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年下の上司  作者: 石田累
35/202

story6 September 男の闘い!嵐を呼んだ臨時職員(5)

「どう責任を取るつもりだね」

 5時すぎの執務室。

 中津川が切り出したのは、チャイムが鳴った直後のことだった。

 明日は土曜日、役所の週休日である。

 ここ数日、ずっともの言いたげだった中津川が、いずれ藤堂に何か言ってくることは、果歩でさえ予感していたが、案の定中津川は、その細い目で、席につく藤堂をにらみつけた。

「はっきり言えば、宇佐美君がいるから、水原君はでてこないのじゃないかね」

 誰もが、この対決を予感していたのか、残った全員が静まり返って、中津川と藤堂を注視している。

 志摩課長は午後から年休。

 春日次長は出張中。

 宇佐美は午後から休みを取っている。

 中津川にとっては、今しかないというタイミングだったのだろう。

 答えない藤堂は、無表情の眼差しだけを中津川に向ける。

「どちらが、戦力に響くと思っているのかね。このまま若い才能が潰れていくのを、黙ってみているつもりかね、君は」

 藤堂の態度にますます苛立ったのか、中津川は嫌味な声でまくしたてた。

「なんとかいったらどうだ、バイトの管理は、庶務係の責任じゃないか!」

 まだ残っている全員が、しんとして、この応酬を見守っている。

「宇佐美君をやめさせろ、ということですか」

 椅子だけで、中津川に向き直り、はじめて静かな声で藤堂が答えた。

「では、何もしないで放っておくつもりかね」

「やめさせることが、解決ではないと思います」

「では、何もしないつもりなのかね!」

「様子を見てもいいと思います」

「なんの様子だ」

「水原君のです」

「話にならん!」

 椅子を蹴るようにして、中津川が立ち上がった。

「たいした言い草だな、民間君、じゃあ今まで君は、のんびり様子をみていたというわけか」

「……僕にも、そういう時期がありましたので」

「若者の、自分探しのなんとかというやつか」

 中津川は鼻で笑うような目になった。

「そんなものをな、悠長に受け止められるほど、役所というのはのんびりした組織じゃないんだ!」

 藤堂さん、

 果歩は、立ち上がる寸前だった。

 何を言っても、今の中津川には無駄だろう。

 せめて、形だけでも合わせればいい、中津川をたてる形で、藤堂が引けばいいのだ。

「わしが、水原君に会ってくる、バイトはクビだ、それでいいだろう!」

「補佐」

 藤堂が立ち上がる。

 ほとんど1メートル足らずの距離で向かい合う2人は、体格だけみると、まるで大人と子供だった。

「な、なんだね」

 頭2つ上の高みから見下ろされるのが不快なのか、中津川が咳払いして後退さる。

 藤堂も、軽く咳をして、中津川から一歩引いた。

「水原君のことは、僕の責任だと思います」

「……当たり前だ」

 そこを一番に主張したかったはずだろうが、逆に切り返された形になって、言葉尻が鈍くなる中津川。

「だったら、僕に任せてもらえませんか」

「任せる? 任せてどうする」

「折を見て、僕から彼に話をします」

 若造が、という目で、中津川は冷笑した。

「悪いが、君に水原君が説得できるとは思えないな。態度をみて察することができないのかね、彼は君を軽蔑しているぞ」

 みんなの前で、そこまで言わなくてもいいのに。

 果歩はかっとしたが、今、向かい合う2人に割ってはいることは出来なかった。

 それほど緊迫したムードが漂っている。

 水原の欠勤に端を発した言い争いだが、2人の遺恨は――というより、中津川の遺恨は、それよりもっと根深いところにあるからだ。

「今回のことだけじゃない」

 今日は、藤堂の後ろ盾でもある、春日次長もいない。

 那賀局長だけは、まだ局長室にいるが、おそらく声は聞こえても、むしろ静観しているだろう。

「君がきてから、総務の雰囲気は最悪だ。民間の感覚を役所に持ち込むのはおおいに結構だがね、少しは役所の習慣も、尊重したらどうなのかね」

「尊重しているつもりです」

「何がだね、どこがだね。君がきてから、秩序がそもそもおかしくなった。庶務には庶務の伝統があり、女性職員には女性の役割がある、それを君はてんでムシして、全員の負担を重くしているだけじゃないか!」

