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〈7〉冷たいレモンティー

 次の日の朝、わたしは身支度をして居間へ降りた。二人はもう準備を終えて出発を待っていた。


「お待たせしてすみません。自分でつくったのに着るのに手間取っちゃって」


 二人はなにか言いかけた口のまま目を瞠っていた。

 見とれているのか、それともわたしは変なのか。さてどっちだ。


「……すごくきれいだよミチル!」

「そ、そう?」

「うん。神子様ってかんじがよく出てるよ。それにお花みたい」


 マリュスの感想どおり、あの神の花といわれている野花をイメージしてつくったのだ。

 参考にしたのは最初に神様に着せてもらっていた白いドレスだ。ベースは白いワンピースで、その上に上半身は細かな花模様の刺繍を施した水色の布を重ねており、ウエストから下は水色のチュールをたっぷり重ねている。この国のドレスの様式を踏襲しつつ神秘的な雰囲気が出るように、襟ぐりは広めだが腕は露出しないように長袖だ。

 全体的にシンプルで細身の印象だと思う。飾りはハーフアップにした真珠色の髪につけた金色の金属製のリングくらいだ。

 靴はつま先が丸くて踵が高くない物にした。裾の下から見えた人はこれにも刺繍がされていることに気づくだろう。


「アラインはどう思う?」

「ええ、とても美しいですね」


 アラインさんは我に返って答えた。見惚れられるなんて初めての経験だ。


「本当に素敵だよ、ミチル。宮殿に上がるのに相応しい清楚さもある。やはり貴方の観察眼は繊細なようだ」

「ありがとうございます。服装で侮られたら嫌ですもんね」


 前世で無難な服ばっかり着てたわたしが言うことじゃないけど……憧れのドレスが着られるなら話は別だ、やる気だって出る。


「では、忘れ物がなければ出発しましょう」

「うん!」


 アラインさんは剣を。マリュスは王族の証である指輪型の印璽を。

 そしてはわたしは特に荷物はないので手ぶらで出発した。


 事前の作戦会議でアラインさんが書いた地図によると、村から宮殿までは直線距離を歩けば約十五分、約一キロメートルほどらしい。

 問題は、直線距離を歩ける道はないってことだ。

 宮殿の周囲数キロメートルは王家の敷地だがほとんどが自然のままになっていて、村から宮殿までの道のりには森や湖が横たわっていたり、草ぼうぼうのところだってある。マリュスが村にやってきた時は体感で一時間ほどかかったらしい。ちなみにアラインさんは人目を忍ぶために夜移動したが一時間もかからなかったらしい。

 今回は二人の時よりももっとかかるだろう。お洒落しているから単純に動きにくいし、マリュスもわたしもアラインさんほど素早くは歩けないから。


「殿下、疲れたら仰ってください。私が助けになりますので」

「うん。ありがとう」

「ミチルも遠慮せずにな」

「わたしは大人だから大丈夫ですよ。でもありがとうございます」



 ……なんて格好つけたことが今では悔やまれる。

 わたしたちは村を出てしばらくは平坦な野原を歩き、やがて森に突入した。家の二階から見えていた森だ。あの時は宮殿の屋根の先端が見えていたから、この森を抜ければ宮殿の全体が見えるに違いないと思っていたのだ、けど。

 その森がなかなか途切れないのだ。

 かれこれ三十分ほどは歩いている気がする。先頭のアラインさんが道を選んでくれているから足が止まったり障害物に阻まれたりしたことはないけれど、だからこそ時の長さを感じる。


「ミチル、休憩する?」

「ううん……まだ大丈夫」


 子どものマリュスは身軽なお陰でわたしほど疲れていなかった。わたしはドレスをどこかに引っ掛けないように気をつけないといけないこともあってちょっと、いや正直かなりしんどい。でもこの疲れは集中することへの疲れだ、体力じゃない。

