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年下の上司  作者: 石田累
43/202

story7 October もう1人の年下の上司(5)

「りょう、寝ないの?」

「んー、もう少し読んじゃったらね。あ、電気気になる?」

「そんなんじゃないけど……」

 淡い蛍光灯の下、紙と紙のこすれあう音だけが、ほぼ等間隔で聞こえてくる。

 ベッドの上のりょうと、その下に布団を敷いて横になっている果歩。

「長瀬さんと、何かあった?」

 聞く気がないのに、口にしてしまったのは、りょうの横顔が、どこか寂しげに見えたからかもしれない。

 ぱらり、と頁がめくられた。

「何も? そもそも、何かあるような仲じゃないもの」

「そうなんだ」

「私1人があがいたけどね。色々やった……でも、諦め時かなって」

「…………」

 ぱたり、と本が閉じられる。

 白い指が蛍光灯を消し、室内は闇に包まれた。

「色々って、何をやったの?」

 おそるおそる果歩は訊いた。

 恋愛に関して一切の黙秘を貫くりょうが、今、弱音にも似た告白をしようとしていることに、わずかな動揺を感じている。

「色々よ……多分、果歩が聞いたら、ぶっ飛ぶようなことまでやった。惨めだったり、自分を憐れんだりもしたけど、片思いの女として、やるべきことは全部やったような気がするな」

「ふられたの?」

 仰向けになった、りょうの横顔が苦笑した。

「どの時点でふられたっていうのかな? 私が踏み越えようとして拒否されたことなら数えきれないほどよ。そんなことで、いちいち落ち込んでいる暇なんてないくらい」

 内心、相当驚いた果歩の心中を見抜いたように、りょうは、いたずらっぽい目でりょうを見下ろした。

「驚いたでしょ。私って、こう見えて、かなり恋愛に積極的な女なのよね」

「……うん、驚いた」

 素直に果歩は頷いている。

「何をしても、彼との距離は平行線なの。1ミリも縮まらない。私1人で、離れたり近づいたり……彼は優しいから、何も言わずに待っていたのね。私が、自然に離れていくのを」

「それ、優しいって言う?」

 思わず、果歩は半身を起している。

「優しさだと思うことにしたわよ。そうでなきゃ、嫌いになって終わりそうだから」

「…………」

「優しさと取るか、残酷かと取るかは私の胸ひとつなんだから、せめて、いいお友達でいたいじゃない。これからも」

 果歩は軽く息を吐きながら、やはり、りょうは大人だな、と思っている。

 私は、そんな風に振る舞えるだろうか。

 藤堂さんと、――上司と、そして部下として。

「ねぇ、果歩」

「ん?」

「藤堂君の好きな人、誰だか教えてあげようか」

「…………」

 何が言いたいんだろう。

 眉をひそめた果歩だったが、それでも、藤堂が本気で流奈のことを好きだとは、まるで信じていない自分がいる。

「本命がいるってこと?」

「まぁ……そうとも言うのかしらね」

「いいよ、もう。悪いけど、藤堂さんの話は二度としないで」

 果歩は寝返りを打ち、毛布を肩まで引き上げた。

「彼は、果歩が好きなのよ」

「…………」

 ――え?

