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年下の上司  作者: 石田累
180/202

story19 March マリアージュ(13)

「お、藤堂君」

 声を上げたのは、中津川だった。

 チャペル前の広場。

 参列者は全員外に出て、花嫁と花婿が出てくるのを待っている。

 恒例の――式自体に出席するのが数年ぶりの果歩には久々だが、花嫁がブーケを投げて、それを女友達が受け取るという儀式。その幸運な女性が次の花嫁になるという乙女なジンクスが、この次のイベントだ。

「すみません。遅くなりました」

 駐車場から走ってきたのか、上着を脱いだ藤堂は、額に汗を滲ませている。

「遅くなったも何も、もう終わっちゃいましたよ」

「せっかく的場さんが着物で決めてきたのに、藤堂係長がいないんじゃ……」

 余計なことを言う水原を横目で睨んでから、果歩はにっこり微笑んだ。

「大丈夫でした?」

「ええ、まぁ」

 その目が自分から逸らされたのが気に掛かりはしたが、今はそれどころではなかった。 ――乃々子……、頼むわよ。

 実はブーケの件では、果歩は乃々子に、これ以上ないほど念を入れていた。

(いい? 絶対に私には投げないで。間違っても私の方向には投げないでよ!)

 言っておくが、振りではない。

 乃々子が、果歩と藤堂のことを本気で応援して、なんなら果歩に直にブーケを渡さんばかりの勢いだったからこその念押しである。

 おそらく出席した独身女性の中では最年長――誰が見たって一番婚期に焦りを感じている私に、それだけは絶対にやめてほしい。

 受け取れば受け取ったで、「やっぱりな……」「的場さん焦ってるんだ」と言われるのは目に見えているし、受け取れなかったら受け取れなかったで、「ああっ、惜しい」「これでまた婚期を逃したね」とからかわれるに決まっている。これはセクハラだといったところで、今まで散々そういった事を言われ慣れている立場上、いまさらまなじりをつり上げて怒るわけにもいかない。

 つまるところ、二十代のお友達か妹さんに投げてあげてねということなのだ。

 わぁっと歓声が聞こえた。舞い散るライスシャワーと共に、南原と乃々子が手を繋いで外に出てくる。今日、一番同情を禁じ得なかった南原は、今はもう死人のような顔つきだ。

「乃々子、こっち」

「こっちに投げて!」

 乃々子の友達の輪からそんな声があがる。そんなものなんの意味もないのよと、過去二度ほどブーケを受け取ったことのある果歩は言ってやりたかったが、そこは大人の貫禄で微笑んだ。

「若いって可愛いですね」

「的場さんも行けばいいのに」と、いつものように邪気なく大河内。

「やだ、私はいいですよ。もうそういう年でもないですし」

 笑って手を振ったとき、乃々子が友人の輪を抜けてこっちに歩み寄ってくるのが見えた。しかも小走りで――南原もそっちのけで。

 その手に握りしめられたブーケを見た時、果歩はぎょっとして後ずさった。

 1人ずんずん歩いて行く乃々子に、背後の親族や友人らも唖然としている。

「え、百瀬さん、こっちに向かってますけど」

「もしかして、的場さんに直接渡そうっていうんじゃないですか」

 ――う、嘘でしょ……。

 逃げる間もなく、固い決意を瞳に滲ませた花嫁は、唖然としている中津川や谷本主幹らを押しのけて果歩の前に立った。

 果歩はもう、動揺と驚きで声もない。しかし乃々子もまた、一歩も引かないという目をしている。

 ――の、乃々子、ちょっと待って、それだけはやめて、絶対やめて!

 が――

「藤堂さん」

「え?」

 誰もが想像もしていないことが起きた。え? と応じたのは藤堂だが、彼は自分の前に花束が差し出されても、何が起きているのか分かっていないようだった。

「どうぞ、受け取ってください」

「……は、はぁ」

 え? と言いたいのは、果歩もまた同じだった。

 乃々子と藤堂は、一時、都市計画局で結婚間近とまで噂されていた2人である。こんな真似をされて、南原だって面白くないはずだ。

 戸惑いながら手を出した藤堂に花束を押しつけると、乃々子は果歩を振り返った。

「それ、的場さんにあげてください」

「…………」

「私が渡すのは駄目みたいだから、藤堂さんから」

 ――ちょっと……。

 不覚にも目の奥がみるみる熱くなり、果歩は口を手で押さえて顔を背けた。

 ほんとにもう……、なんて恥ずかしいことをしてくれるんだろう。この可愛い後輩は。

 乃々子もまた目を潤ませて、肩を震わせる果歩にふわりと抱きついてきた。

「的場さん、大好き」

 うん、ありがとう。乃々子。

「絶対、絶対幸せになって……」


 *************************


「そんなに、嬉しいものですか」

 助手席で花束に顔を寄せている果歩を見て、運転している藤堂が少し楽しそうな口調で言った。

 結婚式の後、結局、局のみんなで食事をして帰ろうということになって、近くのファミレスで遅い昼食をとった。

 母の警告通り、着物姿の果歩は、それを汚すことの恐さと腹部の圧迫感から、サンドイッチとジュースしか頼めなかった。疲れが溜まっているせいか、あまり食欲がなかったので、丁度よくはあったが。

 もう一度、百合の香りを吸い込んでから、果歩は隣の藤堂を見上げた。

「そりゃ嬉しいですよ。男の人には分からないかもしれませんけど」

「百瀬さんが近づいて来た時は、絶対こないでみたいな顔をしていたのに」

「…………」

 なんでそこまで読まれてるの?  

