〈5〉長袖のネグリジェ
真っ暗闇がわたしを取り囲んでいる。でもどこかで感じた気がする闇だ。
『情けないぞ、我が使者よ!』
聞いたことのある声だ。
だが飛び起きてみても闇は闇のままだった。ここは神様の領域ではないということだ。
『今、我はおまえの精神に話しかけています』
そうなんだ。
『お説教するためにな!』
え、なんで? ……あぁ、そうだ。
力を使いすぎて倒れたんだ。
『そのとおり。物を創造しすぎたせいで器が空になりかけたのだ。だから肉体が起きていられなくなったのだよ』
でも生活に必要なものをいくつかつくっただけなのに。
『ないものねだりしちゃいけません! おまえの力は有限も有限なのだ。もっと力がほしいなら信者を集めて信仰心を捧げさせるんだな!』
それはなんか嫌だな。崇められるのは嫌だ。わたしは人に寄り添っていたい。
『じゃ、限られた器でやりくりしなさい』
そんなお小遣いみたいに……。
今度こそ目を覚ますと、ビロード張りの天井が見えた。
わたしがつくった天蓋付きベッドの天井だ。なんだかミントみたいな匂いがする。
「あ、起きた! ミチル、大丈夫?」
「マリュス……」
首を向けるとマリュスがベッドの外からわたしを覗いていた。ベッドが広いせいで様子を見る距離にはならない。
枕の周りに明るい緑色の葉っぱが散らしてある。ミントっぽい匂いの源はこれだった。目が覚めてみると、鼻にツンとくるほど匂いが強い。
「これはなに?」
「気付けのハーブだよ。気絶した人に使うんだって。体は起こせる?」
「うん。もう平気そう」
ハーブから逃げるように身を起こした。体はすっかり軽い。
内側に集中してみると、スープ皿の中身は片手で掬ったくらいの水量を取り戻していた。というか空になりそうだったことに全然気づかなかったのは驚きだ。
「わたし、アラインさんの部屋で倒れた後……ここまで運んでもらったの?」
「そうだよ。ミチル、どうして倒れちゃったの? 物を作りすぎたから?」
「そうみたい……わたしの力は一度につくれる量が決まっているんだけど、さっきはそれを忘れてちゃってたの」
我ながら笑ってしまった。だがマリュスの表情はハーブを拾い集めながら暗くなるばかりだ。
「ごめんね。僕たちが色々頼んだせいだよね」
「違うよ。わたしが役に立ちたい気持ちだけで調子に乗っただけだよ。二人のせいじゃないよ」
「でも、僕たちはミチルは自分のこともよく分かってないんだって気づいてたのに、全然気遣わなかった。自分たちの事情を盾にして、優しくできてなかったんだ。ミチルは神子様だからって、何があっても大丈夫だろうってなんとなく思ってた」
うつむいたマリュスにかけてあげられる言葉が見つからない。
わたしは最大限二人の役に立ちたい。他にも困っている人がいるなら手助けしたい。自分の素朴な幸せも満たしたい。神様の使命もこなさなきゃいけない。でも、それを全部達成するにはわたしの力は信じられないほどちっぽけだ。ご飯とろうそくと家具をいくつかつくっただけで燃料切れを起こすんだから。
こんなんじゃ神様の使者のイメージがガタ落ちだ。マリュスがわたしのことをただの人間扱いし始めてるのはそういうことだ。優しさだけじゃない。
しょんぼり二人組と化していたところ、部屋にアラインさんが入ってきた。
「ミチル、目が覚めたのか。よかった」
「はい。急に倒れてお騒がせしました」
「ああ、驚いたぞ。でもその様子ならもう平気そうだな。だが一応、これを飾っておくよ」
ベッドサイドのテーブルに置かれたのはコップに生けられた数本の水色の小花だ。夜なので花びらは閉じている。
「どうして花を?」
「神の花だからだ」
首を傾げると、むしろなんで? というような顔を二人にされた。
「その昔、神が地上に広めたという逸話のある花なのだ。どこにでも咲く野花だが、祝祭の時などはこれを摘んで神に捧げ、神への愛を表すんだ」
「なるほど。わたしの力の源は多分、愛と言い換えることもできると思います。ありがとうございます」
神への愛、つまり信仰心だろう。たしかにスープ皿にしたたる雫がほんの少し大きくなった気がする。
そういえばこの花の水色はわたしの瞳と同じ色だ。花びらが開いたらどんな形なんだろう。
「じゃあやっぱりミチルも神様と同じような存在なんだね。信仰心がないと消えちゃうんだ」
「……え!?」
初耳だ。マリュスはやっぱり驚いたわたしにきょとんとしていた。
「信仰されないと消えるの、わたし!?」
「うん……多分そういうことだと思う。知らなかったの……?」
「聞いてない!」
答えると、アラインさんと顔を見合わせられた。もしかしてこの世界の常識なの?
