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年下の上司  作者: 石田累
49/202

story7 October もう1人の年下の上司(11)

「的場さん、飲んでます?」

「あ、はい」

 にっこりと笑った果歩は、メニューを差し出してくれた男の横顔を見上げた。

 隣り合って座っているせいか、なにかと話しかけてきたり、まめまめしく世話を焼いてくれる男だが、果歩は、隣のテーブルの流奈が気になってそれどころではない。

「これさ、サーモンを使った料理で、今の時期かなり美味しいと思うんだけど、食べてみる?」

「いえ、もうお腹一杯で」

 ――疲れた……。

 笑顔の下の本音だった。

 なんだって、こんな若者の集いに、ひょっこり混じってしまったんだろう。

 えーと、対面のアルマーニが外務省で、その隣のグッチが総合病院の跡取り息子、ドルチェが……つか、みんなすごい経歴すぎて、もう、どうでもいいやって感じだ。

 が、ここまで美味しい合コンが、未だかつてあっただろうか。

 これまでもこの先も、果歩やここに集った女子たちのレベルでは、言っては悪いが、まず出会うことのない人たちだ。

「的場さん、もてもてですね」

 対面席の入江耀子は、騒ぐでもなくはしゃぐでもなく、いつもの彼女がそうなのだが、女王ぶることさえなく、隅の席で、静かに周囲と談笑している。

「年上って、いいよなぁ」

「大人だし、素敵だし、恋人とかはいないんですか」

「てか、的場さん的には年下ってどうなんですか?」

 アルマーニとドルチェがたちまち話に割り込んでくる。

「ありがたいお言葉ですけど、あまり、年は意識しないようにしてるんですよ」

 そつない笑顔で、果歩は返した。

 年下なんて、もう、金輪際お断りよ。

 それもまた、笑顔の下の本音である。

「おいおい、彼女は今、俺が口説いてる最中だぞ」

 隣から混じった声に、ぶっと果歩は、ワインを吹き出しそうになっていた。

 隣席の面倒見のいい男――そりゃ、いいとこのお坊ちゃんなのは判るけど、たかだか23、4の男がさらりと口にするセリフだろうか?

「果歩さん。こいつらより、俺のほうが絶対にお買い得だと思いますよ」

 白い八重歯、余裕の笑顔が向けられる。

 自信満々が、磨きこまれた爪の先にまで浸みこんだ男は、名前を、確か――。

「有宮ですよ。まだ、俺の名前、覚えてないでしょ」

 女のような、綺麗な二重瞼が、いたずらっぽく微笑んだ。

 すらっとした長身で、髪型もメンズ雑誌のモデルみたいに決めている。今夜集まった7人の男たちの中では、多分、一番光り輝いている。

「的場さん、彼、こないだ彼女にふられたばかりなんですよ」

 何故だか耀子が、したり顔で口を挟んだ。

「こう見えて、すごく寂しがりなんです。話相手になってあげてくださいね」

「はぁ」

 こういう時、妙に現実的になってしまう果歩は、この手の――いってみれば、雲の上のような人たちが、しょせん、市役所職員にシンデレラストーリーみたいに夢中になるとは、正直、夢にも思っていない。

 その場限りの礼儀として盛り上げてくれているのだろうし、その努力には報いたいとは思うけど、この隣席の男は、少々、度を超えてくっつきすぎるような気がする。

 まぁ、それも、絶対に断られないという、自信の表れなのかもしれないけど。……

 ――席、替わりたいんだけど、無理かな。

 どちらかと言えば、流奈や乃々子のいる隣のテーブルに移りたい果歩である。が、なんとなく、気軽に歩きまわれない雰囲気が、このテーブル……というか店全体に漂っていた。

 カクテルの最低価格が5千円の高級フレンチレストラン。しかも、貸し切り。

 全く――とんでもない合コンである。

 その合コンのために、入江耀子が集めたのは、都市整備局と計画局の女性職員と臨時を含めた総勢7名。

 相手も、同様に7人である。

 男女あわせて14人は、2つの席に別れて座っている。

 遅れて合流した流奈は、果歩とは別のテーブルにつき、それなりに楽しくやっているように見えた。

 ――私の、考えすぎだったかな。

 晃司の勘以外に、よく考えれば、流奈が入江耀子にいじめられているという根拠は何もない。

 なんとなく――最近の流奈の態度から、果歩もそんな気がしてしまったのだが……。

 ただ、一度も果歩の顔を見ようとしない流奈は、確かにあからさまに、果歩を避けているようではあった。

 いずれにしても、それならそれで、果歩が最後までつきあう必要はない。

「あ、そうだ、的場さん」

 腕時計に視線を落とした時、不意に入江耀子が、声のトーンをあげた。

「有宮君、都英の専務なんですよ。知ってますよね、都英建設」

「へー、すごいんですねー」

 日本ではトップクラスに入る大手建設会社……って。

 藤堂さんの、元の会社だ!

