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年下の上司  作者: 石田累
78/202

extra2 復元ポイント(16)

 その日は、2人で散歩道を散策して、ペンションを回って、雑貨屋に立ち寄った。

 真鍋は終始優しく、果歩が目にとめたものは、何でも買ってくれた。

 それは―― 少しばかり気が引けたけれど、果歩が喜べば、彼も喜んでくれたので、それが嬉しくて、なんだか色々買ってもらってしまった。

 真鍋は終始サングラスをしていて、そのせいか、多分芸能人に間違われていた。

 あれだけスタイルがよくて、綺麗な顔立ちをしているのだから、そう思われるのも無理はない。振り返られて果歩は恥ずかしかったが、それでも「サングラスを外したら」とは言えなかった。だってその下には、もっとハンサムな顔があるから。

 実際―― スーツやタイという武装を解いた素の彼は、本当に素敵だった。何か、彼を覆っていた殻みたいなものが剥げて、野性的で―― それでいてチャーミングで、どこか寂しくて自信なげな彼の姿が、果歩には胸が痛いほど魅力的に見えた。

 一度、雑貨屋の老夫人が真鍋に目をとめ、ひどく懐かしそうな目をしたから、彼はもしかして、故意に自分の顔を隠しているのかもしれない、とふと思った。

 この人は、子供時代、再々この地に来ているのだ。それが、いつの時点からか、行かなくなった。―― 自殺したというお母様のせいかもしれないが、その理由は測るよしもない。真鍋も、決して言わないだろう。

 気になることはもうひとつあった。

 別荘の周辺を、2人はあちこち歩いて回ったのだが、いかにも美しいせせらぎが流れる小高い丘あたりに、彼は決して近寄ろうとしなかった。

 果歩が、咲き乱れる花に誘われるようにして足を向けると、「いっておいで」彼は初めて果歩の手を離し、1人で別の方角に歩いて行った。

 その頃になると、果歩はもう確信していた。この別荘は、やはり彼のお母さんが療養していた場所なのだ。彼にとっては、ひどく大切で、ひどく悲しい思い出が詰まった場所なのだ……。

 が、その日の真鍋の態度は、果歩が今まで知った知識だけでは、到底括ることはできなかった。

 彼が時々、ひどくぼんやり……心ここにあらずというか、心ごと静止してしまうような瞬間を、その日、果歩は何度も見た。それは、水辺に揺れるひとひらの白い花弁を見た時であり、どこからか飛んできた緑葉を拾い上げた時であり、沈む夕日にふと目をとめた時になど―― 特段の理由もなく訪れる。

 わずかな忘我の後、何故か、真鍋はひどく辛そうで、しばらく声をかけるのさえためらわれるほどだった。

 彼は、この場所に来るのが辛いんだ。

 果歩には、そう思うしかなかった。それは果歩には絶対に判らない。彼の心の闇だった。

 それでも今日、ここに私を連れてきたのは真鍋さんなのだ―― 。

 何も言葉にできない代わりに、果歩は彼の手をそっと握り続けていた。

「すごく素敵な場所ですね」

「そう言ってもらえて、よかったよ」

「また、来たいです」

「……そうだね」

 まるで、夜に怯えて眠ることのできない子供をあやすように、彼の傍に居続けていた。

 

 *************************

 

 夕食は、意外なことに中庭でバーベキューだった。

 それは―― 本当に意外だった。なんだか、ここまで来たら、とことんセレブな展開を予想していたから。

「子供の頃は、よくやったんだ」

 白いシャツに着替えた真鍋は、首にタオルをかけ、初めて眼鏡もサングラスもない笑顔で果歩を見つめた。

「ここは、毎夏、会社の家族が集まるキャンプ場みたいな場所でね。……夜は大抵バーベキューだった。僕は曲りなりにもホストだからね。炭おこしから、配膳まで、なんでもやったよ」

「そうなんですか」

「沢山の子供がきたよ。……とても、賑やかだった」

 器用に炭を起こす真鍋の隣で、果歩は野菜や肉を切った。そうしながら、彼が自身の過去を話しだしたので、内心わずかに驚いている。

 そうか。それであんなに子供の本があったんだ……。あれはゲスト用に用意させたものだったのだろうか。もちろん、今はキャンプなんてしていないんだろうけど、いったい何人くらいが集まっていたんだろう。

