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〈9〉ゆでたまご入りハンバーグ

 ぼりぼり、ごりごりとくぐもった音がする。

 目を開けると、そこは埃っぽい車庫だった。馬車が一台入っており、壁際には箱やら壊れた車輪など雑多なものが寄せてある。三人の男たちがそれらの物を椅子代わりにしている。

 体を動かそうとしてみたが相変わらず網で簀巻きにされていたのでびくともしなかった。頭は出されていたが、口は布で縛られて封じられている。

 動いた拍子の物音で三人が跳ねるように振り返った。


「お目覚めだ……」


 一人がクロスボウを持っている。わたしは相当警戒されているらしい。

 ならば、と何か目の前に壁になるものをつくってみようとした。……が、なんだか変だ。

 わたしの器が見えない。まるで霞がかかっているかのように、どんなに内側を探ってみても見つけられない。

 代わりに座らされている床の上に紫色の奇妙な書き込みを見つけた。魔法陣というものだろうか。丸い円の内側に模様や謎の文字が意味ありげに書かれている。これがわたしの力を阻害しているのだろうか?


「どうやらアレでこの娘を封じられるというのは本当みたいだな」


 全員が一旦警戒を緩めた。男たちはこちらを向いたまま楽な姿勢になる。一人が大きな布袋を引き寄せると、中身を取って口に入れた。またボリボリと音がしだす。


「もう飴を噛むのはやめろ」

「だって大量にあるんだぜ。いちいち溶けるのを待ってたらきりがねぇよ」

「おいおい、そんな量食ったら虫歯になるって母ちゃんに教わらなかったのか?」


 わたしが出した飴だろうか。てっきり捨てられると思ってたけど、有効活用の道があったみたいだ。といっても飴だけで誘拐を請け負う人はいないだろう。

 誰がこの人たちに依頼を出したのかはおおよそ分かる。謁見の間にいた貴族たちの一派、マリュスをよく思っていない人たちだ。……でも、誘拐の次は何をする気だろう?

 まさか、死?

 いや、もしそうだったらこんなにグズグズしてないだろう。この男たちも剣呑な雰囲気はないように見える。

 マリュスは周囲にはいない。連れてこられてはいないみたいだ。

 今のわたし結構冷静だ。まだパニックになってないだけかもしれないけど。


「……にしても、見た目はただの娘と変わらないな。この国を飴で埋め尽くそうとした発想は尋常じゃないが」


 あ、そういうふうに捉えられたんだ。やっぱりちょっとやり過ぎてたみたい。半分はわたしの意思じゃないけど。


「飴はまだマシだからこうも呑気でいられるのさ。腐った魚なんかが宮殿を埋め尽くした日にゃ俺たちの仕事ももっと薄汚れたものだっただろう」

「俺ならカボチャスープでいつでもその気になれるぜ」


 ……なんだか窮屈な感じがしてきた。魔法陣から嫌な感じが這い登ってくる。

 心に侵食してきて器がある領域に忍び込んでくる。像を結ぶ。一対の怪しい目だ。

 何だろう、これは。

 悪意を持って見られているとはっきり分かる。でも邪悪なだけで何かができるわけではないようだ。靄がかかっているわたしのスープ皿に阻まれているのだ。

 靄の中でスープ皿は今までにない輝きを放っていた。邪悪に対抗するように真珠色の水面が月のように光を反射している。神様の輝きを跳ね返しているのだ。その光が障壁になっていた。

 双眸は恨みがましそうにこっちを睨む。その間にスープ皿が急にぐんぐん大きくなった。厚みのある陶器のボウルと化す。

 それが威嚇になったのか、双眸は遠ざかって見えなくなった。


 白黒で砂っぽかった視界に徐々に色が戻ってくる。ちょっとのあいだ意識がなかったみたいだ。気づけば全身冷や汗まみれだった。

 人の声がしたので顔を上げて見ると、知らない間に四人目が来ていた。怪しい長いローブに身を包んだおじさんだ。三人の誘拐犯よりも格上のようだった。わたしが顔を上げたことに気づいた四人はこっちに注意を向けながら話し合いを続ける。


