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年下の上司  作者: 石田累
5/202

story1 April「100エーカーの森の人」(5)

その後は、予想通りの騒ぎが待っていた。

食堂の騒ぎは、総務局総務課の庁舎管理係に通報されていたようで、藤堂は、午後になるとすぐに呼び出しを受け、出て行ってしまった。

「まったく馬鹿な真似をしてくれるよ、民間君は」

 吐き棄てるように言ったのは、先日以来、ますます藤堂を目の敵にするようになった中津川補佐だった。

「あの少年が、再犯でも犯したらどう責任を取るつもりなんだ。役所のせいにされたら、たまらんぞ」

 果歩は、腹立たしいのをぐっと抑えながら、黙っていた。

 今度は春日次長も、藤堂を非難する側のようで、総務局総務課に呼ばれるまでの間は、次長室で、随分長い間説教されていたようだった。それが、中津川を増長させているのかもしれない。

「ま、櫛とナイフを見間違えた上に、馬鹿みたいに子供に殴られたという話だよ。見かけ通りのでくの坊だったというわけだ」

 計画係を中心に、嘲笑のような笑いが広がる。

 果歩は立ち上がる寸前だった。

「的場さん、郵便物です」

 アルバイトの妙見が、仕分けしてくれた庁内郵便を果歩の机に持ってきてくれたのはその時だった。

「……あ、ありがとう」

 慌てて、笑顔で、それを受け取る。

 次長、部長あての郵便物は、全て果歩が、内容を確認することになっていた。

 沢山の封書に交じり、妙に重たい封筒がある。

 総務課、的場さま

 とだけ丁寧な女文字で書かれている。差出人の名前はない。

「…………」

 総務課、的場さま……?

 その、ありえないあて先に不審を感じつつ、少しためらってから、封を切った。

 ずっしりと重い、重量のある――。

 かたん、とそれは、机の上に落ちてきた。

 白いビニールに包まれて、セロテープで丁寧に止めてある。何かの――塊。

 それを開いた果歩は、凍り付いていた。

 それは、時計だった。

 3年前の誕生日、晃司に果歩がプレゼントした時計だった。

 

 

*************************



「的場さん」

 給湯室で、いつものように、局長のミルクを湯煎で温めていた時だった。

 背後から聞こえてきた甘ったるい声に、果歩は嫌悪を堪えて振り返っていた。

「また、ミルクですかぁ? まるで猫のおもりですね」

 間違っても、自らが所属する部署のボスを指して言うセリフではないだろう。

 果歩は黙って戸棚に向かい、ミルクを入れるためのカップを出した。

「局長にごますっても、何もいいことありませんよ」

 都市計画のモーニング娘、須藤流奈は、どこか挑発的な口調で続けた。

「あのおじいさん、今年で退職じゃないですか。定年前にお情けで局長になったようなもので、人事に何の力も持ってないみたいですよ」

「それが何?」

 ミルクは丁度いい温度だった。

 果歩は指で封を切り、湯気をたてるそれを、カップに注ぐ。

「的場さん、かわいそう。あんなおじいさんに気に入られたばかりに、局総で飼い殺しにされたって、みんな噂してますよ」

「…………」

 その噂なら、もう耳にタコができるほど聞かされている。

「もう、30ですかぁ。秘書やる年じゃないですよね。女ってソンだなぁ、せいぜい若いうちに、いい男捕まえておかなきゃ、ですね」

「そうね」

 ミルクカップをトレーに乗せ、半ばうんざりしながら振り返った。

「時計、ありがとう、須藤さん」

「……いいえ、どういたしまして」

 流奈は、少し意外そうな目をなったものの、すぐに不敵に笑って切り返してきた。

「最近つけてないから、どうしたのかなって思ってたの。これで本当にすっきりしたから」

 総務課的場さま

 局名のない封筒は、あきらかに地下の文書交換室を通さず、直接、総務課のメールボックスに投げ込まれたことを意味していた。

 庁内で、ここ数ヶ月、晃司の傍にいる女は、同じ課の流奈をのぞいて他にはない。

 いや、そんなことより、流奈の自分を見る目に、最近明らかな挑発と優越感があることを、どこかで察していたのかもしれない。

 が、それと気づいた時、不思議なほど憤りは湧いてこなかった。むしろ、ふいに目が覚めたように、すっきりした気分だった。

「こわーい、的場さん」

 流奈は、しかし、くすくすと笑った。

「あれね、本当に返したんです。晃司君ごと、的場さんに」

 そして、からかうような口調で言った。

「流奈、今、他の人に夢中なんです。うふふ、ゴメンナサイ、的場さん。でも、迫ってきたのは、晃司君の方ですから」

 

