「降臨、天の使者」part19
「あー、疲れた」
「災難だったな。ほら」
ソファー前のローテーブルに牛乳が置かれた。
「ありがとう、助かる」
火照った身体に冷えた牛乳がいい気付けになる。
「いつもどおり家畜の世話や畑仕事をしてから慣れない馬で出かけ、帰ったら掃除をしてその後閉じ込められたわけだからな。しかも人間には暑い空間で。暑さはそれだけで体力を奪うし、だいぶ疲れただろう。風呂と飯が済んだらさっさと休むといい」
「ああ、そうする。リーフはまだ帰ってないんだな」
「そうだな。流石にそろそろ」
「きゃあああああああ!!」
突然割り込んだ悲鳴に一瞬硬直した。
ルルは俺より早く我を取り戻すと、即座に声のした方角、先程オリサと天ちゃんが入った脱衣所へ向けて走り出した。俺も後を追う。今のはオリサの声だ。何があったのか。ただならぬ悲鳴にオリサの無事を祈らずにはいられない。
「オリサ!どうした!!」
ルルが鍵など物ともせず脱衣所の引き戸を開け放つ。扉のすぐ先にはオリサが尻もちをついてこちらに背を向けている。
「オリサ!わたしの声が聞こえるか!おい!」
「おいオリサ、大丈夫か!」
「る、ルルちゃん、トール……」
俺たちがオリサの両脇にしゃがみ目の高さを合わせたことで、ようやく我に帰ったオリサが俺たちに気づく。
「オリサ、どうしたんだ?俺がわかるか?」
「オリサ、まずは身体を隠せ。タオルを、た、たお……」
ルルが言う通り、よく見ればオリサは服を脱いでいる途中だったらしい。マズイ状況な気がする。俺はすぐに退散するべきだろうか。
「あの、皆さん驚かせちゃってすみません」
オリサの悲鳴ですっかり忘れていたが、しまった。この空間にはもう一人女性がいたんだ。天ちゃんがいる方には視線を送らないように気をつけなければならない。目のやり場に困っていると目の前のオリサもルルも同じ方を向いたまま固まっていることに気づいた。二人とも同じように呆気にとられた顔で魚のように口をパクパクと閉じたり開いたりしている。
「と、とおる……」
「あ、ああ、あれ……」
二人はどこか怯えたような表情で天ちゃんが立っている方を指差す。
「あの、重ね重ねホントすみません。驚かせるつもりはなかったんすけど……、あー、うーん、百聞は一見にしかずとも言いますし、説明するより見たほうが早いと思いますからトールくん、ちょいとこちらを見てください」
一体どういうことだ?背中に立派な龍の彫り物でもあったとでもいうのか?本人が見ていいとは言うものの緊張する。
恐る恐る顔を上げると天ちゃんと目が合った。少し困ったような表情で笑っている。無意識のうちに先程凝視してしまった膨らみに目が行ってしまうが、そこは既に俺の行動を先読みしたらしい天ちゃんが左腕で隠しつつ、右手の人差し指を下に向け視線を落とすよう促す。
「は?」
「いいっすから」
わけがわからん。両腕がその位置にあるなら、下を隠すものは無いのでは。何より隠すべき所を見せようというのか。こちらとしてもこの状況で見せられると困るのだが。そう思いながら意を決して視線を落とした。
その姿は悲鳴を上げるなどおこがましいほどに美しい。女性的な丸みを持ち、美術館に飾られる絵画のごとく、天使の名は伊達でないことがはっきりと分かる綺麗な身体だった。
そこには別段立派な彫り物があるわけではない。
何のことはない、俺にとっても見知ったものがぶら下がっているだけだった。ただし、見知ったものと言っても俺などどのように足掻いても比較にならないほど大変に立派な大蛇が……あん?な、何だアレは?大層立派なアレはなんだ……?
いや、何だも何も俺は風呂でもトイレでも毎日見ているわけで、ん?どういうことだ?は?