焦っていると、マリュスが改めてこっちを向いてくれた。
「あのね。人に忘れられた物や場所や記憶は風化してしまうでしょ? でも誰かが思い出して手入れをすると、現在に即した姿に復活できる。神様も同じ仕組みなんだよ。だから一般的に、神様は愛されることで存在を保っている、って言われているの」
「う、うん……」
「逆に言えば、忘れられた神様は誰かが思い出さない限り存在が消えたままになってしまうの。でも誰かが思い出せば、また存在を取り戻すことができる。それに信仰心は神通力の源になるから、たくさんの愛をもらえる神様はそのぶんこの世界へ大きな影響力を持つんだよ」
「それで、神様の使者のわたしも同じなんだね?」
「今ミチルが信仰心をもらえているのは、神子の伝説を信じている人がいるからじゃないかと思う。伝説自体は僕やアラインの他にも知っている人はたくさんいるんだ。でも古いお話だから信じてる人はほとんどいない。僕とアラインくらいだと思うよ」
「なるほど……」
難しい言葉も使いこなすマリュスはつくづく賢い子だと思う。
それはそうと。
つまりわたしの信者は、今は約二名。わたしのスープ皿を満たしてくれているのも約二名、ということらしい。
わたしは二人がくれた力を使って二人に物を還元している。地産地消!
じゃなくて。
「わたしの生命線は二人ってことだね」
目の前のマリュスとアラインさんを見る。王子様とその侍従が頼りないわけがない。
けど、この二人は今、複雑な立場にいるらしいから……。
「僕もアラインも死なないよ」
マリュスが真剣にそんなことを言うのでアラインさんと一緒に驚いてしまった。
わたしはそんなことを言わせるほど不安な顔をしていたのかな。
そんなの大人としていけないよね。
無理にでも、笑っておかなきゃ。
「大丈夫。わたしが二人にちゃんとした生活をさせるからね」
マリュスはちょっと頬を染めた。
その後ろでわたしたちを見守っていたアラインさんが口を開く。
「では、殿下。健康のためにそろそろお休みください」
「うん。ミチルもアラインも早く寝てね。おやすみ」
「おやすみ、マリュス」
ドアが閉められると、アラインさんと二人きりになった。
「少し話してもいいか?」
「はい。そこの椅子にどうぞ」
書き物机の椅子をすすめる。自分がイメージした椅子はアラインさんには少し小さい気がした。
「本当に大丈夫なのか?」
子どもの前で空元気を見せていたのではないかと心配してくれているのだろう。
「もう平気ですよ。でも、今日は色々あったから知らないうちにすごく疲れてたのかもしれません。この力を使うのも今日が初めてだし。倒れたのはうかつでした」
「私たちも頼りすぎてしまったと自覚している。もう無理はさせないから、安心してくれ」
アラインさんは頼もしい微笑みを浮かべる。大人だ。わたしはいい年だった前世を引き継いでいるけど、同じ年頃っぽいアラインさんに釣り合う気がしない。実際、マリュスに強がられるほどに弱々しいようだ。
せめて同じように微笑みを作っておこう。
「無理なんて……してないとは言えないですよね、こんなことになっちゃったら」
「そうだな。だが、そのお陰でかなり助かったのは事実だ。先程も私のことを真剣に考えてくれてありがとう。今日からは暖かく寝られそうだよ」
「いえ、変に凝りすぎてたら申し訳ないくらいです。不足はなかったですか?」
「不足はないが、枕が二つあったからマリュス様に一つ差し上げたよ」
「つくり過ぎちゃってたんですね。すみません」
「いいんだ」
若葉色の目が伏せられる。警戒のない自然な仕草がわたしへの友好的な感情を証明している。
もらった『ありがとう』の分の大きな雫が滴り落ちた。今までの雫よりなんか大きい。
「とにかく、ありがとう。本当に感謝している。では、そろそろ失礼するよ。風呂はまだ温かいからどうぞ」
そう言ってアラインさんも部屋を出ていった後、わたしは急いでお風呂に行った。やっぱり一日の締めくくりはお風呂だよね。
お風呂は古めかしいが広かった。マリュスはもう休んでるから、ゆっくり入ってうるさくするよりもすぐに済ませる方を選んだ。
着替えはないのでその場でつくった。下着と、寝間着と、その上に羽織っておくガウンだ。寝間着は生地たっぷりの長袖のネグリジェにした。天蓋付きベッドで寝るならこういうのだよね。
室内用の柔らかい靴もつくったところで、内側の器が変化していることに気づいた。
スープ皿には間違いない。でも直径が大きくなっているし深さも増している気がする。
気になったのでお風呂場を出てキッチンへ行き、戸棚に大切に片付けてあったわたしのお皿を出して見てみた。
気のせいではなかった。現実のお皿は内側の器と連動しているようで、大きくなっていた。
神様が新しいお皿をくれた覚えはない。ということは、力を使ったことで成長したのかな? ゲームのキャラクターが経験を得てレベルが上がるように。
「まあいっか」
何にせよ器は大きいに限る。力はたくさん使える方が良い。
部屋に戻って気持ちのいいベッドに改めて入る。不慮の出来事でファースト寝っ転がりは残念なものになってしまったが仕方ない。
のびのびと手足を伸ばしながら深呼吸する。さっきのハーブの残り香が微妙に鼻に突き刺さった。
今何時だろう。
光源はろうそくの明かりしかない異世界の夜はきっと長いだろう。
でも、その分たっぷり寝られるのだ。