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〈14〉檻にして盾

 二人は何秒間、そのまま見つめ合っていただろう。

 マリュスが手を挙げるのと、セドリック王子が窓の鍵を開けたのは同時だった。兄弟らしい、と思う。まごついたのはマリュスだけだったけれど。


「こ、こんばんは、セドリック王子。夜分遅くに来てしまい申し訳ありません。実は、僕……あなたと話したいとずっと思ってたんです」


 いや、全然兄弟っぽくなかった。マリュスは緊張ですごく強張っている。

 対してセドリック王子はひたすら無表情だ。寝衣とガウン姿だからもう寝るところだったのだろう。だから不機嫌なのだろうか。マリュスとわたしをそれぞれじっと見つめる。


「はじめまして、マリュス王太子。お会いできて光栄です。そちらの方はどなたですか?」

「あ、そうですよね。この人は神子のミチル様です。神様の使いだけど、僕の友達なんです」

「そうなんですか。すごいですね」


 言葉に抑揚がない。

 子どもっぽい好奇心が全然ない様子に、わたしは少しゾッとした。

 でも、セドリック王子はわたしたちのために窓を広げてくれた。


「何もご用意できませんが、それでもよければどうぞお入りください」

「ううん、いいんです。ありがとう」


 マリュスはホッとした顔でこちらを仰いだ後、セドリック王子の後に続いた。わたしも部屋に入り、窓を閉めた。

 中は……何もなかった。

 最低限の家具はある。けど物が少なすぎて趣味が見えてこない。それがどこか落ち着くのは、同じく最低限の物しかないわたしの部屋に似ているからだ。

 でも、わたしの場合はこの世界に来てまだ日が浅いせいだ。セドリック王子は八年は宮殿にいるはず。なのにおもちゃやぬいぐるみもなければ、本棚に冒険小説を詰め込んでいるわけでもない。この部屋はセドリック王子本人と同じように無表情だ。

 マリュスも違和感を覚えているようだ。わたしたちはソファセットに案内されたけど、落ち着ける気がしなかった。


「セドリック王子は、何か好きなことはありますか?」

「好きなこと?」


 尋ねられた子どもはわたしたちの正面で人形のように座っていた。


「なんでもいいんです。趣味や、食べ物や、動物や……何かありませんか? 僕、あなたのことを何も知らないのが恥ずかしくて」

「ぼくは勉強が好きです。どうしてぼくのことを知らないと恥ずかしいんですか?」

「え? だって、それは……」


 マリュスは少しもじもじする。


「僕たちは兄弟だから。僕は血のつながっている人のことをもっとよく知りたいんです。その方が安心するから。そうは思いませんか?」

「思いません」


 頭を後ろから殴られたような衝撃だった。

 小さな口から無表情ゆえに冷たい声が放たれる。


「本当はぼくはあなたと話しちゃいけないんです。母上がそうおっしゃいましたから」

「じゃあ、どうして会ってくれたの……?」

「別に、敵に勝ちたいと思うのは、勝ちたいからです。深い理由なんてないです」

「か、勝ちたい?」


 セドリック王子は困惑するマリュスへ背を向けるようにソファから離れた。


「あなたは、国王陛下に宮殿から追い出されたはずですよね? それなのにまだ諦めないんですか?」


 意地の悪い言い方だ。マリュスの両手が膝の上できゅっと握られる。


「陛下は……態度は辛いけれど、僕がしたいようにしてくださっているのかもしれない。それか、ご事情があって僕を遠ざけようとしているのかもしれない。だから『出ていけ』とは仰らなかったんだ。陛下は僕のことを気にかけてくださっているよ!」

「全然違います」


 セドリック王子はばっさりと切って捨てた。


「それは都合のいい話です。本当は、陛下はあなたのことも、前王妃様のこともお忘れです」

「え、母上……?」

「だって、仕方ないでしょう。あなたのお母上は、国が大変な時に、勝手に病気になって、勝手に死んで、陛下を一人ぼっちにした裏切り者なんですから。そんな嫌な人は忘れる方がいいんです」

