15 ヨハナ・バーグマン侯爵令嬢3
登場人物がややこしいので関係図載せときます。
《既存のゲームの組み合わせ》
王太子アラン×婚約者スカーレット
騎士団ロン×幼馴染ヨハナ
化学教師ホアン×再従兄妹アリシア
女たらしシド×義妹ソフィア
???×ヒロイン カレン
《プログラマーがくっつけようとしている組み合わせ》
王太子アラン×アリシア(ホアンの相手)
騎士団ロン×ソフィア(シドの相手)
化学教師ホアン×ヨハナ(ロンの相手)
女たらしシド×スカーレット(アランの相手)
義兄レオルド×カレン
*1部→3部→8部→11部→15部の順番がヨハナルートの時系列です。
決して奇麗と言えない用務室に、てんで似つかわしくない白磁のティーセットが並べられている。
「こちらはルブラと言う我が国の郷土菓子です。ナッツのほろっと溶ける口触りとカルダモンの香りが愉しめることで人気なんです。アリシア様も昔からお好きでして、是非お召し上がりください」
「有難うございます。頂きます」
一口サイズで網目状に生地が練り込まれている。口に入れると確かにほろりと溶け落ちた。砂糖の甘みと香ばしいナッツが絶妙に調和し、味わったことのない食感が楽しく美味しい。ただ、物凄く水分を取られる。ヨハナは咀嚼するのと同時にティーカップを持ち上げて紅茶を下した。
(私は一体何をしているのだろう)
実験台用らしい大きな机の正面にホアンと向かい合って座っている。不貞腐れたように肘をついて、そっぽを向いている姿はまるで子供だ。その後ろに執事のジェームズがにこやかに控えている。先ほどまで、散々二人で言い争っていたがホアンが負けたのだ。
「アリシア様にはホアン様の面倒をずっとみて頂いておりましたが、ついに愛想を尽かされましたので、私が隣国から急遽はせ参じたわけでございます」
「愛想を尽かされたとはどういう意味だ!」
ヨハナに状況を説明するためのジェームズの言葉にホアンが噛みついた。が、
「愛想を尽かされていないのならば、何故アリシア様は私に手紙を送られたのでしょう。もう貴方の面倒はみられないから宜しく頼むように書かれてありましたが」
「アリシアに面倒をみてくれなんて頼んだ覚えはない」
「そうですね。昨日もそのようにアリシア様におっしゃったのでしたね。だから、アリシア様は頼まれてもいないことをするのを辞されたわけですね」
と言われたきり剥れて黙り込んだのだ。
ジェームズは執事らしいが、随分強気に出るので、ヨハナは呆気にとられてその様子を見ていた。ヨハナは自国の王太子アランと面識はあるが、少なくともアランにこんな口を聞く従者はいない。王太子と第三王子の違いか、本人の性格の問題か、二人の関係性の親密さ故か。だが、そんなことよりもヨハナの意識は、直ぐに聞き捨てならない二人の会話内容へ移った。アリシアがホアンの元へ来なくなったのは、世話を焼くなと言われたから。ならば、誘いに応じないのは当然じゃないか。この男はどういう了見で再びアリシアを呼び出そうというのか。ヨハナは自分がそんな片棒を担がされたことに、深い憤りを感じた。
(アリシア様に嫌われたらどうしてくれるのよ!)
