18 変調 3
登場人物がややこしいので関係図載せときます。
《既存のゲームの組み合わせ》
王太子アラン×婚約者スカーレット
騎士団ロン×幼馴染ヨハナ
化学教師ホアン×再従兄妹アリシア
女たらしシド×義妹ソフィア
???×ヒロイン カレン
《プログラマーがくっつけようとしている組み合わせ》
王太子アラン×アリシア(ホアンの相手)
騎士団ロン×ソフィア(シドの相手)
化学教師ホアン×ヨハナ(ロンの相手)
女たらしシド×スカーレット(アランの相手)
義兄レオルド×カレン
*1部→5部→7部→10部→14部→18部の順番がソフィアルートの時系列です。
カレンの育ての親が営むパン屋は商店街の中にあった。リップルという店名のこぢんまりとした清潔感ある店だ。一年前に義兄のレオルドが後を継いだ。といっても両親ともに現役で働いている。レオルドとその父親、もう一人職人がいて、母親と他二人が売り場を担当している。
ソフィアとロンの急な来訪を、一家全員で喜んで迎え入れてくれた。貴族と繋がりを持ちたいから、という下心ではなく、カレンが連れてきた友人だから、という態度であることは目に見えて分かった。奥の工房の一画に通されたが、
「狭い所に申し訳ない」
とカレンの養父母と義兄は終始頭を下げっぱなしだった。
「お友達を連れてくるなら先に言いなさい! もっとちゃんとした用意をしたのに」
とカレンを叱る場面もあった。ソフィアもロンも、
「突然ついてきたのは自分達ですから」
と擁護に回り、雰囲気は終始和やかだった。
「この子が上手くやれているのか、ずっと心配していました。家まで訪ねてきてくれるようなお友達ができて本当に良かった」
養母が目を細めて告げることに、ソフィアは当惑した。自分はカレンに対する嫌がらせに加担したことはなかったが、知らぬふりを通してきた。友人面してのこのこ来訪してしまったことに自己嫌悪を抱く。
「ソフィア様のお父様は大きな商店を開いていて、パン工房の見学に行かれたことがあるそうよ。それでうちの話になって今日来て頂くことになったの」
カレンが助け船を出すように告げる。目が合うと照れたそぶりで微笑まれて、ソフィアはどぎまぎした。内面から滲み出る可愛らしさ、というのか。自分はこんな風に屈託なく笑えない。妙に感傷的な気持ちになった。カレンを見つめるレオルドの瞳が柔らかいことも関係しているのかもしれない。同じ義兄でもこうも違うものなのか、と。
「お義兄様と仲が良いのね」
ソフィアから零れ落ちた言葉に、
「はい。小さい頃からずっとわたしの一番の味方なんです」
とカレンは、はにかんで笑った。
一番の味方、というワードがぐるぐるソフィアの脳裏を巡った。ずっと目を逸らしてきた事実を突きつけられた気がした。シドは自分の味方ではなかったという事実だ。「商人なんかとは遊ばない!」という自分の発言が、シドとの仲を決定的に壊した自覚があったし、それがずっとソフィアの負い目だった。だが、よくよく考えれば先に裏切ったのはシドではないか。「父親に言われたから仕方なく相手をしてやっているだけ。迷惑している」と言われて傷ついた。友達だと思っていたのに。好きだったのに。だから、あの時、思ってもいない言葉を吐いてしまったのだ。でも、ずっと心残りだった。再会した時は、単純にやり直せるんじゃないかと期待した。昔のことはお互い水に流して、また仲良くできるのではないか、と。だが、現実は自分が一方的に嫌われている。おかしくないか?
(あぁ、そうだわ。本当にわたしは馬鹿ね)
初めからシドは自分のことを嫌っていたのだ。「元通り仲良く」なんてできるわけがない。ソフィアは、全てがストンと落ちた。そして、自分が一つ間違っていたことにも気づいた。「お互い様」だと思っているのは自分だけで、向こうはこちらばかりが悪いと認識していること。商人だと馬鹿にしたくせに金持ちになったから掌を返した下賤な女だ、と思われていること。だから、さっきもシドは皆のいる前で、
「商売人は嫌いなんじゃなかったか?」
とわざわざ当て付けに言った。冗談じゃない。怒りに似た不快感が込み上げてくるのと同時に、もうシドのことはいいじゃないか、という感情が湧いた。大人として、家族として、体裁は保つけれど、それ以上は望まないし、望まれたくもない。ただ、自分を侮辱してくるならその原因だけは明らかにしてやろう、とソフィアは強く思った。
試食したパンはお世辞ではなくどれも美味しくて「美味しいです」としか感想が言えずに参った。
お世話になった御礼に、というのも烏滸がましいが、店で販売している苺のタルトを購入して帰宅することにした。料金は不要と言われたが無料にされたら本末転倒だ。
「こちらはお店の商品でしょう? 正当な対価を払わないと父に叱られます」
とどうにか説き伏せて、ロンと二人それぞれ家族への土産を購入して代金を払ってきた。帰りは往来で馬車を拾いロンが家の前まで送ってくれた。
