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年下の上司  作者: 石田累
36/202

story6 September 男の闘い!嵐を呼んだ臨時職員(6)

廊下のベンチに座っていた人が、足音に気がついたのか顔をあげる。

 ラフな服装からして、宇佐美の個人的な友人だと思った果歩は、目礼しようとして、足を止めていた。

「……水原君?」

「あ、」

 と、友人に言わせればシーズーのようにくしゃっと潰れて、どこか愛嬌のある目が、気まずそうに伏せられた。

 が、さすがに座ったままではまずいと思ったのか、水原は立ち上がって一礼する。

「もしかして、宇佐美君と一緒だったんですか」

 何も言えない果歩の代わりに、最初に聞いたのは藤堂だった。

「……はい」

 硬い表情のまま、水原。

「まさか、病気だったなんて、知らなかったから」

 ようやく果歩は、藤堂の携帯に連絡してきた相手が、ここにいる水原だったことに気がついた。それを受けた藤堂が、志摩課長の家に電話していたようだから――おそらく水原は、宇佐美の家族にどう連絡していいか分からず、窮して藤堂に架けてきたのだろう。

 でも――

「一緒って……どうして?」

 まだ、事態が飲み込めないままの果歩が聞くと、ふいに目の前の扉が開いた。

「お待ちの方、入ってもよろしいですよ」

 病室。

 若い女性看護師が、微笑しながら扉を片手で支えている。

 藤堂と顔を見合わせている間に、中から、小柄な婦人が出てきた。

 山吹色のブラウスに長いスカート。衣服のセンスもよく、いかにも上品そうな雰囲気だ。

 色白で、柔和な目。円形を描く眉は薄く、目から大きく離れていた。姿勢がよく、ウェーブのかかった短い髪に白いものが目立っていなければ、まだ30代にも見える。

 ――宇佐美君の……お母さん?

 戸惑う果歩の前で、女性はゆっくりとお辞儀をした。

「この度は、ご迷惑をおかけしまして。志摩の家内でございます」

 甲高い声をオブラートで丸く包み込んだような声。

 ――えっ。

 と、今度は果歩が仰天して、大慌てでお辞儀をした。

 志摩って、もしかしなくても、あの志摩課長??

「い、いつもお世話になっております」

「こちらこそ、主人がいつもお世話になっております」

 にこやかに女性は答える。

「お仕事中でお忙しかったでしょうに、わざわざご連絡いただきまして、本当にありがとうございました」

 それは、藤堂に向けて言った言葉のようだった。

「生憎、主人が留守をしているものですから。今日は親戚の法事に呼ばれているんですのよ」

 そこまで言った女性は、ふいに目を大きく開けて、いたずらめいた眼差しになった。

「あらっ、大きなお方!」

 果歩と藤堂の戸惑いもお構いなしに、唐突にくすくすと笑い始める。

「うちの主人もいい加減大きな人ですけども、あなたも、まぁ、相当ですこと」

「は、はぁ」

「元気な時分は便利ですけども、よく主人に言ってるんですのよ、あなたが要介護になったら、とてもとても、私の手には負えませんわって、ねぇ」

 と、これは果歩に相槌を求められる。

「若い頃は、立派な体格に惹かれたものですけど、年をとったらあなた、介護のことを考えないと。家にこんな大きな病人が転がっていると考えてごらんなさいな、想像しただけで大変でしょう」

「……はぁ」

 果歩も藤堂も、なんと答えていいのか分からない。

 ――でも……。

 果歩は、普段むっつりしている志摩課長の顔を思い出し、ふいに笑いがこみ上げてきた。

 あの能面志摩課長の奥さんが、こんな明るい人だなんて、思ってもみなかった。

 一体普段の課長は、どんな人なんだろう。

「あの……宇佐美君は」

 背後で、か細い声がした。

 遠慮気味にそう言ったのは、ずっと藤堂の影になっていた水原である。

「ああ、祐ちゃん? もうすっかりよろしいのよ」

 婦人は笑うような目のまま、言った。

「今夜は検査で入院ですけどね、どうぞ、入ってくださいな」

 

 

 *************************

 

 