だが相手は隣国の王子である。かろじてその思いを呑み、勧められるままに紅茶とお菓子を頂いて現状に至る。
「あの、それで私は一体何をすれば?」
「バーグマン様はアリシア様と同じ年の御令嬢でございましょう。貴方様ならアリシア様のお気持ちを代弁して頂けると思いまして」
「え」
「どうです? 貴方がアリシア様ならどう思われますか?」
なんと答えるのが正解か。一瞬迷ったが、
「二度と顔も見たくないと思います」
ストレートな本音を言った。ジェームズの瞳から、辛辣な言葉を望んでいることが見てとれたのだ。なんとなくジェームズの狙いがわかった気がした。ジェームズは手厳しい文言を口にするが、きっとホアンに甘い。手紙を受け取ってすぐに隣国から来たのが証拠だ。そんな風だから、ホアンは彼に酷い態度をとっても許してもらえるという甘えがあるのだろう。一方、ジェームズ自身もホアンの横暴を許容してしまうことを自覚している。そして、ホアンは同様なことをアリシアにも思っている。でも、アリシアとジェームズは性別も年齢も立場も全く異なる。ジェームズはそれを理解させようとしているのじゃないか。
「僕は別に不要な心配はしなくていいと言っただけだ」
ホアンが口を尖らせて告げる。そんなわけがない。アリシアが絶縁宣言するほど怒っているのだ。子供だってもっとましな嘘を吐くだろう。怒りを通り越して笑えてくる。だが、ヨハナは敢えて素知らぬふりで言った。
「では、良かったのではないですか。アリシア様が来なくなって。だというのに何故また呼びつけようとするのですか?」
「急に来なくなると気になるだろ」
「ホアン先生が気にならないように、少しずつ来る回数を減らせというのですか? それはいくらなんでも横暴ではありませんか。アリシア様にもアリシア様のご都合があると思います。友達と遊んだり、恋人と出掛けたり、青春を謳歌する権利はあると思いますけれど」
ヨハナはあくまで客観的な意見に聞こえるように返した。本当のところは私情が入りまくりである。こんな男にアリシアは似つかわしくないのだ。
「恋人? アリシアに恋人なんていないだろ」
ホアンが鼻で笑う。ヨハナはいよいよ憤然となった。
「それはホアン先生のお世話をしていて時間がなかったからです。アリシア様はおモテになりますもの。私のクラスの男子生徒はみんなアリシア様と懇意になりたいと思っておりますわ」
実際、ヨハナはクラスの男子生徒に興味がないので、彼らの内心など知らない。だが、事実アリシアは美人だ。凛として所作も美しい。残念ながらホアンの世話を焼くのに夢中で、自分にかまける時間を削り、クラス内での関わりを持たないから埋もれてしまっているだけだ。もっと積極的にみんなと馴染めば、誰もがその魅力に気づく、とヨハナは思っている。
「学生の本分は勉強だ」
ホアンがとってつけたように先生らしく告げるが、ここは貴族学校である。多くの生徒が卒業までに婚約者を見つけようと必死になっている。
「アリシア様はこれまでホアン先生のお世話と勉強を両立していたではありませんか。それが恋人との時間と勉強の両立に替わるだけでしょう。何の支障もありません」
言えばホアンは黙った。直ぐに負けを認める、というより、どうも打たれ弱いタイプらしい。ヨハナはすこぶる気分が良かった。だが、アリシアのことを考えると不安が襲う。もし、これで二人の仲が決定的に拗れたら? ヨハナはアリシアと友達になりたいが、現状ただのクラスメイトでしかない。赤の他人に自分の恋路を引っ掻き回されて、破局したとなればどう思うか。
「いやはや、全くその通りでございますね。アリシア様の貴重な時間を奪っていたのですから。私が参りましたからには、今後そのようなことはありません」
擁護するようににジェームズが言うので、ヨハナは自分の言動が正しいものに感じたが、やはりこれ以上下手なことを言うべきではないとも思った。そもそも変に巻き込まれたくない。もう帰ろう。
「そうなんですね。よかったです。では、私はこれで、お茶ご馳走さまで、」
ヨハナはお礼を告げて席を立とうとしたが、
「あ、謝るつもりで呼んだんだ。昨日は、確かに、言いすぎたから……」
ホアンがヨハナの言葉尻に被せるようにボソボソ言った。
幼稚なくらい単純な掌返しに呆れた。自分はありえないけれど、ジェームズとアリシアが何だかんだホアンを許容するのは、こんなところかもしれない。
「謝るなら、こちらから出向くべきでは?」
「僕の教鞭をとる教室とアリシアの校舎は離れているんだ。授業後に質問してくる生徒もいる。そうそう会いに行けるわけがないだろ。いちいち指図をするな」