 

*************************

            


 流奈が、夢中なんです……と言った相手は、その日の夕方にはすぐに分かった。

「藤堂さーん」

 コピー室から戻って来た藤堂に、ぱたぱたと駆け寄って、甘えたように下から見あげる。

 185センチもある藤堂と、152センチの流奈は、まるで大人と子供のようだった。

「ごめんなさい。公印の場所がわかりませんでしたー、教えてくださぁい」

 って、そんなもん、係長の机の上のボックスにいつも入っている。

「すいませぇん。藤堂さん当てのお手紙、うちで間違って持ってちゃったみたいなんです。お返しにあがりました」

 そんなもの、絶対わざとに決まっている。

 あまりに露骨なアプローチは、その日の内には局中の噂になるほどだった。

 藤堂は明らかに困惑している。が、それでも迷惑そうな顔ひとつせずに、流奈に丁寧に応対している。

 ――別に……関係ないわ、私には。

 苛立つ気持ちを抑制しながら、果歩は自分に言い聞かせた。

 ――係長に、そういう意味で、特別な感情をもってるわけじゃないし。

 ――あんな女にひっかかるなら、それまでの人ってことじゃない。

 理解できないのは、いきなり急変した流奈の態度だった。

 最初の頃は、明らかに小馬鹿にしていた藤堂に……一体、どういう気持ちの変化なのだろうか。 

 晃司のことが少し気になったが、よほど忙しいのか、晃司はその日1日席を空けているようだった。

 翌日になっても、流奈の態度は一向に変らなかった。晃司がいるにも関わらず、である。

「すいませぇん、市長印……今から500枚押さなきゃいけなくて」

 今朝も流奈は、分厚い紙の束を持って藤堂の机の横に立っている。

 パソコンに向かっていた果歩は、何気なく流奈に目をやる。

 念入りに、それでもさりげなさを装ったメイクをしているのがよく分かる。まだ23歳の流奈は、実際メイクなど必要ないくらい、みずみずしい肌をしていた。

「いいですよ。では、市長印を持っていってください」

 藤堂は優しく答えて、公印ボックスの蓋を開ける。

 眼鏡は壊れてしまったのか、まだ、その目に眼鏡は掛かっていない。

 そのせいか、ますます藤堂は年相応に――26歳という若さが、はっきりと分かるようになっていた。

「500なら、2つ持っていきますか。入用になったら返してもらえればいいですから」

 市が発行する文書には、すべからく市長の印が必要である。印鑑は全て局の総務課が管理しており、基本的に印の持ち出しは禁じられている。

 が、あまりにも押す枚数が多いときは、各課に持ち帰らせることが、暗黙の了解で認められている。

 が、流奈は、困惑したように首を振った。

「いいえー。今、うちの課、外部からお客さんきてて、大変なんです。ここでやらせてもらってもいいですか」

「……かまいませんよ」

 果歩は咄嗟に都市政策部の方を見ていた。……客の姿など何処にもなく、閑散としているように見えるのだが。

「すみませーん」

 と、たちまち流奈は、カウンターに書類を並べ、ぺたぺたと判をつきはじめた。

「藤堂さんって、優しいから、つい甘えちゃって」

「はぁ」

 今朝は、次長も局長も外出中で、客足もなく、総務課は閑散としている。確かに、この時間なら邪魔とはいえないが、果歩は――パソコンに向かいながら、何度も指が、間違ったキーを叩くのを抑え切れなかった。