「的場さんのことなら、その言い方は筋違いです」

 藤堂の口から自分の名前が出たことで、果歩は緊張して身体を硬くした。

 しかも、珍しく、感情をむき出しにした口調。

 隣席で南原が、「あーあ」と、ため息まじりのぼやきを漏らすのが分かった。

「的場さんには、この職場での彼女の役割を、きちんとやってもらっていると思います」

「悪いがそう思っているのは、君だけだよ」

「そうでしょうか」

「そうじゃないか!」

 ばん、と中津川の拳が机を叩く。

 びりびりっと課内が震えるような声だった。

 よほど、怒りが溜まっていたのか、たるんだ右頬がびくびくと痙攣している。

 5時過ぎのこの騒ぎに、他課の職員も足をとめ、総務の中をうかがっているのが分かる。

「もう、」

 もういいです。

 果歩はそう言って、立ち上がるところだった。

 もういい。これ以上、藤堂が窮する姿を見たくない。

 それが、自分のことなら、なんだって我慢できるのに。

「では」

 しかし、藤堂は引かなかった。

 むしろ、固い信念を秘めた目で、じっと正面から中津川を見据えた。

「来週の月曜に、話し合いをしませんか」

「なんだと?」

「2人ではなく、課、全員でです」

「意味がわからんな」

「そこで、皆さんに、僕の提案を受け入れてもらえないと分かれば、僕は潔く身を引きます」

 果歩ははっとした。

 同時に、全員が、視線を藤堂に向けるのが分かった。

 中津川も、意味を解しかねるのか、いぶかしげに眉を上げている。

「どういう意味だね、身を引くとは」

「辞職するという意味です」

 あっさりとした口調だった。

「と、」

 果歩は、ほとんど立ち上がっていた。

 そんな、どうしてそこまで。

「水原君がいなければ、全員とは言えんがね」

 中津川の目に、小馬鹿にするような色が浮かぶ。

 無論、藤堂の言葉をまるで信じていないからだろう。

「もちろんです」

「では、水原君も含めて、ということかな」

「ええ」

「月曜ね、水原君がこなければどうする」

 笑いを含んだ目で、中津川。

「その時は、話し合い不成立ということで」

 藤堂の目は静かだった。

「僕がこの職場を出ていきます」

「……おいおい」

 呆れたように呟いたのは、南原だった。

「は……」

 こわいような沈黙の後、中津川の顔がふいに崩れた。

「笑えるくらい安直だな、自分の無責任さをさらけだしているようなものだよ、民間君」

「そうかもしれません」

 再び、自席についた藤堂は、わずかにずれた眼鏡を、指で直した。

「否定しないのかね。余裕だな、民間に戻る場所がある人は。我々はね、何があっても役所を辞めることなど簡単にはできないよ、生活がかかってるんだ、生活がね」

 もう藤堂は答えなかった。

 中津川も、憤慨したように席につく。

「辞めるんなら、補充が見つかってからにしたまえ、欠員はかえっていい迷惑だ!」

 それにも答えず、藤堂はいきなり席を立つ。

 その勢いに、全員がびくっとして肩をすくめる。

「今日はお先に失礼します」

 殆ど表情に変化はなかったが、藤堂は明らかに苛立っていた。

 苛立っているというか、怒っている。

「でくの坊にも、一応神経があるんだな」

 南原が、鼻で笑いながら呟いた。

 果歩も、追うように席を立っていた。



*************************


 

