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年下の上司  作者: 石田累
184/202

Last story①「4月の約束」(3)

「どうしたんですか、今夜は」

 三宅が呆れた顔をしている。果歩は3杯目のジョッキを持ち上げた。

「別に何も。ただ仕事から解放されて、気が緩んでるだけです」

「まぁ、いいですけど……ガードが緩すぎてちょっとびっくりだな」

 市内の繁華街にある居酒屋。

 体育会系の三宅が指定した店だけあって、ロマンチックさの欠片もない、学生向けの全国チェーン店である。

 そのせいもあるが、果歩はひたすら食べて、飲んだ。

 どうせなら、足が立たないくらいに酔っ払って、目が覚めたらホテルだったみたいな展開に持ってってみようかしら。

 そうしたら、このやるせない気持ちも、少しは楽になるだろうか。

 そこまで取り返しのつかない真似をしてしまえば、未練のようにわだかまっている藤堂への怒りも、なくなるだろうか。――

 まぁ、自分の性格上、そこまで羽目を外すのはさすがに無理そうだけど。

「心配しなくても、自分の分は自分で払いますから」

「いや、まぁ、そっちは心配してないですけど」

 今夜、おそらく三宅の中で、果歩のイメージがガラガラと崩れてしまったのだろう。

 私、これまでめちゃくちゃ猫被ってたからなぁ――と思いつつ、果歩はようやく箸を置いた。

「私に話って何だったんですか?」

「ああ、そうそう」

 三宅はジョッキを置いて、少し真面目な顔になった。

「以前、タクシーの運転手に怖い思いをさせられた話、覚えてます? 結局、警察のOBだったっていう」

「あ、はい」

 果歩が不信感を抱いたタクシー運転手が、警察OBだったという恥ずかしいエピソードだ。元警官の勘で、果歩が尾行されていると思ったようだが結局は勘違いだった。

「その白井さんと、実は先日たまたま顔を合わせたんで、一緒に飲みに行ったんですよ。そしたらまぁ……言いにくいな」

「なんですか?」

 ジョッキを取り上げ、一口飲んでから三宅は続けた。

「結局白井さんが勘違いしてたみたいな話をしたでしょう? それ、違ってたみたいで」

「……違ってた?」

「白井さん的には、間違いないと確信してたみたいです。でも、見ず知らずのお嬢さんを怖がらせちゃいけないと思って、――まぁ、その後何もないことを俺が言ったからでしょうけど、自分の勘違いってことで収めようと」

「…………」

 さすがに果歩は、酔いも一気に覚めるような気持ちになった。

 私を尾行? 誰が、一体なんのために?

「何か、あれから身の回りで気がかりなことってありました?」

「……気がかりなこと?」

「まぁ、帰宅中誰かにつけられてるとかはもちろん、不審なメールや電話が掛かってきたりとか」

「いえ、そんなことは全然」

 そもそも3月までは、帰りは毎日藤堂に送ってもらっていたから、怖い思いはしたこともない。4月からは1人で帰っているが、今のところ何事もない。

「後は、身の回りの物が無くなってたりとか」

「実家暮らしだし……、そんなことは、多分ないと思いますけど」

「いや、下着とかそういう分かりやすいものじゃなくて、まぁ、いつも持ち歩いている物とか、自分が捨てちゃったゴミとか」

「ないですないです。さすがにゴミまでは分からないですけど、持ち物に関しては全く」

 うーんと三宅は首をひねった。

「じゃあ、あまり心配しなくても大丈夫かなぁ。あれからもう、4ヶ月も経ってますしね」

「……白井さんって方には申し訳ないですけど、やっぱり勘違いじゃないんですか。私、そもそも尾行されるような覚えなんて、全然ないし」

 当時言い寄ってきた相手は、あえてカウントするなら晃司くらいだし、後は――ここにいる三宅さんと緒方さん。どちらも現役警察官だ。

 ふとその時、もう1人の警察官――緒方に最後に会った時のことが脳裏に暗く蘇った。

(三宅君はいい男ですが、やや真っ直ぐなきらいがありましてね)

(正義だけで突っ走る人間ほど危険なものはないんですよ)

