でお前の家だ。『郷に入っては郷に従え』なのだろう?」
「なら遠慮なく」
三人が既に話し合ったことなら俺が気を遣い続けるのもよくないだろう。いつも通り、気楽に食べさせてもらおうか。
「まあ慣れたら嫌じゃないかな」
「わたくし達もいただきましょう」
「そうだな」
その後は俺に習って三人もラーメンを啜って食べたわけだが、慣れないことをして勢いよく麺を啜ったオリサが盛大にむせたり、ルルから俺に答えられない質問が飛んできたり。
「そうだ。関連した質問だがな、茶道という世界ではお茶を飲むのに随分堅苦しい礼儀があるのだな」
「ああ、やったことないけど難しそうだな」
「その割にはお茶を飲みきったときに音を立てるのだろう?『吸い切り』と言うらしいが。音を立てるのが礼儀だなんて不思議だ。お前から見たら普通なのか?」
「え、その茶道のルールも知らんのだけど……」
日本人がみんな茶道に精通していると思ったら大間違いだ。
一緒に住むなら当然ルールというものは必要だが、彼女たちにはあまり気負わず接していいだろう。また気を遣いすぎて心配かけるより、気になることはその都度話し合っていけばいいに決まっている。
また一つ、俺達の心は近づいたように思えた夜だった。
ちなみにこの晩、俺は三人に大事なことを一点注意し忘れていた。啜って食べるのはラーメンやうどん、そばなのだと。
その後しばらくして天ちゃんが遊びに来たとき、みんなでスパゲティを食べたら三人娘がこれまた盛大に啜って食べ始め、それを見た天ちゃんが苦笑いを浮かべたことで俺はこの伝達ミスに気づいた。
天ちゃんに注意され顔を赤く染める三人に、俺は説明不足を深々と侘びたのであった。
短編5『マナー・クライシス』
完