「まさか、そこに真鍋市長もおられたんですか」

 冗談めかして果歩は言った。彼が話をそこで打ち切るつもりなら、もう2度と触れないつもりだった。

「父は来ない」真鍋は笑った。少しだけ寂しげに見えた。

「母が主催して、会社のお気に入り役員の子供や親類を呼んでいたんだ。子供の頃、俺は内気で、あまり友達もいなかったからね。それを心配してくれたんだと思う」

「真鍋さんが、内気ですか」

 そこで頷くのも失礼だと思ったので、礼儀としてつっこんでみた。が―― 内心では、それも意外ではないと思っていた。

 彼がひどく繊細で優しい人だということは、わずかなつきあいの中でも判っている。そして、……容易に人を信用しない人だということも。

「目の色もコンプレックスだったからね。赤毛のアンを読んだことは?」

「……ありますけど」

 えっと、モンゴメリの? 作者名まではうろ覚えだけど。

 あらかた肉が焼けると、真鍋はキッチンから冷えたシャンパンを持ってきてくれた。

 美しい夕焼けと森の香りの中、クリスタルのグラスを合わせる。

「赤毛を気にしたヒロインが、髪を黒に染める場面があるだろう。実際は、緑になったんだけど」

「ああ、ありましたね」

「俺もそれを真似たんだ。目に、墨を混ぜた目薬をさして、とんでもなく叱られた。顔を浴槽に押しつけられて……」

「本当ですか?」果歩も思わず笑っている。「お母さんに? そんな真似を?」

 それには、真鍋は答えなかった。

「色んな子がいたな。……もうあまり覚えていない。一人、病弱で、車椅子に乗っていた子がいた。印象に残っているのは、それくらいかな」

 皿に焼けた肉を取り分けて、真鍋は果歩に向きなおった。

「君の子供の頃はどうだった?」

「え?」

「今度は、君の話を聞きたいな」

 私の子供時代………。

 田舎に預けられてお爺ちゃん子だったということ以外に……そんな、取り立てて話せるような思い出はない。

 いや、むしろ封印したい過去ばかりだ。眼鏡で、太ってて、勉強もスポーツもまるでダメ。マンガの脇役みたいな女の子だったから……。

「ふ……」

「ふ?」

「ふ、普通かな?」

「…………」

 しばらく瞬きをしていた真鍋は、ふっとおかしそうに相好を崩した。「そりゃいいね、普通が一番だ」

「す、すみません。ドラマチックな出来事が全然なかったんです」

「本当に?」

 真鍋の目が、探るように果歩を見つめている。もう、見つめられることには慣れた。でも―― 果歩は動悸を感じてうつむいた。

「今が、人生一番のドラマです。クライマックスって感じですか」

「それ、最後って意味だよ」

 真鍋はおかしそうに笑っている。

 それは確かに誤った引用だったけど、本当に最後になればいいな、と果歩は思った。この人が私の最後の恋だったら……どんなに、どんなに幸福だろう。

 でも―― 。

「あの……」

 ずっと、ずっと胸の底に納めていたことを、果歩は、震えるような気持ちで切り出した。

「私、明日は一人で帰れますから」

「……どうして?」

 意外だったのか、真鍋は不服気に眉をしかめた。「何か用があるなら、その時間に合わせるよ。でも、いったい何が?」

「いえ……」

 フォローの言葉も考えずに、うっかり切り出してしまったことに、果歩は心底後悔した。それだけで通じると思ったけど―― 通じなかった。

 ずっと考えないようにしていたけど、明日の朝、彼は私を嫌いになっているかもしれないのだ。

 ああ、いけない、何もそうなるって決まったわけでもないのに、何を先走ってるんだろう、私は!

「すみません、忘れてください。あれ? 酔っちゃったのかな、もしかして」

「……? だったらいいけど」

 真鍋は、不審そうに首をかしげる。

「用があるなら遠慮しないで言っていいんだよ。それに、もし」

 もし……?