「どうしました?」

 不意に黙り込んだ果歩を、三宅が不審そうに見下ろした。

「あ、いえ、ちょっと……、さすがに怖くなっちゃって」

 目の前に座る男が急に怖くなったとは言えず、果歩はほとんど手つかずのジョッキを脇に押しやった。

「怖いんで、早めに帰ろうかな。――よく考えたら明日も仕事だし」

「ああ、俺タクシーで送りますよ」

「いいですいいです。結構遠いし、親が玄関で絶対待ち構えてますから」

「そうですか? じゃあ、せめて拾うとこまで送りますよ」

 いくら自棄になっているとは言え、あまりに迂闊だったな、今夜の私は。

 いい人だし警官だからといって信用していたが、正直果歩は、三宅のことを――下の名前も含めて、あまりよく知らないのだ。

「ま、何かあったらいつでも俺の携帯に連絡してください。他に困ったことがあればなんでも――。俺、的場さんとはもう友達だと思ってるんで」

 最後に気さくな口調でそう言って、三宅は自分のジョッキを飲み干した。


 *************************


 まだ早い時間に店外に出ると、商店街の向こうに人だかりができていた。

 眩しいフラッシュ、テレビ局のカメラクルーの姿も大勢見える。なんだろう、と眉を寄せると、大音量のアナウンスが響いてきた。

「皆様、公新党の赤城太郎が、真鍋雄一郎の応援に、東京からわざわざ駆けつけて参りました。内閣総理大臣、赤城太郎が皆様にご挨拶もうしあげます」

「内閣総理大臣って、すごいな」

 隣に立つ三宅が、呆れたように呟いた。

「そんなダメ押しみたいな真似をしなくても、今回の市長選はあの優男で決まりじゃないですかね。うちの婦警もきゃあきゃあ言っちゃってみっともないったら」

 果歩は、足がすくんだように動けなくなっていた。

(――やぁ、的場さん)  

 ここからわずか数十メートル先に真鍋がいる。もう、夢でも空想でもなく、現実に。

 そう思っただけで、蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなっている。

「奥さんを献身的に看護したって、そりゃ、芹沢陽一の娘だからでしょ。7年も独身だったって、女どもは一途だのなんだの騒いでましたけど、あれだけのイケメンが7年も女っ気なしとかあり得ないっての」

 果歩の内心など知りようがない三宅は、絶対愛人がいますよ、と冷めた口調で言い切った。

「てか、一方的にやられっぱなしで、オヤジの正義さんは悔しくねぇのかなぁ。正義さんも、結構卑怯な手で選挙戦を勝ってきましたからね。息子の反乱に巻き返し策を考えてないわけがないんですが」

「三宅さん、私、失礼します」

 果歩はぎこちない笑顔で、三宅を見上げた。今、内閣総理大臣の赤城太郎が演説している。これが終われば真鍋にマイクが渡るだろう。

 その前に――ここを去らなければ。

 会わなければ問題ない。考えなければ、意識の片隅にも浮かばない。

 でも、顔を見て、声を聞けば、また再会した夜の二の舞になる。心が乱れて、とても平静ではいられない。

 戸惑う三宅に一礼すると、果歩は走るようにその場を立ち去った。 


 *************************


「もしかして飲んできたの?」

 帰宅すると、玄関に出迎えに出てくれた母が、眉をひそめてそう言った。

 自分ではそこまで飲んだつもりはなかったが、タクシーを降りる時に、足が少しふらついていた。多分、久しぶりに飲酒したせいもあるのだろう。

「いい年してみっともない……。お酒は大概にしときなさいよ」

 後半の言葉には、多少、いたわるような優しさがある。まぁ、それも仕方がない。3月30日。ぼんやりした顔で帰宅して、部屋に閉じこもって一言も口を聞かない果歩に、家族全員が何があったかを察している。

 8年前、真鍋と破局した後も、確か同じ空気だった。一体両親がどこまで知っているのか確認したくもないし、今もする気はないが、当時大失恋したことは、家族全員が知っていただろう。