 肝心なことはさっぱり読んでくれないくせに、この無駄な洞察力って……。

「まぁそれは……さすがにちょっと恥ずかしかったし、もうはしゃぐ年でもないですから」

「恥ずかしさで言えば、僕の方が相当でしたけどね」

 そう――それは本当に、お気の毒様としか言いようがなかった。

 都市計画局の面々どころか、南原家と百瀬家の列席者にまではやしたてられて、あたかも婚約しましたとでも言わんばかりの空気の中、もう引くに引けなくなった――と顔に書いてあった――藤堂が、ひきつった笑顔で果歩に花束を贈呈する。それを、同じくらいひきつりながら受け取る果歩という、地獄絵図。

 帰りしな、教会の受付の人に、「予約して帰られます?」と笑いながら声を掛けられていた藤堂は、傍目にも気の毒なほど顔を赤くしていた。

 まぁ、ただ恥ずかしかったのはその一時だけで、こうして藤堂を介して花束をもらったことが、今はただ、純粋に嬉しい。

 ブーケのジンクスなんてもうとっくに信じてないけど、なにしろ本人に手渡しでもらったのだ。これはもう、当確確実ってやつじゃない?

 あー、なんだかこのブーケそのものに、幸福の魔法がかかっているような気がする。

 帰ったら、ドライフラワーにして保存しておかなきゃ。 

「あ、そうだ、これからどうします?」

 腕時計を見ながら果歩は言った。

 午後3時少し過ぎ――今日は指輪はちょっと無理かな。

「私、一度自宅に戻ってから仕事に出ようと思って。藤堂さんは?」

「…………」

 返事がないので、果歩は不審に思って藤堂を見上げた。

「どうしたんですか?」

「仕事は、もう大丈夫ですよ。僕の方でチェックしましたけど、残りは明日やればなんとかなると思います」

「あ、そうですか。……じゃあ」

 あれ? てことは、これからフリー?

「泊まりにいきましょうか」

 ――ん……?

 言われた言葉の意味が分からなかった果歩は、首を傾げて瞬きした。

 今、藤堂さん、なんて言った?

 運転している藤堂は、先ほどから一度も果歩を見ようとしない。

「ご両親の許可は得ています」

 ご両親? ご両親って、もしかしてうちの親のこと?

「明日の朝、ご自宅まで送りますよ」

「…………」

 え……? え?

 ごめんなさい。会話に頭がついていかない。

「え、ちょっと……、つまり、また東京に行くってことですか?」

「東京でもどこでも」

 前を見たままで藤堂は言った。

「でも、的場さんに希望がなければ、行く先は決めています」

 ――どういうこと……?

 空が次第に翳ってくる。果歩は不安を感じて藤堂を見上げたが、彼はそれきり一度も口を開こうとしなかった。 

 

 *************************

 

「宿泊です」

 ホテルのエントランスに車をつけた藤堂は、駆けつけてきたベルボーイに、迷いのない口調でそう告げた。

 ベルボーイは、藤堂の貴公子然とした雰囲気と車のギャップにやや戸惑っているようではあったが、その戸惑いをすぐに消して、うやうやしくキーを受け取る。

 ――ここ……。

 車が海岸線に出た時から嫌な予感はしていたが、ここには、8年前に何度か来たことがある。

 経営母体が変わったから、今の名称はホテルプリンス。でも昔は――

 ホテル・リッツロイヤル。

(背を伸ばして)

 頭の中に、あの夜の彼の声が蘇る。人生最悪の――それでいて幸福で胸がつぶれそうだった、あの夜の情景が。

(うつむいてはいけない。頭から上に引っ張られるような気持ちで―― 前を見て、そう)

(……綺麗だ)

「と、藤堂さん」

 不意に足がすくんだようになって、果歩はすがるように藤堂を見上げていた。

 いやだ。

 他はどこでもいいけど、このホテルだけはいや。

 藤堂は静かな目で果歩を見下ろすと、わずかに笑って、果歩の手を取った。

「もう、部屋をとっているので」

 優しいけれど、有無を言わせない口調に、果歩は何も言えなくなる。  

 ―― 一体どうしちゃったの、藤堂さん。

 絶対に様子がおかしいし、うちの両親の許可を取ったって、どういう意味?