「今夜のことを……性急すぎると思っているなら、寝室は別でも構わないんだ。そんなつもりで、君を誘ったわけじゃない」

「…………」

 私だって、別に―― それだけを期待して来たわけじゃないけど。

 寂しいのは、もっと知りたいと思っていた人に、そんな風に言われてしまったことだった。

 ほっとしたのは、そうやって決定的な時を先伸ばしにできれば、もう少し長い間、この幸福を一人占めできると思ったからだ。

 それでも、やはり果歩は傷ついていた。

 この期に及んで、真鍋に引いて欲しくない。それではまるで、私に魅力がないみたいじゃない。

 が、彼にそんな言葉を言わせてしまったのは、紛れもなく果歩の不用意な一言だった。

 なんで考えもなしに、あんなことを言ってしまったんだろう。

 後片付けを終えて2階の部屋に戻ると、果歩は後悔で泣きたくなった。あれから、真鍋も何か考え込んでいるようで、お互いどこか無口になって、それでも表面上は何もないように「後で」と別れた。

 そうだ、私は心の保険が欲しかったのだ。明日、もし目覚めて彼の心が冷めていた時―― その時の心の準備が欲しかった。だから……。

 ノックがした。果歩は慌てて、涙をぬぐって跳ね起きる。

「降りてこないか」真鍋の声だった。「君に見せたいものがあるんだ」

「は、はい」

 そういえば、あれから一度も、彼は、果歩と呼んでくれない。

 自分もまた、何も考えずに真鍋さんと呼んでいる。―― 。

 両想いになった後の難しさを、果歩は改めて思い知らされていた。

 

 *************************

 

 ダイニングには、ワイングラスとワインクーラーが並んでいた。

「先に、お風呂に入っておいで」

 真鍋の声も、表情も優しかった。「その後、二人で少し飲まないか」

 果歩は、彼に入浴の準備までしてもらったことに気づき、身が縮む思いだった。本当に―― なんて罰あたりな女だろう。

 こんな素敵で完璧な人に……私みたいな何の取りえもない女が……。

「あの、私より、真鍋さんが先に入ってください」

「僕は後で入るよ」やんわりと遮られる。

「言ったろう、2時までが僕の守備範囲で、君は確か12時だった。早く寝る練習は別の機会にしておくよ」

「…………」

 彼が、決心を固めたことに、果歩は内心、言葉が出てこないほどのショックを感じていた。

「じゃあ、今夜は私が、遅くまで起きる練習をしますから」

 コンタクトさん―― どうか、今夜だけはもってください。明日はもう、どうなってもいいから。

 真鍋は答えない。黙る横顔は影になって、その表情までは読み取れなかった。消え入りそうな声で、果歩は呟いた。

「……私、一緒にいたいんです。駄目ですか」

「的場さん」

 かすかな溜息が聞こえた。的場さん、果歩はその呼び方にも傷ついている。ひどく身勝手な感情だと思った。自分はずっと、彼のことを真鍋さんと呼び続けているのに……。

「君が考えている不安は、実は、俺も同じなんだ。最初からずっと考えていた。……もし」

 その言葉の続きは、言ってほしくなかった。

 果歩は歩み寄り、彼の腕に手を置いた。

「私が、悪かったんです」本当はそのまま、抱きしめたかった。

「あまり今日が楽しかったから、怖くなって……不用意でした」

「君に、あんなことを言うんじゃなかった。あの時は、まさかこんな風になるとは思ってもみなかったから」

 しばらく唇を噛んだ後、真鍋は何かを振り切るような表情になり、そしてわずかに苦笑した。

「―― そうだ、渡したいものがあるんだ」

 彼が、話題を変えたがっているのが判ったので、果歩も未練を断ち切るように頷いた。

「なんですか、今日はもう、本当に沢山もらったのに」

「その前に聞きたいけど」真鍋もまた、普段の彼のペースを取り戻している。

「これは趣味? それとも、こだわり? 枕みたいなものかな」

「……? なんの話ですか」

「昔から、一度聞いたキーワードは忘れない性質なんだ。……僕は君の口から、パジャマという単語を、記憶が確かなら2度聞いた」

「………………」

 果歩は、みるみる顔があつくなるのを感じていた。

「そ、そそそ、そうでしたっけ」

「ものすごく、パシャマにこだわりのある人なんだと」

 それは、とんでもない誤解である。

 見たいのは真鍋のそういった姿であって―― 果歩自身は、結構いい加減な格好で寝ている。

 彼は、綺麗にラッピングされた包みをダイニングの上に置いた。

「向こうに滞在している間に買ったんだ。気に入ってくれるといいけど」

「…………」

 私? 

