〈4〉ベッドを三つ
シチューにサラダを添えて夕食にした後、わたしは部屋の調整に取り掛かった。
まずはベッド。想像したのは天蓋付きの広いベッドだ。ファンタジーやヒストリカルな物語には絶対登場するであろう憧れの家具をここぞとばかりにつくり出す。部屋のシンプルさに調和するよう装飾と色は控えめに、でも贅沢なほど寝心地良くした。
大きな家具をひとつ置いてみると広く見えた部屋が一気に狭まった感じがした。まさにベッドルームって感じだ。家具の中で一番好きなのはベッドだからこれでいい。
次にちょっとした書き物机、何を書くか分からないけど。ワードローブ、まだ着替えはないけど。ソファ、寝ることもできるように大きなものを。……休むことばっかり考えてるなぁ、自分。でもそれが一番幸せだ。
「あ、そうだ」
ワードローブのそばに姿見をつくり、早速その前に立ってみる。
「うわ……」
すごい美女が目を瞠った。わたしだ。
見た目は十八歳くらいだろうか。顔立ちはなんとなく前世の顔に似ているが、彫りが深くなって目鼻立ちがくっきりしたお陰で美人に見えるのだ。優しい眉は淡い茶色、長いまつげはくっきりと黒くて、瞳は高い空のような水色。髪の真珠色とあいまって神秘的だ。桃色の唇に清楚な印象がある。
背中に垂らしている髪は伸ばしっぱなしだが艶があるおかげで自然に見える。体のスタイルはすらりと妖精みたいなタイプで、曲線はあるが派手ではない。
あの神様、美女づくりのセンスあるなぁ。
その場で何度も体をひねって白いドレスがまとわりつく様子を見ていると、ドアがノックされたのでハッとしてやめた。
ドアを開けるとすっかり男の子姿のマリュスが顔を覗かせる。
「進んでる? 何の音もしないね」
「う、うん、もうほとんど終わったよ」
「ちょっと顔が赤いよ。大丈夫? 大変ならアラインを呼ぼうか?」
「違うよ、大丈夫」
自分に見惚れてた、なんてちょっと恥ずかしい。
若干挙動不審のわたしにマリュスは何も言わないでいてくれた。わたしは物をつくり出せても同じ力で物を動かすことはできない。この子は既にそのことを見抜いていて、単に心配してくれたのだ。
でもマリュスは部屋の様子が少し見えると、天蓋付きベッドにあっという間に目を奪われたようになった。
「あんなに大きな物も作れるんだ……」
「そうみたい。神様は今のわたしなら家くらいは建てられるって言ってた」
それってすごいことだ。自分で口に出して初めて気づいた。この家も建て直せるってことなのだから。
そこへ廊下の方からアラインさんの声が飛んできた。
「殿下。夜分遅くに女性の部屋に長居してはいけませんよ」
「うん、入ってないよ」
返事をしたマリュスだったが何やら耳打ちのポーズをして近づいてくる。
「ミチル、頼みがあるんだ。アラインにも新しいベッドを作ってくれないかな?」
それは小さな主人の大きな思いやりだった。叶えてやらない理由はない。
「もちろん」
いたずらを考えるみたいに笑いあってわたしたちはアラインさんの部屋へ向かった。……んだけど。
「新調するなら私より殿下のベッドが先でしょう」
出てきたアラインさんが目の前に立ちふさがる。
夜が来てドレスは脱いだが、完全に着替えるのが面倒だったのか時代がかった刺繍がされている男物のコートの下はまだシュミーズだ。お洒落上級者女子のコーディネートみたいになっているがこれも妙に似合っている。髪が長いままだからだろうか。
マリュスはそんなアラインさんに食い下がった。
「だめだ。これは臣下への手当だからアラインが先!」
「生活のことですから殿下が先です。ミチル、殿下がよく眠れていないのはここの古いベッドのせいなんだ」
「それはアラインも同じなんだよ、ミチル。僕はアラインがいないと生きていられないのに、アラインはそれを分かっていないんだ」
「うーん……」
二人してわたしに訴えてくる。
