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年下の上司  作者: 石田累
33/202

story6 September 男の闘い!嵐を呼んだ臨時職員(3)

 宇佐美の変化は、お茶汲み等の雑用を積極的にするようになっただけではなかった。

「え……、どしたの、これ」

「どうやろか、コピーした時の表みて、作ってみたんやけど」

「………………」

 果歩は、目を見開いたまま、パソコン画面を見つめた。

「悪いけど、使い方が……」

 エクセルシート。

 これが、マクロを使った高度な表計算だということは分かるが、どこをどういじっていいのか分からない。

「使い方は簡単やから」

 宇佐美はにこっと笑って、果歩の手からマウスを奪った。

 白くて長い指は、女の果歩より綺麗な気がした。

「ここに、前年度を足しこむやろ、で、月別はこれ、これだと簡単に入力できるんやないか思うて」

「うん……」

「で、このセルで印刷できるから、ここ、クリックしたら」

 と、宇佐美は自らクリックして、さっと印刷機が置いてあるスペースに走る。

「ほら、ばっちりやん」

 宇佐美がひらひらと手にしているペーパーを受け取って、果歩は、しばし黙り込んだ。

「これ、今、作ったの」

「うん」

「……………」

 嘘。

 始業開始から、まだ2時間もたっていない。

 宇佐美が作ってくれたのは、時間外の集計表だった。

 月ごとに給与に提出するもので、前年度実績との割合、目標値、達成度、等々、なんだか細かな項目が沢山あって、毎月計算も入力も面倒だな、と思っていた代物。

 それが、個別の時間外実績を入力するだけで、全て計算してくれるものに仕上がっている。

「……もしかして、マクロ?」

 エクセル関数を使った計算式なら、果歩もひととおりマスターしているし、大抵の表計算なら作成できる。が、今渡された表は、それだけでは対応できないものまで含まれていた。

 マクロ機能は、記録したエクセル動作を自動的に実行させるもので、ここまでマスターしている者は、役所にはあまりいない。

「へへっ、俺、得意やから、エクセルとかアクセス」

「アクセスもできるの?」

 果歩はさらに驚いていた。

 エクセルもアクセスも、マイクロソフトオフィスの製品である。

 役所では、エクセルが一般的に使われており、相当詳しい職人もかなりいるが、アクセスまで使いこなせる職員はそういない。

「楽しいっすよ、便利やし」

「どこかで習ってたの?」

「いや、独学っすよ。今は、いろんなサイトがあるから」

「へぇ……」

 それは、すごい得意技かもしれない。

「よかったら、他のも色々作りますけど。その程度なら、簡単なことやし」

「本当?」

「果歩さんの喜ぶ顔、もっと見たいし」

 自席でパソコンを開いた宇佐美に、そう言ってにこっと笑われる。

「は、はは」

 臨席で南原が、露骨に顔をしかめるのが分かり、果歩はさすがに冷や汗が出るのを感じた。

 でも、これは、本当にすごい技だ。

 というより、ここまでパソコンができるなら、とてつもない戦力になる。

「大河内主査、宇佐美君、こんなものが作れるんですよ」

 背後を通りかかった大河内主査に、果歩はとっさに声をかけていた。

「んー」

 と、起きている時でもどこか眠そうな男は、さほど気乗りなさげに、果歩のパソコンに目を留める。

 ことなかれ主義なのか、課で起こるどんな波風にもふらふらと漂う男は、それでも果歩に言わせれば「いい人」の部類。

「へぇ、マクロか」

 が、大河内は、以外にも細い目を見開いて、果歩のパソコンをまじまじと見つめた。

「これ、君が?」

 と、正面に座る宇佐美に視線を向ける。

「ほかは、なんもできんですけど、エクセルは結構やりますねん」

 やや、得意げに宇佐美。

 顔立ちも声も子供っぽいから、そういう言い方もあまり、嫌味には聞こえない。

「マクロ、今、僕も勉強中なんだよねー。ちょっと作ってみたいリストがあるんだけど、見てもらえるかなぁ」

「あ、はいはい」

「悪いねぇ、今度詳しい奴に直してもらおうと思ってたんだけど」

 早速自席についた大河内はパソコンを開く。

 隣席の宇佐美が、椅子をひきずってその傍らに近づいた。

「デスクトップは、もうちょっとすっきりさせたほうがええですよ」

「あ、そうなの」

「重いから、こないに時間がかかるんです。不要なファイルは消すか、Dドラに入れたらええんちゃいますか」

「デードラ?」

「…あー、それはですねー」

 なんだか、いい感じになってるのかもしれない。

「情けねーな、バイトに教えてもらってんのかよ」

 隣で、南原が顔をしかめている。

「わー、これ、ほんっと便利だわ、宇佐美君」

 果歩は、わざと大きな声でそう言っていた。

 そして、ふと思っていた。

 男の仕事って、そもそもなんだろう。

 女の仕事って、じゃあ、なんだろう。

 自分の感覚が、ずっと当たり前だと思っていたけど、もしかしておかしくなってるのは、周りじゃなくて、私自身だったのかもしれない……。

 

