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年下の上司  作者: 石田累
30/202

story5 august 恋と友情の板ばさみ(終)

 ぎょっとするような大音量。

 果歩はびっくりして目を開ける。

 大画面では、大菩薩と呼ばれる侍が、曼荼羅魔人と最後の戦いを繰り広げている所だった。

 ――ね、眠い………。

 最高につまんないんだけど、この映画。

「目が覚めましたか?」

 隣席から、少し笑うような藤堂の声。

「えっ」

 振り返った果歩は、薄暗い空間――結構間近に見える人の顔に、慌てて視線を元に戻していた。

 うわ、最低。

 多分、今、思いっきり熟睡してたよ、私。

「すみません、私から誘ったのに」

「いや、僕もさっき目が覚めた所なので」

 水曜日。

 9時から始まったレイトショーに、殆ど客は入っていなかった。

 果歩は、暗い館内を見回す。最初の頃何人かいた客が、今はますます減っているような気もする。

「……ストーリー、わかります?」

 そっと、囁いてみた。

「いや、僕には少し難しすぎて」

「………すみません、へんな映画に誘っちゃって」

 週の半ば、疲れもあったし、今日は仕事も忙しかった。

 残業の後、役所でそれぞれ食事をしてから、慌しく合流した。

 それで、こんなつまらないものを観せてしまって。

 軽い仕返しのつもりだったけど、ここ数日の藤堂のオーバーワークぶりを知っているだけに、今となっては、この無駄な時間が申し訳ない。

「出ます? あの、申し訳ないんで食事くらい奢りますけど」

「いや、こんな時間なので」

 あ、そっか。

 果歩は館内時計を見る。もう11時を過ぎている。

 明日は仕事もある。そんなにゆっくりとはしていられない。

 ああ――今にして思えば、なんてしょうもないことに、大切な初デートの時間を費やしてしまったんだろう。

 と、後悔しても仕方がない。

 それに、デートと言いつつ、藤堂の態度はまるで普段通りの他人行儀。なんだか仕事の延長のような、そんな微妙な感じである。

 ――乃々子と一緒の時も、こんな感じだったのかな。

 ま、だったら……ちょっと安心、かも。

 と、低い所で満足している自分も憐れ。

「あと、30分くらいかな」

「そうですね」

 あと30分、まさか律儀に席に座り続ける……つもりなんだろう、この真面目な人は。

 果歩は嘆息し、だったら、いっそ話でもしようと思い直した。

 見渡す限り、2人の周辺に客は入っていない。

「この前の映画はどうでした?」

「え?」

「百瀬さんと一緒に行かれた」

「いや……もう、その話は」

 闇の中、藤堂が視線を泳がせるのが分かる。

「別に嫌味で聞いているわけじゃないのに」

「的場さんの沈黙は、僕には、かなり恐怖なので」

 それにはさすがに笑ってしまっていた。

「それにしても、南原さんには驚きました」

 果歩は、ふと思いついて藤堂を見上げる。

「結局、月曜の1日だけでしたけど、まさか南原さんが、机を拭いたりお茶を出したりしてくれてたなんて」

「うん、そうですね」

 あっさり答える藤堂の横顔も、心なしか優しくなった気がした。

 1日だけの成果ではあるものの、7月に出した藤堂の提案が、初めて係の者に受け入れられた。

 しかも、あれだけ藤堂を嫌っていた南原に。

「藤堂さんの影響だと思いますよ」

「まさか、それはないですよ」

 藤堂は笑ったが、実際、あの会議での騒動以来――南原の何かが変わったような気が、果歩にはしていた。

 相変わらず口は悪くて、反抗的ではあるが、目に見えない部分で、何かが。

 ――もしかすると……那賀局長のおかげなのかもしれないけど。

 それは、心の中だけで付け加える。

 会議の片付けをしている最中。

 それまで、果歩に、仕事上の説教など一切したことがない那賀が、珍しく長々と喋ってくれた。

 いつになくはっきりした口調は、もしかして、あの時、扉の影に立っていた人に聞かせるためだったのかもしれない。

 それは、もう、想像するしかないけれど――。

 少しずつ、前進している。

 まだまだ問題は山積みだけど、私も、藤堂さんも、少しずつ。

 が、それにしても、退屈な映画である。

 ――早く、終わらないかな……。

 延々と繰り広げられる殺陣シーンに、果歩が、再びうとうとしかけた時だった。

 肘掛に預けていた手の上に、温もりが被さった。

「………?」

 視界が影で覆われている。