「主君はいわば指揮官です。私が殿下の御身を優先するのは、指揮官が倒れれば部下は路頭に迷って共倒れする恐れがあるからです。私は殿下を守ることで自分を守っているんですよ」
「う……ぼ、僕だって宰相閣下からアラインを預かっているんだよ!」
「そうでしたか? 私は宰相閣下から頼まれて殿下のおそばにいることになっていますから、むしろ私が殿下をお預かりしていると認識していました」
「むぐ……ミチルー! どちらが先か選んで!」
わたしはちょっと考えてから答えた。
「マリュスに先につくってあげる。そうしたら早く寝られるでしょ?」
子どもを優先するのは当たり前のことだ。けどマリュスにはわたしがアラインさんの意見を聞き入れたようにしか見えないだろう。ぷっと頬が膨らむ。
「もう好きにすれば!」
「お許しいただきありがとうございます。ではミチルを案内して差し上げてください」
「こっちだ」
マリュスは悔しそうに廊下を挟んだ向かいの部屋を指した。
部屋の家具はこの家の外見同様、ここに入れられた当初は綺麗だったのだろう。だが四足の椅子は触るとガタガタするし、本棚は一段壊れて抜けてしまっている。
「この村は家具も見掛け倒しの物が多くてな。特にこの家は暖かい季節の昼間だけ滞在することを想定して作られているから、一階しかまともな家具がないのだ」
「そうなんですか……ならこのベッドは、うわっ硬い!」
マットレスに手を突いてみて驚いてしまった。
シーツをはぐってみると木製の土台が姿を現した。その上に毛布やタオルケットが敷いてあるのはなんとか寝床を作ろうとあがいた結果だろうが、焼け石に水としか思えない。
「こんなのはベッドじゃないよ……床で寝るのと変わらないじゃない」
「でもそれしかないんだもの」
ベッドヘッドに装飾が施されているダブルベッドは、実はそれ自体が装飾品だったということだ。見掛け倒しにも程がある。
こんなところに寝ていたマリュスはよく病気せずにいられたものだ。
わたしは部屋を見回して空きスペースを探した。
「とにかく今日からは柔らかいベッドで寝よう。すぐ横に新しいのをつくるね」
「うん」
ベッド脇の小さいテーブルなどを一旦どかして、古いベッドと壁の間のスペースを確保した。シングルベッドなら余裕で入るだろう。
ベッドフレームの材質は木で、作りがしっかりしていて、高さはなるべくない方がいいだろう。マットレスは……スプリングとか入ってるのが二人以外の人にバレたらどう思われるんだろう? 先進技術だったら怪しまれるかな? まあいいや、快適さには代えられないよね。
「えいっ」
掛け声があると集中できるのだ。ちょっと恥ずかしいけど。
突き出した手の前方に古いベッドに似た装飾がついたフレームと、前世の家具屋さんで見たことあるようなマットレスが無音で現れた。
後ろで見ていた二人は感嘆してくれた。マリュスが早速駆け寄って二重構造のマットレスに手を突く。
「もしかして、これは前世の世界の技術?」
「うん、大体そう。結構想像でつくっちゃったけど……。あれ、住んでた世界が違うって言ったっけ?」
「ううん。でもお話からなんとなく分かったよ」
賢い子だなぁ。さすが王子様。
にこにこしながらベッドに座ってる姿は子どもそのものだけどね。
「他の寝具も全部新しくしよう」
「うん。本当にありがとう」
「いいよ。役に立てて嬉しい。アラインさん、今のうちにどんなベッドにしたいか考えておいてくださいね」
シーツ、枕、タオルケット、掛け布団をぽんぽんぽんと出してベッドに載せる。アストレア王国の仕様が分からないので、やっぱり元の世界に似た雰囲気だ。それらを使って三人掛かりでベッドメイクした。
「よし。これでどう?」
「完璧だよ。次はアラインの番だね」
「ええ……」
「どうしました?」
なんだか返事の歯切れが悪い。
「殿下は外でお待ち下さい。私の部屋は片付いていなくてむさ苦しいですから」
「……アライン、いつもそう言うね。散らかすほど物を持ってるわけないのに」