「お仕事、大変じゃないですか?」

 流奈は判を押しながら、ひっきりなしに藤堂に話し掛けていてる。

「いえ、そうでも」

「私、尊敬してます、係長のこと……民間から役所に変わるなんて、すごいと思います」

「はぁ」

「聞きました、食堂の騒ぎのこと……大丈夫ですか、顎」

「頑丈にできているもので」

「前はなんのお仕事されてたんですか」

「……事務です、今と変りありません」

 果歩は立ち上がっていた。

 以前、自分が藤堂に聞いた質問、そして、それと全く同じ答え。

 流奈の女を剥き出しにした態度より、自分がその流奈と同じようにあしらわれていた、そう思うことのほうがたまらなかった。

 ――なんだろ、私……。

 サニタリーに向かいながら、果歩は自分の感情に戸惑っていた。

 まるで、嫉妬してるみたいじゃない、なんで私が――藤堂さんなんかに、嫉妬しなきゃいけないのよ!

 4つも年下よ? てことは、私が高校生のとき、あの人は小学生だったんだから。で、私が大学生の時は、中坊よ?

 今朝、迷いながらも、結局は作ってしまった、巨大なお弁当。

 お礼というよりは、あんな身体に悪そうな弁当を3つも4つも食べている藤堂が、少し憐れに思えたからだ。

 ――いっか、……友達と分けて食べれば。

 流奈と、藤堂を巡って張り合うなんて、バカバカしいにもほどがある。

 自分まで、あんな女のところまで落ちてしまうような気がする。

 執務室に戻り、ますます果歩は唖然とした。

 今度は藤堂も立ち上がり、流奈の傍らで、公印を押すのを手伝ってやっている。

「あ、すみませーん、的場さん」

 流奈はひょいっと顔をあげ、どこか勝ち誇ったような顔で言った。

「カカリチョーさん、お借りしてます。私が大変そうだからって手伝ってくださるんですって」

 果歩は、笑顔だけをそれに返した。

 藤堂は無言のまま、ただ機械的に判を押し続けている。

「藤堂さん、お昼、いつもどうしてるんですか?」

 多分、果歩を意識しているようなはっきりした声で、流奈は聞いた。

「適当に食べています」

「よかったら、今日、どこかに食べにいきません?」

「はぁ」

「係長さん、このあたりのお店ご存知ないですよね。結構安くて美味しいところ、たくさんあるんですよ」

「はぁ」

「手伝ってくださったお礼です。ね、今日、私と一緒に行きましょう」

「……それは、構わないですが」

 果歩は、机の上の書類を手にして立ち上がっていた。

「すみません、ちょっと人事課に行ってきます」

 にこっと笑って爽やかにそう言う。

 これ以上、この会話を聞くのが耐え切れなかった。

 が、流奈はそんな果歩の心理を読みきっているのか、

「いってらっしゃーい」

 と、どこか楽しげな声で言った。


 

*************************

 

 

 ――なんなの?

 エレベーターに乗り、友達にランチの約束の確認をするためだけに、果歩は人事課のある10階に降り立った。

 いったい、なんなの? あの女。

 明らかに、果歩を挑発しているとしか思えない態度。あれは――なんの真似なんだろう。晃司のことならともかく、なんで、藤堂係長のことで私に?