 がば、と果歩は、くらいつくように有宮に向き直っていた。

「あの、うちに、都英を退職した人がいるんですけど!」

 少し驚いたように、有宮は整った眉を上げる。

 はっ、と果歩は我に返った。

「あ……と、すみません、ちょっと意外な偶然に驚いちゃって」

 誤魔化し微笑を浮かべたものの、ここまで驚く偶然ではないことは、言った本人が一番よく判っている。

 果歩は赤面しつつグラスを再び持ちあげた。

 やっちゃった、と、いう感じだ。今日、唯一自分の素顔をさらしてしまったのが、この瞬間だったのかもしれない。

「それは……確かに意外な偶然だね」

 耳まで赤らんだ果歩がおかしかったのか、有宮は、ますます余裕の笑みを唇に広げた。

「耀子に聞いたよ。市役所の藤堂さんだったっけ。……うーん、悪いけど、社員の一人一人まで記憶しているわけじゃないからね」

「あ、まぁ……そうですよね」

 人事部長が、役所の一人一人を覚えていないのと同様に、都英も万単位の従業員を抱える大企業だ。専務職にある人が、一般社員の名前まで記憶しているはずはない。

 藤堂を連想し、みっともなく我を忘れた自分が恥ずかしくなる。

「すみません、おかしなこと聞いちゃって……」

 ……てか、専務?

 グラスを唇にあてた果歩は、ようやくその違和感に気がついた。

 入江耀子と同期ということは、年は24かその前後。なのに大手企業の専務?

