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〈16〉聖剣

 垂らされたミルクが紅茶を濁すように、宮殿の上空が黄色に染められていく。異様な空は王都の上にも差し掛かりつつあり、このままでは国全体を包んでしまうであろうことは想像に難くなかった。

 そんな中、アラインは宮殿の手前で足を止めざるを得なくなった。四人の貴族が行く手を阻んでいたからだ。

 かれらは皆、王妃の宮殿に出席していた貴族たちだ。だが今はまるで人形のように白い顔をして無表情で突っ立っていた。王妃に怯えていた表情の方がまだ平和だと思えるほどに不気味だ。


「退くがいい。さもなければ反逆者相手に容赦はしない」


 剣を構えてみせるがぴくりとも眉を動かさない。とはいっても、アラインを無視しているわけではなかった。それぞれ片手を糸で吊り上げられたように持ち上げると、その指先から暗い光で描かれた魔法陣が展開した。

 閃光がアラインのいた大地をえぐる。アラインは既にかれらの足元に迫っていた。攻撃を避けるために身をかがめて前方へ疾走したのだ。その勢いのまま、四人全員を地面になぎ倒した。

 自分の意志がないのか、貴族たちは伏したままほとんど動かなくなった。

 息をついたアラインの鼻に髪が燃えたにおいが届く。後ろで一つに結んでいる長い髪を触ってみると、毛先が少し縮れていた。


「そろそろ切るか……」


 独り言を残し、宮殿の中へと急いだ。



 ティエリーさん、もとい怪盗ワタリガラスの力を借りて、マリュスとわたしは誰にも邪魔されずに謁見の間にたどり着くことができた。

 中では王妃ブランシュが玉座に腰掛けて待っていた。闇色の鎧を着込んだ騎士を従えて、さながらゲームの魔王のように。


「ようやく来ましたか、王太子マリュス。そして神子ミチル……それに、小さなカラスさん」


 ティエリーさんは芝居がかった一礼をしてみせた。そこへ突如として火球が飛んでくる。


「おぉっと!」


 鉤爪付きロープを使って宙へ逃れたが、絨毯にはくっきりと丸く穴が空いた。

 放ったのは王妃の左右に立っている二人の貴族の片方だった。上げている片手の先に魔術で作られた炎がごうごうと燃えさかってわたしたちを威圧している。王妃はゆったりと毒々しいほほえみを浮かべた。


「まあいいでしょう、羽虫の始末はいつでもできます。まずはここまで駒を進めてこられたお二人を讃え、わたくしから挨拶をしましょう。わたくしは闇の覇王たる魔神に仕える侍女、ブランシュ。今はこの国の王であり、ゆくゆくは地上の全てを統べる者です。死にゆく前にどうぞお見知りおきを……」


 豪奢だが刺々しいドレスをつまんで会釈をする。その頭には飾り物ではない角が生えていた。人間ではないことを示す証拠だ。

 マリュスが震える一歩を踏み出す。


「ふざけないでください。こんなことをして王になっても、誰もあなたを敬ったりはしません。もし恐怖で人を支配したとしても、そんな政治が長続きした国はありません。だからそこから退いてください。その席はまだ父上の席です」


 王妃は哄笑した。


「説得されて退くほど軟な志ではありませんよ。ではそろそろお喋りはやめにして、退場してもらいましょう」

「殿下、神子様!」


 王妃の横の貴族が無表情で放った火球が飛んでくる。

 わたしが何か壁をつくろうと手を出すよりもティエリーさんが上から降ってくる方が早かった。わたしたちを後方へ突き飛ばすと、目の前に立ちはだかってマントを広げる。だが、その程度で防げる炎じゃないことは目に見えていた。

 その時、火球の前に横から小さな影が走り込んできた。

 火球が爆発して一瞬なにもかもが影を失くす。全てが焼ききれたかに思えたが、目を開けるとティエリーさんも、それより前に立ちはだかった小さな人も、皆無事だった。わたしたちの前方に透明な氷に似た障壁が張られていたからだ。