「通り道ですから」
と笑って。優しく誠実な人だ。でも不思議なくらいときめきは感じない。天使様の話を信じているのに、ただ良い人だという感想しか抱かなかったし、ロンが幼馴染の令嬢の好きなタルトを選んで土産を購入したことも、やはり既に相手がいるではないか、と思っただけだ。シドのことを諦める為に自分を律している時には、早く次の恋を見つけなければ、と焦燥感に苛まれていたが、今は急いで探す必要はない気がしてきた。焦って碌でもない男を掴むのはごめんだ。次の相手とは、お互い尊重し、思い合える関係になりたい。追いかけるだけの恋は金輪際まっぴらだ。
「有難うございます」
ソフィアは、馬車が見えなくなるまでロンを見送って屋敷に入った。途端にどっと疲れが襲ってくる。リップルで試作品を幾つも食べてしまったから、夕飯は入りそうにない。そのままダイニングに向かい、母にカレンと出掛けた経緯を端的に告げ、土産を渡すと自室へ戻ることにした。今日はこのまま一人穏やかに過ごしたい。しかし、その願いは数秒で断たれた。
「帰ったのか」
階段を下りてくるシドが視界に入った。ソフィアと二人でいる時にだけ見せる不機嫌な顔。気に障ることをしてしまったのか、とぐるぐる思い巡らせて、いつも機嫌を取ってきたけれど、今は単純に不愉快なだけだ。
「……えぇ」
無視するのも子供じみている。ソフィアは、素直に答えるとそのままシドの隣を通り抜けた。が、
「あの男、王太子の側近らしいじゃないか」
シドが嘲るように告げる。ロンのことを指しているのは明らかで、間違ったことは言っていない。だが、学園の生徒なら誰でも知っているようなことを、勝ち誇って言われて困る。
「知っているわ」
ソフィアは振り返って答えた。憎しみに歪んだ視線とぶつかる。何をそんなに恨まれることがあるのか。高位貴族だから擦り寄っているとでも思っているのか。冷静になるほど、様々なことが理不尽すぎて、自分が哀れになる。昔のことをこのまま水に流すのはどうやら無理らしい。ならば仕方ない。
「ねぇ、何か勘違いしているようだから、はっきり言っておくけど、わたしは商人を蔑んだことなんてないわ」
シドから軽い笑いが漏れるが、ソフィアは構わず続けた。
「親父に言われたから仕方なく遊んでやっているだけ」
「は?」
「毎日遊びにくるなんて図々しい。貴族の娘だから断れなくて迷惑している」
「何を言っているんだ?」
シドが怪訝に眉を寄せる。その表情にソフィアは心が冴えた。やられたことは覚えていても、やったことは忘れる。よく聞く話ではあるが、都合が良すぎて笑えてくる。
「貴方が友達と言っているのを聞いたの。だから、わたしは貴方に『商人なんかとは遊ばない』って言ったのよ。でも、確かに言葉の選択は誤ったわ。友達面して裏で陰口叩く人間とは遊ばないって、もっとちゃんと言えば良かった」
当時の気持ちがフラッシュバックするから、嫌な記憶を音にするのは辛い。だからずっと封印してきた。でも、口に出すと案外平気なことに拍子抜けしてしまう。あぁ、もう本当に過去のことなのだ、と思えた。
「っ……あれは、」
「でも、もうどうでもいい」
シドの言葉を遮ってソフィアは言った。シドがあの時のことをどう語ろうとも、この耳で聞いたことは事実だ。もし、一番の味方なら、誰に焚き付けられても便乗して自分の悪口は言わなかった。例えば、カレンの義兄なら、あの女の子達を叱り飛ばしたに違いない。でも、シドはしなかった。それでも、自分はずっとシドを好きだった。だが、今はそれがどうしようもなく色褪せて見える。だから、謝罪してほしいわけでも、弁明してほしいわけでもない。ただ、
「……ごめんなさい。また、言い方が悪かったみたい。過去のことはどうでもいいって意味よ。わたしは貴方に傷つけられたし、わたしは貴方を傷つけた。でも、お互い様なんだから、もう水に流しましょう。家族になったのだから最低限の敬意を払って付き合うべきだと思うわ。だから、わたしに変な言い掛かりをつけるのはやめて欲しいの。でも、無理なら構わないわ。今まで通りお義父様とお母様の前でだけ良き義兄として振舞ってくれれば」
ソフィアは自分だけが逆恨みされる筋合いはないことを伝えたかっただけだ。シドが提案を拒否するなら好きにしてくれていい。だけど、自分は堂々としていようと思った。
沈黙が落ちる。
いつもなら直ぐに反論されて言いくるめられるが、シドは口篭ったまま表情が抜け落ちている。心情が読めない。何か返事をするまで待つか、別の言葉を掛けるべきか。しかし、ソフィアにはこれ以上言いたいことがなかった。
「じゃあ、そういうことなので」
向き直って歩みを進める。階段を上がり切ったところで、
「……ソフィア、」
と微かな声がした。しかし、振り向いたら全てが元の木阿弥になる。引き留めたいなら走ってきてちゃんと呼び止めればいい。できないならば、こちらも無理だ。ソフィアは、聞こえないふりをして、そのまま部屋へ向かった。