「彼のお父さん、実は都英の社長なんですよ」

 果歩の顔色を読んだように、即座に、耀子が口を挟んだ。

「有宮君、いずれ経営者になるための勉強をしている最中なんです。だから専務っていっても見習いがつくのかな」

「見習いは余計だよ」

 と、まんざらでもない表情で有宮が微笑する。

 ……縁故。なるほど。

 引いてしまった果歩とは逆に、きゃーっと女の子たちから歓声が上がった。

「うそー、すごーい」

「じゃ、筋がね入りの御曹司なんですね」

 果歩がまだ20代なら……その黄色い嬌声に、我先に混じっていたことだろう。

 が、すでに、恋がそんなに甘いものではないと知りつくしている(はずの)アラサーである。

 目当ての男が高見の存在であればあるほど、恋の成功率はゼロパーセント以下になる。乗り越えられるのは、歩けば誰もが振り返るような美人だけだ。

 が、当たり前だが、それほどの美人が、市役所なんかで細々と事務をやっているはずがない。

 その見極めができていれば、今の歓声は、むしろ溜息に変わってもいいほどなのに……。

 ――って、こんな現実的な私は、やっぱりすでに、恋の第一線から退いちゃってるのかもしれないけど。

「気になるの? 都英を辞めたその彼のこと」

 有宮が囁いた。多分、果歩にしか聞こえない声で。

「いえ、別に気になるってわけじゃないですけど」

「すごく、がっかりした顔してたから」

「そんなことないですよ」

「そうかな」

 からかうような眼で見下ろされる。

 さすがに少しドギマギして、果歩は男から離れるように身を引いている。

「調べてあげようか」

「えっ?」

「経歴なんて、人事で調べたら一発だから、なんなら、今すぐにでも」

「今? 今って、今ですか?」

 さすがに顔を上げていた。

「うん、電話で」

 男は、甘い笑い方をする。

「ちょっ……」

 即座に立ちあがった有宮が、携帯を持って席を離れる。

 慌てた果歩も、また、席を立って有宮の後を追っていた。

「ちょ、待ってください、有宮さん」

 そんなのって、いくら専務でも越権行為だ。

 今はもう夜だし、それ以前のモラルとして、いくら藤堂の過去や家庭が気になるとは言え、こんな――姑息な手を使ってまで。

「やっと、俺の名前を呼んだね」

「は??」

 足をとめて振り返った男の声のあまりに甘さに、果歩は一瞬、ざっと鳥肌がたつのを感じていた。

 相手には悪いが、年を経て、こういうノリが極めて苦手になった果歩である。

 ――いや、今は鳥肌をたててる場合じゃなくて。

「あのですね、そんなのいいです。迷惑です。私は、別に」

「すぐに判るよ」

 が、すでに時遅し。あらかじめ番号を押していたのか、携帯を耳にあてた男は、手短に用件を告げると、あっさりとそれを切った。

 楽しそうに、携帯を目のあたりまで持ち上げる。

「どうしよう。この結果を後で君の携帯に知らせるのと、今夜の二次会で聞くのと、どっちがいい?」

「……そんな」

 悪いが、どちらもお断りだ。上手い謝罪を考えていると、たたみかけるように男は続けた。

「それとも、耀子に、この結果を伝えておこうか」

「…………」

 それは、一番やってほしくない選択肢だった。

 何故だろう。入江曜子に、藤堂の過去を知られることに、ひどい抵抗感を覚えている。

 が……目の前の男に、携帯番号を教えることにも、たまらない嫌悪があった。

 なんだかこの人は、男として、あまり性質がいいようには思えない。

 いってみれば、典型的なハンターだ。完全に女をゲームの対象とみているタイプ。

「二次会って、どこへ行くんです?」

 消去法で、果歩は訊いた。

 返事をあらかじめ予想していたのか、有宮は微笑して携帯をポケットに滑らせる。

「カラオケ、すごく落ち着いた、感じのいい場所だから」

「……じゃあ、1時間くらいなら」

「決まった」

 ぽん、と肩を叩かれる。

 遊び慣れた男の笑い方だった。


 *************************


「的場さん……あの、私、帰ってもいいいですか」

 店を出て、すぐの路地に入ったところだった。そっと背後から近づいてきた乃々子が、声をひそめて囁いた。

 果歩は、少し驚いて振り返っている。

「いいと思うけど、気分でも悪いの?」

 うつむいた乃々子は答えない。

 席が離れていたせいもあるが、今日、最初からずっと乃々子の元気がなかったことに、果歩は改めて気が付いていた。

「ちょっと……朝から、体調も、悪くて」

「いいよ。私が入江さんに言っとくから」

 正直言えば、果歩は内心、ほっとしていた。

 最初から思っていたことだが、この飲みは絶対に、市職員には分不相応だ。変に深入りする前に、できるだけ早く退散したほうがいい。

 純粋で人を信じやすい乃々子が、遊び慣れたハンターたちに、うっかり引っ掛りでもしたらたまったものではない。

「すみません、本当に」

 何故か、くどいほど謝った乃々子は、きびすを返す素振りを見せて――足を止めた。

「あの……」

「ん?」

 答えながら、果歩の視線は、先を行く入江耀子と流奈に向けられている。

 2人は肩を並べ、何か親しそうに話している。まるで旧知の友人のように――実際、その通りなのだろうが、なんだか、思いっきり肩すかしをくらった気分だった。

 ――今回のことは、本当に私の杞憂だったな。

「的場さんも、私と一緒に帰りませんか」

 乃々子の声で、我に返る。

 振り返ると、妙に思い詰めた眼をした乃々子の顔があった。

「え……、私も?」

「はい」

 なんだろう。1人で帰るのが、心細いんだろうか?

「あ、うん……そうね、まぁ、ここまで来たから、もうちょっといるわ」

 果歩は曖昧に誤魔化した。

 まさか、藤堂の過去を有宮が探っているから、もう少しいるとはさすがに言えない。

「そ……ですか」

 言葉を濁し、乃々子は何故か、まだぐすぐずと迷っている。

「的場さーん、こっちですよ。ここでタクシー拾いますから」

 少し離れた場所で、振り返った入江耀子が片手を振っている。

「じゃ、私はこれで」

 不意に慌てたように顔を逸らした乃々子は、そのまま走り去るようにして夜の街に消えていった。 

 

 *************************

 