「あらま、果歩」

 果歩の同期で、いったん区役所に出たものの、二年前に人事課に配属された友人――宮沢りょうは、薄い眼鏡ごしに、意外そうに眉を上げた。

 化粧気のない透き通った肌にひっつめ髪。かつては同期一の美人だと言われていた女である。

 人事課は深夜勤務は当たり前で、庁内でも最もハードな職場のひとつだから、仕事だけが生きがいのりょうは、寝食化粧男も寄せ付けず、仕事に取り組んでいるのだろう。

「ごめん、今日のお昼、一緒に食べられる?」

 眼鏡のずれを直しながらカウンターから出てきたりょうに、果歩は声をひそめてそう聞いた。

「……どしたの? ダメな時は、携帯にメールか電話で連絡してるじゃん」

「あ……うん、今日はまぁ……できたら来て欲しくて」

 あんな巨大弁当、いくら頑張っても食べられない。

「どうかなー、難しいかも」

 りょうは、眉をしかめてがりがりと頭を掻いた。白いシャツに、なんの飾りもないグレーのパンツ。今に始まったことではないが、完全に女を棄てている。

 が、時々、果歩は、そんなりょうがうらやましくてたまらない時がある。

「果歩……あんた、目、充血してるよ」

「うん……ちょい、目、乾いてて」

「疲れてる時は、コンタクトよくないよ。コンタクトを使いすぎると、二度と入れられない目になるって知ってる?」

 知っている。そうなったら、もう役所は辞めるしかないとまで思うこともある。

 元来果歩はド近眼で、家では、相当分厚い眼鏡を掛けているのだ。正直、あんな顔は、晃司にも誰にも見せられないと思う。

「それよかさ、……おたくの局のモーニング娘ちゃん」

 ぽんっと果歩の肩を叩き、りょうはふいに声をひそめた。

 モーニング娘――須藤流奈のことだ。

「今、新任の藤堂係長に猛アタックしてるでしょ」

「…………」

 さすがに驚いて、りょうを見ていた。

 人事課には、庁内の情報全てが集まるとはいえ、昨日の今日で――もう?

「最近さ、あのうっとおしい甘い声が、やたらうちの課に出入りしてるわけ。なんでだと思う?」

「……さぁ」

「うちの若いのにあれこれ聞きだしてんの、藤堂瑛士君の個人情報」

「…………」

 果歩は黙って眉をひそめた。

 個人情報って……それを見て、あの計算高い流奈をして、惹き付ける何かが藤堂にあったのだろうか。

「彼さ、相当頭のいい人よ」

 りょうは、唇を指で触りながら続ける。それは、彼女が煙草が切れた時の癖である。

「……彼って、藤堂さん?」

「そ、まぁ、詳しくはいえないけど、ものすごい資格もってんの」

「……資格?」

 確か、出身はK大学だった。この就職難の時代、上場企業の大手建設会社に勤めていたというのだから、まぁ、そこそこ頭はいいのだと思っていたが――。が、この程度の学歴の持ち主なら、意外にも市役所にはわんさかいるのである。

「MBAはもちろん、英検一級、公認会計士、経営監査士、情報管理士、米国公認会計士、財務管理士……それも、殆んど一級を取得してんのよ」

 聞きなれない言葉に、果歩は眉をひそめていた。

「……それ、どういうこと?」

「どうもこうも、普通にただ者じゃないでしょ、おたくの係長」

「…………」

「つか、あれだけ資格取得してる理由がいまいちわかんないんだよね。まるで、子供の頃から帝王学でも学ばされているみたい」

「………どういうこと」

「例えばさ、どっかの大企業の跡取とか、そういうこと」

「…………」

「まぁ、彼のことは、いまひとつ下には判らないんだよね。履歴情報のガードが堅くて」

 再び頭を掻く友人を尻目に、果歩は――ようやく、春日次長が、中津川より藤堂の判断を優先させた理由を理解した。

 そして流奈が、てのひらを返したように藤堂にアプローチしている理由も。

 でも――そんなすごい人が。

 どうして、一介の市役所の、係長なんかをやってるんだろう……?



