〈13〉カンテラ、鉤縄、クローク
ついさっきアラインさんが言ってたことを聞いてなかったの? とか、子ども扱いされたことがそんなに嫌だった? とか、どうして今まで相談してくれなかったの? とか。色々言いたいことはあったのに、口から出たのはしょうもない質問だった。
「い、今から?」
「うん。アラインには内緒にしておきたかったんだ、セドリック王子と会うことは絶対に許してくれないって分かってたから。アラインはセドリック王子とブランシュ様を一纏めに考えすぎてるんだよ」
「それは……無理もないことだよ。だってセドリック王子はまだ八歳だもの」
「僕はそうは思わない。僕とたった二つしか違わないんだから、セドリック王子も自分の力で考えることはできているよ。自分の立場について色んなことを思ってるに違いないんだ。半分しか血がつながってないけど、弟だからそれが分かる」
「マリュス……」
宮殿には魔神の眷属が紛れ込んでいるかもしれない。
それは王妃である可能性が高いし、王様も何を考えているか分からない。
もうマリュスの味方になり得る家族はセドリック王子しかいないのだ。
そこまで考えてわたしは顔を上げた。
「……分かった、ついていく。一人にできないからね」
浮かべられた安堵の笑顔にちょっと心が痛んだ。
「ありがとう。それでね、早速だけど欲しい物があって……」
*
見張りに立っていた二人を武装解除して縛り上げ、アラインは闇の中で耳をそばだてた。
離宮の中は他に人の気配がない。正面扉の鍵は開いていたが、見張りが暇そうに立っている以外に妙な様子もなかった。
(ここが会場のはずだが……なぜ誰もいないんだ?)
茶会の用意どころか家具も足りていない。ただ、玄関から奥の部屋へと連なって置かれているロウソクが来訪者を誘導している。アラインは仕方なく道に沿って進んだ。
すると、しだいに腹の底に響くような低音が聞こえてきた。鼓動のように規則的だが楽器の類ではない。行き先の扉の隙間から青白い光が漏れているのを見てアラインはいよいよ警戒した。
扉の先には、門があった。
その門の内側には青白い渦がうごめいていた。不透明な光の渦は門の向こう側の部屋の景色を塗りつぶしており、渦の動きがごおごおと低音を鳴らしている。魔術的と言わざるを得ない光景だった。
(これが『会場』への入り口か……)
懐に入れていたメダルがぼんやりと熱い。取り出すと、魔力を帯びた銀色のメダルの輝きが門の渦に呼応して増していた。
どうやらこれが通行証のようだ。アラインは意を決し、メダルを握りしめて門を潜った。
その先は、宮殿だった。
「な……?」
いや、よく見ると違う。宮殿の絨毯は赤色のはず。ここのは紫色だ。
ここは構造もデザインも宮殿によく似た別の場所だった。壁際に燭台が置いてあるが、光源とは別の方向から光が伸びていたり、照らされているはずの場所が物置のような闇になったりしている。アラインは何度か目を瞬いたが、すぐに自分の感覚は正常だと気づいた。おかしいのはこの場所だ。
(ここは現実ではない……)
しかし、だとしたら一体どこなのだろうか。
背後の門が突然ひときわ強く唸った。振り返ると、門から光の粒子が無数に出てきて、見る間に二人分の人の形へと集結していくではないか。
アラインは考えるより先に柱の陰の闇に身を隠した。現れた人物の姿を密かに捕捉する。貴族とその夫人のようだ。
「それにしても同士の証を盗まれるなんてお間抜けな人よね。どうりで普段からぼんやりしていらっしゃるわけだわ」
「まあそう言うな。相手は例の『ワタリガラス』だ。うかつに手を出せば火傷は免れん」
「ねぇ、連中に報復するように進言してよ。このままでは『杖の同士』の品位が下がってしまうわ」
「いいや、今夜は黙っておいた方が賢明だ。女王陛下はお怒りだという噂を聞いたからな」
(『女王陛下』?)
アラインは会話の内容に眉をしかめながらも、貴族夫婦が謁見の間へと続く長い廊下の等間隔で立っている柱を通り過ぎていくのを、影から影へ移りながら音もなく追いかけた。そして貴族たちが両開きの扉に入ったのを確認してその場を離れる。
ここまで宮殿に似通っているなら、隠し通路も同じようにあるのではないか。もしそうなら、それは謁見の間の外周を回り込むことで入れる、歴代国王の姿絵の間にあるはずだ。
謁見の間にはいざという時のために脱出路が隠されている。時には有事に備えて騎士が潜んでおくこともあるので、アラインはその入り口と道順を知っていた。
まず、壁に並んでいる姿絵の中から、数代前の国王を描いた一枚を探す。大きくて重たい額縁を少しずらすと、隠された機構があった。どうやら本当に宮殿が再現されているようだ。スイッチを押すと絵画の裏の壁に見せかけられた戸が自動的にずれて入り口を開ける。アラインは身をかがめてその中に入った。
中から戸を閉めると通路は闇となる。明かりはないので自分の手すらも見ることができないが、道をたどっていけば壁に小さな覗き穴が開いているのが見えてきたので、それが終点の目印となった。謁見の間から見れば、その覗き穴は壁の模様に紛れているので、存在に気づける者はいないだろう。
壁の向こうからはひっそりとしたざわめきが聞こえている。アラインは覗き穴に目を近づけ、紫色で装飾された異界の謁見の間を見下ろした。
本物の宮殿にはない椅子が絨毯の左右に等間隔に置かれており、7名が座っているようだ。空いている席は、今アラインが持っているメダルの本来の所有者の席だろう。
突然、ボーン、と錆びついた鐘を叩いたような音が鳴った。音の発生源を探して初めて、玉座の後ろに巨大な振り子時計が鎮座していることに気づく。
残響が消え失せた後、えへん、と一人が咳払いをして立ち上がった。
「――お集まりの紳士淑女の同士たちよ、ご起立を。我らが女王陛下のおなりだ!」
玉座へやってきたのは、予想通り王妃ブランシュだ。だが、アラインはその姿に目を見開いた。
宮殿で見た時の王妃は元大司教家の娘として、頭にベールを被り、ドレスも襟の高いものを着て清楚だった。
今の王妃は露出した白い腕に黒色の淡いレースを引っ掛け、強気な顔つきで出席者たちを睨めつけている。それだけでもまるで人が違ったように見えるのに、極めつけはグレージュの髪に覆われた頭部、その耳の上から、一対のねじれた角が生えていることだった。その姿は言い伝えられている魔神の眷属のものに他ならない。
(やはり王妃は魔女だったのか……!)