「セドリック?」


 信じられない、という声を上げたのは王妃だった。どうやら王妃が寸前で障壁を張ったようだ。もうひとりの貴族魔術師が手を振りかざした体勢のままになっている。


「愛しい我が子よ、どうして自ら命を危うくするのです? そんな馬鹿な子に育てた覚えはありませんよ?」


 わたしたちの前で両手を広げているセドリック王子の小さな体は震えていた。


「は、母上がぼくを大事なのは、道具としてでしょう?」


 目を瞠った様子から、少なからず真の愛情もあったのだと知れた。


「なんてことを……! 一体誰にそんな考えを植え付けられたのですか!」

「みんな言っています……なぜ皆は間違っていて、母上だけが正しいのですか? ぼくは……分かりません」

「なんですって? 分からない? なぜ分からないのですか!?」


 立ち上がった王妃の足は重力に逆らって地面から浮いていた。


「なぜわたくしが正しいか? それは自分以外の者は馬鹿だと知っているからです! 他人は自分の努力を踏みにじるために存在していると分かっているからです! いくら頑張っても肩書以上の評価はしないし、自分の価値観を脅かす者には無視を決め込むのです! わたくしは貴方にはそうなってほしくない。貴方には人を均等に見れる者になってほしいのです! その教えが、分からないと、言うのですか!?」


 王妃ブランシュは元々の顔立ちは整っている美しい人のようだ。でも異様な熱を込めて訴える姿は、悪魔のようだった。


「言ってることがめちゃくちゃだ……」


 マリュスのつぶやきにティエリーさんがウンと頷いている。セドリック王子もどうすればいいかもう分からないようだ。

 それもそうだろう。王妃の話には違和感があった。大司教家の令嬢だった人がどうして努力を踏みにじられたり無視をされたりするのだろうか? どんな結果を出しても、家の権威があれば評価はむしろ高くなるものでは?