 果歩は顔をあげている。私だけ―― ?「あの、真鍋さんのは?」

「俺?」果歩の問いは、真鍋には極めて意外なようだった。

「……いや、俺のは、ないけど」

 そんなこと聞くまでもない。

「そ、そうですよね」

「……?」

「ペアだったらいいなーなんて、すみません、馬鹿なこと言いました」

 本当にバカなこと言ってるよ、私ったら。

 そっとリボンを解き、包みを開けた。

 出てきたのは、手触りのいいコットンの、レースとひだのついた、純白のインナーだった。トップが半袖で、ズボンが多分、7分丈くらいだ。

 パジャマとキャミソールを足して2で割った感じだ。イメージは全然違うけど……果歩は胸が熱くなった。

「すごく可愛い……素敵ですね」

「もっと早く渡そうかと思ったけど」顎に指をあて、嬉しそうに真鍋も笑った。

「下心ありと判断されるのも、癪だったしね」

「どんな顔して買ったんですか」

「至って真面目な……少しばかり、鼻の下は伸びていたかな」

「ぜひ、私の前でもそんな顔してみてください。ついでに聞きますけど、クローゼットの服も、真鍋さんが?」 

「あれは違う」それには、真鍋が閉口したような顔をした。「ここの管理を頼んでいる人にお願いしたんだ。僕はそう―― 女性に贈り物をするのに、慣れているわけじゃないよ」

「……わかってます」

 だから、余計に嬉しかった。

 今日1日彼と一緒にいて、彼の―― 女性への接し方が、極めて不器用なのはよく判っていた。何でも買ってくれたのは、それ以外に方法を知らないからだ。可愛いくらい素直で、不器用な人……。彼は完璧な人だけど、何もかもそうというわけじゃない……。

「雄一郎さん」

「…………」

「呼んじゃいました。……いいですか、そう呼んでも」

 彼には、私はどう映っているんだろう。本当は不安で、震えるほど怖いけど、さぞかし落ち着いているように見えるんだろうな。

「一生、呼びそうもないように思えたけどね」

 どちらからともなく、手を伸ばして寄り添いあった。温かな心臓の鼓動がひとつになる。……今日、初めて彼を深い所で感じた気がして、果歩は目を閉じていた。

 もう、明日のことをあれこれ考えるのはやめよう。考えたって仕方ない。明日のことも明後日もことも、どうなるかなんて、きっと誰にも判らないことだから。

「……お風呂に入っておいで」

 最初と同じ言葉が、今度は違うニュアンスに聞こえる。果歩はややたじろぎながら、「あの……やっぱり、雄一郎さんから」と、夫婦コントみたいな受け答えをしていた。

「いいよ。じゃあ、俺が先に入るけど―― その前に」

 その前に?

 顔をあげた果歩を、真鍋はからかうような眼差しで見下ろした。

「君がひどくがっかりした本当の理由を、そろそろ教えてくれないかな。パジャマは正解じゃなかったようだね。どうも、それが気になって眠れそうもない」

 

 *************************

 

「確かに、聞いた以上は実行すると約束したけど」

 果歩が、おそるおそる部屋の扉を開けると、真鍋はベッドで半身を起こし、憮然として本を読んでいた。

 1階、リビングの隣にある部屋は、もともとなんの部屋だったのだろう。新品のベッドはせいぜいセミダブルの広さで、彼は最初から一人で、この部屋で休むつもりのようだった。

 彼が、2階に上がるのを躊躇っている風だったから、果歩が彼の部屋に行くことにした。もう―― その理由は詮索しないことにした。

「わぁ」

 果歩は、彼の不機嫌もそっちのけで、歓声をあげていた。

「すごい、素敵です、ま、」―― と、違った。「雄一郎さん!」

 まさか、本当に着てくれるなんて―― 。

 青いシルク地の長袖は、おそらく来客用に用意されたものだった。「あれば、着るよ」と、不承不承クローゼットを開けた真鍋は、本当にそのものがあったので、しばらく絶句していたようだった。