「……はい?」
「いやん。やっぱ見られると恥ずかしいっすね。手前は両性具有なんす。天使っすから。永井GO先生の漫画、読んだことないっすか?手前の場合、その気になれば女の子モードにも男の子モードにもなれるんすけど、この状態が一番自然なんすよね。えへへ」
そう言って右手を頬に当て身を捩る天ちゃん、それに合わせて大蛇が左右に揺れる。ぶらんぶらんぶらんと。
「うおああああああああ!!」
「ひゃああああああああ!!」
「きゃああああああああ!!」
あまりの驚きに俺まで悲鳴を上げてしまった。ルルとオリサも釣られて悲鳴を上げる。
「ビックリさせて本当にすみません。あの、手前は一人でお風呂いただきますね。オリサちゃん、ごめんなさいね。では、失礼しまーす。フローティン、アラウン、イン、エクスタッスィ、ソウ、ドン、ストッピン、ミ、ナァウ、ドン、ストッピン、コーズ、ハヴァ、グッタイム、ハヴァ、グッタイ!」
そう言うと天ちゃんは歌を歌いながら浴室の湯気の中へと消えていった。『エクスタシーの海に浮かびながら』って、うるせえよ!今その歌を歌うなよ!嫌いになるわ!何が『私を止めないで』だ!
俺たちは泣きそうになりながら顔を見合わせる。
「と、とりあえず、出よう」
「そ、そうだな」
「う、うん」
オリサの肩にバスタオルを掛けてやり、俺達は脱衣所を出た。
猛烈な疲労感を抱きながらリビングのソファーへと一歩一歩進むが足取りは重い。ルルはオリサに肩を貸している。脱衣所とリビング、廊下を挟んですぐ隣り合っている空間へ移動するのにこんなに時間がかかるのは初めてだ。
「おっきかった……。ルルちゃんの、腕ぐらい、あった……」
何の話なのかはすぐに分かった。
確かに。あんなのアリかよ。完全に負けた。思わずルルの腕に視線を送ってしまう。
「見るな間抜け……、思い出してしまう。男は大きさじゃないから無駄に敗北感など抱かんでよろしい……」
「お前、俺の心が読めるの……?」
ようやくソファーの前までたどり着いた。やたら遠く感じた。疲れた。このまま寝てしまいたい。
とりあえず座って一息入れようというところで、耳をつんざくけたたましい音とともにリビングのガラスが砕け散り人影が飛び込んできた。
「「「ぎゃああああああああ!!」」」
「みなさん、ご無事ですか!!」
気づけば三人仲良く腰を抜かし、俺とルルはオリサを中央にお互いを抱きしめながら悲鳴を上げていた。
「トールさん!オリサさん!ルルさん!どうされたのですか!」
目の前には髪を一纏めにし、手には短剣と鉄串を装備した戦闘モードのリーフが立っていた。どうやら彼女が飛び込んできた人影の主らしいということに轟音から遅れて気づく。
細身であっても、190センチの巨体が突然飛び込んでくるのはやはり怖い。
「リーフ……」
「ビックリしたよぉ……」
「玄関を使わないか……」
「申し訳ございません。帰宅途中、皆様の悲鳴を耳にし、慌てて戻って参りました。一体何があったのです」
ゼロから説明すんのめんどくせえ。
「バカでかい蛇が出たんだよ」
「すっごく凶暴そうな」
「思わず悲鳴を上げてしまった」
信じるかな、こんな嘘。
「そうでしたか。わたくしはてっきりドラゴンが現れたのかと。大変失礼いたしました。ああ、ガラスも申し訳ございません!」
信じた。純粋だな。
「明日、天ちゃんに直してもらおう……」
俺はそれだけ言うので精一杯だった。なんて日だ。こんなに疲れたのは家が半壊したあの日以来……、クッソ最近じゃねぇか。上司も部下もまったく。