アラインは怒りで拳を握った。本性を隠して宮殿に入り込んだ後、功績を作って地位を確保し、それを隠れ蓑にしてここで反逆を企てていたのだ。しかも己を『女王』と呼ばせている……なんという傲慢さだ。
王妃ブランシュは唇に濃い紅すらつけていた。禍々しさすら感じられる口をとうとう開く。
「このところ、不愉快きわまりない状況が続いていますね。神子とやらの出現に始まり、いくつもの失態、そして先日の大規模な集会。一連の流れが意味するものとは一体なんなのでしょうか?」
自問のような問いかけに皆の身が竦んでいるのが遠目にも分かった。だが、一人が顔を上げる。
「恐れながら、あの神子は我々の手に負えないような力を持っておりますし、神子の出現が影響して宮殿内の勢力図は均衡を崩しつつあります。我々に対して、王太子派の人数はもはや数十倍なのです。この生まれた力の差は我々の総力をもってしても反転させることは困難かと……」
「あなたたちは、この状況を覆す勇気がありますか?」
語尾に重ねるように投げられた問いに皆が顔を上げた。
「もちろんですとも。我々は女王陛下がお築きになるであろう豊かな治世を切望しておりますから」
「では、勇気のために何を差し出せますか?」
出席者は一瞬、互いに視線を交わした。
「私は……黄金を」
口火を切った者へ皆が次々と続く。
「事業を捧げます」
「領地の権利を」
「家を」
「私は息子を」
「妻を」
「この身自身を。我が主君よ」
王妃は初めて口の端を上げた。
「よろしい。では最初の反撃を始めましょう。この場に潜んで聞き耳を立てているネズミを始末するのです」
そう言って手を挙げたので、アラインは覗き穴の前から身を引こうとした。だが、最後に発言した貴族が突然苦しみに胸をかきむしり始めたのが見えて足を止める。
「へ、陛下……ぁあぁァァッ!?」
貴族は見る間に闇色の炎に包まれた。体が黒い硬質な物質に覆われていく。その姿は鎧のような檻に囚われたようにも、二本足で立つ怪物にも見えた。
兜のようなもので覆われた頭から一本角がめきめきと生え、暗い紫色に光る双眸がぎらりとアラインの方を向く。
そして爆発が起きた。
「くっ」
咄嗟に飛び退っていなければ、目の前の壁をえぐり取った衝撃に巻き込まれていただろう。突如差し込んだ明かりに目が眩みながらも、アラインは通路を飛ぶように戻って絵画の間へ転がり出る。
だが、目の前に瞬時に現れた闇が行く手を阻む。
「貴方はここで消える運命のようですね、ヴォクス卿アライン・ルグラン。有能なだけに、非常に残念ですが」
王妃ブランシュは靄のような闇から現した姿で宙に浮いていた。その横に同じように現れた鎧の尖兵がこちらへ踏み出してくる。
「妖術師め……!」
「ここは我が主の領域内に建つ、我が宮殿。ゆえにわたくしはどこにでも存在しますが、貴方はわたくしを斬ることはできませんし、ここから逃げることも叶いません。さようなら、若き勇者よ」
王妃が振り上げた手にいざなわれたように、柱の影や絵画の裏などからひとりでに動く歪んだ人影がするすると出てきた。それらは僅かな厚みの体で自立し、鎧の尖兵に従ってアラインを取り囲む。
アラインはマントの下から剣を抜いた。
*
かすかな光が生まれ、手の中に錨のような金属部分が結び付けられた縄が出現する。鉤縄だ。マリュスはカンテラを掲げてそれを見た。
「これでいい?」
「うん。あとはこれを投げてバルコニーに引っかけよう」
頭上には半円形の立派なバルコニーが屋根のように広がっている。わたしたちはなんとか宮殿にたどり着き、警備兵の目を盗んでセドリック王子の部屋の下まで来ていた。
道中は緊張しきりだった。宮殿までの長い道のりでは急遽つくった小さなカンテラだけが頼りだったし、到着してからは、侵入者であるわたしたちの身を隠してくれるのは用意した暗い色のクロークだけだった。バレた時は全力で逃げよう、とだけ決めてここまで来たのだ。
でも、今のところ事は順調に進んでいる。
マリュスが上手に鉤縄を回してバルコニーへ鉤を引っ掛け、先に縄を登った。縄には結び目を作っておいたので少しは登りやすくなっている。わたしは結構苦労したけど。
掃き出し窓の内側はもうカーテンで閉ざされていた。マリュスが控えめにノックすると、しばらくして低い位置から現れた小さな手がカーテンに隙間を開けた。
グレージュの髪の小さな男の子だ――彼はマリュスと同じ金色の瞳を、無表情のまま見開いた。