 フロントで、藤堂は慣れた様子でチェックインの手続きをしている。

 果歩は動揺したまま、顔を上げることもできなかった。

 当たり前だが、8年前とは内装も従業員の制服も違う。しかし元のホテルを買い取って改造しただけに、建物内の構造は全く同じだ。

 フロントに左にサニタリーがあって、そこでコンタクトを入れ直した。あの時――すごく親切なベルボーイがいて、その人がなくしたコンタクトを探してくれたんだっけ。

 でもその後……トイレを出たら、――

「……藤堂さん、あの、私本当に、なんの準備もしてなくて」

「じゃあ、売店で買いましょうか。確かコンタクト用品もあったと思いますよ」

 そこを潰されたら、もう何の言い訳もできなくなる。

 しかも間の悪いことに、今日に限って、果歩は眼鏡を持参してきたのである。朝から目の調子が悪かったから、万が一を考えてケースと眼鏡をバッグに入れていたのだ。

 紺の制服を着たベルボーイに促されるままに、果歩は藤堂についてエレベーターに乗り込んだ。

 ――ちょっと待って、いったん落ち着こう、私。

 そもそも私、何を一体ためらってるの? 

 これって、ずっと待ってた展開で、まさに奇跡。天使が砂漠に舞い降りたようなものじゃない。

 そう、乃々子がきっと、プレゼントしてくれたんだ。

 果歩は、車内から手にしたままのブーケをぎゅっと握りしめた。

 場所のことは、藤堂さんには何の関係もないし、私の心の問題だ。そこはもう――顔にも態度にも出すべきじゃない。

 でも、それを全部差し引いても、今日の藤堂さんは絶対におかしい。

 少なくとも午前中は、いつもの藤堂さんだった。ちょっと意地悪だったけど、私の誘惑にじっと耐える、私が知っているいつもの藤堂さんだった。

 ――それが、……どうして?

 それを確認しないまま、流されるように身体を重ねてしまって、本当にいいのだろうか。

「ちょっと……、部屋に入る前に、話しませんか」

 エレベーターを降りる手前で、果歩は思いきって言っていた。

「話?」

「ええ、あの……うちの親のこととか、ちょっと色々合点のいかないことばかりなので」

「その話なら、部屋の中でいいと思いますよ」

「…………」

 なんだろう、この、会話が全部弾かれる感じは。

 全くいつもの藤堂さんらしくないし、何かあったとしか思えない。

 とはいえ、ベルボーイの手前、果歩もあまり我が儘は言えない。これ以上駄々をこねたら、彼に恥をかかせてしまいそうだ。

 藤堂がリザーブしていたのは18階の客室で、窓から海が一望できる眺めのいい部屋だった。 

 覚悟を決めていたつもりでも、いきなり飛び込んできたダブルベッドに、果歩はうろたえて視線を彷徨わせた。

 ここは市内屈指の高級ホテルだが、どれだけ高級でもしょせん寝るための部屋だと思い知らされる。

「……あ、えーと、すごく、素敵な部屋ですね」

 間の抜けたことを言って、果歩は頬を熱くした。

 なんだろう。調子がでない。てゆっか、ここが因縁のホテルでさえなかったら――。

 ああ、だめだめ、もうそのことは考えないんだった。

「食事はもういいですか」

 果歩に背を向けて上着を脱ぎながら、藤堂が言った。

「昼食、あまり食べられてないようだったから」

「……あ、大丈夫です」

 そういうところまで見てくれているのは、すごく藤堂さんらしくて安心する。

「でも、夜になったらお腹が空くかもしれないです。どこか、近くに美味しいところありましたっけ?」

「最上階にレストランがありますよ」

「…………」

 どこかで逃げ道を探して言った言葉だったが、その返答は、果歩を再び忘れていた過去に引き戻した。

 最上階のレストラン、そこにもまた、苦い思い出が詰まっている。 

(適当なところで帰ったほうがいいですよ。あなたのような若い女性が、夜遅くまで飲み歩くのは、みっともないですからね)

(もう一杯だけ、僕とつきあってくれないか。それから君を家まで送らせてほしい)

 あの夜の彼の冷たさも優しさも、果歩は全部覚えている。

 いや、覚えていても、金輪際思い出すつもりはなかった。それが今、8年前と同じホテルを訪れたせいで、否応なしに胸の底からあふれ出し始めているのだ。

「……あの、藤堂さん、一体何があったんですか」

 そんな自分にも藤堂の態度にも戸惑いながら、果歩は聞いた。

「絶対おかしいですよ。あんなに慎重だった藤堂さんが……。急に泊まろうなんて、何か理由でもあるんですか?」

「……もう4月は目の前だから」

 背を向けたままで藤堂は答えた。

「そろそろいいのかなと思いました。駄目ですか」


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