*************************



 昼休憩、結局果歩は1人で屋上のベンチに座っていた。

 ――た、食べられるかな……。

 ずっしりと重い弁当箱を膝に乗せ、自分のために用意した、ビーンズとサラダだけの弁当を傍らに置き、ぼんやりと晴天の空を見上げる。

 藤堂は、昼休憩のベルと共に姿を消してしまった。

 都市政策部をのぞいたら、流奈も席空けになっていたから、2人でどこかに消えたのだろう。

 なんだか、1人、取り残されたような気分だった。

 ――藤堂さんって……すごい人だったんだ。

 それまで身近で、自分だけが本当の彼を知っているとどこかで自惚れていた人が――ふいに、手の届かないほど遠くに行ってしまったような気がする。

 3年つきあった晃司に裏切られたと分かった時でも、こんな寂しい気持ちにはならなかった。

 というか昨日から、晃司のことは、きれいに頭から消えている。

 つい、考えてしまうのは……。

「……ふぅ」

 溜息と共に、千々に乱れる感情を振り払う。

 食べれるだけ食べちゃおう、と、普段の節制も忘れ、弁当の包みを解きかけた時だった。

 見慣れた巨体が、目の前を横切った。

 手に、いつものコンビニのビニール袋を、軽々と抱えて。

「…………」

 そして、1分後、またその姿が戻ってくる。

 今日は、いつになく屋上は空いていて、ベンチもちらほら空いているはずだけど……。

 不思議に思いつつ、それでも果歩は立ち上がって、声をかけていた。

「藤堂係長」

 足を止めた藤堂が、ひょい、と顔をこちらに向ける。

 最初と違って、困惑はしていない。が、少しばかり躊躇して、そして藤堂は歩み寄ってきた。

「……よかったら」

 と、果歩は、ベンチの隅に寄りながら、場所を進める。

 てっきり、流奈と食事に行ったものだとばかり思っていた。

 信じられないほど嬉しくなり、そんな自分に戸惑ってうつむく。

「すみません」

 藤堂は素直に、最初と同じように、ぎりぎり端に腰掛けた。

 眼鏡をかけていない横顔が若い。まだ大学生のようにも見える。

 ネクタイは外している――なのに、だらしなさはまるで感じられず、ただ、その襟元から覗く肌が、綺麗だと果歩は思っていた。

「……食事に、出られたのだと、思ってました」

「昼に庁外には出ないことにしてるんです」

 あっさりした返事が返ってくる。

 まぁ、それはそうだ。総務の係長という役職なら、局に何かあれば、それが食事中でも、速攻執務室に戻らなければならないのだから。

 さっきりょうから聞いた話を、言ってみようかなとふと思って、慌ててその誘惑を振り払った。

 この人が、自ら口にしない以上、あまり、触れて欲しくないことなのだろう。

「……今日は、随分沢山食べられるんですね」

 藤堂の目が、自分の膝の上に注がれている。

 果歩は、ばっと顔が赤くなるのを感じた。

「あ、はぁ……、あの、今日はなんだか、お腹が空いちゃって」

「そうですか」

 それきり会話は途切れる。

 ばきん、と、割り箸を割る音がする。

「あ……あの…………」

 勇気を振り絞って、果歩はうつむいたままで言った。

「すみません。実は、これは係長にと思って……。ごめんなさい、おせっかいだとは思ったんですけど」

「…………」

 隣に座る男から、返ってくる反応はない。

「き、昨日……あんまり、身体に悪いもの食べてらしたから……。えっと、ごめんなさい、ホント私、おせっかいな性格なんです」

 返事はない。箸さえも止まっているようである。

「………?」

 果歩はおずおずと顔を上げた。

 そして、ちょっと驚いていた。藤堂は、明らかに困惑しつつ――照れていた。耳のあたりが赤くなっているのがはっきりとわかるほどに。

 ――あ、あれ……?

「……もらってもいいですか」

「え、あ、はい」

 慌てて包みを解いて、両手で持ち上げて、そっと手渡す。

「すみません」

 それを受けとる藤堂と、わずかに指先が触れ合った。

 え、なに??

 果歩は、おかしいんじゃんないかと思うほど、その刹那動悸が高まるのを感じていた。

「じゃあ、代わりに僕のを」

「えっ、いえ、いいんです。私……あの、ちょっと、コンビニものは苦手みたいで」

「そうですか」

 それきり、また会話が途切れる。

 藤堂は、ただ黙々と、食事を続けている。

 果歩もまた、自分の弁当箱を開き、不思議なほど穏やかな気持ちで、心地よい初夏の風を感じていた。

「……お礼、しないといけませんね」

 やがて、箸を止めた藤堂が静かに呟いた。

「いえ、そんな……もう、趣味なんで、ホントに」

「でも、材料費なんかもあるでしょう」

「家の残りものなんです。気にしないでください。それに昨日お弁当をいただきましたし、その方が高いくらい」

「いや、今度は僕がご馳走します」

 ――えっ。

 絶対にそんなことを言いそうのない人から出た意外な言葉に、果歩は、普通に驚いてしまっていた。

「……コンビニのお弁当ではないですよ」

「あ、はい……それは」

「…………」

「…………」

 なんと言っていいか判らないまま、少しだけ気まずい、でも、胸がドキドキするような心地よい沈黙があった。

 果歩はうつむき、高揚する感情のままに、呟いた。

「あの……ご迷惑じゃなければ」

「はい」

「……また、お弁当、作ってもいいですか」

「……はい」

 返って来た返事は優しかった。

 果歩は――嬉しくて、胸がいっぱいになっていた。


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