「……とにかく、我々の目的はあのお子様に警告を与えることです。それ以上ではありません」

「でも仲間を連れて娘を取り戻しにきませんかね?」

「その頃にはもう神子としての価値などなくなっているでしょうよ。それに王太子もあの男も家に閉じこもったまま動きがありません。己らの立場を納得して切り捨てることにしたのでしょう」


 残酷な推測を平然と述べている。信じたくないけど、多分その方が二人の身は安全だ。


「全く、誰に似たのやら小賢しい子どもですよ。思えばあの子どもの母親も庭やら離宮やらを作ってコソコソとひと目を避けるのがお好きでした」

「そりゃ、一人になりたかったんじゃないすか」


 沈黙が流れた。


「とにかく、神子から目を離さないように。ただの人間ではないのですよ、あれはこの国を乱しかねない存在です」


 そう言うとローブの下からじゃらりと鳴る袋を出して渡す。おじさんが立ち去った後、男たちが袋を覗き込んだ。


「また飴だよ」


 通貨にでもなったのかな?

 その時、車庫から出ていったおじさんがウワーッと叫び声を上げた。

 地面に倒れる鈍い音、そして一瞬の静寂。各々武器を構えた三人の前に、逆光に包まれた影が立ちはだかった。


「て、テメェ!」


 威勢がいいのは最初だけだったようだ。影が素早く動くと三人は武器を振るう間もなくバタバタとなぎ倒されてしまった。襲撃者はこちらへ軽い靴音とともに駆け寄ってくる。


「ミチル、大丈夫か!」


 アラインさんの声だ。聞き心地の柔らかい低い声が焦りで上擦っている。目の前まできてくれてようやく顔が見えた。


「待っていろ、今解放する」


 紫色の魔法陣は垂らした蝋で書かれていた。アラインさんはそれを普段履きの靴でがりがりこすって壊した。するとわたしの内側の靄がゆっくりと晴れていった。もしかしたらこの魔法陣は、話の内容からしてわたしの神子としての力を失わせるものだったのかもしれない。アラインさんが普段着のまま乗り込んできてくれてよかった。


「来てくれたんですね。あの人たちが見張ってるみたいだったからちょっと驚きました」

「ああ、朝からずっと家を監視されていたが、敢えて家を出ることで監視を釣りだして処理してここまできたのだ。ここの場所もそいつに聞き出したよ」


 防鳥ネットみたいな網もくるくると巻き取ってもらい体が自由になる。外は午後三時くらいの明るさだから、結構な時間を両腕を体にくっつけた格好で固定されていたことになる。アラインさんに手を差し伸べられても関節がぎくしゃくした。


「大変だろうが、マリュス様が一人きりだから早く戻らなければいけない」

「マリュスは無事なんですね! ……ところで処理ってなんですか?」


 今更尋ねるとアラインさんは拳を見せた。たくましい。

 その背後で倒れていた男たちの呻き声が上がった。どうやら回復しつつあるようだ。


「ここからすぐに離れよう。失礼」

「え、わっ」


 アラインさんは硬い腕でわたしを横抱きにした。慌てて首に腕を掛けると、長い足ですぐさま車庫を出る。

 外は知らない地形だった。村を取り巻く環境に似て自然たっぷりだが、そばに森とも廃墟ともつかない廃庭園がある。アラインさんはその反対側の遠くにある林へ向かい始めた。そこを通り抜けてきたのだろう。

 アラインさんの腕の中は快適だった。ローブのおじさんを踏み越えたり、ちょっとした地面の緩急を上り下りするたびに揺れるけど、絶対に落とされないという安心感があった。人一人の体重は重いだろうに、目の前の横顔は凛々しい。

 ぼーっと眺めていると前を向いたまま話しかけられた。


「あの林でさらわれた時のことを覚えているか?」

「あ、はい。ぐるぐる巻きにされて、何か顔に吹き付けられて……気づいたらあそこにいたんです。あの液体は毒だったんでしょうね」

「ローブの男は宮廷貴族の縁戚だ、顔を見たことがある。場所と金を与えて錬金術の研究をさせているという噂を聞いたことがあるから、吹き付けられた薬品はそいつが作ったのだろう。以前から計画していたようだな」