 だから歩き続けるのに支障はない、と思ったのだけど、この隊列の実質指揮官であるアラインさんはそうは判断しなかった。


「ミチル。こちらへおいで」


 そう言うとわたしに背を向けてしゃがんだ。おぶってくれるつもりなのだ。


「そ、そんなことしてもらうわけにはいかないです」

「森の外まではまだかかるし、その後も歩くんだ。ここはまだ誰かに見られる可能性は低いから心配しなくていい」

「そういう心配じゃなくて……」

「頼っていいんだよ、ミチル」


 マリュスまでそんなことを言う。甘やかし二人組の視線に耐えきれなくてわたしは恐る恐るアラインさんに近づいた。


「よろしくおねがいします……」

「ああ。おいで」


 ここで時間を食ってしまって宮殿に着くのが遅くなったら話をする時間が削れてしまうかもしれない。だから今は手段にこだわっている暇はないのだ。多分そういうことだ。

 アラインさんは一旦外したケープを背負ったわたしを包むように羽織り直して姿が見えないようにしてくれた。同時に広い背中との距離がぐっと近くなる。


「行こうか」

「はい……」


 一つに結んだ黒髪が目先にある。歩みを再開するとその振動が伝わってくる。目線が高いし移動が早い。


「ち、力持ちなんですね。アラインさん。この間もシチューの鍋を簡単に持ち上げてたし」


 緊張のあまり話しかけてしまうが返事をしてくれた。


「そうでもないさ。今はミチルがうまく重心を整えてくれているんだろう?」

「重心……は分からないですけど、なるべくつかまってます」

「もっと寄ってくれて構わない。腕を出して」


 それは抱きしめるのと同じなのでは……!?

 でも楽だというならその方がいいんだろう。言われたとおりに腕を前へ回してアラインさんの肩へもう少し体を任せた。

 ケープに覆われているせいか熱くなってくる。そんなことは知らないマリュスが横へやってきてこちらを見上げた。


「アラインは体の使い方が上手なんだよ。騎士として訓練していた時に良い成績を収めたって聞いたよ」

「お褒めの言葉は嬉しいですが、鍛錬を続けている騎士はこの程度ではありませんよ。私のは父が言う通り、箔付けです」

「でもそれで僕の侍従ができているんだから、やっぱり天賦の才があるんだよ、きっと」

「才が生きるような事態がなければいいのですが、ね」


 和やかな雑談をしながら移動していると、ようやく森を抜けた。

 そこはすぐに湖だった。視界を阻むものがない場所なので案の定、宮殿が見えた。しかし対岸にも森があるのでその姿はまだ半分だ。

 湖はお城一つすっぽり入りそうなほど大きい。二人が以前乗ってきた小舟が残っていたので迂回する必要はなかった。

 小舟は本来は舟あそびをするためのものなのだろう、二人で乗るのが精一杯の小ささなので、アラインさんは一人で、マリュスとわたしが一緒に一つの舟に乗ることになった。


「舟を漕いだことはある?」

「なかったなぁ。でも漕ぎ方は知ってるよ」


 向かい合って席に座るとマリュスが漕ぎ手側になってしまった。王太子なのに、と思って舟の向きを逆にすることを提案したが、却下される。


「後で交代するから、今は僕が漕ぐね」

「あ、うん」


 断言されるとウンと頷くしかできない弱い大人です。

 こんなはずじゃなかった。もっと子どもを率先して甘やかせる大人になるつもりだったのに。


「そ、そうだ。結構歩いたから水分補給しないと。何か飲みたいものある?」

「うーん……冷えてるお茶かな。アライン、お茶には何を入れるのが好き?」


 まだ岸にいるアラインさんが首をひねる。


「レモンでしょうか」

「じゃあレモンティーをつくってくれる?」

「分かった。まずは……瓶ね」


 腕の中にねじ蓋がついた手のひらサイズの四角い瓶が三本現れる。さらにその中へ意識を集中して、飲み口を通らない大きさの氷を一つ、そしてレモン果汁入りの紅茶をたっぷり注いだ。レモンの輪切りが入ってるとおしゃれかもしれないけど、入れっぱなしにすると味がよくなくなってしまうのでやめておく。

 マリュスは少し甘いのがいいと言ったので、さらに蜂蜜を入れた。


「はい、どうぞ。おかわりはいくらでもありますよ」


 一見お酒みたいな瓶を二人に配ると、まず金属製のねじ蓋をまじまじと見られた。


「こんな蓋は初めて見たな。コルクより簡単に開けられるが、密閉性は高いようだ」


 しまった。新しすぎる技術をこの世界に持ち込んでしまったかもしれない。


「舟から落とさないようにしてくださいね」

「ああ。大切にするよ」

「僕もそうする」


 なんだか二人とも宝物をもらったかのような顔をしている。珍しいものが好きなのかな?