 

 *************************

             

 

「ふぅん、じゃあ、すっかり人気ものなんだ、バイト君は」

「うん、もう大人気」

 果歩は、陽気に言って、空のグラスを持ち上げた。

「おかわりお願いしまーす」

「果歩、ちょっと飲みすぎじゃない?」

「いいのいいの」

 カウンターから手が伸びて、グラスをそっと手から取られる。

「水にしてやって」

「その方がいいですね」

 りょうと、この店のオーナー、長瀬高士との会話。

「いいの、今夜は全然大丈夫なんだから」

「はいはい」

 果歩にとっても顔なじみの男、長瀬は、長い前髪の下、切れ長の目を細めて笑うと、すぐに水の入ったグラスを戻してくれた。

 長身でスタイルがいい。整いすぎた顔立ちは少し怖くて、最初見たときはモデルでもやっているかと思ったほど美しい男――長瀬高士。

 洋風居酒屋は、休店日の夜だけカクテルバーに代わる。カウンターに立つのはオーナーの長瀬一人だ。

 りょうは多分、休日バーの常連だ。仕事でもない限り、毎週通っているんじゃないかと思う。

「てゆっか、何があったのよ、優等生の果歩が珍しい」

「失恋かな」

「ちょっと、怖いこと言わないでよ」

 眉をあげるりょうは、間違いなくカウンターの中の男に恋をしている。化粧気がないのはいつものことだが、長瀬を見上げる横顔が、普段以上に綺麗に見える。

 あーいいわよね、当確間際の恋愛は。

 果歩は、絡む2人の視線を遮るように、片手をあげた。

「計画係からも仕事を頼まれるようになって、都市デザイン室の窪塚主査からも、ちょくちょく呼ばれてるみたいで~」

「な、なに?」

「バイトの宇佐美君の話、今、その話してたんじゃないのぉ?」

 果歩はグラスの水を煽った。

「ま、そうなんだけど」

「あの窪塚さんが対等と認めたから、周りの人も見る目を変えてくれたみたいなよのよねぇ」

「ああ……窪塚クンか」

 アフロヘアにスニーカー。

 ロサンゼルス帰りのエリート窪塚は、局の中でも一風変わった男だが、仕事の速さと頭の良さに関しては定評がある。無論、人事のりょうも、その存在は知っているはずだ。

「中津川補佐は、よその課にバイトを貸すなって、カンカンなんだけどね」

「あのおっさん、利己主義の塊みたいな人だもんね」

 くすり、とりょうの横顔が笑う。

「……じゃ、今は何もかも上手くいってんじゃない、果歩、一体何落ちてんのよ」

「……………」

「藤堂さんのこと?」

「違う違う」

 眠いなー。

 果歩は、つっぷしたまま、片手を振った。

「どうしちゃったのよ、この子、こんなに悪酔いする子じゃなかったのに」

「……タクシーでも呼びましょうか」

「ううん、それより」

 2人の声が、どこか遠くで聞こえている。

 藤堂さんねぇ。

 そうじゃなくてー、まぁ、それもあるんだけど、そうじゃなくて。

 なんていうんだろ、宇佐美君が来て、あらためて分かったことがあるっていうか。

 そのことでちょっと自己嫌悪になってて……でも、やっぱ、何してもやる気がでないのは、藤堂さんのせいかもしれないけど。

「タクシー、きましたよ」

 長瀬の声で、果歩はまどろみから引き起こされた。

 

 

*************************

 

 

 行き先を告げる藤堂の声がする。

 冗談みたいだなー。

 そう思いながら、果歩は藤堂の肩に頭を預けて目を閉じていた。

 どこか投げやりというか、大胆な気持ちになっているのは、相当酔っているからだろう。

「……大丈夫ですか」

 返事はせずに、こくりと頷く。 

 何があっても、何を言っても言われても、後で記憶がなかったことにすればいい。

 りょうが、残業していた藤堂を電話で呼び出していたのは気づいていたけど、果歩は、あえて聞こえないふりで、気分よく夢うつつの状態にひたっていた。それは、今も続いている。