「果歩が思っているより、多分、相当。……私の勘だけど、かなり前から好きだったんじゃないかな」

 しばし唖然としていた果歩は、やがて、むっとした怒りがこみ上げるのを感じていた。

「何言ってるのよ」

 かなり前って、出会ったのがそもそも、たった半年前なのに。

「りょうがそんな意地悪言うなら、私だって言ってあげるけど、長瀬さんだって、りょうのことが好きなように見えるわよ」

「かもね。お互い自分のことは見えないものだから」

 りょうはあっさり言うと、腹這いになって肘をついた。

「でも、藤堂君は、果歩のことが好きよ」

「…………」

「さっきの厭味にむかついたから、理由は教えてあげないけどね」

 暗闇の中、くすりと笑う気配がした。

 ――聞きたくないし。

 どうせ、りょうの思い込みか勘違いだし。

 だって、私と藤堂さんにしか判らない空気が、りょうに判るはずなんてないもの。

 一度も、藤堂さんと話したことのないりょうには――。

「果歩はさ、やれること、全部やった?」

「…………」

「自分の気持ち、全部藤堂君にぶつけて、藤堂君の気持ちの全部を聞き出してみた?」

「そんなことして……何になるのよ」

「何になるかは、やってみなきゃ判らないじゃない。私から見ると、肝心なところから目を逸らして、結論だけ急いでいるように見えるけどな、果歩は」

 肝心なところから目を逸らして――。

 果歩は何も言えず、りょうもまた、それきり黙って目を閉じてしまったようだった。


 *************************


「合コン?」

 果歩は驚いて目を見開く。

「そうなんですよ、的場さん。合コンなんです。しかも、三環のエリート社員と!」

 声ばかりか表情を弾ませているのは、政策部の臨時職員、安西里香。

「もう夢みたい。全員入江さんのお友達で、幹部候補生ばかりなんですって! ね、もちろん的場さんも行きますよね!」

「的場さん、合コンとか、そういう話じゃないんです」

 慌てたように口を挟んだのは、コーヒーを口に運んでいた入江耀子だった。

「高校時代の友達が久しぶりに集まるから、それで、誰か誘って飲みに行こうって話になって」

 昼休憩。

 13階の休憩スペースは、今や、都市整備局の女子たちのにわかサロンになりつつある。

 最初は、果歩と乃々子と入江耀子の3人だった集まりが、1人2人と増え続け、今やほぼ局女子全員が集結するに至っている。

 で、たわいない会話から入江耀子のためになるビジネス講座まで、種々の話題で盛り上がる。

「それに、三環の社員ばかりじゃないんです。外務省の人もいるし、銀行やホテルの人も。決して、地元産業ばかりってわけじゃないですから」

 そこまで言い訳され、ようやく果歩は耀子が何を気にしているのか気がついた。

 服務管理違反、つまり、業務関係者と私的な飲みになるのではないかと心配しているのだ。

「大丈夫なんじゃない? 私たちが、直接業者と取引してるわけじゃないんだし」

 それでも、少しばかり気になった果歩は、耀子にそっと囁いている。

「建設会社の営業系はまずいと思うけど」

「あ、それは大丈夫です」

 耀子の所属は大きな都市開発事業を抱えている。さすがにプライベートの、しかも合コンで、そこまでとやかく言う人はいないと思うが、管理職という立場上、気をつけたほうがいいのは確かなように思われた。

「それにしても合コンかぁ」

 果歩は天井を見上げて呟いている。なんて懐かしいノスタルジックな響きだろう。

 大学在学中、そして20代前半は降るほどにあったお誘いは、今は見る影もなく皆無、である。もっともそれは、果歩自身が断り続けてきた結実ではあるのだが……。

「的場さん、合コンに着ていく服、一緒に買いにいきましょうよ」

 執務室への帰り道、囁いたのは乃々子だった。

「えっ、なんで」

「だって、的場さんも行くんでしょ?」

 きょとんと、乃々子。

「入江さんの話じゃ、そういう予定になってましたよ。私も果歩さんが行くっていうから、安心して、行きますって返事したんですけど」

「き、聞いてないし、それはちょっと困るかも」

 慌てた果歩を、失恋という意味では先輩の乃々子は、強い目でじっと見つめた。

「行くんです、行かなきゃ駄目です! 的場さん」

「な、なんで」

「男の人だって、綺麗どころと合コンして、ばんばん彼女作ってるんです。私たちだって、負けずにいい条件の人と飲みにいかなきゃ」

 そこで、乃々子はわずかに語気を強めた。

「この間だって、聞きました? 南原さんたちが秘書課の女の子たちと合コンしたって」

「――へぇ……」

 あの南原さんが……まぁ、よくお呼びがかかったものだと思う。市長部局一の人気どころ、高嶺の花揃いの秘書課から。

「秘書課のお目当ては、政策の前園さんだったみたいですけどね」

 何を怒っているのか、吐き捨てるように乃々子は続けた。

 なるほど、と、逆に果歩は納得する。

 政策の前園晃司。果歩にとっては、この春まで付き合っていた元彼である。

 水も滴る28歳。これから間違いなくエリートコースを進む男。身長も高く顔立ちも整っていて、男性が比較的早く片付く役所にあって、結婚適齢期の女性が狙うにはもってこいの逸材だ。