 パンプスを脱いでいた果歩は、玄関脇の壁に今朝までなかったドライフラワーが飾られていることに気がついた。

「……お母さん、これ」

「ああ、あんたが結婚式でもらったブーケ。玄関に投げてあったから、美玲がドライフラワーにしてくれたのよ。それが、思いの他綺麗にできてたから」

 花の様子は変わり果てていたが、それを美しく飾るリボンはあの日のままだ。

(それ、的場さんにあげてください)

(私が渡すのは駄目みたいだから、藤堂さんから)

 ズキッと胸が鋭く痛み、果歩は急いで自室に入った。

 ブーケのことは、結婚式の翌朝に思い出したが、もう玄関になかったので、誰かが捨ててくれたのだろう思っていた。

 乃々子の優しさを思えば、ブーケは大切にとっておきたい。

 でも――

(君のでは?)

 あの夜、真鍋と再会したホテルで、果歩はブーケを落としてしまった。

 それを拾い上げ、最後に手渡してくれたのは、藤堂ではなく真鍋だった。

 多分、藤堂はそれを見ていた。彼はその時一体どういう気持ちで――ああ、もう、そのことは二度と考えないって決めたのに!

 果歩は頭を振って、ベッドに仰向けに寝転んだ。

 だいたい、なんだって8年も経って真鍋さん?

 三宅も言っていたが、果歩にしても、世間に喧伝されている真鍋の美談を信じているわけではない。

 彼が、性質の悪いプレイボーイで、かつては手当たり次第に女性を口説き、手に入れた途端に捨てていたのは有名な話だ。

 それが真実であることを、果歩は真鍋の口から聞いて知っていたし、真鍋はそんな自分を病気だと言って傍観し、それでも、希望を見いだそうとあがいているようでもあった。

 彼が自分の元を去った原因を、果歩はそれでも政略結婚を断り切れなかったためだと思っていた。――でも、違った。

 もしそうなら、彼がなんの説明もなく、一切の連絡を絶ってしまったことの説明がつかない。果歩が彼のマンションを訪ねたとき、あえて妻に対応させた残酷さの理由が分からない。

 結局、手に入れた女性を愛せないという彼の心の病気は、治らなかったのだ。

 元々、彼と結ばれた途端に飽きられてしまうリスクを知りつつ、そうなることを望んだのは果歩だった。だから、文句も言えないと思ったし、そんな生き方しかできない真鍋を、むしろ可哀想だとも思ったこともある。

 そんな彼が、見合い結婚した病弱の妻にどういった感情を抱いていたのかは知りようがないし、今さら知りたいとも思わない。

 が、あの夜紹介された女性――芹沢花織が、単に彼の義姉という立場で同伴していたわけではないくらい、さすがに察しがついている。

 2人の距離感や空気は、どう考えたってそれより親密なものだったからだ。 

 ――藤堂さんも、そのくらいは知ってるでしょうに、何だって今さら真鍋さんに拘るの?

 最初に話してくれれば、「あ、そうなんですか」で済む話を、どうしてここまで引っ張った?

 一言でも言ってくれていたら、私だって色々整理した上で、藤堂さんとのことを考えたのに。

 私のことなんだと思ってた? 感情のコントロールができない子供だとでも?

 あるいはいつまでも最初の男をひきずる悲劇のヒロイン気質だとも? 

 あー、ほんっと腹立つし、ほんっとに意味が分からない。

 そんなだったら、とっとと市役所なんて辞めてるわよ。

「…………」

 それでもあの夜――ホテルで、それが自分にとって二度と振り返りたくない因縁の場所だったとはいえ、不意に過去に囚われて動けなくなってしまったのは何故だろう。

 まるで、閉じ込めていた思い出が、一気に扉から溢れ出たように。

「…………」

(無自覚なのはいつものことだけど、今、曖昧にしてるのは、果歩の方だよ)

(藤堂君も、それは分かっていると思うけどな)

 りょうの言うことはいつも正しいし、多分、今回もあっている。

 藤堂に、真鍋のことを打ち明けるのが嫌だった。

 彼の過去に自分が足を踏み入れた時から、いずれ自分の過去にも、彼を招かなければならないことは分かっていた。藤堂のような、ある種特殊な家の人とつきあうにあたって、隠し通せることとも思えなかった。