「……なんだって……?」


 声の震えから、マリュスの血が凍りそうなほどの怒りが伝わってくる。相手はそれに気づいていないのだろうか。


「だから陛下はあなたを王太子にしたことを後悔していらっしゃるんです。それに前王妃と結婚したことも、あなたが生まれたことも後悔していらっしゃるんです」


 わたしは立ち上がろうとしたマリュスの拳をつかんで止めた。

 咄嗟の行動だった。感情を爆発させたマリュスが後悔する姿を見たくなかったのもあるけど、一番は、大人としてセドリック王子に何も言わないでいることができなかったからだ。


「セドリック様。今のは自分の言葉なの? それとも王妃陛下に教えられたとおりに喋っただけなの?」


 兄に似て整った顔の小さな眉間がとうとう寄った。


「ぼくに話しかけないでください。母上が嫌がりますから」

「母上、母上……ね。お母さんの顔色を窺ってばっかりなんだね。王妃陛下はそんなに怖い人なの?」

「……ぼくはちゃんと警告、しましたから」


 セドリック王子がガウンの裾から何かを振り上げる。突如、ガランガランとハンドベルの鈍い音が激しく鳴り響いた。

 わたしたちは部屋が薄暗いせいで王子の手元が見えていなかったのだ。部屋の外から幾人分もの足音が走ってくるのが聞こえてきた。


「逃げなきゃ!」


 マリュスがわたしの袖を引っ張る。わたしはその手を握り返した。


「待って。どうせ逃してくれないよ。こっちに来て」

「え!? な、何をするの?」

「籠城作戦!」


 セドリック王子の部屋ががらんとしているのは幸運だった。わたしはそんなに物がないスペースにあたりをつけてマリュスと一緒に真ん中に立ち、自分たちを閉じ込めるための檻をつくった。

 そう、檻だ。鉄格子が細かくて、出入り口がなくて、二人で広々と寝られるくらい広い檻。檻は閉じ込めておくことも、閉じ込めたものを守ることもできる性質を持つ。

 ちょっと出現場所を誤ったせいで、二、三センチメートルほどの高さから落ちてガシャーンとすごい音がしたけど、さすが宮殿、床は抜けなかった。

 呼ばれた衛兵たちが部屋に突入してきた。夜なので鎧などの装備は脱いでいたが、リーダーが誰なのかは服の立派さですぐ分かった。リーダーはセドリック王子を自分の後ろに隠してわたしたちに目を向ける。


「貴様たち、そこから出てこい!」

「えっと……出られるの? ミチル」


 わたしは二人へ向けて首を横に振ってにっこり笑った。マリュスは呆れ半分の顔で見上げてくる。


「殿下、この連中をいかがしましょう?」

「……錬金術師に任せる」


 しまった。そんな人がいたのを忘れていた。

 セドリック王子が部屋を出ていき、間もなくやってきたローブの男はやはりさらわれた時に見たあのおじさんだった。


「これはこれは……思いがけず活きのいい実験動物をもらいましたねぇ。前回の屈辱はきっちり晴らさせていただきますよ、お嬢さん?」


 わたしは檻の外側に水族館の水槽並に分厚いガラスをつくった。だが、錬金術師が鞄から変な色の薬品が入った瓶を何本か取り出して調合したものを投げつけてくる。爆発のような音と共に蒸気が上がりガラスに穴が開く。溶けたのだ。