 あ………。

 キス。

 いいのかな、こんなとこで。

 しかも、ムードも何もない映像が流れている映画館で。

 色々考えたのは一瞬で、すぐに周囲の何もかもが消えて、藤堂の体温と香りが全てになる。

 触れるように合わさった唇は、すぐに離れた。

 顔が離れる刹那、影になった眼差しが、一瞬、強く果歩を捉える。

「………………」

「………………」

 ドキドキする。

 心臓、雑巾みたいに絞られた感じ。

 繋がった手が、自分のものじゃないみたい。

 しかしすぐに藤堂は、重なった手を離して前に向き直る。

「眠かったら、寝ていてもいいですよ」

「あ、いえ、大丈夫です」

 てゆっか、キスの後の第一声が、これ?

 もう、眠れるわけなんてないのに。

 ああ――やっぱり、女心がわかってないよ、藤堂さん。

 

 

 *************************

              

  

「うわ、すごい時間ですね」

「タクシーでも拾いますか」

 藤堂が、通りに出ようとする。

 その大きな背中を見ながら、ああ、もうちょっと話したいな、と果歩は思っていた。

 なにしろ、今日が正真正銘、2人きりで過ごす初めてのデートなのである。

 明日も仕事で、互いに気は急いてる。映画も最低で、ちょっとロマンスに欠けるデートではあったけれど――。

 でも、キス……しちゃったし。

 それには、ちょっと浮ついている果歩だった。

 一歩進んで二歩戻る?

 でも、こんなささやかなことで、喜んでいる自分って……

「疲れてますか?」

 通りでタクシーを呼び止めるかと思った藤堂は、しかしそのまま振り返った。

 ネクタイを締めたシャツが、風に揺れてはためいている。

「いえ、結構熟睡しちゃったんで」

 まだ一緒にいたい、と、素直に言えない気持ちを言葉に込めて、果歩。

「観たい映画だと思っていました」

「ごめんなさい、たまたまチケットがあったんです」

 そのまま、2人で肩を並べて歩き出す。

 藤堂が何も言わないから、果歩も何も言えなかった。

 繁華街を抜けると、オフィス街。で、この先は……

 果歩は、微妙に不安を感じて、周辺を見回す。この界隈をわずかにずれると、そこは市内でも有数のホテル街だ。

 まさか……。

 まさかね、それは、いくらなんでも有り得ないし。

「………この先に、もう少し歩くようなんですが」

 ふいに、歩きながら藤堂が言った。

「えっ」

 ものすごく驚いて果歩。

「?」

 その驚きに驚いたのか、藤堂が振り返る。

「い、いえ、なんでも」

「そうですか?」

 ああ――なんて自意識過剰。

 果歩は、自分が恥ずかしくなる。

「僕が借りているマンションがあります」

「そうなんですか」

 だから、次の言葉も、深く考えずにスルーしてしまった。

 スルーして……はた、と思考を止める。

 マンション?

 藤堂さん、1人暮らししてるって聞いたけど。

 意味を図りかねて――というより、期待するのが怖くて、果歩は無言で歩き続ける。

 まさか?

 まさか――ね。

 心臓が、ふいにドキドキと高鳴り始める。

「………………」

「………………」

 私も、怖い。

 この沈黙が怖いんですけど、藤堂さん。

「寄っていきますか、汚い部屋ですが」

「………………」

「あ、すみません、別にへんな意味じゃ」

「行きます!」

 と、激しく答え、果歩はぱっと赤くなった。

 うわ、私サイテー。

 なんだかすごく、がっついてる女みたい。はじらいも駆け引きも、頭が真っ白になって飛んでしまっている。

「あ……私も、へんな、意味じゃ」

「いや、それは分かってます」

「………行きたい、です」

「うん……、はい」

 まるで、高校生同士のように、顔を赤くしてうつむいている。

 そんな年でもないのに、私。

 まるで、初めて恋をしているみたいに。

「じゃあ」

 と、顔をあげた藤堂が、何か言いかけた時だった。

 ふいに、聞きなれない携帯の着信音が鳴った。

 藤堂の、ポケットの辺りから。

「……? すみません」

 この時間の電話が不審だったのか、有り得ない相手からの着信だったのか、少し眉をひそめ、藤堂が携帯を耳に当てる。

 その表情が、夜目にもはっきり、翳るのが判った。

「……はい、瑛士です」

 苗字でなく、名前を言う藤堂の唇を、果歩は、どこか不安な気持ちで見つめていた。

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