 でも、恋人未満の今なら、そこを曖昧にしていても許される。そんな藤堂との中途半端な関係が心地よかったのは間違いない。

 でも、それは真鍋への未練でも心残りでもないはずだ。そんなものはとうの昔に、晃司と付き合い始めた時に捨てている。今思えば残酷な話だが、二度目に晃司と身体を繋げた時、もう真鍋さんは本当に過去になったんだなと、悲しいような気持ちで思ったのをよく覚えている。

 なのに――どうして、あの夜の私は……。

 その時、携帯の着信が鳴った。

 なんとなくりょうからだと思った果歩は、急いで通話に出ていたが、電話の相手は予想もしていなかった人物だった。

「的場さん、乃々子です。色々助けてもらってるみたいで本当にすみません」

 安堵したような残念なような――そんな複雑な気持ちはすぐに切り替えて、果歩は携帯を持ち直した。

「全然いいよ、周りの人も手伝ってくれてるし。そんなことより体調は大丈夫なの?」

「少し出血しただけで……、2週間も休めば大丈夫だとは言われてるんですけど、それは様子を見てみないと」

 真面目な乃々子は、結婚式の翌日から目一杯働いて、結局4月の第一週の終わりに、切迫流産のおそれありということで休みに入ってしまった。多分、家事も完璧にこなそうと張り切りすぎたに違いない。

 幸い、今は母子ともに健康のようだが、まだ安定期に入っていないだけに無理をさせるわけにはいかない。

「今は実家で……もうお父さん、離婚だなんだって大騒ぎ。亮輔さん来てくれて、今、帰ったところなんですけど」

 亮輔さんか。

 あの南原さんに、そんな名前があったなんてね。

 どこか微笑ましいような、でも今だけは2人ののろけ話を聞きたくないような、複雑な気持ちだ。

 私も藤堂さんのこと、一回くらい名前で呼んでみたかったな。

 あれだけ香夜さんに「瑛士さん」とあてつけみたいに連呼されて、挙げ句流奈にまで名前呼びされていたのに、私は一度も……いやいや、今、そういうことを考えてる場合じゃない。

「……で、的場さん、もしかして、藤堂さんと喧嘩でもしたんですか」

「…………」

 そういうことか。

 これは間違いなく、水原→南原→乃々子のラインだ。

 今日の時間外の出来事が、さっそく忠犬水原の口から南原に伝わったに違いない。

「あー、別に喧嘩じゃなくて、ただ、ちょっと今はお互い忙しくしてるから」

「してるから?」

「……んー、……少し距離を開けましょうみたいな? そんな、心配してもらうようなことじゃないから」

「今日のデートの相手って、もしかして、昔の彼氏さんですか」

 最後の一言に、乃々子の覚悟のようなものが読み取れたから、果歩はしばらく言葉をなくしていた。

 ま、そうだよね。

 これだけ灰谷市が真鍋雄一郎ブームに湧いてるわけだから、耳に入らない方がおかしい。

 しかし今、真鍋の話を他人としみじみ語るのだけは絶対に嫌だった。

「なにそれ、まさかと思うけど前園さんのこと?」

「――えっ? はっ? 逆に前園さんとつきあってたんですか?」

 しまった、私としたことがとんでもない失言だ。

 果歩は慌てて言いつくろった。

「冗談よ。てかそういう話じゃなくてね。昔ちょっとお世話になった人に会ってただけ。今日は売り言葉に買い言葉でデートって言っちゃったけど、そんなんじゃないから」

「それ……、間違いなく、藤堂さんと喧嘩した時の流れですよね」

「…………」

 鋭いなぁ、乃々子は。

 まぁ、今回は喧嘩ってわけでもないんだけど。

「……理由はよく分からないし、的場さんの理屈では、どうせ藤堂さんが悪いんでしょうけど」

 その言葉には、若干棘を感じた果歩である。

「これは亮輔さんから聞いたんですけど、……で、絶対に的場さんには言うなって言われたんですけど、私と亮輔さんの結婚を祝う会があったじゃないですか、3月に」

「……? うん、それが?」


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