「人質になってるマリュスにわたしがおびき寄せられたのが、あの人たちにとって絶好の機会になっちゃったんですね……」

「誰のせいという話ではない。とにかく戻って安全を確保しよう」


 淡々としてるけど慰めだった。

 村はいつもと変わらずのどかに見えた。アラインさんはわたしをやっと下ろし、家の鍵を開けて中へ入ると内側から鍵をかけ直した。


「マリュス様、戻りました」


 二階へ向かって声を掛けながら階段を上る。どこか緊張感があるのは潜伏を気にしているのかもしれない。でも勝手口も窓もぴっちり閉められていた。

 アラインさんはマリュスの部屋のドアを四回ノックした。なんか中からコケコケ聞こえる。

 ドアが開くと、すっかり様相を変えた部屋が見えた。


「ミチル!! 無事だったんだ……!」


 と、抱きついてきそうな勢いで言いつつ足元のがらくたを退かし始めた。小瓶や小鍋をくくりつけた紐を張って罠にしていたようだ。

 その後ろでは庭にいたはずの鶏たちが自由に過ごしていた。ベッドに快適そうに座り込んでいるやつもいれば床に羽根を撒き散らしながら諍いを起こしているやつもいる。


「どういう状況……?」

「アラインがいない間に侵入者が来た時のための備えだよ。この紐に躓いて大きな音が鳴れば鶏が騒いでくれるだろうから、その隙に逃げようと思って」

「な、なるほど」


 お手製罠をどかしたマリュスがわたしの手を握ってきた。


「ごめん、ミチル。ちょっと一人になりたくて、夜中にこっそり家の前まで出たんだ。でもあの人たちがやってきて、林に連れて行かれちゃった」

「じゃあ夜中から朝までずっとあそこにいたの!?」

「うん……ご飯をくれたけど食べたくないって言ったら、ミチルが作った飴をくれたんだ。あの人たちは宮廷貴族に雇われた人たちだったんだよ。昨日、陛下に謁見したせいで僕たちが鬱陶しくなったんだと思う。ごめんね、僕が下手なことをしたせいで……」

「違うよ。もちろん夜ひとりで外に出たのは危なかったけど、そうじゃないよ……」


 自分に厳しい子どもには何を言えばいいのだろう。

 すると、アラインさんがマリュスをコケコケうるさい部屋から連れ出してドアを閉めた。


「殿下。貴方はご自分を卑下しますが、それはただご自分を信用していないだけで、正当な評価ではありません」

「え……」

「貴方がそうなってしまった理由が私には分かります。誰もが貴方をセドリック様と見比べ、陛下ですら実力を重んじ、誰もが貴方に期待をし続け、成果を無視したからです。だから貴方は誰にも頼れずに一人で成長するしかなかった。しかし、それは最も過酷な生き方なのです。貴方が思っているほど私たちは他人ではないということを忘れないでください。いいですね?」


 マリュスは愕然として、目に涙を溜めたと思うと声を上げて泣き出してしまった。アラインさんは跪いて小さな主君を抱きとめた。今回はちゃんと、歳の離れた兄弟のようだ。わたしはふかふかのフェイスタオルを出して差し出した。


「ご飯の支度をしてきます」

「ありがとう」


 アラインさんは少しホッとした顔でそう言った。

 キッチンに降りると乾いた鍋の中にゆで卵がいくつかあった。マリュスはわたしたちを待ちながらこれをおやつにしていたみたいだ。

 せっかくなのでこれを使ったメニューがいい。ゆで卵入りハンバーグだ。

 わたしの能力は物質をつくり出すだけなので、既にある材料を使うなら調理しなければいけない。こちらに来て初めての料理だ。殻をむいたゆで卵を用意したひき肉で包み、フライパンで焼く。この家のかまどが久しぶりに使われた。

 肉のいい匂いが漂うとアラインさんがマリュスを連れて下りてきた。なんとかなだめすかしてきたみたいだ。

 ハンバーグが焼け、甘めのソースとパンとサラダをつくって盛り付ける。久しぶりに料理したけどそれなりのものができたと思う。


「どうぞ、マリュス。熱いから気をつけてね」


 盛大に泣いた喉がまだ落ち着いていなかったけど、空腹には耐えられなかったみたいで素直に一口食べてくれた。


「……おい、しい」

「うん。よかった」


 アラインさんもわたしも笑って、配膳した自分たちの分にナイフとフォークを入れた。マリュスの言う通り、それなりに美味しくできていた。

 なんだか家族みたいだ、と思う。

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