 共感を得られなかった王妃はさらに恐ろしい表情を浮かべた。


「もう結構。貴方たちは終わりです。ただの道具として死にたいならそうなさい、この愚か者ども!!」


 次は王妃自身が両手を上げた。頭上に稲妻だらけの凶暴な嵐をひとまとめにしたような球体が現れる。それをこちらへ落とそうというのだ。


「あぁ、これはヤバい」


 ティエリーさんが倒れたままの王様を引きずってくる。身軽な怪盗でも、さすがに大の大人と子ども合わせて四人を逃がすことはできないだろう。

 マリュスがセドリック王子を大人のわたしたちの間に引っ張り込んで抱きしめる。一緒にいると、黄金色の目がそっくりだ。

 ――この子たちが仲直りするところを見なきゃ。

 わたしは立ち上がって両手を掲げた。振り落とされた嵐へ向けて。

 暴風が謁見の間を切り刻んだ。何もかもが渦に巻き込まれて砕け散る。

 でも、わたしたちは地面に立っていた。

 わたしたちのいる範囲だけが切り取られたように無事なまま存在している。

 頭上には、一振りの清廉な剣が浮いている。鏡のようにくもりのない真っ直ぐな刀身と、朝日のようにまばゆい柄をもつ剣が、脅威を無力化してくれたのだった。


「あれは……聖剣?」


 ティエリーさんの言葉に王妃が顔をしかめる。


「くだらない娘、くだらない剣、くだらない神! わたくしをこれ以上苛つかせないで!!」

「させん」


 再び上げられた腕に、後方から飛んできた剣がかすめる。切れた肌から黒い触手が舌のように出て、一瞬で傷を塞いだ。

 おぞましい光景から視線を引き剥がして肩越しに振り返る。戸口に黒尽くめの人が立っていた。


「アラインさん!」

「間に合った……か?」

「遅いよ!」


 恐怖の反動か、小さな主君は結構本気で怒っていた。

 謁見の間の床はぼろぼろだった。アラインさんは比較的頑丈な部分を伝ってやってきた。

 とうとう、この時がやってきたようだ。


「アラインさん、この剣を取ってください。神様があなたを選んだんです」

「分かっている。ミチルのアミュレットから声が聞こえたのだ。それに、今この剣を見て自分が何をすべきかはっきり分かった」


 間近から覗き込んだ若葉色の瞳に迷いはなかった。この人もわたしと同じ使命を背負ったのだ。

 わたしは聖剣を下ろしてアラインさんに渡した。大きな手が柄を握ると、全身を水色のオーラが包んで吸収されていった。神様の加護が宿ったのだ。

 アラインさんはわたしたちを下がらせ、誰よりも前で剣を構えた。


「魔女ブランシュ、覚悟せよ」


 王妃……魔女ブランシュは、怒り狂って笑った。それが戦いの始まりだった。

 まず鎧の暗黒騎士がアラインさんへ向かってきた。聖剣の前には強敵ではない様子だったが、見た目通り防御が硬いので少し手こずっていた。でも最後は兜を割ることで決着した。

 命を取らなかった理由は、中に貴族が入っていたからだ。無理に操られていたせいか、解放されると泡を吹いて倒れてしまった。

 そこまでは前哨戦に過ぎない。

 魔術師となった二人の貴族が攻撃と防御を組み合わせてアラインさんを翻弄した。聖剣はたいていの魔法を無効化してくれるが、マッチの火を吹き消しても燃えていた部分に熱が残るようなもので、アラインさんの体は着実に傷を負っていった。

 二人を『処理』し、残るは魔女のみ。

 魔法を撃ちまくりながら、剣で斬り裂かれながら、魔女はやはり笑った。追い詰められて、正気を失ったみたいだった。


「手に入らないなら壊した方がいいのです、人も、この世界も! それが幸せというもの……ッ」


 声がひずみ、アラインさんに絡みついていた触手も引っ込んだ。

 受けた傷が多すぎたのか、魔女の体はもう再生せずに限界を迎えた。体の末端から粒子となって消えていく。

 それは浄化だった。闇の世界には還らず、この世界にも留まらないが、清浄な存在として滅びたのだ。



「……終わったよ」


 瓦礫の陰に隠れていたわたしたちの元へ戻ってきたアラインさんの服はぼろぼろだった。潜入用のスーツのあちこちが切れて、肌が見えている。結っていた髪も解けてしまっているから、まるで荒野を数ヶ月さまよってきたような有様だ。

 まあ、ここはもう荒野みたいなものだけど。

 わたしたちは途方に暮れてあたりを見回した。荘厳だった謁見の間は見る影もない。


「あ、見て……」


 マリュスが天井付近の小窓を指差す。

 そこにはいつもどおりの夜空が覗いていた。禍々しい光も、黄色い空ももう霧散している。あっけないほど全てが元通りになったのだ。


「……いやぁ、ここを修復するのにどれだけかかるんだろう?」


 ティエリーさんが足元の小さい瓦礫を蹴る。まだ怪盗姿だけど、アラインさんは事情を知っているようだ。


「そうだな。だがまぁ、国中から職人を集めれば、時間が掛かっても再建はできるだろう」

「オレの心配はカネのことだよ。親父が寝不足になるぜ、こりゃ」


 二人はもう未来の話をしている。

 全て終わったのだから当然だ。国難は去った。犠牲者は出なかった。悪魔の計画は潰えた。

 わたしの使命は終わったのだ。


「ミチル?」


 気づけば、わたしのボウルサイズの器はからっぽだった。

 傷に気づいてようやく痛みを自覚するように、全身から力が抜けていく。

 今回は調子に乗って無理をしたせいじゃない。

 この体は元々、使命のためにあったのだ。だから使命を終えた今、この体は眠りにつく。


「ミチル!!」


 アラインさんの声がもう遠い。天地が分からない。でも暖かい場所に落ちて落ち着いた。これは腕の中?

 でも、さようなら。わたしの役目は、これで終わりだから――

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