「え、カラオケって、ホテルの中の?」

「うそー、すごーい」

 タクシーを降りた果歩もまた、一時あっけに取られていた。

 カラオケボックスに行くにしては、繁華街を思いっきり離れたはずだ。

 海岸沿い。市内でもトップクラスの有名ホテルの23階。有宮が言った落ち着いた雰囲気のカラオケというのは、そんな有り得ない場所にあった。

「時間無制限で借りてるから、好きなだけ歌ってよ」

 有宮が言うと「借りるも何も、お前のお袋のホテルだろ」と、即座にドルチェがつっこんだ。そしてまた、黄色い歓声。

「さぁさ、果歩さんは、僕と一緒」

 狭い円形のホール。すっと肩を押されて、いくつか並んだ扉の一つに通される。

 豪華な扉だったが、中は意外に狭く、いくらホテルであっても、よくあるカラオケルームの造りだった。

 男は、ドルチェと有宮。女は果歩を含めて4人。そこで初めて果歩は、部屋が二つに判れ――もう一つの部屋に、入江耀子と流奈が一緒に入って行ったことに気がついた。

 ばたん、と扉が閉められる。

 漠然と嫌な予感がして、果歩はつい有宮を見上げた。

「電話、まだですか」

「まだみたいだね」

 有宮はにっこり笑うと、メニューブックを取り上げて、「はい」と果歩に手渡した。


 *************************


「ええ、もうすぐ帰ります。大丈夫ですよ、間に合うと思います」

 言葉を切り、藤堂は腕時計に視線を落とした。

「……9時半までにはそちらに着きます。お父さんに遅くなってすみませんと伝えてください」

「約束ですか? 藤堂さん」

 携帯を切った途端、背後から大河内の声が聞こえた。

「ええ、すみません。今夜はお先に失礼します」

「いや、僕もそろそろ帰りますから。というより、約束がある日くらい、早く帰ってくださいよ」

 気の優しい男に、微笑だけを返し、藤堂は上着を掴んで立ち上がった。

「今夜はあれですねぇ、女の子たちが、随分めかしこんで帰りましたけど、特別な会でもあったんでしょうねぇ」

 同じように帰り支度をしながら、大河内が独り言のような呟きを漏らした。

 総務には、今、この2人しか残っていない。

「そのようですね」

「まぁ、本人がいる前じゃ言えないですけど、うちの的場さんは、やっぱり綺麗な人ですねぇ。係長は知らないと思いますけど、昔は、庁内のアイドルみたいな存在だったんですよ」

「そうなんですか」

「まぁ……あの頃は、吹けば飛ぶようなお嬢さんで、すぐにも結婚退職しちゃいそうでしたけど、どうしてなかなか、逞しく生き残ってますよね」

「…………」

 携帯が再び震えた。

 歩きだそうとしていた藤堂は、それを再び耳に当てる。

「はい、藤堂です」

『あの、百瀬です』

「どうしました」

 着信の名前で、相手は判っていた。今夜、入江耀子と一緒に飲みに行ったメンバーの1人。

『私………』

 携帯の向こうで、しばらく乃々子は泣き続ける。

 切れ切れに語られる口から、事情を全て聞き取った藤堂は、目を閉じて嘆息した。

「別段、心配されるようなことはないと思いますよ。相手も、こちらも、分別ある大人なんですから」

 落ち着かせるように言葉を繋ぎながら、同時に腕時計をちらりと見る。

 タクシーに乗っても――渋滞を勘案しなくても、1時間はかかるだろう。

 今夜、別の場所では、のっぴきならない相手が、藤堂が着くのを待っている。

『私……』

 泣きながら、乃々子は、続けた。

『自分が許せなくて、あんなに、的場さんにはよくしてもらったのに』

「自分を責めることはないですよ。的場さんだって事情は判ってくれると思います」

『でも、入江さん、明らかに今夜来てた人と、的場さんをくっつけようとしてたんです!』

「…………」

『うがちすぎかもしれないけど、それって絶対に親切からじゃないんです。私……それが、わかってたのに』

 再度、藤堂の唇から溜息がもれる。

『ホテルの前までタクシーでついていって、……何度も携帯に電話してるんです。でも……もう、繋がらなくて』

 再び携帯から嗚咽が伝わる。

「とにかく、的場さんなら大丈夫ですよ。あなたが思うより、ずっとしっかりした人ですから」

 乃々子を慰めるようにして電話を切り、藤堂は、即座に記憶にある番号をコールした。

『はい……?』

 ややあって繋がった、電話の向こうの声が訝しんでいる。

「瑛士です」

 藤堂は短く言い、頭でまとめた用件を告げた。


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