「市長秘書の安藤さんって人と、なんかいいムードだったみたいですよ。前園さん」

「ふぅん……」

 市長秘書といえば、直接ではないが、果歩の後輩に当たるポジションである。

 未練とも嫉妬とも違うけど、なんとも言えないやるせなさを感じ、果歩はひとつ嘆息する。

 現役恋愛組と、そうでない私……やるせない理由は、そんなところかもしれない。

「だから的場さん、ガンバです!」

 妙に気合いが入っている乃々子は、拳をぐっと握りしめる。

「次ですよ、次。トライ&エラー、仕事も恋も、挑戦と失敗の繰り返しです!」

「…………」

 すっかり入江かぶれ……あ、いやいや、そう言ったら失礼だけど、向上心の塊と化していてる最近の乃々子である。

「まぁ、うん、考えとく」

 内心では、タイミングを見て断ろうと思っていた。

 そりゃ、新しい出会いに期待したい気持ちはあるけれど、相手が入江耀子の同期生なら、どう見積もっても20代前半だ。30の果歩には、およびでない、というところ。

 しかも、晃司、藤堂と続いて年下での失敗続き。

 NO MORE 年下。

 二度と年下の男はごめんである。

 執務室の扉をくぐった途端、走り出てきた人とぶつかりそうになった。

「すみません」と思わず口を開きかけた果歩だったが、相手が流奈と気づき、その言葉を飲み込んでいる。

「あ、ゴメンナサイ」

 流奈は小さく謝ると、そのままさっさと歩きだした。

 手にポーチを持っていたから、これから、化粧直しにサニタリーに行くのだろう。

「信じられない。あと1分で休憩時間終わりですよ」

 乃々子が、呆れた口調で眉をひそめる。

「うん……」

 果歩は、つい振り返っていた。

 実のところ、なんとなくだが、ぎりぎりになって席を立つ流奈の気持ちが判ってしまう果歩なのである。

 果歩自身が、ついこの間までその立場だった。流奈と、その取り巻きの臨時に、完全シカトされていた頃。彼女たちと顔を合わせるのが厭で、とんでもなく早い時間かぎりぎりになってから、サニタリーに飛び込んでいた。

 ――流奈……やりにくいんだろうな。

 それまで、女子の中心はいい意味でも悪い意味でも流奈だった。

 昼休憩は、流奈の周りに輪ができて、いつも賑やかにお喋りをしていて……。

 ふと同情めいた感情にかられた果歩は、慌ててぶるぶると首を振る。

 ――てか、自業自得なのよ。仕事そっちのけで、藤堂さん藤堂さんって、あれじゃ、誰からも呆れられるに決まってるじゃない。

 ――それに、入江さんに対する態度にしたって……喧嘩売るなら相手をよく見ればいいのに、本当に、考えがないっていうか。

 不意に、屋上で聞いた、藤堂の言葉が思い出された。

(あなたは、局の女性では一番の年長であり、立場的にも、女性職員を精神的に取りまとめる立場にいると思います)

(たとえば、局の女子職員に何か大きな変化があった時、真っ先に筆頭責任者として名前が出てくるのが的場さんだということです)

 別に……。

 あんな最低な男の言葉を、真に受けているわけじゃないけれど。

 ただ、さすがに、りょうの忠告だけは気にはなっている。

 いつの間にか、自分が派閥に組み込まれている。そんなつもりは私にも――多分入江さんにもないけれど、傍から見れば、2人で組んで、須藤流奈を疎外しているように見えるのかもしれない。