「ありゃー、みなさん、おそろいで、どないしはったんですか」

 腕に点滴の管をつけたままの宇佐美は、やや顔色が青いものの、表情は元気そのものだった。

「えっ、えーっ、果歩さんまで? なんで? なんで?」

 倒れたままの服装なのか、白いポロシャツを身につけ、ベッドに半身を起こしている。

 ベッドサイドには点滴の用具が備え付けてあって、さすがに自由に動くことはできないようだった。

「あかん、仕事さぼって遊びにいったの、ばれてもうた」

 その場違いな明るさに、果歩は、どう声をかけていいのか分からない。

「祐ちゃんが心配かけるから」

 カーテンを閉めながら志摩の妻。

 外は、もうとっぷり暮れていた。

 宇佐美は、顔をしかめながら、両手を振った。

「たいしたことあらへんって、おばさんからようゆうてやって。ようあるねん、貧血や、ただの」

「あんたみたいな、馬鹿でかい男がぶっ倒れたら、そりゃ、お友達も驚きますわ」

 ばしん、と志摩の妻が、宇佐美の背中を乱暴に叩く。

「……あ」

 と、初めて宇佐美は、藤堂の背後に立つ、水原に気がついたようだった。

「あかん、水原君、今日のはなしや!」

「え?」

 と、果歩と藤堂は顔を見合わせる。

 またもや、意味不明なリアクション。

「また改めて勝負や、今度は俺が、絶対に抜くさかいに」

 ――抜く……?

 振り返った水原の顔が、わずかに赤らんだような気がした。

「倒れた時、2人でバスケやってたんです。こいつ、馬鹿でかいくせに、運動オンチで」

「バスケ……?」

「俺、高校までやってて……背、これだから、やめたんですけど」

 水原君が、バスケ。

 果歩は――こう表現しては悪いが、みるからに貧相な体格をした男を、まじまじと見つめた。いや、体格がどうとかではなく、いかにもスポーツなど歯牙にもかけない秀才風の水原が――バスケ。

「水原君なめたらあかん。なんでやめたんやゆうくらい上手いんや、マジで」

 ベッドの上で、宇佐美が興奮気味にまくしたてた。

「俺ら、勝負してんねん、ワンオンワンで、1回でも抜いたら俺の勝ち、抜けへんかったら水原君の勝ち」

 勝負……。

 なんのだろう。聞こうと思ったが、口を挟むタイミングが見つからない。

「こんだけ背が違うやろ」

「うるさいな」

「楽勝思うたねん、それが、ちょこまかちょこまか、よう動きよる」

「自分が鈍すぎるって自覚しろよ」

「ほんま、惜しいで、背なんて低ぅても、上手いやつは仰山おるやろ。なんでやめたんや、水原君」

「うるさい、お前に言われたくないんだよ」

 ていうより。

 果歩は唖然として、応酬しあう同い年の男2人を見る。

 よくわからないけど、バスケの勝負?

 問題は、どうして有休中の水原君が、その――休むきっかけとなった宇佐美と2人で、そんなことをしてたかってことなんだけど。

「どこで倒れたんですか?」

 果歩は、背後の藤堂にそっと聞く。

「詳しくは……、水原君の自宅近くだと聞いているんですが」

 藤堂も、多分、どう口を挟んでいいか判らずに、当惑顔だ。

「2人が会ってること、知ってたんですか」

「宇佐美君から、自分が原因だから、自分でかたをつける、とだけ」

 そっか……。

 それで宇佐美君、休みがちだったんだ。

 2人の間に何があったかは知らないけど、で、相変わらず仲はよくないようだけど。

 その距離がかなり近づいたことだけはわかる。

 そっか。

 同い年だからこそ感じる反発と、同様に感じる連帯感。

 水原の一番痛いところが分かっていた宇佐美には、逆に、一番求めていることも分かっていたのかもしれない。

 だから、藤堂さんは、黙って見守っていたんだ……。

「……お前、馬鹿じゃない?」

 やがて、立ったままの水原が、低い声で呟いた。

「そんな、自覚してることを今更」

 笑って受ける宇佐美。が、水原の目は、どこか冷めたままだった。

「……へらへら笑ってる場合かよ、遊んでる場合でもないじゃん」

「へ?」

 心から不思議そうな顔になる男に、水原は苛立ったように眉をあげた。

「いつまでも、くだらない役所のバイトなんかしてんなよ。他に、やりたいこととかないのかよ」

「何で? 俺、今、最高に楽しいのに」

 宇佐美は、綺麗な八重歯を見せて笑った。

「とりあえず、何でもできるし、今の俺」

「なんでもって、たかだかバイトだろ」

 冷めた声で水原。

 少し困ったように笑った宇佐美は、そのままベッドに横になった。

「……自分が病気ゆうの、なんかの言い訳にすんの、あんま好きやないんやけど」

 国道が近いのか、車が通る音がひっきりなしに聞こえてくる。

「ずっと病院にいてたから、何かしたくてもできひん奴、俺いっぱい知ってるんや」

 一瞬暗さの滲んだ眼は、しかし次の瞬間、すぐに明るさを取り戻す。

「今は、なんでもできるやん? 俺、とりあえず、手も足も揃うとるし」

「…………」

「でっかい望みは恥ずかしながらないんやけど、今は、手伝いでもなんでも、人が喜んでくれる顔みるんが、最高に幸せなんや、俺」

 

