短編5『マナー・クライシス』part3
「かぁわいいねぇ」
「ま、まだ抱きしめてはいけないよな?」
「ええ、元気に歩いているように見えますが、生まれたばかりは体が弱いのでお母さんと一緒にいさせてあげてください。ルルさん、もっとフカフカにしてほしいとのことなので、すみませんが寝床の藁を少し補充してもらえますか」
「ああ、わかった」
「オリサさんは水の補充を頼んでも?」
「もちろん!」
いつもは午後のティータイムを楽しんでいる時間なのだが、今日の俺たちは修羅場の中にいる。
唐突にヤギの出産ラッシュが始まり、リーフだけでは手が足りないかもしれないと思い家族総出で駆けつけた。もっとも、動物たちは自力でどうにかできるのでそこまでやることは多くなかったわけだが。
リーフは一頭一頭、産後の母ヤギを見て健康状態を確認してやっている。
オリサとルルは生まれたばかりでヨチヨチ歩きのヤギを見てときめいている。
そして俺は……。
「トール、はい」
青目のオリサが厩舎の入り口に立つ俺に向けて杖を振るうと俺の目の前にバスケットボールくらいの大きさの雨雲が現れた。本当に便利だ。俺は雨を降らせる雲の下に手を伸ばし、手のひらに水を溜める。溜まった水を口に含んで口内を洗って排水溝に吐き出した。既に何度も洗っているが、ようやく楽になったような気がする。
「助かった」
「うん」
「歩けるなら先に帰っていたらどうだ?仕事ももうないだろうし」
「ルルさん、もう少し手伝っていただけますか?餌も補充してほしいのですが。それと、トールさんは無理せず母屋へお帰りいただいて結構ですから。オリサさん、お願いします」
「うん!」
「な、何か手伝わないと」
「いいから!ほら、帰ろ?リーフちゃん、ルルちゃん、それじゃ先に帰ってるね」
「オリサ、そのお人好しバカが手伝いたがったら頭から水をかけてやれ」
「まかせてー!」
「トールさん、どうぞ横になってお休みください」
「へい」
自宅への道を力なく歩き出した。重い足取りの俺を心配したのか、オリサが俺の手を握ってくれている。
まったく役に立ってないのに誰より疲れているなんて、みっともないなぁ。
「動物の出産って初めて見たけど凄かった」
「まぁそうだね」
「お前よく平気だな」
「んー、どんなことが起こるのかとか、ある程度予想できるし。それに、女の子はママになるために心が強いのかもね」
母は強しってことか。凄いなぁ。
「恐れ入ったよ。思いの外グロくてビビった上に、アイツらが自分の後産を食ってたの見てトドメになった」
結果、俺は慌ててその場を後にし、厩舎直結の放牧場に肥料を蒔くことになった。
「ああ、アレはあたしもちょっとビックリしたけど、動物ってあんなもんだよ。ま、無理しないようにね」
「ああ、ありがとう」
俺は帰ってすぐリビングのソファーで横になって休憩し、オリサはすぐに風呂に向かった。ヤギの血やら羊水やらヨダレやら色々付いた服を洗って自分もスッキリしたいのだとか。今後のためにも慣れたいところだが、相当の場数を踏まないと大変だろうな。
・・・・・・・・・・・・
「リーフちゃん、ルルちゃんお疲れ様。お風呂用意してあるよ。入ってきたら?」
「ああ、助かる。だいぶ汚れたし食事の前に入ろうか」
「そうですね。オリサさんはもう入られたようですし。トールさん、具合はいかがですか?」
「もう大丈夫だよ。ありがとう」
「それは良かったです。では、わたくし達はお風呂へ失礼します。お夕飯は少々お待ちくださいね」