「物騒なものが少しはありますよ。そういうことだから、ミチルだけ来てもらえるか」
「はい、いいですよ」
また秘密の話でもあるのだろうか。
マリュスは釈然としない顔で自分の部屋からわたしたちを見送った。向かいの部屋だから二、三歩しか離れてないけどね。
アラインさんがドアを開けてわたしが先に入れるよう道をゆずる。男性の部屋に入ると思うとちょっとドキドキした。
「おじゃまします」
ドキドキが消えた。
中は……何もかもが低い位置にある、という印象だった。ワードローブやテーブル、椅子は壁際で立っているけど、部屋の真ん中には何もない。ベッドがないのだ。
代わりに年代物の絨毯がぺろっと敷いてある。脇に畳まれた毛布や一振りの直剣が置いてあるということはそれが寝床だということだ。
背後でドアが閉まると思わずアラインさんを仰いだ。
「長生きするつもりないんですか!?」
「は?」
双眸がぱちぱちした。本当に分かっていないみたい。
「マリュスが言ってたでしょう、アラインさんがいないと生きられないって。なのにこんな粗末な寒いところで寝てたなんて……不健康です」
「もちろん、私とてわざわざこの寝床を選んだのではない。寝場所が足りないからまだマシな方をマリュス様に譲っただけだ。ここで死ぬつもりはない」
「でもこれは悲しいです。……だからマリュスを部屋に入れなかったんですね」
あの子のあの様子からして、これを見たら自分の寝床を譲ると言い出してしまうだろうから。
アラインさんは何も言わなかった。肯定だ。
「とりあえず絨毯の上のものをどかしましょう。そこにつくります」
「マリュス様より立派なものにはしないでくれ。臣下の方が良いものを持っていては示しがつかない」
「イヤです」
「ミチル……?」
わたしの心はやる気と怒りで燃えていた。
「すっごくいいものをつくります。自分で言ってたじゃないですか、自分がマリュスを預かっているつもりだって。実質アラインさんがマリュスの保護者でしょう? だからアラインさんに何かある方がマリュスにとっては大変なんですよ」
「……そうかもしれないが、それと寝床のことはさほど関係しないよ」
「します。健康は良質な寝床と睡眠が作るものです。気合じゃありません」
わたしが言えたことじゃないけど。
とはいえ、アラインさんは本当は分かっているんだと思う。でも必要なものすら調達できなかったんだ。宮殿が二人を助けてくれないから。
わたしに説教みたいなことをされてアラインさんが押し黙ってしまうこの状況、とてもつらい。つらい分だけ、見たこともない宮殿の人たちの想像の姿がどんどん意地悪になっていく。
それはいいとしてベッドだ。
すっごくいいベッドがどういうものなのかは庶民だから知らないけど、とにかく大きくはしたい。アラインさんは妙に女装が似合うが身長百八十センチメートルは絶対にある。それに体格もいい。寝床の衝撃で見過ごしそうになってたけど、剣が扱える人なのだ。
だから縦も横も広くないといけない。そうするともちろん寝具も大きめになる。布団は夏涼しく冬暖かいようにしよう、そういう商品を真似れば多分できる。フレームは座れるように少し高めにして……。
「ミチル。枕元に物が置ける場所があると助かるんだが」
「分かりました」
控えめに挙げられた要望を組み込むため完成予想イメージに宮をつける。
完璧だ。
「いきます!」
つくり出すのは数秒とかからない。絨毯の上に軽く光がきらめいた瞬間、重厚なデザインのダブルベッドが豪奢な寝具をまとって現れた。
縦幅は二メートル超のはずだ。これならアラインさんも広々寝られるだろう。
それにしてもすっごくいいものが出来た。嬉しくて顔を見上げる。
「どうでしょう? これならマリュスに心配させずに……」
あれ、クラクラする。
立ち眩みに似た感じだからすぐ治まるだろうと思ったのだが、むしろどんどんひどくなっていく。アラインさんの声も遠い。
立っていられなくて膝を折ったのを最後の意識で感じた。