 

 *************************

 

 

「あいつが課長の親戚だったなんて、もっとゴマすっとけばよかったな」

 病室を出た水原は、自嘲気味に呟いた。

「その話は、みんなには」

 果歩は言いかけ、言葉を呑む。

 水原は、来週から、どうするつもりなんだろう。

 少なくとも月曜日、話し合いのことだけは伝えた方がいいのではないだろうか。

 水原の欠勤が続くと、藤堂の立場が、ますます悪いものになる。

「タクシーで一緒に帰りますか」

 が、藤堂がかけた声は、それだけだった。

 水原は目をあわせないまま、首を横に振る。そして、わずかに沈黙してから、口を開いた。

「今まですみませんでした。月曜日は、出ます」

 ――え……。

「そうですか」

 淡々と藤堂。

「課長の甥と喧嘩するほど、馬鹿じゃないんで」

 冷たい言い草だが、どこか言いわけがましい気もする口調だった。

 バスケットでは負けたのかもしれないけど、多分、勝負そのものには、きっと宇佐美が勝ったのだろう、そんな気がする。

「じゃ」

 そのまま水原は、頑なな表情で、きびすを返す。それは、これ以上民間出の係長と話したくないとでもいうように見えた。

 ――水原君……

 月曜日、水原が復帰することが、果たして、四面楚歌の藤堂にとって、吉と出るか凶と出るかは分からない。

 いずれにしても、あまりいい目は出ない気がする。

「じゃ、僕たちも帰りますか」

 が、藤堂の横顔は、やっと迷いから抜け出した人のように晴れやかだった。


 

*************************

         

  

「つか、マジで潰れたかと思ったじゃん」

「いやー、自分探しの旅に出てたんですよ」

「ばーか、大迷惑かけて、言ってる場合かよ」

 果歩が会議室に入ると、先に来ていたのか、その一角で、南原と水原が、笑いあっているところだった。

 最低コンビ、復活……。

 月曜日。

 果歩は、なんともいえない気分で、隅の方の席につく。

 本庁舎、15階の会議室。

 この一角を借りて、今日、総務課全員で話し合いをすることになっている。

 5時15分少しすぎ、階下からあがってきたのは、まだ、この3人だけのようだった。

 ――長くなるのかな……。

 果歩は時計をみて、所在なくテーブルを見る。

 どんな話になるんだろう、間、持つのかな、何もなくて。

「……コーヒーでも、淹れた方がいいかしら」

 誰に言うともなく呟くと、それまで水原とひそひそ囁きあっていた南原が、はじめて果歩の方を見た。

「飲みたきゃ自分で買ってくるよ」

 この人の物言いが冷たいのはいつものことだが、今のは殊更突き放して聞こえた。

「つか、これから課のお茶当番決めるっていうのに、いちいちコーヒーなんて出してどうすんだよ。それ誰が洗うのかで、またもめんのかよ、馬鹿馬鹿しい」

「……洗うくらい、私がするけど」

 さすがにむっとして、果歩。

「だったら、なんだってこんな話し合いする必要があるんだよ。時間外手当がつくわけでもないのに、わざわざ残らされてんだぜ、俺ら」

 南原の背後で、水原が肩をすくめている。

 その笑いを含んだ表情でさえ、まるでいつもの水原だった。

 ――ああ……最悪。

 これは、話し合うまでもないだろう。

 藤堂と、そして果歩がつるし上げられて、それで終わりだ。

 ま、いっか。

 それでも果歩には、先週とは少し違った覚悟があった。

 もういいや、このまま、藤堂さんと心中でも。

 今日は、どうなってもいいから、私だけでも、最後まであの人の味方でいてあげよう。

「お、早いねー、若い連中は」

 計画係の残る2人が入ってくる。

「まいったなー、何時まであるのかな、これ」

 困惑気味に大河内主査が、そして、憮然としたままの中津川、最後に藤堂が入室して、これで全員がひとつの机を囲むこととなった。

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