 シートの隣に藤堂がいて、ほとんど身体を寄せ合って座っているのに、全く現実感がない。

 まるで、夢の続きを見ているような感覚。

 ただし、匂いつきの夢なんて滅多に見られないから、貴重かもしれないけど。

「あのですねー」

 そう、これはやっぱり、夢の中で。

 ここにいる人は、藤堂さんじゃないんだ。

 そんなことを考えながら、果歩は顔を上向けて目を閉じた。

「喫茶店なんかで、男の人がコーヒーを出してくれるのって、別に普通じゃないですか」

「……? そうですね」

 戸惑った声が耳元で聞こえる。

「役所で、男の子がそれをやると、どうして違和感があるんでしょうね」

「……………」

 答えない藤堂から、「僕に違和感はありませんよ」という声が聞こえてくるようだった。

「ひたすら肩身の狭い思いをしているのは、実は私なんですよ」

 気持ちは結構素面なのに、出てくる言葉は、酔っ払いのたわごとだ。その自覚はあったが、気分のよさが、果歩を知らず饒舌にしている。

「わかりますー? わかんないですよね? あはは、なんか、私1人が悪者ですかー、みたいな」

 藤堂が、果歩が寄りかかりやすいよう、姿勢をずらしてくれたのが分かった。 

「……藤堂さんの、気持ちは嬉しいんですけど」

 あれ、ふいに気持ちが沈んでいく。 

「編纂の仕事もひと段落しましたし、やっぱりお茶は、私がやった方がいいと思うんです」

「どうしてですか」

「なんていうか……」

 果歩は、言葉に詰まって視線を下げる。

 不思議なほど、高揚感が消えて、どんどん、悲しい気持ちになっていく。

「こう、収まるところに収まらない違和感、みたいなのがあって、私だけじゃなくて、なんていうか、課全体がぎくしゃくしてるっていうか」

「…………」

「そういうの、私がやれば、全部収まるような気がするんですよ」

「…………」

 藤堂が、自分を見下ろす気配がする。

 あー、どうしよ、泣いちゃいそう。

 知らなかった、私って、泣き上戸だったんだ。

「すみません、ちょっと酔ってるみたい……」

「いいですよ」

「………………」

 深く身体を預けたまま、果歩は感情に任せ、両手で口を押さえて、しばらく無言で泣いていた。

「……ごめんなさい」

「いいえ」

 よかった、夢で。

 現実だったら、多分2度と、藤堂さんとは顔を合わせられない。だって、マスカラもアイメイクも、ぼろぼろに剥げている。

「なんか色々……がんばってたつもりなんですけど」

「…………」

「疲れちゃって……」

「…………」

 那賀局長、春日次長、志摩課長、中津川補佐、南原、水原……いろんな人の気持ちや真意を、いつも憶測しては、気をもみ続けてきたけれど。

 そして、心の中では、藤堂の方針に賛成しているのだけど。

「弱いなぁって、私。それが、ますます情けないんです」

 無言のまま、膝に置いた手に、大きな手が重ねられる。

「的場さんは、強いですよ」

 優しい声。

 耳元で聞こえる、心地よい声と体温。

「……お茶のことは、僕の配慮が足りなかった」

 そんなことないです。果歩は心の中でそうつぶやく。

 そうじゃないんです、そういう意味じゃないんです。

「でも、課内のことを考えるのは僕の仕事です、的場さんが気に病むことはないんですよ」

 果歩は、指先で目を拭って、首を振った。

「宇佐美君みてて、思っちゃったんですよね」

「宇佐美君……?」

「私が新採の時とおんなじだなーって、することが何もなくて、周りの人が忙しく働いてるの、みじめな気持ちでぼんやり見てて、今思えば、手伝えることいっぱいあったのに、自分からそれが言い出せなくて」

 難関試験を突破して得た就職先。

 初日から、仕事はあるものだし、教えてもらえるものだと思い込んでいた。

「先輩の手伝いもろくにできないし、言われたことも満足にできなくて、……思えば、忙しい時期だったんですよね、誰にも相手にしてもらえなくて」

 やめちゃおっかなー、と思っていた。

 女の先輩が、意地悪で仕事を回してくれないものだと、思い込んでいた時期もあった。

 半年くらいは、そんな感じで、悶々とすぎていたような気がする。

 なのに。

「宇佐美君は、男とか女とか、バイトとか職員とか関係なしに、どんどん仕事、自分で見つけていってるじゃないですか」

「……そうですね」

 宇佐美は、たった4日で、自分の道を切り開いた。

 来客用のお茶もコーヒーも、宇佐美はウエイター並みの手際よさで見事にこなし、なおかつ、有能なエクセル職人として、今や他課からもお呼びがかかる有様である。

 計画係では、それまで水原に任せていた月締めの補助費決算報告を、宇佐美に任せることになったという。アルバイトにそこまで仕事を任せたケースは、おそらく総務課では初めてだ。

「最初の頃、宇佐美君が私に言ったんですよね、男の仕事ってなんですかって」

「………………」

「その時わかっちゃったんです、仕事を性別でわけてたのは、周りの人なんじゃなくて、私だったんだって」

「………………」

「私は怖いんです。その時もそうだし、今もそう、自分の殻を破って、新しい壁にぶつかっていくのが怖いんです」

「………………」

「自信もないし、だから、誰かが役割を与えてくれるのを待ってるだけ。その役割から外れてしまうのが、本当いうと、ものすごく怖いんです」

「………………」

「……自分で、自分の役割を無意識に決めてたんです。誰のせいでもない、私が落ち着かないんです。私が、自分の役目を奪われてるような気がして、すごく居心地が悪いんです」

「………………」

「………ごめんなさい……」

 言っちゃった……。

 言いたいこと、多分、全部言っちゃった。

 すっきりした、ありがと、りょう。これで今夜は本当にいい夢が見られそう。

 暖かな体温を感じたまま、果歩はゆっくりと目を閉じた。

 これが夢なら、このままでもいいかな。

 重なり合った右手と左手。

 藤堂さんと私が、恋人つなぎしてるなんて、夢でしかあり得ないもの……。

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