ジェームズの横やりにホアンが苛々と返した。ホアンは一年生と最上級生の特進クラスの講師だ。確かに校内は広いし、授業の合間の休み時間は十分しかない。代わりに昼休みは一時間半と長めに取られているのだが。アリシアはこれまで放っておいてもいつも自分の元へ来たから、それ以外で彼女が何処に行くかなど予想できないのだろう。
(だからってアリシア様を呼びつける理由にならないわ。誠意がないもの)
本当に謝る気なら屋敷にだって訪ねることができるはずだ。お話にならない。ヨハナは二人の揉め事を横目にそろりと立ち上がった。すると、
「待ってくれ。わかった。君、すまないがアリシアに、明日、昼休みに教室にいるように伝えてくれないか」
ホアンが切羽詰まった声で告げる。本当にどういう性格をしているのだろうか。眼鏡と前髪で表情もよくわからない。
「……それくらいならいいですけど、アリシア様に先約があったら知りませんよ」
「先約? 誰と?」
「仮定の話です」
「……それなら仕方ない。でも、僕は行くよ」
急に萎んだ朝顔みたいな態度で言う。こういうタイプは、はねつけにくい。まして、王子なのだ。
「そうですか。なら、伝えるだけお伝えします」
不本意だが、ヨハナには他に答えようがなかった。
屋敷に帰ると、制服も着替えずカウチに座りこんで、アリシアに何と言おうか繰り返し考えた。が、結局は、ありのままを告げるしかないと思い至った。
「ホアン先生はかなり落ち込んでいて、アリシア様にどうしても謝罪したいそうなんです」
などと嘘をついたところで、現れたホアンが今日みたいな態度なら、こっちの心象に関わる。ホアンの味方をして嫌われたくない。そして、ホアンを応援する気は端からない。
(全くとんでもない男だわ)
アリシアは何故あんな男の世話を焼くのか。どう捏ねくり回して考えてみても「好きだから」という理由以外に考えられなくなっていた。今日、嫌というくらいに理解できた。あんな態度の男に尽くすには「従兄妹だから」「王子だから」では弱すぎるのだ。自分だったら一日だって御免である。ロンは恋愛対象とはみてくれないが、あんな男のようなことはない。不躾な態度はとらないし、いつも親切で丁寧で優しい。いつだって誰にだって。おおよそ理想的な人間。裏表のない素晴らしい人。そう、例えば理想の兄だ。
(……あぁ、そうか。なるほど)
その瞬間、ヨハナは紛失していたパズルのピースが見つかって、ようやく完成したような気持ちになった。
(だったら私は理想の妹になれば良かったのだわ)
「妹、妹」とロンはよく言うが、思い返せば確かにロンは常に良き兄だった。引っ込み思案だった自分の手を引いて、いつも面倒をみてくれた。成長したからとて関係は変わらない。恋人になりたい、女性としてみてほしい、などと思うことこそおかしい。こっちが勝手に変化して、勝手に憤りを感じていたのだ。独り善がりだった。
(なんだか馬鹿みたいね。兄に恋心を抱くなんて不毛だわ)
ふーっと息を吐き腰かけていたカウチに深く沈みこむ。風船が萎んで行くように気が抜けた。単純な答えだった。気づけて良かった。ロンに恋人ができて邪魔しまくった後なら取り返しがつかない。時間を無駄にした気もするが、不思議と不快感や悲しみはない。ただ現実がそこにあるだけだ。
ヨハナはそのまましばらく脱力して、だらしのない恰好でカウチに寝そべっていたが、ノック音が聞こえて飛び起きた。夕飯の準備が整ったのだろうと思ったが、
「お嬢様、ロン様がお見えですよ」
扉越しに侍女のくぐもった声が聞こえる。
屋敷は隣同士だが、ロンが訪ねてくることは最近ではめったになくなっていた。今日に限りどうしたのか。あまり会いたくない気分だ。とても気まずく感じる。ロンを慕い続けていることは周知の事実なので、侍女は当然自分が部屋にいることを告げただろう。居留守も使えない。
(待ってよ。隠れる必要なんてないわ。だって私は理想の妹なんだから)
思い直して、
「今行くわ」
と答え、着崩れた制服を正した。
部屋を出て玄関ホールに向かうとすらりと長身のロンがこちらを見て一瞬顔を顰めた。なんだろうか。考えるより先に、
「帰宅したばかりか? 遅くなる時は言えといっているだろう。一人で帰るのは危ない」
少し強い口調で窘める。制服姿のままだが、結構前に帰ってきた。横着して着替えていなかっただけだ。こんな風に過保護だから勘違いしてしまう。
「まだ明るいから平気よ。それよりロンこそ、今帰りなのですか? 今日は騎士団の訓練のない日ではなかったかしら?」
「あぁ、急に出掛けることになって……そうだ。これをお前に。桃のタルト、好きだろう」
差し出されたケーキ箱を素直に受け取る。知らない店名のロゴが入っている。
「有難うございます。何処のお店ですか?」
「フォスター嬢の義兄の店だ。この間相談したプレゼントを渡しに行ったら、成り行きで訪ねることになったんだ」
(義兄の店って、もうそんなに進展しているの?)