 出発することになり、わたしたちの舟はアラインさんに押してもらって湖に出た。アラインさんもすぐにオールで岸を押して陸を離れた。

 一度ひとりで湖を渡っただけあってマリュスは漕ぐのが上手だった。半分ほど渡ったところでわたしに交代したけど、漕ぐのに慣れる頃にはすっかり息が上がっていた。この体も体力はあまりないみたい。

 それでも湖を渡りきって、再び森に入った。次はちょっと歩いただけで抜けられた。

 平原に出ると、今度こそ宮殿の全容が見えた。

 広い敷地にどっかりと横に広がるように建っている様子は四角い型で作ったケーキにちょっと似ている。白い壁にはいくつも窓があって、金色の彫刻や緻密な飾りでふんだんに装飾されている。屋根は青くて、ギザギザの口金でしぼったクリームみたいに捻れながら尖っている。家から見えたのはこの部分だ。

 巨大な全体に対して入り口はネズミの通り穴のように小さい。お陰で警備がしやすいのか衛兵が立っているのはそこだけのようだ。他に周囲にいる人といえば、のんきに追いかけっこをしている貴族の男女くらいしか見えない。


「こちらは裏口だから姿を見られてもすぐには騒がれないでしょう」

「ぐずぐずするのは禁物ってことだね? 行こう」


 二人は忘れていたのかもしれない。裏門へ歩き出したわたしたちが無視されるわけがないということを。

 追いかけっこをしていた男女二人組がこちらに気づいて足を止めた。


「きゃっ、あれはヴォクス卿よ! ルグラン家のオニキスが帰ってきたわーっ!」

「あっ、あれは王太子殿下! 王太子殿下がお戻りだー!」


 男女は叫ぶと走り去ってしまった。

 アラインさんが歯噛みする。


「くっ……先に排除すべきでしたね」


 排除って何するんだろう……!?

 でも今の出来事でさっきまで睨んでいた衛兵の態度が変わった。わたしたちが近づいてくると何も言わずに門を開けてくれた。


「ありがとう」


 マリュスは衛兵たちにいちいちお礼をした。宮殿の扉が開かれて中へ入れたのはそういう人徳が理由かもしれないね。

 幸い宮殿の裏口は人がいなかった。わたしたちは何本かの廊下といくつかの階段を渡ったり横切ったり上ったり下りたり素早く移動した。道を熟知しているマリュスのお陰で人にはあまり出会わなかったけど、出会ったら必ず「まぁ!」とか「あーっ!」とか騒がれた。「これは一波乱起きるぞ、祭りだ祭りだ!」の雰囲気があった。

 つまりみんな他人事なのだ。わたしたちを楽しげに尾行する者もいるし。

 それでもマリュスは足を止めずに宮殿の奥へ向かっていた。やがて大きな扉に突き当たった。

 両脇を守る近衛兵が目深に被った兜の下からこちらを一瞥する。


「アストレアのマリュスが国王陛下にお会いしたい。開けてくれ」


 近衛兵が中とやり取りをし、定位置へ戻ってきて横を向いた。


「王太子殿下のお通り!」


 内側から扉が開かれて、わたしたちの前に赤い絨毯が敷かれた謁見の間が現れる。

 すごくきらびやかな部屋だ。金銀宝石と豪奢なベルベットで飾り立てられていて、正直威圧感すら覚える。

 玉座が置いてある場所は少し高くなっていて既に王様が座っている。国王シャルル。事前に教えてもらったマリュスの実父だ。その段の周囲には貴族が四人ほど立って控えていた。

 マリュスが礼をするとアラインさんはその後ろで跪いた。わたしはマリュスと同じ礼をした。


「王太子マリュス」


 王様が重々しく口を開く。まだ三十代半ばくらいに見えるけど、威厳は普通の人とは段違いだ。


「ヴォクス卿アライン」


 アラインさんは針のような緊張感と静けさをまとっている。


「そして、そちらは?」


 わたしも言われていたとおりに静かにしていた。代わりにマリュスが答える。


「この方は伝説に語られた神子のミチル様です、陛下」


 年嵩の貴族たちがそれぞれ驚きを示した。ある者は目を瞠り、ある者らは不快そうに顔をしかめる。


「神子、ミチル」


 王様は完璧な無表情で軽く両手を広げる。


「三人とも、よくぞ参った」

「…………」


 何も言わないでいるためにはちょっと努力が必要だった。

 だって、その一言で王様は実の息子を突き放したのだから。

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