「すごく、似合ってます」

 本当はなんでも似合ってるけど、こうやって願いを叶えてくれたことが、すごく嬉しい。

 が、真鍋はますます不機嫌そうに眉根を寄せる。

「柄も色も趣味じゃない。しかも暑いし―― 」本を下げた真鍋は、そこで初めて果歩を見上げて視線を止めた。

「……ま、いいか」

 どきっとした。果歩は、彼の買ってくれたパジャマを着ている。

 今、入浴を済ませたばかりで、顔には薄く、目立たない程度に化粧をしていた。

 髪はまだ、乾き切らずに湿り気を帯びている。 

「おいで」

 吸い寄せられるように歩き出している。もう、明日のことは考えない。今は――今だけは、私は彼の恋人だから。

「すごく似合ってる、……可愛いよ」

 今、自分は何をしようとしているのだろう。心臓の音ばかりが気になって、自分の身体と心と時間が、全部バラバラになっているみたいだ。

 真鍋の隣におずおずと滑り込む。彼が眼鏡を外して、サイドテーブルの上に置いた。

 その仕草だけで、果歩はもう、気を失いそうになっている。

 真鍋は果歩の肩を抱いて、自分のほうに引き寄せた。髪を撫でて―― そのまま、しばらく無言になる。

 自分と真鍋の髪から、同じシャンプーの香りがする。それが少しだけ不思議で嬉しい。

「今日は……本当に、楽しかったです」

 果歩は自然に呟いていた。

 沈んだり浮かれたり、色々あったけど、確かなのは、今日1日で、この人のことが―― ますます大好きになってしまったということだ。もう、戻れない……、何をしても―― この人を好きでなかった頃の自分には。

 自分の人生に他人が刻みこまれる不思議を、果歩は初めて知った気がした。彼の心にはどうだろう。私は、どんな形で刻まれているのかな。

 ふっと影が被さってくる。心臓がぎゅっと絞られたようになる。

 真鍋の首に腕をまわして自分を支え、果歩はベッドに仰向けになった。

「果歩……」

 真鍋の唇が囁いた。影になった顔が見下ろしている。果歩は震えながら、彼の頬に指で触れた。その指を取られて、唇が当てられる。「……好きだよ」

 唇が手の甲に触れ、手首を滑り、むきだしになった肩に移った。果歩はもう、小さな喘ぎを漏らしていた。

 いつ唇が重なったのかも判らなかった。彼の熱が自分の中で感じられる。この、溶けていくような落ちていくような感覚は、なんだろう。そして―― ああ……また、そんな感じがやってきた。

 大きな手が、裾から入り込んでくる。素肌を直に撫でられている。ひどく敏感になった胸の膨らみに指が触れて―― 果歩は小さな声をあげ、真鍋の首にしがみついていた。

「雄一郎さん」

 堪え切れない切なさと、これからどこへ運ばれていくか判らない不安。果歩は、何度も唇から声を漏らした。「……雄一郎さん」

「……果歩」

 真鍋の呼吸がわずかに乱れている。首筋に触れる吐息が熱い。

 彼の手は、今はウエストを撫でている。指がズボンのギャザーにかかっている。抵抗したいのか、協力したいのかよく判らないまま、果歩は逃げるように腰位置をずらし、彼はすんなりと足からズボンを抜き取った。

 次の瞬間、はっと息を引き、果歩は両手で唇を覆っている。彼の指が触れている所を思うと、さすがに目を開けていることはできない。指は、ますます大胆になる。「あ……」首を振って、果歩は目に涙を滲ませた。「雄一郎さん、いや」

 彼の唇から、はじめて呻くような声が漏れる。 

 果歩は、もう口を覆うこともできなくなり、真鍋の肩にしがみつき、額をおしあてて、身体を震わせた。

 やがて、たまりかねたように真鍋が半身を起こし、着ていたパジャマを脱ぎ棄てる。

 果歩は胸元を手で覆ったまま、ひきしまった彼の身体を見つめていた。

 美しいと思った。なんて綺麗な身体だろう。見下ろす眼差しは、怖いほど魅力的で、そのまま吸い込まれてしまいそうだ。

 もう、いい。どうなっても。どうせ逆らえない。もし彼がそうしないなら、きっと果歩がそうしていただろう。

 この人と、もっと深いところで結ばれたい。心も身体も、これ以上ないほどに、ひとつになりたいから―― 。


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