喉元を掴まれたように息苦しい。根掘り葉掘り問いただしたい。だが理想の妹になると決めたのだ。全てを無理やり抑え込み笑った。
「上手くいったようでよかったですわ」
「あぁ、そのことなんだが、お前の勧めたブローチは恋人に贈る為の品だそうじゃないか。危うく選びそうになって往生したぞ」
「え、ブローチを選ばなかったのですか?」
「そうだ。偶然店に居合わせた店主の娘さんが親切に教えてくれたんだ。同じ学校の生徒で、最近校内で広まっている噂について教えてくれたよ。危うくフォスター嬢に勘違いされるところだったぞ。お前は、知らなかったのか?」
状況がよくわからない。ブローチを贈って恋人になったから、義兄に挨拶に行ったのではないのか。勘違いされたら困るとは、ロンはまだ自分の気持ちに無自覚なんだろうか。天の声の話ではロンとカレンは結ばれるはずだ。尤もヨハナはあの声のことを全面的に信じてはいない。でないと、自分の運命の相手はホアンになってしまう。冗談じゃない。
「知っていますわ」
「え……では、何故……? 悪戯にしては質が悪いぞ」
「別に悪戯なんかじゃありませんわ。私は妹として心配なのです」
「は?」
「ロンも、もう十八ではないですか。婚約者がいてもおかしくないでしょう。というより、いないのが不思議なんです。早くお相手を見つけなければ、条件の良い女性はどんどん婚約していきますよ。だから、お膳立てしてあげようと思ったのですわ。カレン様は素敵な方ですし、何よりロンと話が合うみたいですし」
一息に捲し立てると妙な高揚感があった。とてもすっきりした気分。清々しいほどに。ヨハナはほうっと息を吐いたが、
「ヨハナ、急に何を言っているんだ?」
相反してロンは困惑の表情をみせる。元来、恋愛云々に疎く、興味もない。両親は放任主義で「早く婚約者を見つけろ」などとは言われたこともないはずだ。きっと突然、耳の痛い話をされて反応に困ったのだろう。ヨハナは肩を竦めた。
「余計なことをしたのなら謝ります。でも、そろそろ本気で考えた方がよろしいのじゃないかしら? 妹分の私が先に婚約するのも気が引けますし、是非、ロンには先にカレン様と上手くいって欲しいと思ってしまったのよ」
「婚約? お前が? そんな話は聞いていないぞ! 相手は誰だ?」
珍しくロンが声を荒げる。が、何故かそれが物凄く面倒に感じた。これまで自分がロンの周囲の女性達を牽制してきた時、ロンはこんな気持ちだったのかもしれない。だとしたら、態度に表さなかったロンはやはり優しいのだ、と俯瞰的に思った。
「これから見つけるところよ。できたらもちろんロンにも紹介するわ」
「ヨハナ、何か勘違いしているが、フォスター嬢はただの友人だ」
頑なに恋愛感情を否定するのはどういう訳合いか。こっそり愛を育みたいタイプなのだろうか。まだ動き始めたばかりの淡い何かを他人に潰されたくない気持ちはわかる。恐らくロンの初めての恋。配慮に欠けたかもしれない。ヨハナは恋心を抹殺させたとしても、ロンを嫌いになったわけではない。幼馴染として、兄として、ちゃんと幸せになってもらいたいとは思っている。
「そう。でも、友情が愛情に変わることもあるのじゃないかしら。まぁ、あまり周囲が余計な口を挟むものじゃないわね。何か相談があるのならのりますよ。ロンは女心に疎いもの。妹として兄の恋路を全力で応援しますわ」
「だから、」
ロンが再度口を開いたとき、タイミングよく侍女が来た。
「お嬢様、夕飯のご用意ができました。旦那様と奥様がロン様も一緒にどうか、とお呼びですが」
ヨハナがロンと侍女へ視線を往復させると、
「あ、いえ、オレは家に用意がありますので」
ロンは申し訳なさそうに返した。
「残念ね。じゃあ、私は行かないと。ケーキ有難うございます。食後に頂くわ」
侍女はヨハナを連れて食堂に戻る気らしく、返事を受けてもその場に待機したままだ。それで、ロンは話を続けるタイミングを逃した。
「……じゃあ、帰るよ」
「えぇ、おやすみなさい」
「……」
ロンは何かを言いたげな素振りをみせたが、ヨハナは気づかぬふりをして、いつも通り、にこやかに微笑んで見送った。パタンと静かに扉が締まる。それから、ロンが門扉を潜っただろうタイミングを見計らい、
「食後にだして頂戴」
ヨハナは侍女にケーキ箱を渡した。ずしりと重量感がある。多分、両親の分も買ってきてくれたのだろう。もうずっと家族ぐるみの付き合いだ。ヨハナとロン双方の両親も、明言しないが二人の結婚を望んでいる。もし、違う相手を連れてきたらどう思うだろうか。ロンがカレンと婚約するまでに、自分も誰か相手を見つけておけば、皆が幸せになれる。しかし、ホアンは御免である。今度、天の声が聞こえたら猛抗議してやろう。
(あぁ、なかなか思うようにはいかないわね)
ロンのことも、ホアンからの伝言も、全部が面倒くさかった。何か心躍る楽しいことはないだろうか。
ヨハナは食堂へ向かいながら、本日何度目かの溜息を溢した。