「このっ……」


 その穴を補修しようと手を伸ばしたが、穴が塞がった時には最悪の状況になっていた。穴から投げ込まれた薬品の瓶が檻の中で割れていたのだ。


「マリュス……!」


 咄嗟にそばの小さな体を抱きかかえて隅へ避けたけど、瓶からこぼれた液体は気体となって檻じゅうに広がってしまった。

 意識が低下していくこの感覚は知っている。さらわれた時に吹きかけられた薬品と同じだ。

 二度も同じ手にやられるなんて、不覚……。



 真っ二つにしたはずの体が音もなくくっついていく。

 復活した人影は再び鋼鉄の剣を握り、何事もなかったかのようにこちらへ向かってくる。アラインは剣をかわし、再び手応えのない人影を斬り捨てる。

 これが実体を持つ相手だったら、もう十人は始末していることになるだろう。

 アラインは未だ人影の剣士に取り囲まれたまま突破口を見いだせないでいた。人影自体は敵ではないが、終わりのない戦いが着実に体力を削ってくる。さすがに上がってきた息をさとられないように押し隠すのも限界に近い。

 だが、弱っているところを見せたら一気に畳み掛けられることになるだろう。人影の剣士が作っている輪の外には、まだ鎧を着込んだ尖兵が控えている。王妃ブランシュはもうこの場にはいないが、魔術を使って遠くにいながらもこちらの様子を見ているに違いない。

 その時、集中が乱れた隙に横から飛び出してきた剣先が脇腹を掠めた。


「くっ」


 ちり、と焼けるような痛みが肌に走る。かすり傷に過ぎないようだが、疲労を認めるには十分だった。


(賭けるしかないか……)


 人影を統率している鎧の尖兵は初めてアラインに傷を負わせたことを喜んでいるのか、笑うように肩を揺らしている。人影たちも同調するように攻めの手が緩む。それが大きな隙となった。


「退けッ!!」


 剣を前へ出し、体制を低めて人影たちの間へ突っ込んだ。

 元々実体のない人影たちはそれだけで剣を残して霧散する。すぐに収集がつくのだが、姿を取り戻した時にはアラインはもう包囲網の外にいた。

 鎧の尖兵が腕を振って追跡の指示を出す。アラインは廊下を走り抜け、門がある場所まで振り返らず走った。


「……ッ!」


 門はもう光っていなかった。

 王妃にしてみれば、侵入者を生かして帰すつもりはないのだから退路を断つのは当たり前だろう。アラインにしてみれば、ここが唯一の出口だったのだ。

 アラインはしばらく立ち竦んでいたが、追手が追いつくと剣を握る手により力を入れた。


「いいだろう。私はここで生き抜き、王妃を地獄の果てへと追い詰めてやろう!」


 その時だった。

 アラインの胸から清浄な光が放たれてあたりを包むと、人影たちはまるで乾いた泥のようにぼろぼろと砕けてしまった。鎧の尖兵も目を激しく焼かれたかのようにもんどりうつ。一方、アラインは光源に気がついてそれを服の中から取り出した。


「ミチル……」


 出発前に渡されたアミュレットだ。強く輝いているが、アラインの目には暖かく柔らかな光に思えた。それが段々と収まってゆくと、代わりに背後でボウ、と炎が灯るような音が鳴る。見ると、門が美しい真珠色の渦を巻いていた。


「何も仕掛けはないと言っていたではないか」


 アラインは微笑みを浮かべ、門をくぐり抜けて離宮へと戻った。

 だが安堵したのも束の間、窓の外に地上から伸びる一筋の光を見つけ、慌てて外に出る。

 光は門に渦巻くのと同じ色をしており、どうやら宮殿から伸びているようだ。背後を見上げると、離宮の門にも同じような光の柱が立っている。門の位置を教えているのだろう。つまり、向こうの光は王妃たちが使った門の場所を示しているのだ。


(行け、というのか?)


 疑問に思うと同時に、手に包んでいたアミュレットが不意に氷が割れるように砕けてしまった。アラインは自由になった水色の花びらを慌ててつかまえようとする。だが花びらはするりと手を避け、まるで風に乗ったように宙に浮いた。


『神子は囚われた。光の下へ急ぐのだ、我が勇者よ』

「なにっ……?」


 花びらは風に飛ばされて闇に消えた。

 あたりを見回すが誰もいない。

 アラインは村の方を見たが、やはり今の言葉を無視できず、宮殿へ向けて走り出した。

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