 セクハラやパワハラとは、職務上、力ある者とない者の間に成立する、立場を盾にした嫌がらせのようなものである。

 流奈と入江耀子の立場は、明らかに耀子が上で、このまま流奈の孤立がエスカレートすれば、逆に、耀子のキャリアにいわれのない傷がついてしまうような気もした。


 *************************


 その日の午後、結局あれこれ考え続けた果歩は、給湯室で顔をあわせた入江耀子に、咄嗟に口走ってしまっていた。

「あの、入江さん、須藤さんのことなんだけどね」

「はい?」

 にっこりとした笑顔が振り返る。

 笑いながらも手は休まず、来客用のカップを手際よく洗っている。

 今日、政策部の臨時職員は会議の手伝いに出ているから、耀子が代わりに洗っているのだろう。

 お茶革命――と言いながら、入江耀子は、自身が雑用をこなすのがさほど苦にならない性質なのか、気づくとまめに給湯室に出入りしている。

 一方で、係長にカップを洗わせている流奈は、給湯室に顔を見せることもない。

 流奈がどういうスタンスで、新任の係長に接しているかは判らないが、果歩と藤堂以上に、居心地の悪い関係なのではないか、という気がした。

「須藤さんが? 何か?」

 ぼんやりしていると、耀子に、不思議そうに先を促される。

「あー、あのね」

 どうしよう。

 気持ちは決まっていたはずなのに、いざとなると、妙な気遅れを感じてしまう。

 これは、忠告――になるのだろうか。いや、間違ってもそう取られないように、気をつけなければいけない。

 言い方によっては、逆に耀子を不愉快な気分にさせてしまう可能性だってある。

 りょうの話を聞いたからだろうか、なんとなく――この人は、敵に回したら怖い人かもしれないという、不安が胸に澱んでいる。

「彼女……須藤さんなんだけど、モテるから必要ないかもしれないけど、一応、その、今度の合コン? 誘ってあげたらどうかなぁって」

「ああ、そのことですか」

 完璧な笑顔からは、逆に何の表情も読み取れないことを、果歩は初めて理解した。

「ちゃんと誘ってますよ。須藤さんも」

 心配は杞憂だった。果歩は自分の顔が明るくなるのを感じている。

「色々誤解が重なって、ちょっと気まずくなっちゃってますけど。基本、同じ課で一緒に仕事する仲間ですから」

 きびきびとカップを片付ける耀子の横顔からは、一切の屈託は感じられなかった。

「……実は彼女、最近休みがちなんですよ」

 流しの水をきゅっと止めて、初めて耀子は口調を落として果歩を見上げた。えっと、果歩は驚いている。

「休みがちって、須藤さんが?」

「ええ、私も、すごく気になってて」

「本当に? でも、――どうして?」

 咳き込むように聞くと、曜子は眉を寄せたまま首を横に振った。

「わからないんです。……課長や補佐は、須藤さんと色々話をしてるみたいだけど」

「……そうなんだ」

 どおりで最近、あまり姿を見ないと思っていたら。

 もしかして、女子の中で孤立してるから――? いや、まさかあの流奈が、その程度のことで休むほど落ち込むとは思えない。

「的場さんだから、本当のことを言いますけど、例の合コン……本当は須藤さんとみんなを仲直りさせたくて企んだんです」

 カップを全てしまい終えた耀子は、再び笑顔で振り返った。

「だから、全員揃わないと意味がないんです。もちろん、的場さんも参加してくれますよね」

 予測もしていなかった切り返しに、果歩はうっと詰まっている。

 てか、断りようがないじゃん。こう来られると。

「そうね、予定が合わせられるかどうか、調整してみるわ」

 とは言ったものの、どうせアフターファイブは真っ白なスケジュール帳である。

 ――ああ、なんだって私、こうも余計なことに首をつっこんじゃうのかしら。

 そういう性格が、昔から八方美人と陰口を叩かれ、同性に嫌われまくられた所以なんだろうけど……。

 自己嫌悪にうんざりしながら、給湯室を出ると、不意打ちのように、そこに晃司が立っていた。

「あ……」

 と、思わず素の声を出すと、「おっ」と、晃司も、驚きを飲み込んだような妙な声を出す。

「決裁をいただきに来たんですが、春日次長が席空けでしたから」

 が、すかさず見事な他人行儀で返されて、果歩もまた、即座にモードを切り替えた。

「じゃ、戻られたら内線、入れましょうか」

「よろしくお願いします」

 前園晃司。果歩が、今年の春までつきあっていた2歳年下の元彼である。

 3年付き合って――流奈に奪われるようにして、結局は別れた。

 とはいえ、その時、すでに果歩の気持ちも藤堂にいっていたのだから、傷つけあったのはお互い様だと、今は素直に思っている。

 その晃司には、すでに新しい春の気配が訪れそうだというのに――片や、吹雪の中に取り残されている果歩。

 というより、これが、30代と20代の差なのかもしれない……。

「的場君、藤堂君を知らないかね」

 席に着こうとした途端、局次長室の扉が開いて、中から仏頂面の春日次長が顔を出した。

「係長なら、人事とヒアリングの最中ですが」

 咄嗟に反応できない果歩より先に、大河内主査が答えてくれる。

「そうかね」と、春日が首をひっこめたと同時に、果歩はあれっと、思っていた。

 ――次長、部屋にいたんじゃない。

 じゃあ、晃司はいったい、何の用だったんだろう。



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