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幸せに気付けない私は。

作者: d


公園の帰り道、もうすぐ2歳になる娘をおんぶしながら、梅雨が明けた蒸し暑い青空に浮かぶ飛行機を眺めながらある事を考えた。


それは私がまだ小学生で、夏の日の事だ。戦争の授業でこんな話を思い出す。

その当時、空襲から我が子と避難すると、お母さんは生きているが、おぶっていた我が子は撃たれて亡くなっていたという話だ。その話を聞いた時、子供ながらもそれはとても残酷な事なんだと思っていたが、今日この時まではその話を思い出した事は一度もなかった。


友人や知人のsnsで我が子を溺愛している様子を多々みていた私は我が子はどれほど可愛いものなのだろうかと想像していた。

そして長年付き合った人との間に私にも我が子を授かったのだ。正直言って、想像していたより嬉々とした気持ちにはならなかったのだ。

妊娠中に私は絶対に思ってはいけない気持ちになってしまった。臨月を迎えるくらいに急に自分の胎内にいる我が子の存在が気持ち悪いと感じてしまったのは今でも覚えている。思えばあれはマタニティブルーだったのかもしれないが、私はそれがすごくいけない事だと感じたので誰にも告げた事はない。そうしてようやく我が子を出産するのだが、それは私が想像も絶するものだった。

出産での痛みは私の人生で断然に1番のものだ。ようやく我が子が見えた時、出産での痛みでは一滴も出なかった涙が、不思議とボロボロ溢れたのだ。嬉しい気持ちや、不安な気持ち、いろんな感情が渦巻いたのだ。今まで持てなかった母親の自覚をようやく持てるのだ。


初めての育児はもちろん大変だった。こればかりは実際に経験するまでは一生分からないと思う。

友人や知人のsnsに書いてある育児の綺麗事が私には理解できなかった。喜びや楽しみより、我が子が成長するにつれ不安の種は増えるばかりだ。

それくらい私は必死だった。我が子が初めて出来た事の一つ一つを全て見る事、一緒に喜び合う事ができなかった。主婦はそこまで暇じゃないのだと思っていたのだ。名前の無い家事が沢山ある。夫が食べたお菓子のゴミを捨てたり、何度言っても直らない洗濯物の裏返しだったり、一度言い出せばキリが無いくらいだ。それ以外にも一般的に名前のついている家事もこなすのだ。買出しや家の掃除、これも言い出せばキリが無い。

出来る事ならずっと我が子を見ていたいのだが、そういう訳にもいかない。


そんな日々の生活に少しばかりうんざりして、梅雨のじめじめとした時期が過ぎさろうとする青空を眺めながら思ったのだ。

ただ真っ青な空の下を何からも逃げる、恐る必要なくのんびりと我が子をおぶって歩いている事はとても幸せな事なのかもしれない。


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