「藤堂さん」

 何度か目に声をかけて、ようやく藤堂が足を止める。

 階段を使って階下に下りる藤堂に、果歩がようやく追いついたのは、ほとんど1階に近くなってからだった。

 2人の横を、帰宅を急ぐ職員が数名通り過ぎていく。

「何か」

「何かって」

 振り返った眼差しに、まだ普段の藤堂らしからぬ憤りの余韻がある。

「……らしくないです」

 果歩は嘆息して、その横に歩み寄った。

 藤堂は何も言わない。

 果歩は無言で先に立って歩き出す。

 こんな風に飛び出して、また課内では、自分と藤堂のことが噂になっているのだろう。そう思ったが、もう、それはそれで仕方ない。

 正面玄関横の市民ロビー。広い空間に、大型テレビとソファーが用意されている。時間外、さすがにこの時間、人の姿は殆どなかった。

 果歩は、自販機で缶コーヒーを買って、背後の藤堂に手渡した。

「……どうも」

 ようやく冷静になったのか、目を合わせないままに藤堂がそれを受け取る。

 果歩は自分でも缶ジュースを買って、一番近いソファに腰を下ろした。

「藤堂さんでも、怒るんですね」

「……怒っていましたか」

「そう見えました」

「……………」

 しばらく黙っていた藤堂は、かすかに嘆息して、果歩の隣に腰掛けた。

 色々あったから――。

 果歩は、少し、気の毒になって、その大きな影を見下ろす。

 敵だらけの中、何をやっても民間だと一言で切られ、誰1人協力者はいなかった。今まで辛抱できたのが、不思議なほどだ。

 そして思う。

 水原が、ある日突然ぶっつり切れたように、もしかしかすると藤堂にも、限界が近づいているのかもしれない。

 老成しているように見えて、藤堂はまだ26歳。

 普通であれば、主査にさえなれない年齢なのだ。

「人間ができすぎてるって、今まで少し心配だったけど」

 果歩は、あえて明るい口調で続けた。

「……そんなことないですよ」

「安心しました、もっと、がーっと怒っちゃえばよかったのに」

「ははは」 

 この距離が、少し懐かしくなる。

 屋上で、初めて2人で並んで座った距離。

 沈黙の中、藤堂の大きな指が、少し不器用に小さなブルタブを切る。

 少しの間があり、初めて、藤堂の横顔に苦笑が浮かんだ。

「……冷静では、なかったかもしれません」

「そんなことないですよ」

「悪い癖です、大抵のことは、ここまで我慢できるんですが」

 藤堂の手が、自身の喉のあたりを指した。

「ここを超えると、逆に今までのものが全部どうでもよくなる。失言でした」

「………謝りますか」

「………………」

 今回は、藤堂に非がないとは言いがたい。

 難癖をつけたのは中津川だが、それでも、自身の進退を持ち出して、あんな賭けみたいな勝負を言い出すべきではなかった。

 中津川は課長補佐、そして藤堂は係長なのである。

 組織の中の規律を守るためには、多少のことは、藤堂が我慢しなければ立ち行かない。

 それが、組織というものだからだ。

 わずかに考えてから、藤堂は首を振った。

「今ではなく、月曜にしましょう」

「…………」

「なんにしても、一度、全員で話をしなければならないと思っていましたから」

「でも」

 言っては悪いが、結論は出ている話し合い。

 藤堂1人が孤立して終わるだろう。無論、果歩は藤堂の側につく気だが、それはますます藤堂の立場を悪くするだけだ。

 何か言いかけた果歩を、藤堂は片手をあげて、やんわりと遮った。

「どういう結論が出ても、中津川補佐には謝罪します。ああいう言い方をしたのは間違いでした。僕は、自分の立場を忘れていた」

「やめちゃったりしないですよね」

「…………」

 すぐにうなずくものだと思っていた。が、藤堂は、意外にも沈思する。

「……その結論も、いずれは出ると思います」

 それは、どういう意味だろう。

「ただそれは、僕が決めることではありませんから」

「いやです、私」

 咄嗟にそう言っていた。

 少し驚いた風に、藤堂が顔を上げる。

 予期せず視線があって、果歩は耳まで赤くなっていた。

「……だ、だって、せ、せっかく、ここまで」

 その、色々。

 なんだろう、何が言いたいんだろう、私。

 ちらっと藤堂を見上げ、果歩は、驚いて目を伏せた。

 えっ?

 こ、ここでどうして藤堂さんが赤くなる?

「……今のが、今日一番の驚きでした」

 うつむいていると、藤堂が、聞き取れないほどの低い声で言った。

「え?」

「的場さんが、追いかけてきてくれたのは、初めてで」

「……………」

「いつも、僕ばかり追いかけているような気がしたから」

「……………」

 …………え?

 えーーーーーーー????

 しばし、唖然とした果歩は、びっくりして口をあけた。

 な、何、今の、可愛らしい……じゃない、聞き捨てならない発言は。

「あ、あの、藤堂さん」

「はい」

 2人の間で、携帯が鳴ったのはその時だった。

 


*************************

 

 

「病気?」

「ええ」

 果歩は再度、同じ質問を繰り返した。

「……宇佐美君、病気なんですか」

 タクシーの中、隣に座る藤堂の横顔を、夜の影が覆っていた。

「18歳の時に、白血病にかかったそうです」

「………………」

「本人から、口止めされていたので。でも、的場さんには話しておくべきでした」

 果歩はようやく、宇佐美の不自然な履歴の意味や、就職できない理由に思い至った。

 早退した時、妙な言い訳をされた意味も。

「……もう、治ってるんですか」

「再発の可能性は、ゼロではないそうです」

 そうか。

 そうだったんだ。

「最初から、……藤堂さんは、知ってたんですね」

 自分の声が頼りなくなっている。

 あの若さで、生命の期限を垣間見せられた。その時宇佐美は、どういう気持ちで、何を考え、何年もの闘病生活を乗り越えてきたのだろう。

 いいえ、と、藤堂は静かに首を振った。

「聞いたのは、雇用の後、志摩課長の口からです。宇佐美君を辞めさせるよう、僕に直々話しがあったので」

「課長から、ですか」

「僕はやめさせる必要はないと言いました。……ただ、課長も課長なりに、彼のことをずっと気にかけておられたようです」

 課長が――。

 果歩には、むしろ、冷たくさえみえたのに。

「宇佐美君は、課長の妹さんの忘れ形見だという話でした。同じ病気で、若くして亡くなられたと」

「…………」

「課長にしてみれば、心配でみていられなかったんでしょう。仕事などさせずに何年でも休養させたいと、僕に言っておられましたから」

「…………」

 そうだったんだ――。

 果歩は、あらためて、蝋人形のように無表情な、志摩の顔を思い出す。

 職場では、一言も、宇佐美に声をかけることもなく、宇佐美もまた、志摩の存在を無視しているようにも見えた。

 いや、それだけでなく元々志摩とは冷たい人なのだと思っていた。

 関心があるのは、自身の出世だけで、課内のことには一切関心がない人なのだと。

「……宇佐美君、仕事がしたかったんですね」

「誰だってそうです」

 果歩の言葉に、藤堂は少し優しい目で頷いた。

「誰だって、この社会で、何かの役にたっていたいんです。それが生きているということです。人に必要とされていると実感することが」

「………………」

「少し時間がたてば、水原君にも、それがわかると思っていました」

 タクシーが病院の前に止まる。

 ――水原君には何年もあるけど、俺には2ヶ月しかないっちゅうことか。

 どこか寂しげだった宇佐美の言葉が、ふいに思い出される。

 夜の空気はほの暖かく、暗い夜空に、煌々とした病院の明かりが浮き出していた。


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